みみが西向きゃしっぽは東
目覚めてから数日、事態は少しばかり厄介な方向に動き始めた。
切っ掛けはずっと沈黙を保っていた教会が唐突に怪我人の受け入れを発表したこと。
彼等には独自の魔術がある。学問上は信仰魔術と呼ばれているそれらは、特定の神に信仰を捧げることでその力を一時的に借り受けられる代行魔術の一種。
かつて腐敗した光神教会の影響から脱した人々は自分たちのための宗教を立ち上げた。土着の超常存在に信仰を捧げ、長く奉じていく対価として術式を貸りる。
そういった文化が定着した結果、発展してきたのが信仰魔術。
基本的には大陸東側に圧倒的に多い。東側最大勢力である星竜教会は他の宗教に寛容で、他者の信仰を否定しないからだ。
このあたりは信仰対象となる神が実在している……存在の有無というより、現物として君臨している影響が大きいんだろう。
よくわからない存在に信仰の向け先を一部乗っ取られてしまうような光神と違って、すぐ後ろで強大な神竜が目を光らせていると考えれば腐敗が起きにくいのもうなづける。
本来の光神は初代の象徴となった聖女がモデルらしくて、女神さまだ。信仰は弱者救済、貸してもらえる術式もそれらを為すためのもので、攻撃よりも護りや治癒が多い。
光神教会はこういった状況下で、怪我人の治療において錬金術師ギルドよりも圧倒的に強いのだ。
怪我と痛みに苦しみながら自分たちを見捨てた教会に恨み言を吐いていた民衆は、突如はじまった無償での治療に一瞬で手のひらを返した。
宗教っていうのは厄介なもので、熱心な光神教徒にとって錬金術師ギルドは悪の巣窟。
声の大きな信者と金目当てのクレーマーがここぞとばかりに乗っかったのだ。
孤児院や救貧院とかの金にならない施設は教皇派の管轄、医療ギルドが運営する病院や施設としての教会は枢機卿派。あんまりな相手の動きにシスターも歯噛みしまくりながら、口出しが出来ないみたいだった。
教会が治療をはじめると同時に錬金術師ギルドの悪い噂が流され、一部の住人達は錬金術師を敵視しているそうだ。
この街にも、これ以上は長居できないかもしれない。
■
「あいつらマジおかしいにゃ……」
どうやら錬金術師ギルドの前で起きているデモを見てしまったらしいノーチェが、テーブルによりかかってぐったりしている。
「おっちゃんたちは何で余裕なのにゃ」
「いやぁ、あそこまでいくと笑えてくるからねぇ」
「敵ながら見事といったところだな」
街の状況が状況だけにぼくたちも出歩くことが出来ず、部屋に籠もっている。そのあいだ暇なので製薬系の道具を持ってきてもらい、のんびりポーションを作っていた。
何しろ教会は光神教徒しか受け付けてない、治療院には怪我をした他国人がたくさんいる。放置していたら最悪の場合は国際問題にもなりかねない。
ぼくなりに少しでも現場で頑張る錬金術師達の力になれたらいいなと思って、無償奉仕中だ。
今は休憩ついでに出来上がったポーションを受け取りに来たフィリップ練師とジョルジュ練師と、職員寮のラウンジでお茶を片手に雑談中。
まぁ錬金術師ギルドに撤退されて困るのはどちらかといえばラウド王国の方。騎士さんたちのげんなりした顔を見るに、領主も頭を抱えているに違いない。
「おっちゃんたちが必死に走り回ってたの知ってるにゃ、いつも嫌味なあいつらだって頑張ってたにゃ! うちのおチビだってずっと机に張り付いてたにゃ! なのにサボってただの、わざとポーションをケチっただの……!」
「ノーチェちゃんにそう言って貰えると、頑張った甲斐はあるけどなぁ」
「ははは」
デモのお題目と言えばノーチェの言ったとおり、錬金術師ギルドはポーションをケチって死人を増やしただの、今回の騒動の責任は錬金術師ギルドにあるだの好き放題言っているらしい。
「だからなんでそんな余裕でいられるにゃ! 街の奴らどうかしてるにゃ!」
「遺族代表って不思議なことに教会関係者だったりしない?」
「そうだねぇ、不思議なことに司祭殿と懇意にしている商人だね。騒動がはじまる前から家で守りを固めていたようで、ご家族で亡くなった方はいないんだけどね、よほど用心深いんだろうね」
つまりそういうことだ。
