└姉のプライド
孤児院に身を寄せることになったノーチェたち一行。
朝から騒動に巻き込まれ、ポーションづくりに専念していたアリスはベッドに寝かされるなりすぐに寝てしまった。
しっかりと戸締まりをし、部屋を貸してくれたシスターにお礼を言ってからアリス以外の3人は子供たちのたまり場になっている談話室の一角で一息ついていた。
「しっかしあいつら許せないにゃ! あたしらが獣人(ライカン)ってだけで泥棒呼ばわりしやがってにゃ!」
「ほんと! スフィだってアリスだって、怪我してるみんなのためにがんばってたのに!」
口から出てくるのは怒りそのもの。シスターや騎士のランゴバルトに宥められて抑えてはいたが、まだまだ怒りの火は燃え盛ったまま。
スフィたちからすれば善意のお手伝い。パーティの身体の弱い末っ子の頑張りを嘲笑う街の住人は許せない相手だ。たとえ扇動されていたとしても、彼等の吐いた暴言が消えるわけじゃない。
怒りに圧されたのかシスターが気を使って伝えたのか、子供たちを遠巻きにしながら愚痴で盛り上がるスフィとノーチェを見ながら、ここまでのやり取りで落ち着いていたフィリアはふと心に浮かぶ疑問を口にした。
「スフィちゃんって錬金術はやらないの?」
期間としては短いけれど、修羅場を抜けて力を合わせてここまでやってきた仲間たち。近くで双子姉妹をみていれば自然とわかることもある。
双子の養親は錬金術師で、妹のアリスは程度こそわからないが多少なり錬金術を使える。それがフィリアの認識だった。
あれだけ妹に構い倒してるスフィを見れば、養親から妹と一緒に錬金術を習っていても不思議じゃない。
実際にスフィは薬草の知識があり、フィリアとノーチェからすればちんぷんかんぷんな錬金術の話にもついていける。
今日の騒動では実際にアリスの手伝いを十全にこなして、薬作りの手伝いすらしていた。知識と技術はあるように見えるのに、スフィが錬金術をやろうとしているところは見たことがない。
凄い才能があるのに活用しようとしない、フィリアはそれが不思議で仕方なかった。
「…………やらない」
「ふえ?」
些細な疑問のつもりで投げられた質問に対して、スフィはノーチェとフィリアが驚くほど機嫌悪く答えた。
面食らったふたりが困惑する横で、スフィは表情を硬くしてうつむく。
「スフィは、もう錬金術はやらないの」
「う、うん……そっか」
フィリアは生まれの事情から空気を読むことに長けている。その経験と直感がこれ以上聞いちゃダメだと警鐘を鳴らしていた。
スフィの表情に明確な拒絶を感じたフィリアは話を切り上げる。ノーチェも必要以上に突っ込めずにしっぽを右往左往させるだけ。
3人の間には、しばらく微妙な空気が流れるはめになった。
■
――物心ついた時からスフィは様々なことに才能を発揮した。並ではなく優れたものばかりだ。
村では運動なら大人にだって負けなかったし、年上の男の子を相手に喧嘩しても負けたことはない。
そんな才能を持っているスフィは、いつもノーチェと張り合っているところからわかるように凄まじく負けず嫌いな部分があった。
だからこそ彼女は才能そのものにあぐらをかくことなく、生まれ持った原石を研磨することが出来る。
しかしながらノーチェたちと出会うまで、同年代の子は身体が弱く誰かが介助しなければ日常生活を送ることすら危うい妹だけ。
自分に何もかもが劣る妹相手に負けず嫌いな性質は発揮されるはずもなく、スフィはたったひとりの妹を可愛がり献身的に支えた。
妹に向ける深い愛情の中に、幼き天才故の優越感が含まれていたのは否定しきれない。それでも大切に思っていたことは紛れもない事実。
そんな日々を過ごす中、スフィはか弱い妹を守ることを自分のアイデンティティへと変化させていった。
……そうやって過ごしていた2年前。ふたりが5歳に差し掛かった頃だった。
実のところ、養親である錬金術師ワーゼル・ハウマスから錬金術を習い始めたのもスフィが先だ。
彼女は当然のように錬金術にも類まれな才能を示し、ワーゼルを感嘆させた。
技術も知識も教えられるままスポンジのように吸収していき、5歳を境に本格的な勉強をはじめたスフィはわずか数ヶ月で第0階梯と認められるだけの知識と技術を身につけていた。
