空っぽの神器

 死の危険は感じない。


 でもスローモーションのように世界が流れる。神兵の後ろから剣を振りかぶって迫るスフィとノーチェ。


 倒れていた騎士たちも起き上がり、ぼくへと手を伸ばしている。ハリード練師は怪物に放った蹴りを弾かれて体勢を崩している。


 怪物の手がぼくの左腕を掴む。抵抗できないほど力が強いけど痛みは感じない、本当に怪我をさせるつもりはないみたいだった。


 片腕を封じられて新しい銃弾の装填が出来ない。


 最悪自分が攫われても、スフィ達が無事ならって考えが脳裏をよぎる。


「アリスをはなせぇぇぇ!!」

「うちのチビに手だしてんじゃにぇーぞ!」


 スフィとノーチェが神兵の背中に勢いよく剣を叩きつける。


「血にさわらないで!」

「にゃっ!?」


 とっさに口をついて警告が出た、飛び散った血を避けながらスフィたちが距離を取る。ふたりが回避に成功した安心と、避けられるの凄いなっていう感心が同時に浮かぶ。


 前世のぼくが死んだと思われる日のことを、この瞬間少しだけ思い出せていた。


 あの日、第0セクターを襲撃してきた魔術屋(オカルティスト)の中にこいつと似た化物が混じっていた。


 同じように神兵と呼ばれていた怪物。人間が神の血を受けて変質したモノ。


 強靭な肉体に高い不死性を持っていて、血液が人間の死体に触れるとその死体も同じような怪物に変異する。


 知っている情報はそのくらいだけど、今はそれだけでも有り難い。


 生きている人間が血を浴びても大丈夫だったはずだけど、同じものとも限らないし得体のしれないものにスフィたちを触れさせたくない。


「血が死体に触れると、こいつと同じ化け物になるかも知れない。できるだけ避けたほうがいい」

「ニャア!?」

「はなれろっていってるでしょ!」


 動揺するノーチェとは裏腹に、スフィは果敢にも神兵に挑みかかっている。ただし斬りつけるんじゃなく、剣の腹で殴る形で。


私は騎士として誓ったイトシゴヨ弱き者のために戦うとワレラヲミトメヨ誓いは決して揺がないカミガミヲフタタビコノチヘ

「意味わかんねーよ」

「だったらアリスをはなせ! からだがよわいこなの!」


 重なるしわがれた声はぼくにしか聞こえていないらしい。スフィとノーチェに何度殴られてもビクともしない。


 シスターたちは……別の場所に戦場を移しているみたいだ。部屋の外から戦闘音が聞こえる。あのイカれた修道女の邪魔が入らないのは良いけど、強力な援軍は期待出来ない。


弱きものを守る力をウットウシイゾ万難を排す盾をハコモリノムスメ

「あぐっ!?」

「スフィ!」


 まるで羽蟲を払うように振るわれた神兵の腕が、スフィの体を打ち据えるのが見えた。一瞬頭に血が上りかけた、静かに呼吸を整えることで冷静さを強引に取り戻す。


『思考と感情は切り分けろ、怒りを基軸にした思考じゃ勝てる相手にも勝てなくなる』


 たいちょーさんの言葉を思い出しながら、神兵の人形みたいな顔を睨みつける。


「あ……れ? 痛くない」


 割と凄い勢いで転がっていったスフィが何事もなかったみたいにぴょんっと立ち上がる。


 あの鼬に襲われていた姿を思い出して肝が冷えたけど、正直ほっとした。


「あなた達は、シスターにとって庇護対象ですから。怪我を負うことはありません、ですが……」

「やられた分だけ、シスターの負担が……ってこと」

「はい、無茶はしないでください」


 痛みを感じないのはそのせいかとも考えたけど、掴まれた腕は固定されているだけ。力を込められている感覚はない。


 ハリード練師と騎士たちは立ち上がっている、でもぼくがこいつに掴まれているので攻めあぐねている。


私は光神の裁きワレヲミトメヨ私は光神の剣ワレラヲミトメヨ


 神兵は連れ去るわけでもなく、意味のわからないことを喋り続けている。


 脚を引っ張り続けるのは本意じゃない。


 手に持っていた銃を手放すと、思ったより軽い音を立てて銃が床に落ちる。


 可能性はある。不思議なことに、大丈夫だって妙な確信があった。


 はじめてこのカンテラを目にしたときから感じている懐かしさ。


 前も助けてくれたなら、ここで突然詠唱らしきものを出したのも意味があるはずだ。


「虚空(そら)の果てより集いたゆたう、終わらぬ幻想(ゆめ)の一欠けよ。始まりの言葉と願いを束ね、今ここに器となれ無垢なる混沌」

私は使命を果たすヤメロ、イトシゴ


 鬼が出るか蛇が出るか、どっちでもこいつをどうにかしてくれるなら問題ない。


 記憶に焼き付けた通りの日本語の詠唱を、そのまま口にする。知っているどの系統の魔術とも違う。


 ただ、起動句の示す意味だけは知っていた。


 日本語が読める人間なら、きっと誰だって名前くらいは聞いたことがある。


 でもこんなの使いこなせる気がしないぞ。


「『偽典(ぎてん)・天叢雲(アメノムラクモ)』」


 カンテラの周りで渦巻いていた黒い影が右手に集まって一本の剣を形づくる。


 柄頭だけが丁の字のように広がり、握りから切っ先まで細長い。古代の日本や中国で青銅剣と呼ばれていたものに酷似している。


 日本神話における三種の神器のひとつ。八岐大蛇の尾から出たっていう剣。たぶん日本で一番有名な剣。


 出来上がった刀身は真っ黒で質量は無いに等しい、何とか振り回すことはできそうだけど……剣なんて使う自信ないんだけど!


「ぐ、があああ!?」


 ぼくを掴む神兵の腕にむかって剣を振り上げる。殆ど抵抗らしい抵抗もなく刀身が通り抜け、今まで何されても無反応だった神兵が斬られた腕を押さえて叫び声をあげた。


 ヤツの手が離れた、よろけたぼくを咄嗟に飛び込んできたスフィが抱えて思い切り距離を取る。


 視線で奴を追うけれど、斬ったはずの右腕に損傷は見当たらない。


「アリス、だいじょうぶ!? なにそれ!?」

「大丈夫」


 正直ぼくだって困惑してる。詠唱と起動句から察するなら、神話や英雄譚に出てくるアーティファクトを再現する術式ってところだろうか。


 効果としては凄まじいように思うけど、自分の魔力を消費してる感じがない。もしかしてこれがこのカンテラの本当の力?


 だとしたら何で急に、やっぱり何かしらの条件が……ってそんなこと考えてる場合じゃない!


「スフィうしろ!」

「え、ひゃあ!?」


 神兵が左手を振り下ろす。幸いにも速さは普通で、スフィがぼくを掴んだまま飛んで避けられる程度。


 ただし威力はたったの一撃で床が砕け、風圧で鍛えた大人たちがよろめくほど。


 スフィとぼくは吹き飛ばされ、一緒に床を転がるはめになった。


「きゃああ!」

「ぐっ……」


 速度と質量に対して破壊力が比例してないだろ、デタラメも大概にしろよ……!


わわわたしはかかかタショウノケガハみみみのけけけけシカタアルマイ

「結局、それかよ」


 脱出は出来たけど、相手も力づくで来ることにしたようだ。


「なんでぼくを狙う」

かみかみかみカミガミガフタタビさばきさばばばばきコノチニモドルタメ

「意味がわからない、げほっ……ぼくにそんな力はない」

さばきさばきさばきオマエダケガきし誓いちかいピトスヲヒラケル

「……は? なんのこと」


 ……ピトス?


 意味がわからない、心当たりもない。


「アリスなに言ってるの!? 離れなきゃ!」


 目的を聞き出そうと喋っていると、スフィに思い切り引っ張られた。


「あいつ完全におかしいにゃ、ていうか何ひとりで喋ってるにゃ!?」

「……ん」


 引っ張られた先で、スフィとノーチェが剣を構えて神兵からぼくをかばおうとする。


 被さっているノイズみたいな声が聞こえるのはぼくだけ、説明するのもややこしいな。


わたわたししをオマエダケガころころろろしてユルサレテイル

「……何を」


 先程から聞こえる青年の部分の声がおかしくなっていることには気付いていた。


 ……この剣で斬りつけた時から?


 日本神話なんて詳しくないけど、天叢雲にそんな由来あったっけ。そもそも三種の神器の特別な効力や凄い力なんて聞いたこともない。


 でも確かに効いている。


「『ゲイルスラッシュ』!」


 隙を伺っていたランゴバルトが飛び出した。風をまとった斬撃が神兵の胴体を薙ぎ、わずかによろめかせた。


「『裂空脚(れっくうきゃく)』」


 その後に続くハリード練師の飛び前回し蹴りが、凄まじい衝突音と共に体勢を崩した神兵を吹き飛ばした。


「かかれぇ!」

「「『チャージスラスト』!」」


 ランゴバルトの号令に応じ、様子を伺っていた騎士たちが武技(アーツ)を使って一斉に突進。無数の剣が神兵を串刺しにした。


 血に気をつけろという警告は伝わっていたのか、剣が刺さったことを確認した騎士たちが一斉に距離を取る。


とめ……てアキラメヌあり……が……イズレマタ


 そこまで破壊されて、神兵はようやく動きを止めた。


「やった……にゃ?」

「たぶん」


 最後に嫌な言葉を残して、裏で操っていた何かは消えたみたいだ。人違いにせよ何にせよ諦めて欲しい。


 完全に沈黙している神兵をよそに、唐突に嫌な予感を覚えた。


 こいつは死体が血を受けて変異する人形。裏で操っている何かがいるなら、予備くらいは用意してるはず。


 もし事前に血を飲んでいたやつがいたなら、死んだときにどうなる?


「シスターは!?」

「今、丁度決着がついたところのようです」


 おそらく使役獣を送って様子を見ているだろうハリード練師に尋ねる。床に座り込んでいて相当な疲労が見えるけれど、やはりあちらの戦況も確認していたみたいだった。


「シスターの勝利です、無銘修道会(ネームレス)の騎士は武器も折れて……いま自害を」

「すぐに、とめないと!」


 気付くのが、少し遅かった。


 シスターたちが戦っていた方向から耳障りな女の笑い声が聞こえてきた。


「連戦は勘弁願いたいものですが」

「……ハリードは子供たちと休んでいろ、あっちには俺達が」

「口惜しいですが、今動けば足を引っ張ることになりそうですね」


 シスターの援護に向かったランゴバルトを見送り、スフィに肩を貸してもらってハリード練師を手当する。


 そう簡単に終わってはくれないか……。

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