貴族との遭遇
「アリスをおねがいっ!」
「うん!」
スフィの背中から降りたところで、前衛ふたりが雪の上を駆け出す。雪と防寒具で動きにくいのか見る影もないくらいに動きが鈍い。
「足元の雪の動きと音にきをつけて」
「わかった!」
「おうっ!」
アイスワームは雪中で獲物に突進する時にギチギチと軋むような音をさせるらしい。耳が良ければそれでタイミングや位置を掴めるって聞いた。
実際ここからでも耳を澄ませていれば硬いゴムのようなものが擦れる音が聞こえる。犬ぞりで牽かれていた箱から飛び出してきた人が戦っているみたいだ。
女の人が2人、男が2人、アイスワームが8体。
雪の上だと動きづらいみたいで、飛び出しては噛みついてすぐに雪に潜るアイスワームに対処出来てない。
……全員防寒具でよく見えないけど、構えや動きそのものは悪くない。倒れた車体を守るように陣形を組んでなんとか迎撃している状態だ。
採氷にきた冒険者にしては雪上戦闘に慣れてなさすぎる。
「助太刀するにゃ!」
「がうぅー!」
ノーチェたちが声をかけながら近づいていき、空中で無防備になっているアイスワームの胴体を断ち切った。真っ二つになった巨大な節足動物が、青い液体を零しながら雪の上でのたうちまわる。
少し心配だったけど、あのくらいなら問題ないようだ。
あちら側は一瞬顔を見合わせた後、女性のひとりが「感謝する」と声をあげて犬ぞりの守りに集中した。
そこからはさっきまでの不安定な感じはなくなって、しっかりとした動きを見せた。
やっぱりかなり訓練されてるように見える。
最初にコツを掴んでしまえばふたりにとっては敵じゃなかった。ぼんやり見守っている間に8体全てのアイスワームが倒され、戦闘が終わる。
「助かった」
「ううん、困ってるなら助け合いだもん」
「そうにゃ」
一言二言交わしたスフィとノーチェがこっちに戻ってくる。まぁぼく動けないからね。
あっちの人たちは警戒しつつ倒れた犬ぞりから新たに2人を助け出し、車体を起こしている。
倒れていた車体から出てきたのは豪華な毛皮つきの防寒具の女性だ。もうひとりは他の面々と同じ防寒具。
……お金持ちっぽい雰囲気に嫌な予感を覚える。
「あのくらいなら何とかなりそうにゃ」
「うん、慣れたら簡単だった」
「すごいなぁふたりとも……」
剣を布で拭いながら、きゃいきゃい話すこっち側の3人。それを遠目に……あっちのリーダーらしき女性が見ているのに気付いた。
東方人っぽい金色の髪にヘーゼルの瞳。年齢的には20代前半くらい? 若く見える。
「そろそろ移動しよう」
「え、もう?」
「まぁ別にいいけど、急にどうしたにゃ」
ノーチェに移動を提案するけど、ちょっと遅かった。男ふたりを連れて、リーダーの女性が歩いてくる。
「君たち、先程は助かった。我が主が是非礼を言いたいとおっしゃっておられる、きてくれ」
表面上は穏やかな微笑みを浮かべているけど、声も反応も硬い。
シスターやフォーリンゲンの騎士たち、更には錬金術師たちといった好意的な人たちの反応を見てきたからわかる。感情を抑えている人間特有の音だ。
「どうってことないにゃ」
「うんうん、助け合いがだいじだって、シスターもいってたもん」
「……そうか、ありがとう」
ぼくたちくらいの年齢の子供がシスターと呼ぶ相手は、大体が光神教会が運営する孤児院の保母さん。
孤児相手だという予想が当たっていたことを確認したのか、一瞬だけ見下しの色が見えた。
それにしてもこの堅い物言い、やっぱり貴族か権力者の縁者っぽい。
参ったなぁ……。
「さぁ、こっちへ」
「……ぅうん」
「あー……別に礼なんていいにゃ。大したことしてにゃいし」
どう伝えようか悩んでいると、スフィとノーチェの反応が少し硬くなっているのに気付いた。
それはそうか。スフィだって嫌な人間は見てきたし、ノーチェに至ってはかなり苦労してる。
隠しきれない侮蔑の色には敏感に気付く。
「我が主の招待を断るというのか?」
「さっきの言葉でじゅーぶんってやつだにゃ」
この女の人、表面上は抑えているけど内心はかなり苛立っているな。
万が一ここで戦闘になると非常に厄介だ。どこの誰だか知らないけど、権力者相手にどんぱちなんて後々の影響が洒落にならない。
……なんとか最悪だけは避けるように立ち回れるといいんだけど。
「言葉だけでは誠意が足りぬと、わざわざ時間を割くと仰っておられるのだ。……直接的な言葉は好まないが、わかりやすく言ったほうがいいようだ。主への無礼は控えて貰いたい」
「……」
ノーチェの機嫌がみるみる悪くなっていく。そっと近づいて、防寒具の裾を小さく引っ張る。
「?」
視線だけでこちらを見たふたりに、小さく首を横に振って答える。
これ以上はもめないほうがいい。もしかしたら本当にお礼を言いたいだけの可能性だってなくはない。トラブルなくやり過ごせるならそれでいい。
「……わかったにゃ」
「わかって貰えたようでありがたい。こちらへ」
雪を踏みしめて犬ぞりの方へ向かう女性を追って、スフィに背負われて進み始めた。
