凍てつく翼は空を夢見る
追憶 つなぎそこねた絆
彼らから見える世界は、産声をあげたときから壊れていた。
何故自分たちが産まれたのか、自分たちの力が何なのか。それは彼等自身ですらわからない。
わかることは自分たちが他の生物とは違うことだけ。彼等が持つのは思い描くままに現実を書き換える力。世界に干渉して自在に操りながら、それ故に世界から孤立する不安定な存在。
眠りから覚めると共に消えてしまいそうな恐怖、わかりあえる相手を持てない孤独。そんな彼等を人間たちは正体不明(アンノウン)と呼び、時には恐れ時には敵視し……時に利用しようとした。
多くの人間たちは彼等を理解しようとした。その力を自分たちの思うままに使えば、凄まじい利益になるからだ。多額の投資を行い、研究者をかき集めて調べ上げようとした。
けれど、理解し合おうとはしなかった。
世界を書き換える力を持つ者は、自分が自分である確証が持てない。その異形の力は時に自分の存在すらも書き換えてしまうから。
一方で人間は疑わない。自分の産まれを、思考を、見える世界を。明日が想定通りにやってくることを。
恐れるものたちは、世界の安寧のために正体不明(アンノウン)を集め対抗する組織を作り上げた。より確実に自分たちの安寧を確立するために努力したのだ。
意思を持ち数も多い人間は、彼らを世界にとって異常なものだと定義した。集まった意思の力は時として現実を書き換える力を生み出す。
地球にとっての異物となった彼らが人間を憎むまで、さほど時間は必要としなかった。
■
パンドラ機関日本支部第0セクター。
世界中に根を張り、『正体不明(アンノウン)』の回収と封印、研究をする秘密組織。
その中にあって、第0セクターは少し特殊な位置づけにあった。
最大要因のひとつが、当該地に収容されている通称『愛し子』と呼ばれているアンノウンだ。
2012年に確保された人間型のアンノウン。
確保の切っ掛けとなったのは、各地に派遣されているエージェントによるアンノウン発見報告。
某区にてイエイヌに近い形状と行動様式を持つ、肉眼以外では観測不能な漆黒の物体が人間の男児と思わしき実体と行動していたというもの。
万全を期し、最寄りの第0セクターから特殊部隊『スイーパー』の精鋭6人が現地へ派遣された。
確保の際、怯えた男児がイヌ型アンノウンにすがるなどがあったが、無事に両者とも保護されることになった。
通常アンノウンとの接触には大きな危険が伴うが、幸いなことに派遣された特殊部隊4人全員が無事に帰還した。
保護された男児には虐待の形跡が随所に見受けられ、重度の栄養失調と視覚異常を併発していた。出生届は出されておらず、後に都内在住の飲食店勤務の女性が母親であることが判明する。父親は不明。
当初は保護児童として扱われることが検討されていたが、保護プログラム中に発生したインシデントによりアンノウンとして収容されることが決定する。
発端は北海道にて確保された『雪鳥』と呼称されているアンノウン。
シマエナガに似た形態で、肉体を雪に変化させることが可能な実体。確保時から強い攻撃性を発揮し、たびたび職員を負傷させていた当該実体が脱走中に男児と接触。
一部の職員が青ざめる中、雪鳥は男児の肩に止まった。
硬直する職員が見守る中、喫驚した様子の男児と雪鳥は暫くのあいだ見つめ合っていた。
雪鳥は一時的に攻撃行動を止め、職員の指示に従って収容室に帰還。かつてない事態に、例外的な男児とアンノウンの接触実験が行われることになった。
判明した事実は、男児と接触した一部のアンノウンの人間に対する攻撃性が著しく緩和されること。周囲のアンノウンが男児の精神状態の影響を受けること。
異質な力を正式に認められた男児は、アンノウン……『愛し子』としてパンドラ機関に収容されることになった。
■
「だーるーまーさーんーが」
第0セクターの一角。10歳くらいの少年が食堂の壁に額をくっつけて、日本でありふれた遊びの常套句を唱えていた。
間延びするように声をあげる少年の背後には、いくつかの不可思議な存在。
ゴリゴリと音を立てて前進する真っ白なハニワ。
見た目こそ普通の三毛猫。
ぴょんぴょんと軽い動作で跳ね回るシマエナガ。
それぞれ曰く付きのアンノウンであり、脱走常習犯の面々だった。
「こーろーんだ」
言い切って振り返った少年の目の前で、三者三様でピタリと動きが止まる。視線の先で完全に静止した面々を見て、少年はため息混じりに再び壁に向かった。
「だーるーまー……」
再びそろそろ近づいていく三者。
程なくして、最初に少年の脚に触れたのは三毛猫だった。
「……猫の勝ち」
