街での日々は変わりゆく

 フィリップ練師の厚意に甘えて、性急な出発は取りやめることにした。


 何しろ数ヶ月がかりの長い旅、リスクはできるだけ取らないようにしたい。


 とはいえ……。


「我々は錬金術師ギルドに抗議する! 事件の首謀者である半獣を庇い立て、錬金術などという胡乱な――」


 現状を考えるとあまり長居もできない。


 外から聞こえてくるデモ隊の声にため息をつきながら、ぼくたちは粛々と旅の準備をすすめている最中だった。



 騒動から半月、デモ隊の主張は二転三転しはじめた。


 最初は錬金術師ギルドの不備を指摘し、次は教会を後ろ盾に領主を批判しはじめ、現在は騒動の首謀者は街に入り込んだ半獣の子供……すなわちぼくたちだと主張をはじめている。


 錬金術師ギルドは首謀者である半獣を庇い立て、領主は悪魔に魅入られて正気を失っているのだと。無茶苦茶な理論だけど、迂闊に反論すると話題そらしからの個人攻撃、数の力による印象操作で封殺されてしまう。


 何故か騒動以降、ぼくへの対応がマイルドになった西側出身の錬金術師のひとりがうっかり反論しちゃったんだけど……まぁひどかった。


 騒動で夫を亡くしたっていう女性を引き合いに出され、あることないこと言いふらされて数日引きこもるはめになってしまった。要するに見せしめだ。


 こういう煽動者と真っ向勝負なんてしたら学者はまず勝てない。感情の波の前では客観的な事実や真実、証拠なんて殆ど意味をなさないからだ。


 しかもあっちは光神教会という西方最大の宗教が後ろ盾。権力っていうのは凄いもので、あんな無茶苦茶な理論すら通せてしまう。


 元々獣人への偏見が薄い、もしくはぼくたちを直接知ってる人間はその無茶な論法を信じていない。というか、被差別民の幼い子どもがどうすれば街全体を巻き込み、訓練を受けた他国の人間数十人を動員して騒動の主犯をやれるというのか。


 考えればわかりそうなものだけど、街の人間の多くは無邪気にそれを信じているようだった。


 乗っかっているのは主に現地の住人、強いて言うなら熱心な光神教徒。


 でも巻き込まれただけの外国からの行商人や旅人は非常に白けた目でそれを見ている状態だ。


 ついでに言うなら、治療所の中で当時せっせと材料を運搬していたフィリアも見ている。錬金術師ギルドからの薬作りを手伝っていたという証言も相まって、かなり好意的な印象を抱かれているみたいだった。


「……もうこのまちやだ」


 訓練のため外に出ていたスフィが戻ってくるなり弱音を吐いた。


「また?」

「また!」


 ぷんすこという擬音が似合うような表情を浮かべたスフィが吠える。


「道歩いてるだけなのに! また兵士さんよばれたの!」

「うわぁ」


 当然だけど領主はまずい部分を除いてきちんと説明している。


 今回の騒動は街を狙ったバイエルからの侵略行為であり、街を破壊したあの蛇の怪物もバイエルが放ったのだと。教会暗部が関わってるなんて言えば、真っ向から敵対してしまうからここは仕方ない。


 何せこの街の住人、行商人や旅人を除けば8割以上が光神教徒だし。


 なので悪いのはバイエル王国だぞって強く主張してるのだけど、相手がそんな内容を黙って受け入れるはずもない。


 半獣を街で見かけるようになってから不幸が起こった、ゴブリン騒動だって半獣が来てから起こったじゃないか、それが証拠だ。


 東の国のスパイで、ラウド王国に攻撃をしかけてきてるんだ。


 そんな主張を強引に通した結果、人によっては獣人を見るたび兵士を呼ぶようになってしまった。運用が雑だなぁとは思うけど、こんなのがまかり通る環境ならそりゃ雑な動きにもなるよねっていう。


