神兵
「トラブル?」
スフィに抱きしめられながらハリード練師に尋ねる。
「ええ、少々厄介な客が訪れているみたいです……ランゴバルト、子供たちは?」
「奥に避難させて騎士もつけてる……まずい相手か?」
「相応には」
廊下を歩く音が聞こえた。衣擦れの音が近づいてくる、ゆったりとした長い裾がこすれる音、騎士じゃない。
シスターかと思ったけれど、歩く速度がゆっくり過ぎる。
「誰か来た」
言い争いをやめ、警戒する騎士とぼくたちの眼前で談話室の扉が開く。
一瞬で生まれた静寂を、微かに軋む音が引き裂いた。
「ああ、我等を照らす光神よ……罪深き者達の祈りを聞き届け、彼等に贖罪の機会を与え給う」
10代後半の若い女性、黒い修道服から濃い血の匂いをさせている。
ロウソクに照らされて映し出された姿は、シスターによく似た服を着た修道女。ただし手に持ったレイピアからは、赤い液体が床へと落ちている。
「……何者だ」
「私は光神の忠実なる下僕、神の意志を為し人々を救う者です」
「異端審問を専門とする教会騎士、無銘修道会(ネームレス)……枢機卿の子飼いの暗殺者でしょう。人殺しの専門家ではないかと、気をつけた方がいいでしょう」
「物騒な奴らが動いていたものだ、今回の騒動もお前たちの主導か」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいませ、私は神に誓って人を殺したことなど一度もございません」
騎士たちが静かに殺気を漲らせ、剣の柄に手をかけている。
「ところで、ここにくるまでの道中には俺の部下が居たはずだが」
「それでしたら先程処罰させて頂きました。必要以上の苦しみは与えておりません」
「人を殺したことはないんじゃなかったのか?」
「ええ、勿論です。私は普く人々の未来を照らす光神の下僕。そのような残酷なことは出来ようはずもありません」
修道服の女は、血に塗れた剣を手にしたまま穏やかに微笑む。
嘘はなかった、この女の人は一切嘘をついていない。シスターと同じような優しくて温かい音をさせていた。
「だったらなんで、俺の部下を殺した? この騒ぎで魔獣に襲われ助けを求める者達を前に門を閉ざした?」
「卑しい獣をかばい、邪教に与し、異教徒と手を取り光神の教えに逆らう……あなた達が人間であるはずがありません。この街を占領し、人間だと謀る魔物たちのせいで多くの光神教徒が不安で眠れないのです! 人々を脅かす魔物を狩るのは教会騎士の務め。ならばこそ、我等この魂を燃やし、普く命の未来を照らす灯火とならん」
一切の嘘も罪悪感もなく、子供に言い聞かせるような優しい口調で女は言って……ぼくたちに剣を向けた。
たぶん訓練で心を殺してるとかじゃない、そういう奴は音が常に固く平坦になる。
こいつの音は至って自然体、心の底からその考えを信じて自分の中の正義に準じている。
……こういう奴、音で判別できないから厄介なんだよね。
「……そうか、やはり今の光神教とは相容れん。討て!」
「はっ!」
「うおおお!」
周辺に控えていた騎士が、テーブルを蹴飛ばしながら斬りかかる。速さも思い切りもさっき襲ってきた連中とは桁違い。
だけど女は身体を揺らすだけで剣を回避し、返す刃で騎士の1人の心臓を貫く。
「がっ」
「ギリアム!?」
「『ゲイルスラッシュ』!」
悲鳴が上がる中を駆け抜けたのはランゴバルト、翠緑の光を纏った剣を下から上へと振り抜く。こちらに届くような暴風を伴った斬撃が、床や壁に大きな切れ込みを作る。
だけど女は涼しい顔でそれを回避し、剣を振り抜いた体勢のランゴバルトへレイピアの切っ先を向ける。
「これ以上の狼藉は困ります」
「……なんと往生際の悪い魔物でしょう」
ハリード練師の蹴りが切っ先をずらした。空振りさせられた女に騎士たちの剣が振り下ろされるけれど、女は凄まじい速度で後ろに飛んで間合いから逃れる。
「あ、あいつめちゃくちゃ強いにゃ」
「アリスのこと、おねえちゃんが守るから……」
「スフィ、大丈夫だから側にいて」
守ろうとしてくれる騎士たちの背中に隠れながらスフィを宥め、いざというときのためにポケットの中に手を突っ込んで右手でビームライフルを掴む。銃弾は入れっぱなし、その気になれば即座に撃てる。
目の前ではランゴバルトさんが切り込み、ハリード練師が横合いからちょっかいを出して女の攻撃を妨害する戦法が取られていた。
時折ハリード練師の細長い腕が女の剣へと伸ばされて、女は気付くなり即座に攻撃を止めて距離を取る。その繰り返しだ。
「邪教の術は厄介ですね」
「褒め言葉と受け取っておきましょう」
ハリード練師は錬成(フォージング)による武器破壊を狙ってるみたいだけど、女も錬金術師と戦い慣れているのか巧く回避している。……戦いの次元が違いすぎて介入できない。
「猛り狂う雷よ、愚かなるものに天の制裁を『
「
…………?
