夜の一幕
目を覚ましたのは夜だった。
寝たのが中途半端な時間だったから、半端な時間で起きてしまった。
音を立てないように身体を起こして軽く腕を動かす。少し熱っぽいけど、動けないほどじゃない。
部屋は真っ暗で、部屋の中ではスフィとフィリアが寝息を立てていた。
静かに布団から抜け出ると、隣のスフィの耳がぴくぴくと動く。
「んー……?」
「めがさめちゃったから、ちょっと起きてる」
「んー……」
トイレだと思ったのか起きそうになったので、小声で大丈夫だと伝えるとまた小さな寝息を立て始めた。
ほっとしながら足音を殺して和室を出る。トイレを済ませて台所で水を飲んだ。
……調理器具も食器も随分と増えた。空っぽだった食器棚の中には、それぞれの好みを反映したコップや皿、スプーンやフォークが収納されてる。
収納と言えば、倉庫の中身の確認忘れてた。補給物資だからすぐに使えなくなるものはそうそう入ってないと思うけど、期限切れで廃棄は嫌だし早めにチェックしないとなぁ。
なんだかんだで開封出来ているダンボールはまだ半分もいってない、奥の方は完全に手つかずだ。
使い終わったコップを軽くゆすいで定位置に戻すと、玄関の方から足音が聞こえた。
「アリス、起きてたにゃ?」
「うん」
入ってきたのは小さめの鉄製ケトルを持ったノーチェ。
相変わらず野営の時は3人のうち誰かひとりがテント前で見張りをすることになっている。今はノーチェの順番だ。
「水?」
「そうにゃ」
場所を譲ると、ノーチェは手慣れた様子で水道からケトルの中へ水を注いでいく。
「外は」
「にゃ?」
「……ねてるあいだ、他の旅人とかきた?」
「あー、途中で何組か通ったけど、滞在してるのはうちだけにゃ」
「そっか」
休憩所を使っているのはぼくたちだけみたいだ、都合がいい。
「しっかしはんぱに起きたにゃ、まだ月が真上にゃ」
「まじで」
時計も暦も確認してないけど、まだ夜の11時くらいってことか。日出と同時に出るにしたってざっくり6時間……。
途中で眠気がくるかもだけど、今は全然だ。
「ノーチェ、おなかすいてる?」
「まぁちょっとだにゃ」
思考を一旦切り替える。夕飯食べそこねたし夜食でも作ろう。
食料は冷蔵庫の中に割とぎっしり詰め込んである。
保存食でもあるカチカチの四角い乾パンと豚の干し肉は箱詰めして虫除けと一緒に戸棚の中。
それから『アルジスの実』っていう木の実。食感もサイズもくるみに近いけど、渋くてすっぱい。美味しいものではないけど栄養は豊富でカロリーも高い。
乾燥させて炒れば数ヶ月は余裕で持つ、長旅の必需品のひとつらしい。
そして重要なのがチーズ。隣接しているバイエルは山岳地帯に隣接した領土を持っていて、山岳部の村では山羊みたいな魔獣を飼育している。
その乳から作られたチーズがフォーリンゲンにも入ってきていて、割とお手頃な値段で入手できた。水分を飛ばしているハードタイプだけど、火で炙ると溶けてくれる。
前世で食べ慣れたものとは風味がかなり違うけど、これはこれで美味しい。
量はさほどでもないけど生の小麦に塩も手に入ったし、色々作れると思う。
……流石に今は夜中だし軽くすませたいけど。
「んー……」
冷蔵庫の中は冷やしてある水と下級ポーションばっかりで何もないんだよね。いやまって、なんでここにポーション入ってるの?
別に冷やしててもいいんだけど、誰だ入れたの……。
ま、まぁいいや。野菜室にはこの近辺で採れる野菜がいくつか入ってる程度。
冷凍庫も水以外はまだ空っぽだし……ちょっとなんでこっちにもポーション入ってるの!?