 因みにこの街での衛兵は領騎士団の下部組織、ランゴバルトが働きかけてくれたみたいで敵対はしてない。


 通報されてやってきて、スフィたちを引き連れて孤児院や錬金術師ギルドでリリース……やってることは殆ど迷子の保護だ。


「アリスも錬金術師のおじさんたちも、なんで平気そうなの……?」


 もろに人の悪い面にあてられるはめになったスフィが涙目で睨んでくる。直に接触するときついのはわかる、嫌な役割を任せてしまうことを申し訳なく思う。


 ただ……。


「ここまでいくと逆に笑えてくるというか」


 上層部としては頭の痛い状況で、笑い事ではないんだけど。


「にんげんって、思ったよりなんにも考えてないんだなって」

「……?」


 ここまで極端に暴れまわられると、いっそギャグにも見えてくるのだ。


 実際デモ隊の数は当初より縮小している、原因は無茶苦茶な主張についていけなくなって消極的になる人が多発しているから。否定はしないが関与もしないみたいな人がちらほらと出始めていて、余計焦っているのだろう。


 それと同時に、何故騒動の最初に怪我人を拒絶したのかっていう教会を怪しむ声もあがりはじめた。この街は西方諸国では比較的光神教会の影響が薄い、それもあって自分の利益が絡まないところで盲信する人間も少ない。


 たぶん教会への疑いから意識をそらしたいんだろうけど、ちょっとやりすぎた。権威にあぐらをかいた結果、逆に信頼を損ねたのだ。


 事情を知っている人間には、錬金術師ギルドの権威を失墜させてあわよくば獣人も手に入れたいって目的が透けて見える。


 また連中が妙な動きを起こす前にと、フィリップ練師の鶴の一声で職員が旅の準備に全面協力してくれることになった。


 当初は居たいだけ居てくれればいいってスタンスだったんだけど、今の流れは非常によくない。手の届く場所にいれば、手を出してしまうのが人間だ。


 元々フォーリンゲンに立ち寄ったのは旅の準備をするため。ここに滞在すること自体がリスクになるなら、さっさと出発したほうがいいって判断だった。


 大人への頼り方はそれぞれだよって笑顔を浮かべて、色々と手配してくれた。無期限無利子の借金も出来るって言われたけど、心情的に借りを作りすぎるのはよくないので断って仕事を回して貰うだけにした。


 おかげで旅の準備は一気に進んでいる。


「もうちょっとだけ我慢して?」

「うん……」


 むすっとしたスフィが背後に回って、ぎゅっと抱きしめてくる。それで落ち着くなら好きにしていてもらおう。


「もう必要物資はそろったから、いつでも出れるよ」

「うん」


 乾燥させたパンに干し肉、水。ロープや燃料、毛布と防寒具。


 必要なものは職員のお姉さんが協力してくれた。404アパートの中に詰め込んで保存してある。


 薬品系は怪我人の治療が落ち着いたあたりで、ジョルジュ練師が融通してくれた。


 流石にポーションの製造器具一式までは手が出ないけど、扱いやすいフラスコや台も格安で譲ってもらえた。基本的な薬品は材料があれば自分で全部作れる。


 今は旅慣れているハリード練師にも相談して、足りないものをちょこちょこと買い集めて貰っている最中だ。


 護衛も雇うか考えたけど、馬車もないしパナディアまで長期となると予算が足りない。


 パナディア港からフォーリンゲンまでの道は旅人も頻繁に行き来していて、パナディア側も警備に力を入れているらしい。


 草原地帯から岩石地帯、道中にいくつかある未踏破領域さえちゃんと避ければ危険はさほどないってことで、護衛無しでいくことにした。


 道中で発見される程度の魔獣ならスフィとノーチェがいれば問題ない。


 何より切り札として『不思議なポケット』と『404アパート』がある。


 収納と宿泊に関してはかなりのアドバンテージをもっている。危険地帯への突入でもなし、充分だろうと太鼓判を押されたのだ。


 残すはお世話になった人たちへのあいさつ回りだけ。


「シスターの方はもう元気?」

「うん、ニックたちといっしょに訓練してもらってるよ」


 シスターはぼくが動けるようになった頃には既に回復していて、体を慣らしがてらスフィたちの訓練をやってくれていたらしい。


 ニックたち4人を含めた7人がかりでも手も足も出ないと目をキラキラさせている。


 色々試しながら全力で挑むスフィは楽しそうで、良い出会いがあって良かったと思う。


「出発のことは?」

「伝えてるよ、街を出る前にアリスとも話したいって」

「ん」


 そういえばシスターと落ち着いて話したことって、まだ一度もなかった気がする。


 頷いて開け放たれた部屋の窓から外を見た。あんな血なまぐさい騒動があったことが嘘みたいに、穏やかな晴れ空が広がっている。


 問題はありながらも比較的穏やかに、ぼくたちの旅立ちが近づいていた。

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