孤児院へ

 錬金術師ギルドの仕事を終えた午後、ぼくはスフィに背負われて手伝い先の孤児院に向かっていた。


 孤児院や治療院関係の手伝い依頼は福祉も絡んでいるのか、主に領主からの補助金で発布されている。もちろん依頼料ひときわ安価ではあるけど、こなすことによるギルドからの評価値は高い。


 先方は人手が得られ、見習いは信用できる仕事先と実績が得られる。どちらにとっても得な依頼だ。今回受けた依頼は孤児院の雑用。


 ノーチェチームとニックチームの共同作業で随分と問題が片付いたみたいで、募集内容も具体性がない軽作業になっているみたいだった。


「ここだよ」


 そんなわけで辿り着いた孤児院は、見るからにボロい教会。後光を背負う十字架っていう光神教会のシンボルが掲げられている。……ニックの態度にスフィの印象。大丈夫だと思うけど、ここまでもろに光神教関係だと流石に身構えてしまう。


 しかしぼくは背負われ運ばれる身の上、拒否権や戸惑う権利なんて持ち合わせていない。


「シスター、こんにちはー!」

「今日もきてやったにゃー!」


 慣れた様子で入り口の錆びた門を抜けて声をあげる2人。少しして庭の方からわらわらと人影が出てきた。


「ノーチェ! スフィとフィリアも!」

「フィリアおねえちゃん!」

「スフィおねえちゃん、せなかのなに? もうふ?」

「あーちょっと、スフィたちは仕事できてるんだから群がるなって!」

「はいはい、止まってー! あとでねー!」


 つぎはぎだらけの服を着た小さな子供たち。追いかけてきたニックとセナが子供たちを引き止め、視線で正面の入り口を示す。


 小さいと言っても下は4、5歳。ぼくたちと同い年くらいの子もそれなりにいて、そんなに年が離れてる感じもしない。


「アリス、ご挨拶したら休ませてもらおうね」

「うん」


 昨日ちょっと武器作りでがんばりすぎたせいか、今日は微熱が出てしまっていた。おかげでまだグリップと鞘ができていない。我ながら全快状態からガス欠までのスパンが短すぎる。


 遠い目をしながらスフィの提案に頷いて声を出すと、小さな子のひとりが目を見開いて震えながらぼくを指差した。


「もうふがしゃべった!」


 ちがいます。



「ようこそいらっしゃい、寄る辺なき子たちの家へ。歓迎いたします」


 出迎えてくれたのは癖のある濃い赤毛を頭の後ろで結んだ、そばかすのある10代後半くらいの女の人だった。修道服の上から簡素なエプロンをつけて、ニコニコとぼくたちを見ている。


 孤児院の代表らしいけど……それにしては随分と若い。表情はにこやかで嫌な音もしない、むしろ穏やかで優しい音がする。心から歓迎しているように見えた。


 直接関係者と火花散らしたわけでもないのに、光神教ってだけで偏見で見てたのかもしれない。……ちょっと反省。


「こんにちは、シスターさん!」

「おう、今日もよろしくにゃ」

「ごきげんようシスター、ほんじつもよろしくおねがいいたします」

「はい、みなさんご丁寧にありがとうございます……その子がスフィさんの妹さんですね?」

「うん!」


 スフィ、ノーチェ、フィリアの順番で挨拶されたシスターの視線がぼくに向けられる。


「とても身体が弱いと聞いてます、遊びに来たつもりでくつろいでくださいね……何のおもてなしもできないのが心苦しいですが」

「ううん……」


 今まで受けてきた差別から考えると過剰過ぎる歓待に、正直まだ理解が追いついてない。


 一度見てみたくて来てはみたけど、労働という観点じゃぼくはまったく役に立たない。


 魔道具の修理とか、薬の調合とか素材の加工とか、外傷の治療とか。そういうのなら出来るんだけど、そもそも冒険者に求められる仕事じゃないんだよね。


 というわけでやくたたずは大人しく食堂で待つことになった。


「じゃあおねえちゃんはお仕事してくるからね、いいこにしてるんだよ?」

「時々様子見にくるから、おとなしくしてるにゃ」

「アリスちゃん、何かあったらすぐ呼んでね」

「…………」


 みんなが優しいのはいいんだけどさ、もしかして放置してたら死ぬとか思われてない?


 流石にそこまで脆くはないんだけど……せいぜい数日寝込むくらいだって。


「おやつもありますからね、今日は2階のお掃除を――」


 食堂に案内してくれたシスターが椅子を引いてくれた。


 そこに腰掛けたぼくたちのやりとりをニコニコ見守っていたシスターだったけど、彼女が何か言おうとするのを遮って小さな女の子の声が聞こえた。


「しすた! しすたー! おなべ、おなべふいてるー!」

「うそっ!? すぐに行きますあ゛っ」


 がごっと音がして椅子が激しく揺れた、慌ててテーブルにしがみついて横を見ると、うずくまったシスターが左足の小指のあたりを押さえてぷるぷると震えている。


 ……折れた音はしなかった、たぶん。


 よろけながら立ち上がったシスターが、左足を引きずるように早足で動き出す。


「す、すぐに、行きます……! スフィさんたちは2階のお掃除をお願いします、ねっ!」


 途中で思い出したように振り返って指示を出した、のはいいんだけど。


「ふぎっ!?」


 今度は前を向き直した部屋を出ようとした時、左足を庇ったせいか一瞬よろけて……右足の小指を出入り口の端にぶつけていた。


「…………」


 なんというか、大丈夫なのかな。急に心配になってきた。


「シスターさん、だいじょぶかな……」

「何度見てもドジにゃ」


 あれが日常ならもうほとんど呪いの領域だと思うよ。



 掃除に向かったスフィたちを見送って、遠くで響く声を聞きながらぼんやりと食堂の中を見回す。建物は古いけどしっかりしていて、隙間風はあまりない。家具も古いだけで掃除も行き届いている。


 耳を澄ませれば、シスターが女の子たちと奮闘している声が聞こえる。でも、他に年齢の高い女性の気配はない。


 他に気になることと言えば、食堂の壁に飾られている大盾。ばかでかいタワーシールドで、あちこちに傷がついている明らかな実用品。装飾は深みのある赤みがかった黄金色の十字架だけ。


 一見すると黄鉄鉱とかそういった系統の石に見えるけど、雰囲気から感じる格が違う。


 椅子から降りて近づいてみる。やっぱりこれ……。


「おい」


 声をかけられて振り返る。小さな足音が近づいていたのはわかってたけど、声の方を見れば同い年くらいの男の子がぼくを睨んでいた。ぼさぼさの焦げ茶色の髪で、顔立ちには自信が滲むワルガキって感じの子だ。


 まだ歪んではないけど、嫌な音がする。


「おいブス、なにさぼってんだよ」

「…………?」


 思わず首を傾げてしまった。言われる内容に心当たりが何ひとつなかった。


「みんな働いてるのに、なんでおまえだけさぼってんだって、おまえに言ってんだよブス!」

「稼働能力の不安から、待機を指示されたので」

「はぁ?」


 どうやらぼくに言ってるみたいだけど、なんて答えたらいいのか困った。繰り返しになるけど単純労働にぼくの出る幕はない、ひたすら足を引っ張るだけだ。


 とはいえ無視したら悪化するのは流石に学んだけど、適切な対処法がわからない。


 ひとりだけ待機してることが気に入らないみたいだけど、ぼくだって好き好んで身体が弱い訳じゃないし。


「わけわかんないこと言ってねーで働けよ!」

「……待機中」


 こういう時スフィは……あぁ、すっごい揉めそう。ノーチェとフィリアは大丈夫かもしれないけど、確実にスフィに伝わる。


「ジグ、なにしてんだ!」


 困り果てた末に現れた救世主はニックだった。騒ぎを聞きつけたのかそれとも偶然通りかかったのか、なにはともあれ助かった。


「に、ニック兄ちゃん、だって、こいつがさぼってるから注意してたんだよ……」

「その子は身体が弱いから、今日は遊びにきただけなんだよ、お客様だ!」

「だからって……でも、うぅ」


 男の子を叱りつけて説明してくれてるニックにアイコンタクトで感謝を伝える。


 今度お礼に中級ポーションのセットあげよう。外傷治癒と化膿止めとか解毒薬がまとめて入ってるやつ。密閉すればそれなりに持つし、冒険者やるならあって困らないだろう。醸造台を借りれば安く作れる。


「おまえのせいで怒られただろ、ブス!」

「ジグ、お前!」

「ジグ!!」


 感情の行き場をなくしたのか、再びぼくを睨んで逆ギレしようとした男の子。それをニックが叱りつけるより先に地面を揺らすかと思うほどの声が聞こえた。


 思わず耳をへにょっと伏せてしまう。


「聞こえましたよ! 女の子になんて言葉を使うんですか!」

「し、しすた、でも、そのはんじゅーが」

「それは人を傷つけるための言葉です! 使ってはいけないと何度も言っているでしょう!?」

「う、うぅ、ふぐっ……うえええ」

「ジグ! 傷ついているのはあなたではありませんよ!」


 気迫に負けて、男の子が泣き出してしまった。流石に少しだけトーンは落ち着いたけど、まだ圧は消えてない。近くに居てもビリビリ感じるほど。


 第一印象だとわからなかったけど、もしかするとこの人、前に教官役をやってくれてたCランク冒険者のバーナビーさんよりも……。


「か弱い女の子に傷つけるための言葉をぶつけるなんて最低の男がやることですよ! ちゃんと謝りなさい!」

「うぅ、ふぐっ……」


 どんどん強まっていく圧、あえて名前をつけるなら闘気とか覇気とか呼ばれそうなもの。ぷるぷると泣きながら震えていた男の子がキッとぼくを睨む。


「ばか! ぶす! ばぁぁぁぁかあぁぁ!」

「ジグ!! あなたって子は何て言葉を! 待ちなさい!」


 最後まで折れないガッツで悪態をついて逃げ出した少年を、シスターがすごい闘気を発しながら追いかけていった。


 ……謝らずとも萎縮してもおかしくないのに、なかなか根性あるなあの子。


「……大丈夫だったか?」

「うん、ありがとう。それにしても、すごいねシスター」

「あぁ、元教会騎士だったんだって。ドジに見えてすごい強いんだよ」


 教会騎士……確か光神教会に所属する騎士だっけ。やっぱりただものじゃなかったのか。


「悪かったな、あいつ最近ちょっと、悪い影響受けちゃってさ」

「悪い影響?」

「ヴェードって覚えてるか? ほら、あの太った肉屋の息子。普段めったに近づかないのに、最近孤児院覗きに来るようになってさ。お前らの悪口言いふらしてるんだよ、他の子たちは嫌ってるからそもそも近づかないんだけどさ……妙に相性良かったみたいで」


 思わず肩を落とした。


「あいつ……ジグ、最初に会った時にスフィのことじっと見てたから……まぁなんというか、一番悪い部分だけを真似したんじゃねえかな」

「ばかなのかな」


 伝播するのかよ肉屋ジュニアのあれ、最悪すぎる。


 というか何でこの手の子たちは嫌がらせや暴言で気を引こうとするんだろう。


 孤児院覗きにきてるってまさかぼくのことを探してたりしないよね。……どうせやれることなんて無いし、極力近づかないほうがいいかもしれない。


 なんだかどっと疲れたので大人しく椅子に座る。


 ご相伴させて頂いたおやつの時間。事情を知った途端、凄い勢いで牙を剥き出しにして唸るスフィを宥めるのが一番大変だったのは言うまでもない。

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