「はぁぁぁ!? 自作自演ってことにゃ!?」
「というより、さすがは弱者のために開かれた教会と言うべきだねぇ」
彼等は弁舌でもって人の罪悪感や怒りの矛先をコントロールするのに慣れている。救うために使えばたくさんの人を救える技術だ、ということは悪意を持って振るえば人を地獄の坂道に蹴り転がすこともできるってこと。
錬金術師としてはこんな無茶苦茶な論調がまかり通るなんて馬鹿なって思うけど、現実は通ってしまってる。
自分でなにが正しいか考えるより、偉くて立派な教会の人に従う方がずっと楽。
教会が信仰を説くだけの組織ならこんな簡単じゃなかっただろうけど、神の奇跡による怪我と病気の治療というわかりやすい力がある。
どれだけ腐っていても一筋縄でいく相手じゃないのだ。
「教会を非難するとそれはもうひどい目に遭うからねぇ」
この世界ではいまだ大規模な情報社会は形成されていない、大半の人間が隣人程度のことしかわからない。
外圧なんて期待できない状況下で正義を掲げる多数派は、背中を押すのがそよ風程度でも簡単に暴走してしまう。
この世界での村八分は死に隣接している。ぼくたちだって錬金術師ギルドやシスターが差別せず受け入れてくれなければ、どうなっていたかわからない。
あの遺跡でみつけたアンノウンがなければ、活路すらなかったかもしれない。
身を守るために誰もが口を閉ざした結果、厄介なのが暴れまわっている……と。
「あたし、やっぱ光神教会きらいにゃ!」
教皇派もこれを是正するのは大変そうだ。
「アリスー、さっきねー、肉屋のベードがねー」
しっぽを垂らして机に突伏するノーチェを慰めながらお茶を啜っていると、ポーションの材料確保を頼んでいたスフィが手に袋を持って複雑そうな顔で戻ってきた。
「お肉もってきてさ、早く出ていかないからこんな目に合うんだ、あわれだからめぐんでやるよって! むかってしたから、スフィそんなのいらないってことわってきた!」
「さすがおねえちゃん」
ヴェードくんも若干学んで来たのか惜しいところまではきてるんだけど、相変わらず致命的な部分を間違えてるな。
そういうキャラは超美形のお金持ちでもギリギリ怪しいレベルだよ。
「彼もなかなか前途多難だな」
「ジョルジュ練師、知ってるの?」
「あぁ、下町の肉屋の子だろう? 試験を受けたいって言うから仮テストしたんだ。あんなに低い成績で錬金術師ギルドに入ろうとする子は滅多にいないから逆に覚えちゃっていたよ」
「なるほど」
「ミドから聞いたにゃ、あいつ『俺は錬金術師より冒険者としてビッグになる』って言い出したって」
行動力と切り替えの速さだけは素直に称賛してあげたい。
とはいえぼくも推薦じゃなくて基礎学力からだったら怪しかったかもしれない。
「まぁ、子供はそのくらいでいいのかもしれないね。さて、我々もそろそろ戻ろうか」
「そうですね」
フィリップ練師とジョルジュ練師が立ち上がる。コートの埃を払い、ポーション入りの箱を手にしたフィリップ練師がぼくを静かに見た。
「アリス練師、本当に気にしなくていいんだよ。君たちを護るために動いたことを後悔している錬金術師はひとりも居ない」
「…………」
ここのところずっと気にしていたことだ。攻撃材料にはぼくたちのことも含まれている。
自分なりにがんばってはいるけど、迷惑をかけているだけな気がしてここに居づらい。
そんな感覚がずっとひっかかっていた。
見抜かれていたみたいで、少しバツが悪い。関係ないと理性と思考ではわかっているんだけど。
きっと神兵が明確にぼくを狙ってきたからだ。遭遇がただの偶然だったとわかっても、もやもやしたのがまだ残ってしまってる。
「何で、そこまで?」
だからこそ口をついて、純粋な疑問が出た。おじいちゃんにお世話になったと言っても、限度はあるはずだ。直に売られるならまだしも、突然放り出されたくらいで別に恨んだりはしないのに。
なんでここまで受け入れてくれるんだろう。
「そうだね、君が……君たちがいい子だからかな」
「……?」
想定外の言葉に、思わず首をかしげる。スフィ達がいい子なのはわかる、当たり前だ。
だけど、ぼくまでそこに含まれるのかな?