粉雪の量が少しだけ増えているような気がした。
■
「危ないところをありがとうございました、小さな方々」
再び起こされた犬ぞりの前で待っていたのは、長い金髪に深い蒼色の瞳を持ったいかにもなお嬢様だった。年齢は10代半ばくらい、成人してすぐ程度に見える。
「別に、大したことしてにゃ……」
「無礼な!」
「下民はマナーもないのか」
見た目は全員が典型的な東方人。だけど……うーん。
態度は聞き慣れてるものだけど、不思議と獣人差別って感じはしない。
こんな子供に助けられたことに対する苛立ちと、あとは単純に平民の口調が赦せなかったってところかな。
ぼくは余計なこと喋らないほうがよさそうだ。今更ながら貴族だって言ってたランゴバルトは結構寛容だったんだなぁ。
「……」
「お止めなさい、恩人相手ですよ」
「はっ」
ノーチェが黙り込んだところで一拍置いて、お嬢様が従者を嗜める。なんかパフォーマンスって感じだなぁ。
「急ぎの旅ゆえに大したお礼も出来ませんが感謝を。もしもアルヴェリアに来ることがあればフィルマ家をお尋ねください、便宜を図りましょう。それと……カテジナ」
「ハッ」
横で控えて圧をかけてきていた護衛のリーダーらしき女性が、お嬢様の傍に控えていた侍従から布に包まれた木箱を受け取る。
「納めよ」
「……にゃ」
ちょっとムスっとしながらノーチェが箱を受け取る。中からカチャリと硬いものがぶつかる音がした。音の感覚からして銀貨かな、本当にただのお礼だったみたいでほっと胸をなでおろす。
アルヴェリアって単語が出てきたのは驚いたけど、簡単なやりとりで終わりそうでよかった。
「以上だ、下がれ」
リーダー……カテジナの言葉を受けて犬ぞりから少し距離を取る。
音で探ると、車体を確認しながら「いけそうか?」「なんとかなりそうだ」って会話をしている。
「ちょっと降ろして」
「んゅ?」
車体から離れた位置で、狼が自分の前足を舐めている。怪我をしている様子だった、アイスワームに噛まれたのか毛皮に滲む血が痛々しい。
「クゥン……」
近づいて目の前に膝をつくと、狼はぼくを見て鼻を鳴らす。でかい図体なのに人馴れしてるのか子犬みたいだ。
「みせて」
「ウォフ」
一声かけて手を伸ばすと、肯定の意味合いの鳴き声をあげながら狼が怪我している前足を差し出してきた。
何となくだけど言ってることがわかる。見る限り傷は浅いみたいだけど、犬ぞりを牽くのはつらそうだ。
「……怪我をしているのね、どうしましょう」
「ポーションは?」
「尽きてしまっていて……」
声をかけてきたのは一緒に戦っていた女性だ、御者をしていた人なので使役者なのかもしれない。
草原狼とは不幸にも衝突してしまったけど、今回は友好的な関係。
同じ犬科のよしみだ、治療しよう。
防寒具の裾から下級ポーションを取り出し、指でアンプルの蓋を折る。透明な薄緑色の液体をかけると、狼がビクっと前足を引きそうになった。
「がまん」
「クゥゥン」
「初対面の相手にこの子がこんなに大人しいなんて……」
軽く叱りつけて我慢させながら、血を洗い流しつつポーションをたっぷりかけて布できつく縛る。
「おしまい、少し休ませれば傷はふさがるけど、暫くは無理させないほうがいい」
「いいんですか? ポーションまで使わせてしまって」
「狼には縁があるから、きにしないで」
「……感謝を」
これで動くのに支障はないだろう。ここまできてるなら、真っ直ぐ進めば雪原を抜けるまで後少し。
あとはそちらで頑張ってほしい。
丁寧にお礼を言う御者役の女性から離れて、もう一度スフィに背負ってもらう。それからノーチェに小声で提案した。
「早めに離れよ」
「おう、嫌な感じにゃ」
「……ん!」
「まぁまぁ」
詳しく事情を聞くつもりはなかったけど、彼等はおそらく貴族の護衛団だろう。
わざわざアルヴェリアからここまで来た貴族、防寒具も犬ぞりも完備している。
近くで見て何となく読み取れた実力だって決して低くない。ぶっちゃけ、あの程度のアイスワームにやられるようなメンバーじゃない。
冒険者ランクでいえばリーダーのカテジナはCの上、他はDの最上からCの下の方。雪原を突っ切るだけなら問題ないはず。
じゃあ何であんなに急いでた? 何から逃げてた?
嫌な予感が消えてくれない。
「おまえ達」
「……まだ何か用にゃ?」
考え事をしているうちに、カテジナがこちらに向かって歩いてきた。
「あぁ、少しな……ついて来てもらおうか」
「……拒否するって言ったらどうするにゃ?」
「平民が貴族に逆らうことの愚かさくらいはわかるはずだ」
「チッ……言っとくにゃ、ただでやられるつもりはにゃい」
「危害を加えるつもりはない、来てもらおう」
ノーチェがギリっと奥歯を鳴らして、ぼくたちは先導するカテジナの背中を追いかけることになった。
犬ぞりから離れていく、その背中を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます