蛇狩り

「にゃんだあれ!?」


 戦場は孤児院の外にまで移っていた。


 建物から出るなり見えたその怪物の威容に、ノーチェが思わずといった様子で叫ぶ。


 体長は10メートル以上、大半は下半身から伸びる骨みたいな形状の蛇の胴体。その先には白い肌になった先程襲ってきた修道女の身体。


 修道服から覗く肌は陶磁器のように白く、眼は白目まで赤い。


「アハハハハハ! その程度ですか!? 直接賜った光神の力の前では塵も同然ですね!」

「くそ、なんて奴だ!」


 さすがにこの事態に街全体が騒然となっているのか、魔術や武技(アーツ)の光が瞬いては火や光の刃が飛んでいく。


 それを嘲笑うように巨大な蛇の胴体が振り回される。


「あぁ、ぁ」

「な、なんなんだこいつ……」


 先行していたジグはへたりこんで呆然とシスターと対峙する元修道女を見上げ、ニックも尻もちをついていた。


「ニック! 早くジグを連れて戻って!」

「あ、あぁ、ジグ、急いで」

「や、やだ! シスター逃げようよ! はやく!」

「私は彼女を止めなければいけません! お願い言うことを聞いて!」

「シスターもいっしょじゃないとやだ!」

「ジグ、頼む!」

「はなせよ! シスターをみすてるのかよ!」


 ジグは恐怖と怒りで完全にパニックを起こしているみたいだった。何とか立ち上がったニックがジグを連れて行こうとするけど、泣きながら無茶苦茶に腕を振り回し、シスターの修道服を引っ張っている。


 盾から発する緑色の光の幕が蛇女の攻撃を全部防いでいるけど、その度にシスターが苦しそうなうめき声をあげる。


「なんでシスターが戦わなきゃいけないんだよ! 逃げようよ!」

「ジグ、頼むから言うこと聞いてくれ!」

「うるせぇ! ニック兄ちゃんのバカ! はくじょうもの!」


 無理矢理掴んで連れて行こうにも、ジグが暴れるせいで手を放してしまう悪循環。


「何やってるにゃ!」

「ノ、ノーチェたちまで」

「なんだよ! お前らくんな! あっちいけよ! お前らのせいでシスターがあ!」

「いい加減にするにゃ! シスターの邪魔になってるにゃ!」

「うるせぇ! うるせぇんだよ!」


 無言でつかつかと近づいていき、シスターに声をかける。


「シスター、ぜぇ、緊急だからジグの護り一瞬解いて」

「アリスちゃんまで! お願いだから戻っていて!」

「連れて一緒に戻るから、解いて、すぐ」

「えぇ!? わ、わかりましたから! すぐに戻るんですよ!?」


 返答を貰ったので、騒いでいるジグの後頭部に向かって手に持っていた銃を振りかぶる。


「おまげぅっ!?」


 ひねりをつけて思い切りフルスイングした。カコーンと小気味良い音がして、ジグが地面に倒れてピクピクとしはじめる。


「え」

「ぜぇ、ぜぇ、この状態じゃ説得なんて無理、連れて行って」

「い、いて……なにすん……ごえっ!?」


 この子みたいに直情的なタイプが一度こうなってしまったら他人の言葉なんか届かない。


 まだ息があったので銃のストックで延髄のあたりをガツッと殴りつけると、ジグは今度こそ完全に沈黙した。


「ニック、はやく」

「お、おう……お前らも早く逃げろよ」


 口元を引きつらせながらも承諾したニックがジグを背負う。


「遊んでいるなんて、随分と余裕ですねぇ! そこの薄汚い半獣もろとも潰してしまいましょう!」

「ぐ、こちらは真剣です! みなさん早く!」


 ……神兵化してるにしては、奇妙な二重音声は聞こえない。とりあえず、裏にいる何かはさっきので一度手を引いたみたいだ。


 巨大な蛇の尾が振り回され、シスターの護りを揺らす。先程の神兵とは違って、蛇女には明確な殺意がある。


 得体のしれない奴を相手取ることはなくなったけど、代わりとしてこっちに対する加減とか気遣いとかもなくなってしまった。


 今にして思えば、あいつもぼくを巻き込みかねない攻撃は勿論、本気で動揺させたり嫌悪されるようなことは避けていた節がある。


 必要以上に攻撃してこなかったり、目の前で死人を出そうとしなかったり。


 何よりスフィやノーチェたちに怪我をさせないように立ち回っていた。優しさではないと思う、ただ単にぼくの心が乱れることを嫌がっていたんだろう。


「やぁー!」


 幕にずらされ、地面を叩いた蛇の胴体をスフィが左手の剣で斬りつける。しかしカキンという硬質な音を立てて簡単に弾かれてしまっていた。


「右のそれつかって」

「う、うん」

「往生際の悪い! 無駄な抵抗などせず潰されなさい!」

「何とか押さえます、早く!」


 余裕綽々の蛇女の尾が引き上げられる寸前、スフィの右手に握られた天叢雲が振り抜かれた。


 外傷は全くなく、見た目的にはただすり抜けただけ。


「が……ああああああ!?」

「わわ!?」


 だけど蛇女は過剰なくらいの叫び声をあげて、自らの顔をかきむしりながら身を捩る。


 危うく尾で薙ぎ払われそうになったスフィが慌てて避けながら傍に戻ってくる。


「な、何が!?」

「この剣、やっつけられる……の?」

「こいつらに効くけど、ぜぇ、ぼくとスフィしか持てないみたい」

 

 事実上ぼくとスフィが一緒にいる時専用、離れたら維持できるのかもわからない。


 因みに体力は完全にレッドゾーン、気合だけで何とか動いている状態。


「ぐぅぅぅ、おのれ半獣! 光神より授かった私の力を!」


 蛇女の苦しむ様子に、対峙していた騎士や冒険者たちがどよめいている。


「ニックたちは戻ったにゃ」

「じゃあぼくたちも撤退で」

「逃がすわけがないでしょう!」


 手のひらを向けたかと思えば、白い杭のようなものが飛ばされてくる。


 魔力の流れはあるけど詠唱がない……魔術じゃない?


「ちぃ! 『ゲイルスラッシュ』」

「『スマッシュウェーブ』!」


 ランゴバルトの風の刃とシスターがメイスで空気を叩いて発生させた緑色の光の波が白い杭を空中で撃墜する。


「邪魔をするなぁ!」

「しないわけが無いでしょう! 『ボーンクラッシュ』!」


 詠唱や起動句なしでも発動させることが出来る術式があるのか。そういえばアーティファクトもそれに近い。


 まだまだ知らないことがたくさんだ。魔術というのは源流からして大昔の神さまが使っていたとされる……。


「アリス! いまかんがえごとしないで!」

「はい」


 後にします。


 降り注ぐ白い杭……よく見ると蛇の牙を、スフィが器用に左手の剣を使って撃ち落としていく。


 ノーチェも難なく迎撃している、この程度なら問題なくさばけるみたいだ。


 神兵相手にスフィが受けた攻撃を見るに、シスターの盾だと庇護対象のダメージは防げるけど衝撃は防げない。あの勢いで飛んでくる牙をまともに喰らえば体重の軽いぼくたちは確実に転ぶし、そうなればただの的。


 だから当たるわけにはいかないんだけど……。


「あぁもう、しつこいにゃ!」


 直接当てることを諦めたのか、蛇女は飛ぶ牙を進行方向に向かってどんどんばら撒いてくる。


 おかげで迂闊に逃げることも出来ない。


「俺たちの街をめちゃくちゃにしやがって! 『スラッシュ』!」

「『火の矢ファイアアロー』!」


 武器を持った冒険者たちが切りかかり、遠くからは魔術の火の矢が無数に飛んできて蛇女の身体に突き刺さる。どちらも効果は殆どないみたいで、軽く身体を動かしただけで簡単に払われてしまう。


