囮
疑問に思ったことはいくつかある。
敵の引き際が良すぎたこと。あれだけの騒動に乗じてぼくたちの追い出しに人数を割いた割に、素直に騎士たちに連れて行かれるのを見送った。
ふたつめは準備が良すぎたこと。騒動が起きて悪化する寸前に騎士がやってきて、そのまま孤児院へ行きシスターと合流。そのまま騎士たちが護衛についた。
冷静に考えれば、ここは光神教圏内の獣人差別が根底にある国。
領主が開明的だとか、シスターが獣人差別を解消したがってる派閥だとか、錬金術師ギルドからお願いがあったとか……。
色々理由はあったとしても、獣人の子供たちを守るために騎士の一部隊が動くとは考えにくい。
シスターの反応も今にして思えば妙だった。ずっと緊張していると言うか身体をこわばらせていたように思う。戦闘直後だったこともあって特に疑ってはいなかったけど、なにかあったと考えるのが自然。
そもそも孤児院自体が防衛先として妥当とは思えない。たしかに元教会だし、いざという時の避難所にも使えるようになっているけど今はオンボロ、防衛施設には穴だらけだ。
でも、例えばエサを置いて敵を誘い込むには最適ともいえる。
疲労で頭がいまいち動かなくなるのは、やっぱり大きな弱点だ。
少しの間眠って多少スッキリしたところで、建物の外側から近寄ってくる気配に気付いた。
一際静かな足音は、相手が表側の人間ではないことを示している。間違いなくバイエル王国の諜報部隊ってやつだろう。
ぼくが見つめる視線の先で窓板がゆっくりと開いた。フードを被った男が音もなく部屋の中に入ってくる。月明かりの中に、男が手に持つ黒く塗られた刃が浮かび上がった。
「大人しくしていろ、卑しい獣モドキ」
その言葉を聞きながら、はぁとため息をつく。
集中すればわかる。部屋の中にとても薄い、もうひとつの気配があることを。
「ハリード練師、ぼくたちをエサにしやがったな?」
「何を言って……オゴッ!?」
何もなかったはずの空間が波紋を描いて、そこから細長い影が躍り出る。
固く湿ったものが砕ける音がした。フードの男は壁をぶち破って外へ飛んでいく。
つい先程まで男が立っていた位置に、コートを翻し細長い脚を蹴りぬいた体勢のハリード練師が立っていた。実に見事なヤクザキックだった。
「――はい、その通りです」
「スフィたちは無事?」
「そちらは騎士とシスターが守ってます。一番狙われやすいのがアリス練師でしたので私が護衛に」
「ならいい、あとで一発なぐらせろ」
「ご遠慮願います、反動で貴女が怪我をしそうです」
否定しきれないのが悲しい。
「寝て少しスッキリした、ぼくたち狙いはついでじゃなかったの?」
「手土産にするつもりだったのでしょうね。どういうわけかここ数年、大陸中の権力者が白銀の毛並みの獣人を求めていますから」
ハリード練師が首だけで振り返る。視線は……ぼくの髪。
あぁ、急だったから泥や土で汚すのを忘れてた。今の毛並みは白に近く見える。普段は出かける前にもうちょい汚して居るから完全な灰色だったんだけど……。
「少女の部屋へ侵入した現行犯ですので、速やかに捕縛しましょう」
「人のこと言えるの?」
「私は護衛ですから」
都合よく回る舌だこと。どちらにせよぼくじゃ彼等を制圧することは出来ないので任せるしかないんだけど。確実に倒せる攻撃手段を取ったら間違いなく殺してしまう。
前世ではどうしようもない状況下だったけど経験はある。
スフィたちを守るために覚悟は決めてるつもりだけど、可能なら避けたいというのも事実。すぐ近くに戦える人間がいるなら任せてしまおう。
壁が崩れて見えるようになった外では同じようなフードを被った男たちが6人ほど立っていた。最初に蹴られた男は動けないみたいだ、肋骨でも砕かれたのか呼吸がか細い。
「邪教の術者め……!」
「あいつら何のために正体隠してるの?」
「こうも簡単に馬脚を露わされると困惑しますね、罠でしょうか」
知る限りでも大陸に宗教は数あれど、他の宗教を邪教呼ばわりするのは光神教くらいだ。
「随分と堂々とされていますが、アリス練師は戦いの心得を?」
「あると思う?」
「いいえ全く」
胸を張って返してみると、当然とばかりに淡々と返された。
「そういうわけだから、よろしく」
「まぁやることは変わりませんね」
「この邪教徒を始末しろ!」
男たちが素早く剣を抜き、ハリード練師に襲いかかる。状況を考えるに連れ去りにきただけだろうから、巻き添えさえ気をつければ命を奪われる可能性は低い。
ぼくの仕事は大人しく見守ることだ。
連携を取るように近づいてきた2人。それぞれ抜身の長剣と短剣を持ち、挟み込むように2本足で立つハリード練師を切り倒そうとする。