なんかいま、相手の詠唱が変だったような。詠唱にまるでノイズみたいな何かが被さって聞こえた。
魔術が発動すると女の足元を中心に白い光の紋章が広がる。放たれたハリード練師の魔術が紋章の放つ光に触れるとかき消された。
術式の構築を阻害したり、強制的に分解する対抗魔術(アンチマジック)ってやつか。
「いまあの女の詠唱変じゃなかった?」
「魔術のことにゃんかわかんにぇーよ」
「え? えっと、ごめんね、私もわかんない」
「んー? ふつう? だったよ?」
聞いてみてもノーチェ、フィリア、スフィは違和感は感じてないみたいだ。騎士の人たちに視線を向けても何もないとすぐに流されてしまう。
……気にするようなことじゃないんだろうか。
「代行魔術ですか」
「神の奇跡を再現する御業、清らかなる心の持ち主だけが赦される神聖術です。間違えないでくださいませ」
「それは失礼、『剛蹴撃(ごうしゅうげき)』」
会話をしながら、黄色い光をまとったハリード練師の蹴りが繰り出される。女はひらりと身を翻して避ける。
発音は少し違うけど、ハリード練師の使った武技(アーツ)の言葉の響きが日本語にそっくり。武技にせよ魔術にせよ起動句は割となんでもいいらしい。
第一言語が日本語になってるせいで一度頭の中で日本語に変換してるから、技名の響きが何となく馴染み深い。
「『レイジングソード』! 『ラウンドセイバー』!」
「なんて野蛮なんでしょう」
避けた女に突進するのは翠緑の光を全身にまとったランゴバルト。勢いをつけた突きから、踏み込んだ軸足を中心としながら剣を振りつつ一回転。
しかし女はまるで読んでいるようにひらひらと避けていく。
「武技に頼りすぎですよランゴバルト」
「わかってる!」
ハリード練師も相当強いし、ランゴバルトもそれについていける。
なのに敵は余裕だ。それに、のっぴきならない事態が迫ってる。
「お前達! 子供を奥へ!」
「わかりました!」
「無理」
ランゴバルトの指示に頷く騎士のひとりに被せて否定する。申し訳ないけどもう無理だ。
ドォンと音がして奥へ続く道の奥の壁が突然ぶち破られ、何かが部屋の中に飛び込んでくる。
「なぁ!?」
巻き上がる粉塵の中から現れたのは、白銀に輝く美しい彫刻が施された全身鎧。
身長は2メートル以上あって、雰囲気からして人間じゃない。
音もおかしい、心音も呼吸音も無い。
「ぐ、ぅ……!」
「シスターにゃ!?」
ノーチェの叫び声にちらりとうめき声の方を向くと、ボロボロになったシスターがメイスを杖代わりに立ち上がろうとしていた。
決して薄くない壁をぶち抜くような威力の攻撃を受けて立ち上がれるなんて、凄いなとのんきな事を考えながら視線を鎧騎士から外せない。
「背教者でありながら、いまだ光神を語る卑しい雌豚。光神の与え給うた神兵の裁きにすら抗いますか。なんと不敬な」
「げほっ、みなさん、すぐに子供たちを連れてここから、逃げてください! そいつは危険です!」
叫ぶシスターは、白銀の鎧騎士を睨みつけていた。
「ふむ、襲撃の主力でしょうか」
「その御方は光神の遣わした神聖なる正義の剣、神兵です。まずはその背教者を討ち、この街にはびこる魔物たちを浄化しましょう」
「イカレ女が、こんな奴を送り込んで来るなんてバイエルは本気で戦争を起こす気か」
「ちが、います! げほっ」
怒りを露わにするランゴバルトの言葉を他ならぬシスターが否定した。
「別方向から来ていた襲撃者は全員、彼女たちに殺されました!」