「身体が弱いのにお友達のために必死に働いていたのもみんな知っている、騒動が起こったときもね。アリス練師のお友達も、孤児院だけじゃなく職員寮の共有部分の掃除の手伝いをしてくれてたって聞いているからね」
振り返ると、3人ともちょっと照れたように顔をそらした。
ぼくが知らないうちに、みんなで職員寮の掃除や家事の手伝いをしていたらしい。
「なんか暇で落ち着かなくてにゃ」
「お世話になってるし……」
「暇だったから……」
そこは伝えておいて、ってぼくも人のことは言えないか。
「もちろん、女性職員たちも君たちの味方だ。君たちに余計な虫が近づかないように目を光らせているよ」
「…………」
「今日だって、君が気を使っていたのはわかっている。とはいえアリス練師は既に一人前だ、錬金術師としてのプライドに差し障るかもしれないから協力を止めこそしないが、無理はしなくていいんだって伝えたかったんだよ」
「ん」
優しい声色になんて返したらいいかわからなかった。
短く返事だけをすると、フィリップ練師は口元だけで微かに苦笑した。
「最初に受け入れた理由は確かに老師の養子だったというのが最大だ。しかし錬金術師ギルドは君のおかげで随分と爽やかになったんだよ?」
「基本的には男だらけのむさくるしい職場だったしな、子供とは言え女の子が出入りするようになって、ようやく仕事場の連中が身だしなみに気を使うようになったんだ。アリス練師の年齢でその腕前は、ちょっと刺激が強すぎたみたいだが」
まったく気にしてなかったけど、来たばかりの頃と比べると仕事場の錬金術師の身だしなみが整っていた気がする。
仕事場に籠ると女性職員と接触する機会も最小限になるらしい。
「なんというかね、気にせず大人に甘えていいんだよ、君たちはまだ子供なんだから。我々もそのくらいの度量はあるつもりだ」
「フィリップ練師」
「大人が子供を護るのは、当たり前のことだからね。少なくとも私はそうありたいと願っている。さて……伝えたいことはそれだけだ、邪魔したね」
それだけ言うと、笑顔を浮かべてフィリップ練師たちは職員寮を後にした。
「……人間なんてどいつもこいつも変わんにゃいと思ってたけど、いいおっちゃん達だよにゃ」
「うん」
フィリップ練師から直接そう言われて、正直少し肩の力が抜けた気分だった。
……大人が子供を護るのは当たり前、かぁ。そんなこと。はじめて言われた気がする。
前世ではぼくのまわりの大人は打算まみれだった。たいちょーさんだって、そこはさほど変わらない。
中にはそう思って接してくれた人もいたかもしれない。けど言葉にはしなかった。
たったそれだけの言葉で、胸が温かくなることもあるんだ。
もう少し、旅の準備が整うまで。ぼくたちはここにいてもいいのかな?
「わっ」
スフィの声に驚いて立ち上がると同時に、開けられたラウンジの窓から西風が入り込む。
そちらを向けば、強い風に吹かれてしっぽが揺れた。
まるで背を押すみたいな、晴れた日の匂いをまとった気持ちのいい風だった。
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