「この連携は組織的な訓練を受けてますね」
「ぐぅっ!」
「ガハッ!?」
長剣の男にはみぞおちへの蹴り、短剣の男には顔面への拳。両方ともその一撃で動かなくなった。
姿から戦い方の予想全然つかなかったけど、まさかの格闘系。
「たかが錬金術師風情がっ」
「その侮りが油断を生むのですがね」
呆れた様子のハリード練師の視界から外れるように、気配を消した男のひとりがぼくに近づいてくるのが見えた。
「猛り狂う雷よ、愚かなるものに天の制裁を『
「ガアアア!?」
こちらを振り返りもせず差し向けられたハリード練師の手から雷光が迸り、迫ってきている男を打った。
手段はわからないけど、周囲はきっちり見えてるらしい。ポケットに突っ込んでいた手をそっと引き抜いてその場で待機する。
「随分と守られることに慣れていますね?」
「……ん」
さぁねと肩をすくめて見せた。
手の届く位置から極力動かない、護衛役の指示に従う、逃走の時は脇目もふらずに、自力での対処は基本緊急の時だけ。
前世、散々護衛役から言われたことをそのまま適用してるだけ。
「やりやすくて大変ありがたいのですが」
「くそ、足止めをしろ」
なんだか余裕綽々みたいだし、大人しくしている方がいいだろうって考えた。
「渦巻く風よ、黒雲を集め雷の雨を降らせよ『
大量の魔力が手のひらから溢れて、頭上に放電現象を伴う分厚く黒い雲が出来上がっていく。
それぼくも巻き込まないかと思っていたら、飛びかかる男たちを蹴り飛ばしながらハリード練師は手のひらを頭上へと掲げた。
「『錬成(フォージング)』」
「!?」
雷雲から雷が落ちる前に、出来上がった雲がハリード練師の手のひらの上で棒状に固まっていく。黒い雲が凝縮されて、バチバチと音を立てながら白く輝く雷の長棒が出来上がる。
魔力同士は反発するから、生物はもちろん発動中の魔術に錬金術で干渉するなんて普通は出来ない。
「自分と同じ魔力なら通る……?」
「はい、魔力的に繋がっていますから。ある戦闘錬金術師(バトルアルケミスト)が編み出した技です。とはいえ形を弄れる程度が限界ですけどね」
「グッ……ぎゃああ!?」
ハリード練師がぼくの疑問に答えながら、長棒を器用に使って男たちを打ち据えていく。前に護衛部隊の人が見せてくれた中国武術の棒術に似てる。
「形状の変化にともなって性質もある程度変化する?」
「ぐあああ!?」
「そうですね、魔術の威力が凝縮される程度の変化はあります」
「ぎゃああ!」
「使いづらい大規模魔術を武器にできるのは便利」
「いえ、魔術そのものが発動出来る広さがなければいけません、そこまで便利なものではありませんよ」
なるほど、でも魔術そのものではなく錬金術を併用することで派生させるって考え方は凄く面白い。魔力がたくさんあったらぼくも色々試してみたいんだけど。
「可能な魔術は理魔術だけ?」
「いえ、自身と同一の魔力で構成された術式であれば理論上どの術式でも可能です。制御の難易度は大幅に変化しますが」
いわゆる複合術式とかの類いなんだろうか。ぼくじゃ活用出来ないかも知れないけど、理論を知りたい。
「戦闘への応用に関する論文がいくつかでていますよ」
「ノーチェックだった」
「まぁ、普通の錬金術師が目を通す分野ではありませんからね」
「あとで読む」
「お前たち! 何の話を!」
「ああ失礼、すぐに終わらせます」
「ぐがああああああ!?」
槍投げのように放たれた雷の長棒が、唾を飛ばして斬りかかってきた最後のひとりを貫いた。バチバチとなにかが弾ける音がして、焦げ臭い匂いが漂った。
……襲撃者のこと完全に忘れてたよ。
耳を動かして周囲の音を拾っていくけど、他に人がだす音はない。
大丈夫かと集中を解こうとしたとき、上空で微かに大気が動く気配がした。
「……くりおね?」
見上げてみると、月明かりに照らされて透明なクリオネによく似たものが泳いでいた。羽のような部分を動かして風を泳ぎながら、ふわりとハリード練師の隣へ行く。
「この子は風を泳ぐ者と呼ばれる魔獣ですよ、旅の途中で偶然にも懐かれました。透明化して気配を消すことに長けているので、使役獣と視覚共有出来る目隠しと合わせると色々と便利なんです」
「なるほど」
目隠しをめくると、その下にある穏やかな榛色の瞳が見えた。目隠しの裏側には複雑な術式が織り込まれている……魔道具だったみたい。
書かれているのは圧縮術式だけど、中身はぼくの知らない術みたいだ。使役術の系統なのかな。
……魔術と一口に言っても、ぼくの知らないことはまだまだ多い。