「はぁ!?」
「彼等は背教者に屈しました、それはすなわち邪教に与し魔物に身を落とすということ。彼等が人間でいられるように救済したのです」
仲間殺しを糾弾されているのに、女は穏やかな口調で答える。
アンノウンってやつは、とにかく人の正気を削ぎ狂わせてしまうものが多かった。まともだった人間がそれに触れ続けて、狂気に飲み込まれるケースなんてごまんと見てきた。
そんな物がひしめく場所で正気を保ち続けることを求められ、狂気に陥った人たちを眺めてきたぼくだからわかることがある。
彼女を満たすのは揺がぬ信念と正義の心だけだ。
純粋な信仰心で疑問と矛盾を握りつぶし、与えられた正義に信念という鎖でしがみつく。
この女は『狂信者』、そう呼ばれる類の人間だ。
「神兵はおっしゃられました、この街には悪がはびこっていると、光神の名の下に苦しむ人々の未来(あす)のため、悪を滅さねばならないと! 私は正義の鉄槌を下すためにきたのです!」
「ふざけるな! この街には光神教徒だって大勢いるんだぞ!?」
「邪教の使徒に尾を振り、魔物が街に入り込むことを許す背教者ばかりです。もはや魔物と同義、光神教徒ならばそのようなことは絶対に致しません」
自信満々に言い切る女に、噛み付いたのは他ならぬシスターだった。
「他者を排除するばかりのやり方など巧くいくはずもありません! 光神教が人々から拒絶されるようになった理由を忘れたのですか!?」
「人々が光神の偉大さを忘れ、邪教の魔物がもたらす誘惑に屈したからです。嘆かわしい」
「いいえ! 偉大なる創始者たちは血と汗を流すことで人々の信頼を得ました! しかし築き上げられた権威に驕り高ぶり、愚かにも神の威を借り弾圧と搾取を行ったものがいたからです! 人々に失望されたのです!」
「背教者が! この後に及んで未だ光神の教えを愚弄しますか!?」
「愚弄しているのはどちらですか! 弱き人々を護ることを是とする光神が、教義が異なるからと他者をいたぶることを許す矛盾になぜ気づかないのです!?」
「人とは私たち! 尊きゼルギアの民、敬虔なる光神教徒たる普人(ヒューマン)のこと! そんなことは常識でしょう! シスターアナンシャ、貴女は邪神の考えに毒されている。何故貴女のような悪人が救済の盾に選ばれたのか理解に苦しみます。ここの子供たちも毒されてしまっているのでしょう、愚かな考えが広まる前に摘み取るべきでした」
「ふざけないで! 普く命を護る為の誓いが! 光神教が! 人間を生まれ育ちで選別するなどあってたまるものか!」
激論の末に闘気が高まっていくシスターと女がそれぞれの武器を構えて向かい合う。
「……タ」
鎧騎士から目を離さないようにしながらシスターたちにも注目を向けていると、不意に耳障りな音がした。
神兵……そう呼ばれた鎧騎士は、腰に佩いた幅広の剣を身体の前で垂直に構える。
「
「……え?」
スフィもノーチェも、騎士たちも神兵に向かって武器を構える。
声が二重に聞こえる。ひとつはよく通る青年のもの、もうひとつはしわがれた老人のようなもの。
「
気のせいか、どこかで同じような台詞を同じような声に言われた気がする。
状況は相変わらずわからないまま、だけど2重に聞こえる声の両方に返すべき答えは一緒だった。
「――お断りだ、くそやろう」
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