 孤児院が表通りから離れた場所にある、下町の中でも比較的寂しい地域なのもあって街への被害はそこまでではないけど、それでもゼロとはいかない。


「くそ、全然効かねぇ」

「背教者どもが! 鬱陶しい!」


 蛇女が右手に作り出したレイピアを薙ぐと、剣撃によって生まれた爆風に悲鳴が飲み込まれていく。


「アリスっ!」


 反対側にいるこっちにまで風圧が届く凄まじい一撃、転びそうになったところをスフィとノーチェが支えてくれた。


 長引けば長引くほど被害が甚大になるなこれ。


「シスター、ランゴバルト」

「スフィちゃん、今のうちに妹さんを連れて中へ!」

「呼び捨てッ……この状況で言うのはどうかと思うが、俺は一応貴族なんだが!?」


 後にして。


「このままじゃ逃げるに逃げられない」


 手に持った銃をぽんっと叩いてみせると、困惑するシスターに対してランゴバルトは真剣な表情をした。


「しかしそれは……」

「通じるのか?」


 蛇女はふたり同様に通常モードの威力しか見てない、あれが最大威力だと思っているなら、今の身体にはさほど効果がないと過小評価してくれる可能性がある。


 実際、ふたりがあの巨体に通用するのかと疑問視しているくらいだ。


 しかし敵は巨体で胴体部分ははるか頭上、つまりこっちは上空に向かってフルバーストが撃てる。


 もちろん、あいつも無防備に食らってくれるわけもないだろうけど。


「当たれば」


 試しに銃口を向けてみると、何かを察したのか蛇女は露骨に射線から逃れた。


「神兵を傷つけた邪悪な光を放つ杖、忌々しい!」

「あっちは素直にあたってくれたのに」


 この差は人格がどれだけ残ってるかによるんだろうか。心音も呼吸音もないのに、元の人格はハッキリ残っているみたいだ。


 通常の光弾を当ててもたぶん致命傷にはならない。


「死ね! 薄汚い半獣!」

「させません!」


 蛇女がレイピアをこちらに向かって振るう。シスターが眼前に滑り込んで盾を構えた。


 薄い緑色の幕が衝撃を受け流して、シスターが苦しそうに呻く。


「神の盾で獣を庇うなぁ! 背教者!」

「ぐ、ぅ……これは弱者を護る盾! この場で彼女たちの前に立てない者に、この盾を手にする資格はありません!」

「シスター……」


 ぼくたちをまとめて庇うシスターに、スフィが微かに動揺したような声を漏らす。


 修道服はあちこちに切り傷があって、裾からぽたぽたと血がこぼれていた。かなり無理しているのは明らかだった。


「……!」


 照準を合わせると、追撃しようとしていた蛇女が嫌そうな顔をして回避を優先した。


「大分嫌がっているようだな……! 『アクセルブレイド』!」

「おのれ!」


 ランゴバルトが動きがぶれて見える速度で動きながら剣を振る。瞬間的に加速する武技もあるのか。


「ノーチェ、どうしよ?」

「無理矢理抜けるにゃ?」


 スフィたちは射出される牙にも慣れてきたのか、当たり前のように切り払っている。


「スフィ、剣投げるの自信ある?」

「え? うん」


 シスターもランゴバルトも対抗できるくらいには強いみたいだけど、蛇女相手には決定打がない。


 敵は攻撃を受けても痛みを感じている様子はない、このままだとジリ貧で押し負ける可能性がある。


「撃つから、狙って投げて、黒い方」

「あ、わかった!」

「にゃるほど」


 光弾の方をまともに当てるのは無理そうだけど、剣の方ならなんとかなる。


 どういう理屈か、天叢雲は斬ると同時にあの手の怪物の"力"を奪うみたいだ。弱らせられるなら援護にもなるし、逃げるチャンスを作れる。


 攻撃の合間を縫うように銃口を向けた。こちらの動きを察知した蛇女が逃げる方向に向けて、上空を狙う形で引き金を引く。


 装填された弾丸のエネルギーを全て集約した赤い閃光が迸る。


「なあ!?」

「なんだそりゃ!?」


 丁度回避していたランゴバルトが横を通り抜けた閃光に目を見開いていた。


 ぼくの腕じゃ動く相手に直撃はさせられない、けど蛇女は持ち上げていた蛇の胴体の部分の一部を削られ、大きく体勢を崩す。


「ええーい!」


 間髪入れず、スフィが右手に持っていた天叢雲を投げつける。


 回転する軌道を描いた漆黒の剣が蛇の胴体に突き刺さる。


「キャアアアアアアア!」


 蛇女の口から絶叫が上がる。


 続けざまに遠くから放たれていた魔術の火の矢がぶつかり、その部分の身体が砕ける。


「――通じるぞ! 攻め立てろ!」

「うおおおおお!!」

「きっ……貴様らぁぁぁ!」

「これ以上は誰も傷つけさせません!」


 暴れようとする蛇女をシスターが緑光をまとった盾で殴りつけ、右手のメイスで身体を砕く。


 降り注ぐ火、氷、雷……魔術の雨に混じって、普通の矢が蛇女の身体を傷つけていく。


「おのれ背教者ども! よくも神の力を授かった私の身体を!」

「いい加減にしろ! 『ゲイルスラッシュ』!」


 牙に身体を傷つけられながら突進していったランゴバルトが、レイピアを振りかぶった蛇女の腕を斬り飛ばす。血は出ない、まるで石像を砕いたみたいな傷跡が見えた。


 武技の光があちこちで瞬き、蛇女の身体が削られていく。やがて身体を起こし続けることも出来なくなった蛇女はシスターの前に倒れ伏す。


「私は、私は信仰のために……こんな、ところでぇ!」

「……もう終わりです、せめて安らかに」


 呼吸を整えて祈りを捧げるシスターの前で、ランゴバルトが蛇女の心臓と思わしき部分に剣を突き立てた。


「わた、し……は……」


 急所だったのかはわからないけど、それで蛇女は完全に動かなくなった。


 残ったのは石みたいになった修道女の亡骸と、蛇の胴体部分だった大量の土くれ。


 それから大きく破損された街並みだけ。


 たくさんの謎と後を引きそうな問題を残しながら、魔獣の出現から始まった一連の騒動は幕を閉じる。


 かくして、フォーリンゲンの長い1日が終わりを告げた。

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