「後は騎士に任せて中に入りましょうか、貴女のお姉さんが暴れて大変みたいですから」
「うん」
■
「はなして!! アリスのとこにいくの!!」
「妹さんも大丈夫だから! 頼むから大人しくしてくれ!」
「なんでじゃまするの!? がるるるるる!!」
「いだだだだ! 噛んでる噛んでる!」
最初は普通に歩き出したハリード練師だったけど、ぼくが全くついていけないことを察すると途中から恐ろしくゆっくりとした速度になった。
知らない人にあまり触られたくないし、そのまま蝸牛のような速度で談話室に戻ると……惨状が広がっていた。
騎士たちが複数人で寄ってたかってスフィを抑え込み、ランゴバルトさんが短剣を構えたノーチェとフィリアと睨み合ってる。
「大騒ぎ」
「元気ですね、冒険者として将来有望です」
「アリス! だいじょうぶだった!? けがはない!?」
「うん……スフィを離して」
とりあえずスフィを抑える騎士たちに離してくれるように頼む。理由も状況もわかってるけど、見ているだけで感じるイライラが本気になってしまう前に。
「わ、わかった! うおっ!」
「いってぇぇ……うわ、噛み跡が狼みてぇ」
「アリス!」
拘束が緩んだところで、騎士たちを跳ね除けて飛び出してきたスフィを抱きとめる。
少し焦ったけど直前で急ブレーキしたおかげで何とか倒れずに済んだ。以前はよくふっとばされてたけど、スフィも力加減を覚えてきたみたいだ。
「だいじょうぶ? 怖くなかった? けがはない?」
「ない、大丈夫」
「どういうことなの!? わけわかんない!」
ぼくの無事を確認するなり、涙目のスフィが振り返って騎士たちに向かって牙を剥く。
「簡単に言うと、エサにされた」
「エサぁ!?」
あぁんと睨みつけるノーチェの視線を受け止めながら、ランゴバルトさんは静かに息を吐いた。
「奴らがぼくたちを攫いやすいようにここに集めて、待ち受けて捕まえた。逃げるやつより攻めてくるやつを迎え撃つほうが捕まえやすい」
「ひどい!!」
「信用したのが間違いだったにゃ……!」
「すまないとは思っている」
「死んでたかもしれない、アリスだって攫われてたかもしれないにゃ!」
怒りはごもっともなので何も言えない。ぼくだってスフィたちに何かあったなら許してなかった。
「これが一番手早く解決出来る方法でしたから」
「アリスに何かあったらどうするつもりだったの!?」
「貴女たちにはまず何もありませんよ」
「何でそんなことわかるの!? つれていかれちゃいそうになったんだよ!」
錬金術師にしては随分と自信満々な物言いに首を傾げていると、ハリード練師は淡々と告げる。
「シスターの持つ救済の盾の力は保護対象にあるものを守護するというものです。貴女たちはこの孤児院内でシスターの庇護下にあります、並大抵の攻撃では傷ひとつ負いません。一番危険な妹さんは私が守りについていましたから」
「だからって!」
それが盾のアーティファクトの効果なら、確かにここが一番だろうけど。
「でも、はやめに伝えてほしかった」
「相手の動きが思った以上に早かったもので、それについては申し訳なく思います」
「言い訳になるが、周辺の安全を確保してから詳しく話すつもりだったんだよ」
「ふざけるにゃ! 信じてやったのに! シスターもグルだったにゃ!?」
「彼女は猛反対していた! 言いくるめたのは俺たちだ、君たちを護るために全力を尽くすと……!」
言い争うノーチェとランゴバルトさん……呼び捨てでもいいか。
騙される形になったのは不服だけど、冷静に考えれば狙われてる状況で、守る戦力がある場所に滞在できるのはありがたいって考え方もある。
何より効率的だと考えてしまっているから、そこまで怒りを抱いてない。怒っているとしたらスフィを押さえつけていたことくらい。
……あれ?
「そのシスターは?」
「アリスぅ……!」
「スフィ、ぼくはだいじょうぶだから、落ち着いて」
「先程別のところから侵入しようとした方々を制圧し終えたはずですが……ふむ」
スフィをなだめつつ、彼女が話に参加してこないのはおかしいと思って尋ねる。
同じ疑問を抱いたのか、ハリード練師は自分の使役獣に指示を出したようだった。透明になっているクリオネの気配が動き、部屋を出ていった。
移動のときに音がないから、集中して風の流れる音を拾わないと知覚できない。凄いステルス。
怒るノーチェが糾弾する声を横で聞きながら待っていると、数十秒ほどしてハリード練師が口を開いた。
「……少々トラブルのようですね」
どうやら、騒動はまだ終わらないらしい。
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