やってくるトラブル
旅の空、天気は上々。
フォーリンゲンを出てから10日。のんびりペースの旅路は今の所これといった事件もなく続いていた。
この10日間に魔獣に襲われたのは3回だけ。時折馬車や旅人のグループとすれ違いはするけれど、トラブルみたいなことは起きていない。
想定外の事態といえば思ったよりもスフィたちの脚が速くて、ちょっとだけ移動時間を短縮できそうなことくらい。まだ追手の気配もないし、このままいけば完璧に逃げ切れる可能性が高い。
「かーぜー」
「とともにー」
ぼくはといえばちょっと体調不良で動けず、機嫌の良い3人の歌声を聞きながらスフィの背で揺られていた。
3人が旅の途中でも元気いっぱいなのは、やっぱり404アパートの影響がデカい。
見張りでちょくちょく交代するとはいえ、休める場所は地面の上に設置されたテントじゃなくしっかりとした布団の上。トイレもシャワーもあるし、洗濯だってできるし、食事だってちゃんとしたものがとれる。
フォーリンゲンへの逃避行ではいろいろな事情から十全に活用できなかったけど、今回はフル活用出来ている。おかげで徒歩の旅なのに今のところ快適そのものだ。
「そろそろ逸れよ」
「まっすぐじゃないの?」
「このままいくと関所を兼ねた宿場町についちゃう」
地図上ではパナディアの左隣にある国、ナルディアだっけ……ややこしい。
知識としては人間至上主義の国。ハリード練師とかから聞いた情報によると、そもそも数年前から獣人の立ち入りが禁止されている。
迂回ルートはその国内を通るため、ここから直に南下して永久氷穴の領域を突っ切ることになる。
「防寒具だけつけて南下ー」
「おー」
「だからリーダーはあたしにゃ」
ポケットの中から防寒用のコートを取り出し、4人で身につける。正直重くて暑い……雪原に入ってからじゃ遅いと思ったけど、逆に早すぎたかも。
「暑いにゃ……」
「ん」
因みにフードは耳型に、しっぽが動きやすいように加工してもらっている。
トラブルのもとになるならフードとかで耳やしっぽを隠せば多少は……っていう考えもあったんだよね。
それで色々試してたんだけど、割と衝撃の事実が判明した。
耳を隠すとぼくまともに歩けない、しっぽを隠すとスフィとノーチェが走れない。
まともに動けるのはフィリアだけ、それでも相当に動きにくいようで嫌がっていた。
人間の感覚で隠せばいいじゃんくらいの気持ちだったけど、やってない理由がよくわかった。人間よりも遥かに鋭敏な感覚器なだけに、依存度も大きい。
慣れるために訓練はしてるけど、結構かかりそうだ。
そんなこんなで準備を終えて、街道を外れて草原を直進する。
草の海を進んでいると、ふっと方向を見失ってしまいそうになる。
「方角あってるにゃ?」
「……うん」
こっちでも普通にあった方位磁石で確認しながら、やや東寄りの南東へ向かって直進する。
街道を外れると魔獣との遭遇率が上がるのが難点だけど、この辺りの魔獣にも効く魔獣避けを用意してきた。
お香タイプのそれを焚きながら草原を突き進む。
このペースなら2日くらいで雪原地帯かな。
■
魔獣避けを頼りに草地の中で野営をしながらあるき続けていると、穏やかな草原地帯に異質な冷たい風が交じり始めた。
本当に急に寒くなった。
寒さに耐えて暫く進むと、進行方向に白い粉雪が舞っている空間が見えてきた。
「わー! なにあれ!?」
「なんか白いのが舞ってるにゃ!」
「スフィちゃん、ノーチェちゃん、あれはね、雪っていって……」
「ほんとに雪降ってる……」
草原のど真ん中に、クッキリと白と緑の境界線が引かれている。あのラインから先は絶えず氷に閉ざされた未踏破領域だ。
こっちは晴天なのにあそこだけ吹雪いてる。
「寒いのってあれのせい?」
「はじめて見たにゃ」
「寒いと空から降ってくるんだよ」
「急激に冷やされることで雲の中で出来た氷の粒が水蒸気を吸収しながら幾何学的な模様の結晶に成長してやがて自重によって落下することで」
「アリス、寒くない? 大丈夫?」
うわ言じゃなくて。
「さっさと突っ切っちゃおうよ……」
順調に行っても3日から4日、野営数回することになるし、できればさっさと抜けてしまいたい。
「そうだにゃ、寒いのやだにゃ」
「えー、スフィ雪さわってみたい」
「数日は嫌でも埋もれることになるから」
きゃいきゃいと歩きながら、目の前に白いラインが迫る。
外側なのに空気が冷たい。
横目で視線を合わせながら、せーので雪原に踏み込む。
「ひょああ!?」
「ふぎゃー!?」
さっぶ!