錬金術師への道は狭い。
まず村で一番を争う知識者が錬金術師の直弟子となるか、近隣の流派の私塾やギルド直営の学園などに集まって勉強し、第0階梯の合格を目指すことになる。
見習いである第0階梯の試験に合格する年齢は平均すれば11歳から12歳。5歳の半ばでそのラインに達するのは凄まじい才能というほか無い。
現状の第0階梯認定の最年少記録は5歳。高名な錬金術師の娘として英才教育を受けた少女が5歳にして第0階梯と認められたものだ。彼女は12歳にして正式なライセンスを取得し、現在は16歳。
ギルドではいずれ第10階梯『アルス・マグナ』に至るのではないかと目されている才媛に育っている。
そんな天才以来の快挙、あるいはスフィが本気で取り組めばその少女すらも超えていたかも知れない。
ワーゼルは養子である双子たちが無事に聖王国まで辿り着く力を与えるため、同時に自らの研究を引き継いでもらうために一層力を入れて錬金術を教え始めた。
魔道具開発の天才にして縮小化研究の雄、第9階梯にまで至った錬金術師。その生涯を賭した研究の全てを継ぐに足る器を、スフィという少女は持っていた。
スフィもまた、祖父と慕う人間の技術を引き継ぐのだと意欲的に錬金術に取り組んだ。
そんな中で、アリスが錬金術に興味を抱いたのはスフィが錬金術を習いはじめて少し経った頃だった。
運動も苦手、勉強も苦手。興味がないことにはまったく集中できず、話の最中に空や地面を眺めだし、授業の最中だって雲を追いかけてその場をふらりといなくなり、気付けばどこかで行き倒れる。
アリスはそんな"何も持っていない、持つことが出来ない"少女だった。
場所が場所なら、間違いなく落ちこぼれとされていた。
体力も致命的といっていいほどに無く、走り回るのが好きな姉についていくなんてもってのほか。アリスは家の窓から森に出かける姉をいつも寂しい思いで見送っていた。
そんな妹が興味を持ち、姉と一緒に勉強することに意欲的になった。
スフィは妹と一緒に勉強が出来ることを喜び、アリスも姉と楽しい時間を共有できることを喜んだ。
習い始めたばかりの妹に自分の習ったことを教えてあげて、妹も姉を尊敬しながら一緒に錬金術を学んでいく。ふたりにとっては楽しくて、幸せと呼べる時間。
しかし、そんな穏やかな姉妹の時間も長くは続かなかった。
錬金術の基礎である錬成(フォージング)の練習。ワーゼルからの課題に苦戦していたスフィの横で、彼女と同じ課題を与えられていたアリスがほんの数分で解いてしまう。
初めて姉に勝てた瞬間。無邪気に喜んでマイペースに自慢してくるアリスに、スフィは喉まででかかった「おめでとう」「すごいね」という言葉をついに口にすることが出来なかった。
これがきっかけになった。
今までは"何も出来ない妹"と認識していた相手に、自然と負けず嫌いが発揮されていく。初めての敗北をきっかけに、スフィの才能は大きく花開いた。
同い年の妹をライバルとして、切磋琢磨することで才能を磨く日々。授業にも身が入り、学ぶことが次々と理解できていく。
破竹の勢いで成長するスフィが次の課題をクリアした頃、アリスは既にその3つ先に進んでいた。
必死の思いで追いつこうと更に次の課題に挑み、驚異的な速度でクリアしてのけた。
アリスは既にスフィの10歩先にいた。
負けるものかと怒涛の速度で知識を取り入れ練習に明け暮れ、次の課題も即座に終える。
アリスはもう見えない場所にいた。
当時のスフィにはもはや理解すら及ばない領域の課題物を解いていた。干渉する取っ掛かりすらつかめないものを、当然の顔で粘土のようにこね回し、難しすぎると文句を垂れる。
それでもスフィは追いかけた、ワーゼルですら戦慄するほどの成長速度。
習っていた基礎技術の全てを第1階梯の合格ラインに到達させてのけた。習いはじめて半年と少し、年齢5歳でこの結果は歴史的な快挙。
その横に並びながら、アリスは基礎技術において既にワーゼルに比肩するほどの術者になっていた。
錬金術師の本質は研究者、どれほど重要でも基礎技術で"実力"が決まるわけではない。