慌てて取り出して確認する。入れてさほど時間が経ってないみたいで、うっすらこおり始めている段階だった。入れ物は薄めのガラスで出来たアンプルなので、危うく膨張で瓶が割れるところだった。
「どうしたにゃ?」
「ポーションは凍らせないでほしい」
「それスフィにゃ、凍らせたら長持ちするんじゃにゃいかーって」
「おおう」
前に冷凍室は乾燥低温で雑菌が繁殖しにくいから腐りにくいみたいな話をしたせいか、試してみようとしたらしい。
「あたしら保存のしかたわかんにぇーし、そんな高いもの変に触りたくにゃい」
「そっか……」
下級ポーションは家庭に一本レベルに普及してるけど、大体銀貨1~3枚くらいで売られてる。言われてみれば普通の子供には大金だ。ノーチェたちが迂闊に触る訳ないか。
外傷治癒用のオーソドックスなものなら水と青葉薬草があればいくらでも作れるから、感覚が麻痺しちゃってるのかもしれない。
どっちかというと入れ物の方が貴重なのだ。錬成用のガラスは仕入れたけど、薬品に使えるクオリティのガラスは自分で作ると大変だし。
それにしても、みんな家電を使いこなすのが早いなぁ。
「スープつくる」
「おう、戻ってるにゃ」
ケトルを持って戻っていったノーチェを見送り、台所に立つ。
小さな片手鍋で刻んだ葉野菜と干し肉を入れ、塩で味付けした簡単なスープを作る。……うん、こっちの平均的な味。
コンソメや出汁やらが手軽に手に入る日本の暮らしが懐かしい。野菜とかは余裕あるし、スープストック作るかなぁ。
干し肉ばかりになると辛いだろうからフィリアの分と思って仕入れたんだけど、ちょっと持て余しそうだ。
「ふぅ……」
鍋からスープ用のケトルに移し、タオルで包んで玄関へと持っていく。
補修を繰り返して継ぎ接ぎだらけになってきた靴を履いて、開けっ放しの玄関から外に出る。
テントの入口をくぐると、小さな焚き火の前で毛布に包まるノーチェの背中が見えた。
「おまたせ」
「にゃ」
焚き火を囲むように設置された鉄製の台にスープ入りのケトルを置く。水用とは形状を変えてるからわかりやすい。
……座る場所がない。
「『
飾りのようにしっぽに結んだカンテラの火を灯し、土を盛り上がらせて椅子と低めのテーブルを作る。
「お、サンキューにゃ」
「ん」
あんまりガチガチにすると崩すのが大変になるので、固めるのは一部だけ。
ケトルからコップにスープを注いで、空気を混ぜながら啜る。
「あちちっ」
ノーチェも自分のコップに残っていた白湯を飲み干し、スープを入れ直す。
「残りは置いとくから」
「にゃ……ふー、ふー」
スープを冷ましながらちびちびと飲み始めるノーチェを横目に、ぼくも温かなスープを飲んでいく。
……胃が落ち着く。
「アルヴェリアってどんな国だろうにゃ」
「人間の国家の中では一番獣人が多く住んでて、豊かな国だって聞いた」
おじいちゃんは若い頃に錬金術師になるためアルヴェリアに留学していた事があって、故国をこんな豊かな国にしたいと思いながら数々の研究成果を積み上げ、西出身の錬金術師の中で一番の出世頭となったところで意気揚々と帰国した……までは聞いている。
その後について言葉を濁された理由は、フィリップ練師に聞いてわかったので割愛。
星竜教に鞍替えしたおじいちゃんのキラキラとした理想込みでの評価だと思ってたけど、行ったことがある錬金術師に聞いてもみんな「良い国」だというのでたぶん本当なんだろう。
「……あたしも普通に暮らせるかにゃ」
「……きっと」
慰めじゃない。東の錬金術師にノーチェの髪色に対する忌避感はなかった。少なくともぼくの見えていた範囲では。
こういうのは国による。仮にアルヴェリアが無理でもノーチェの色を忌避しない国が見つかるはず。落ち着いたらでよければ、いくらでも付き合おうと思う。
「にゃ」
「ん」
話はそこで一度途切れる。気付けばコップの中身が空になっていた。
「じゃ、ぼくは朝まで寝るから」
「おう……口が滑ったにゃ」
ぼそっと呟かれた言葉を聞かなかったことにしながら、自分のコップを持ってテントの中……部屋に戻る。
テントに入る時にちらっと仰ぎ見た空は雲ひとつ無いキレイな月夜。
明日は晴れそうだ。
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