外は空気が冷たい程度だったけど、これは肌をさす寒さだ。
防寒具がなかったらやばかった、だけどもっと着込んだほうがいいかもしれない。
「ちょっとまって、もう少し着込みたい」
「賛成にゃ!」
「さんせ―!」
「うんうん」
一旦雪原地帯から飛び出して、草原でドアを設置する。というか領域から出た途端寒さが一気にマシになった、ほんとに不思議。
暖かな室内で靴下やら下着やら、シャツやらズボンを動きに支障がない程度に着込んでから再チャレンジ。
「顔が冷たいにゃ!」
「おみみちょっといたい!」
寒すぎて耳の毛の薄い部分が痛くなってきた。はやく雪原地帯を抜けてしまいたい……。
「例の扉があって助かったにゃ」
「鍵ね」
「あの扉があるから安心だよね」
「鍵……いいや」
404アパートの本質というか本体は鍵なんだけど、いつの間にか扉と認識されてしまってる……。いやまぁ外からみれば、いいお部屋に繋がる不思議な扉にしか見えないのは事実だけど。
「方角はー?」
「……あっち」
侵入経路を確認しながら進行方向を指差すけど、舞い散る粉雪で先が見えない。今は穏やかだけど荒れたらやばいな。
方位磁石なかったら詰んでたかも。
「よーし、ちゃっちゃと抜けるにゃ! しゅっぱーつ!」
「おー!」
「おー」
ノーチェの号令に従って、ぼくたちはとうとう未踏破領域に挑むことになった。
不思議なことに結構なペースで雪が降り続けているのに、積もっているのは精々くるぶしくらいまで。
雪は柔らかい新雪で、少し歩きづらいけど動けないってほどじゃない。
ペースを大きく落としながら、こまめに方位磁石で方角を修正しながら歩き続ける。
方角はちゃんと合ってるはずなんだけど、一面白い雪景色。
数時間ほど歩いて、少し不安になってきた頃だった。
「にゃんだ?」
「……」
ノーチェが足を止めて、進行方向に対して左手を見る。舞う粉雪の向こう側で、土煙……雪煙が上がってる。
金属がこすれる音を立てて、ノーチェが剣を引き抜く。
永久氷穴はここらへんではそこそこ貴重な氷と雪の採掘地でもある。一定以上の腕を持つ冒険者の稼ぎ場にもなっているし、ある程度解明は進んでいる。
外周部近辺に領域の魔獣が出ることなんて滅多に無いって聞いてたんだけど……。
耳を澄ませると、雪をかき分ける音に多数の人の声が混じっているのがわかる。
「……トラブルっぽい」
「んゅ?」
「にゃぁ?」
げんなりしている間にも雪煙は近づいてきて、車輪の代わりがソリみたいになった馬車が見えた。
牽いてるのは体毛が灰銀色のでかい狼だから馬車じゃなくて犬ぞり?
「何アレ!?」
「犬ぞりだよっ、なんでこんなところに」
驚くスフィに対して、フィリアは知っている様子だった。
主にパナディア港の冒険者が採掘用に使ってるって聞いた。漁業も行ってるから氷や雪が重宝してるそうで、採氷専門の冒険者もいるとかなんとか。
でもこっちは地図で言えば西端側、パナディアの冒険者なら逃げるにせよ突っ切るにせよ北か南だ。
ワケアリにしか思えない、見なかったことにしたい。
犬ぞりは永久氷穴に棲息する節足動物の魔獣『アイスワーム』に追われているようだった。
強さという意味ではそこまででもないけど、数が多くて雪の中を泳ぐ。ここみたいな積雪が浅いところなら居場所はすぐわかるけど、雪が深くなるほど厄介になる。
「ていうかあのソリこっちきてにゃい?」
このへんまで来たらアイスワームも充分対処出来ると思うんだけど……あ、犬ぞりが転倒した。
「あっ!」
「おう……見捨てるのはなしにゃ」
ぼくとしては極力関わりたくないんだけど、ふたりは手助けすることを選んだ。
シスターの影響かな……ノーチェたちの決定なら仕方ない。
人助けといきましょうか。
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