錬金術師と一般職員
門番のおじさんに再び入場税を支払い錬金術師ギルドに戻ると、待ち構えていたフィリップさんが職員寮まで案内してくれた。
「一応2人部屋を準備した、鍵はこちらだ」
「ありがとう」
部屋の内装はベッドが2つ並んだシンプルなもの、ふたりでひとつずつ使えるし、寝泊まりするなら十分だ。なんなら404アパートもある。
「それからこれを」
中に入って早速ベッドの弾力を確かめてるノーチェたちをよそに、フィリップさんが手渡してきたのは真新しい黒いコートだった。
「正規ライセンス取得者に配られる外套だよ、階梯によって色が違うけど、アリス嬢は中級だから黒一色だね。去年は採寸だけしかできなかったからようやく正式に渡すことができたよ。裾は上げてあるから、成長に応じて服屋で直してもらうといい」
「……ありがとう」
去年は体調の問題もあって、バッジだけを受け取ってそのまま村に戻ったのだ。それから忘れてたけど……。なんか、ちょっと、感慨深い。
「アリス、着てみせて!」
安っぽい麻のワンピースと不釣り合いな、重厚感のあるコートだった。
受け取ったコートを見つめるぼくに、スフィが笑いかける。小さく頷いてから丈の長いコートを羽織って、バッジをコートの胸元につける。
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「うん、よく似合っている。錬金術で編み上げた軽くて丈夫な生地に、保護魔術を付与した逸品だ。きっと役に立つよ」
「かっこいいよ!」
「おー、いいにゃ」
「アリスちゃん、かっこいいね」
「……ありがとう」
口々に言われると、なんかちょっと照れる。ぱたぱたと近づいていくと、スフィがぎゅっと抱きついてきた。
「それじゃあ今日はゆっくり休んで、明日からよろしく頼むよ」
「うん」
フィリップさんが去っていくのを確認してから、ベッドの上に腰掛ける。ぎゅーっと身体を押し付けてくるスフィに押し負けないように踏ん張った。
「そんで、この後の予定はどうするかにゃ」
「貰ったお金で装備品そろえて、冒険者ギルドで見習い登録?」
流石に今日はもうぼくが動けないし、修理の案も考えないといけないからすぐには無理だけど。
「お金渡すから、旅に必要そうなもの買ってきてもらっていい? あと鉄とか青銅のインゴット」
「いいけど、インゴットって何に使うにゃ?」
「装備品つくる」
銀貨30枚は大金だけど、武器にまで手を出すとなるとちょっと心もとない。しっかりした装備品はそれなりに高いのだ。
「あの……遺跡のあれは?」
「扱いが難しいし、必要以上に表にだしたくない」
保管室の壁に使われてた謎金属のことだろう。武器となると普段遣いになるし、人に見られて言い訳がしづらいものは避けておきたい。
「取り敢えず銀貨25枚と……銅貨の残りも渡すからごはんも買ってきて」
「買い食いって一度やりたかったにゃ!」
「無駄遣いはダメだよノーチェちゃん」
中から3枚だけ銀貨を抜いて残りを渡すとふたりとも大金にテンションが上がった。服を変えて泥を落としただけで大分浮浪児感が軽減されてる。この分なら街を歩いても大丈夫だろう。
「スフィは……」
「んっ」
ぎゅっと抱きしめたまま離れてくれない。
「今日はアリスと一緒にいる」
「いつも一緒でしょ」
「今日も!」
なんだか今日はそういう気分らしい。いつも世話してくれるお姉ちゃんに逆らうつもりはない、どうせ疲れてるし買い物はリーダーに任せて暫く休もう。
「んじゃ行ってくるけど、大丈夫にゃ?」
「買い出しよろしく」
「行ってくるね」
「んー」
ノーチェたちを送り出してからはコートだけ壁のハンガーにかけさせてもらって、スフィとごろごろしてしっぽの毛づくろいをしあった。
久々にとてものんびりした時間を過ごせた気がする。
■
「まさか売ってくれなかったとは」
「…………この国嫌いにゃ」
昨日の夕方頃に帰ってきたノーチェとフィリアはそれはもうわかりやすく落ち込んでいた。
なんでも獣人のガキにうるもんなんざねぇと門前払いを食らったみたいで、金があると言ったらどこで盗んだと追いかけられかけたらしい。
流行ってるのかな?