それでも、根幹を為す技術力の高さは錬金術師の研究に大いに寄与する。腕を示すバロメーターのひとつであることは疑いようもない。
ふと振り返ったアリスは、姉(スフィ)が未だに"最初の地点"で躓いていることに首を傾げながら、大好きな姉のために一生懸命にやり方を教えようとした。
無邪気に、無慈悲に。
大人になったスフィがこの時のことを回顧するなら、この時に抱いた気持ちをこう表現するだろう。
『生まれてはじめて、妹を憎いと思いそうになった』
小さな胸に生まれたものは、憎悪と呼ぶには薄っぺらく、怒りと呼ぶには淡いざわつき。はじめての強烈な挫折、幼い嫉妬と屈辱。
妹と共に錬金術を学ぶたび、ざわつきは大きくなっていく。
皮肉なことにスフィの持つ類稀な素養が、余人には想像もつかない妹の才能を見抜かせていた。
『この道を進む限り、自分はやがて妹の影すら追えなくなる』
幼い天才少女のプライドは、落ちこぼれの妹に負けることを許容できなかった。この先どれだけ努力を重ねても勝つことが出来ないという事実を認められるほど、少女は老成していない。
妹を見る度に胸に沸き起こる嫌なざわざわが大きくなっていく。
世界でただひとりの自分と同じ種族、同じ日に産まれ、同じ血を引いた同じ年の女の子。
誰かの助けを得られなければ生きていくことすら怪しい庇護対象で、興味の有無が極端で、"デリカシーがない天然さん"で、甘えん坊で寂しがりの可愛い妹。
何より愛しい己の半身。
自分の中で妹を厭(いと)う感情が育っていくことに、スフィは耐えられなかった。
6歳の"誕生日"までもう少しといったところで、スフィは錬金術を辞める事を決める。
アリスに心配され、一緒にやろうと誘われても錬金術を学ぶことを拒絶した。寂しそうにする妹の様子は堪えたが、そうするべきだという直感に従って心を鬼にした。
もう錬金術を習うのは嫌だと伝えたスフィに、ワーゼルは怒るでもなく悲しがるでもなくたった一言口にした。
『スフィ、私は貴女にあまりに惨いことをしました……』
老練なる錬金術師が最後の弟子候補に告げたのは懺悔だった。そんな意図など微塵もなかったとはいえ、仲の良い双子姉妹を……類まれなる才能を潰し合わせるようなことをしてしまった。
後腐れなんてものはなく、スフィはその日から錬金術を完全に捨てた。
その日はじめて、スフィはアリスを認めることができた。自分の妹は凄い才能があるんだと、ようやく口に出すことができた。
抱きしめて鼻先を額に当て、頭を撫で回し「アリスはすごいんだよ」と思い切り褒めてあげることができたのだ。
気づけばざわつきも、妹を見る度に感じていたどうしようもない苦しさもなくなっていた。
あの日から今日まで、スフィは錬金術に興味を抱いたことはない。今回の騒動のように知識を活用して妹を手伝うことはあっても、錬金術をもう一度学ぶことはないだろう。
その道には妹の影がちらついている。どんなに走っても近づけない影を追いかける道の先には、筆舌に尽くしがたい不幸が待ち受けている……幼き天才は、それをとっくに理解していたから。
■
「あたし、アリスに錬金術習ってみようかにゃー、才能を発揮してあいつをすぐに超えちゃったりしてにゃ」
「無理だよ、アリスはすっごいんだもん」
「やってみなきゃわからないにゃ!」
「わかるもん! アリスはすごいんだから!」
「ふたりとも落ち着いて」
アリスに習って錬金術を学ぶことを考えるノーチェを、スフィはばっさりと切って捨てる。
錬金術を習うことではなく、アリスを超えるのは無理だと言う真意は、妹との短縮会話に慣れて語彙の乏しいスフィの言葉からは読み取れない。
「アリスはすっごいんだから!」
「あーはいはい、もうわかったにゃ」
「ほんと妹好きだなぁ」
叫ぶ声が聞こえていたニックたちも反論されたノーチェも、スフィの言葉を妹自慢と穏やかに見守る。
無理もない。
知らない人間からすれば、アリスは異様に虚弱でぽやんとした小さな女の子にしか見えないのだから。
今日も今日とて、スフィは弱々しい妹の凄さを主張する。
しかし端的な事実は、なかなか伝わらないのであった。
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