「にゃー」
「チチッ! ジュルルル!」
タッチした手を降ろして一鳴きする三毛猫に、シマエナガが威嚇するような鳴き声をあげる。
ここにいるのは少年にとって見慣れた相手ばかり。同じ場所に閉じ込められた、"よくわからないもの"同士。
仲は良いけど言葉は交わせない。ともだちと呼んではいるけれど名前も知らない。
少し前に心の支えになっていた飼い犬の『クロ』がいなくなり、自分を取り巻く事情から様々な物を諦めていた少年にとっては遊び仲間のような関係だった。それ以上にはまだなれていない。
辛い時間を乗り越えた相棒がどこかへ消えてしまったばかり、同じような存在である彼等に心を許して、また居なくなられてしまうのが怖かった。
「流石に飽きてきたんだけど」
「キュピッ!」
「別の遊びしようよ」
再戦を希望していたシマエナガが少年の肩に飛び乗る。
三毛猫は遊んで満足したとばかりにしっぽをくねらせ、唐突にその場から姿を消した。"彼"は自身が認識できる限りどこにでも存在するという能力を持つアンノウン、気まぐれに消えたり現れたりするのは日常茶飯事だ。
「部屋行こう」
少年も気にすることはなくシマエナガを肩に乗せて歩きだす。
完全に動きを止めて、ただの石像となっていた白いハニワが少年の視界から外れた事で再びゴリゴリと音を立てて移動をはじめる。
自分に与えられた部屋で適当に遊んで時間をつぶし、時々脱走してくる彼等の相手をする。
それが少年にとっての日常だった。
「救わせてくれ救わせてくれ救わせてくれ君を救わせてくれ」
「うわぁぁぁぁぁ! 助けて! 誰か! 誰かあああ!」
部屋に向かう道中、白衣を着た男がビークマスクをつけた一羽のコウテイペンギンに伸し掛かられて悲鳴をあげていた。
ペンギンは特徴的なフリッパーを伸ばして白衣の男の腹部を切り裂こうとしていて、男は両手を使って必死にそれを阻止している。
鴉の嘴を模した真っ黒なビークマスクの中から、年老いた男の声がする。
「なんでドクターまで出てきてるの?」
「キュピ?」
彼は動物園で発見された『プレイグドクター』を名乗るコウテイペンギンだった。何故か人の病気を見抜き、どんな症状でも外科手術で治療しようとする。
手術された患者は1割で治るが、麻酔無しで手術を行うため些細な治療であっても9割の確率で患者の死につながる。
普段は収容されている部屋で大人しく医学書を読んでいる彼が脱走するのは非常に珍しいことだった。
第0セクターにおいてアンノウンの脱走を積極的に促す問題児は2体。
ひとつは自分の位置や生死まで自在な三毛猫。気まぐれに他の部屋の鍵を盗んだり物品を移動させたりといういたずらを繰り返す。
もうひとつは少年の肩に止まっているシマエナガ。人間が嫌いで、攻撃的なアンノウンをわざと脱走させて職員にけしかけることがある。
首を傾げているあたり、たぶん肩の鳥は違うのだろう。そう判斷した少年は面倒そうにドクターに近づいていった。
「ドクター、おはよう」
「ああ愛し子私は彼を救わなければならないのだ救って救って救わなければそうしなければ」
「た、助けてくれ! 1033番……!」
少年はこの機関の研究員がそんなに好きではなかった。かといって死んで心が傷まないわけでもない、心を閉ざしていても目の前で人を見捨てるのに心を痛める感性は残っている。
「ドクター、本貸りたいんだけど、部屋まで付き合って」
「ああ愛し子、しかし彼は腹を痛めているすぐに治して救わなければ」
「だ、大丈夫だ! 寝不足で少し胃が荒れているだけだ!」
「だって、こっち優先で大丈夫でしょ」
「あぁ、あぁそうか……私の力は必要ないのか……そうか、よかった……」
実際、白衣の男の症状は眠気を誤魔化すためにコーヒーを多めに飲んだことで胃が荒れている程度のこと。そのために麻酔なしの開腹手術をやられそうになっていた。当人からすればたまったものではないだろう。
震えている職員を哀れそうに見ながら、少年は目的地をドクターの収容室に変えて歩きだす。
ドクターは落ち着きを取り戻して再び収容され、少年はなんともなしに医学書を借りて自室へ戻る。
施設管理者は相次ぐ脱走に頭を抱えているが、少年がきてからここでの被害はぐっと少なくなっていた。
外部からの襲撃を除けばかつてないほど平穏な日々。
それでも機関の職員は少年を恐れ怯える。
唯一恐れない傭兵たちも一線を引いている。
同じ人間の形をしたものから拒絶される日々に、少年は穏やかな生活の中で少しずつ孤独を募らせていた。
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