そんなこんなで装備は整えられず、あえなくその日は休んで出勤時間がやってきた。室内にドアを設置してノーチェとフィリアを残し、ぼくとスフィははじめての労働に気合を入れて寮を出た。
すぐ近くのギルド会館へと足を運ぶ。
……ぼくを背負ったスフィが。
「――?」
カランコロンと音を立てて開いた扉。パッと見て違和感に気づく、受付に昨日の言いがかりをつけてきた女の人がいない。まだ出勤してないのかな、面倒そうだし出来ればバッティングは避けたかったからありがたいけど。
その代わり、昨日色々話してくれた女性が受付に居たのでそこに向かう。ちょっと並ぶけど今日は体力に余裕があるので安全策でいく。
「おはよーございます!」
「おはよう、ござます」
「おはよう、朝からぐったりさんかしら?」
スフィの背中におぶさるぼくを見て、昨日のお姉さん……ケイシーさんがくすりと笑う。
「アリス、からだよわよわだから」
「はい」
「……そんな子働かせるの、フィリップさん罪悪感とかないの?」
ぽつりとつぶやく声が聞こえたけど、仕事があるのはありがたいのでそこは突っ込まないであげてほしい。
すぐ後ろに居るんだし。
「なくはないけど、背に腹は変えられないんだよね」
「きゃああ!? フィリップさん! い、いつから後ろに居たんですか!?」
「12かぞえる前」
受付の奥から見えたみたいで、ぼくたちの順番が来たときには静かにケイシーさんの後ろに立っていた。フィリップさん、去年会った時はずっと緊張してる印象しかなかったんだけど意外とおちゃめっぽい。
「正確だねぇ、待っていたよアリス嬢」
「てぐすね引いて?」
「勿論だとも! 早速だが仕事にかかってもらっていいかな?」
「話が早いのはたすかる」
「ではこちらへ」
「はぁー、まだ胸がバクバクしてる……」
心臓部分を抑えるケイシーさんをおいてフィリップさんについていく。
「昨日のいやなおねーさん、いなかったね」
「うん」
階段をのぼる途中で、スフィがぽつりと言った。大人と接すると嫌なことがたくさんあるから我慢してたんだろう。この世界(くに)では獣人が我慢しなきゃいけないことが多すぎる。
昨日もずっと抱きしめたまま離してくれなかったし、おかげで肋骨がちょっと痛い。
「あぁ、彼女なら今は職員用休憩室の掃除と備品の補充をやらせているよ」
前方を歩くフィリップさんが普段と変わらない調子で答えた。
「事務報告違反だからね、規定通りの罰則で1週間ほどだ」
「……それだけ」
ちょっとすねたように言うスフィの頭を撫でる。致命的なやらかしの前にフィリップさんが止めに入った、報告忘れの罰則としては妥当だと思う。
「アリス嬢は運が悪くて、彼女にとっては不幸中の幸いだった。あのままバッジを取り上げていたら研修中の新人とはいえ懲戒解雇は免れなかっただろうからねぇ」
重さとしてどの程度かわからないけど、解雇ってことは結構重いんだろう。それにしても少し首を傾げる発言があった。
「研修中?」
「そうだよ、胸に研修中のバッジがついていただろう?」
ついてたっけ……えーっと、あぁ。
「……カウンターでみえなかった」
「あはは、それは残念だ。近隣の農村出身の子でね、少しばかり差別意識が強いんだよ。ここだと普人以外の職員は勿論、錬金術師なんてめったに来ないから問題になることはないんだけどね。順番待ちしてる人が少なかっただろう?」
「……それで列がなかったのか」
体調に余裕がなくて順番早いところを選んだのがそもそもの間違いだったらしい。今後は気をつけよう。
「それで規定の罰としてはそれだけなんだけど、もちろんアリス嬢が望めば罰を追加できるよ」
「……例えば?」
「懲戒解雇とか」
当たり前のように告げるフィリップさん。会話が途切れて足音だけが響く。
「アリス嬢、君のつけているバッジはそれだけ重い。君が彼女をクビにしろと言えばそれだけで彼女の首が飛ぶ。どうしたい?」
どうしたいもこうしたいも、考えるまでもない。
「ためされるの、気に入らない。規定通りでいい、長居する気のない街で余計な恨み買う気もない。接触がなくなればぜぇ、それでいい」
人間至上主義の蔓延する国で、獣人が下手に権力を押し通そうとすれば必ずとんでもないしっぺ返しが来る。そんなものの対処に割くための余力も時間もない。
「ははは、流石だ」
笑い声をあげるフィリップさんだけど、ぼくはぼくでちょっと大変なことになっていた。
「………………」
嫌な奴なのに見逃さないといけない。スフィの機嫌が悪くなっていく。必死に耳を甘噛したり、後ろから頬ずりをしたりするけどあんまり効果がない。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいだろう、スフィ嬢」
「……なんで」
振り返ったフィリップさんが少しだけ困ったように微笑むけど、スフィの機嫌は悪いまま。
「錬金術師ギルドの正規職員という仕事はね、大陸西側で女性がつける中で最も給与と信用が高い仕事なのだよ。努力して出世すればそこらへんの男なんて鼻で笑うほど稼げるくらいにはね」
それを無視するように、フィリップさんが語りだす。
「貴族や商家の侍女、錬金術師ギルドと冒険者ギルドの正規職員、この3つが花形なんだよ。簡単な仕事じゃない、農村出の彼女は幼い頃からさぞ猛勉強してきたことだろうね。女性が勉強なんて良い顔をされないだろうに、どれだけ努力を積み重ねたのだろう、凄いことだよね」
「だから、あんなことしてもいいの?」
スフィはフィリップさんがあの人を庇っているとでも思っているのか語気が強い。
……だけど、ぼくからすればフィリップさんの声と身体の発する音にまったく熱を感じない。
「……君の妹君は偉大な錬金術師になりうる、それは本部の幹部級すら認めるところ。それに危うく泥をつけかけた彼女にはね、錬金術師ギルドで出世する未来はもう存在しないんだよ。アリス嬢が失脚でもしない限りは、だがね」
「…………」
「君にとっての意地悪なお姉さんはね、自らの短慮で成功できる未来を終わらせてしまったんだ。だからスフィ嬢もその辺で勘弁してあげてほしい」
「……ん」
みるみるうちにスフィの怒りがしぼんでいった。優しい姉は意地悪なお姉さんの悲惨な未来にしぼみすぎてちょっと落ち込んでしまってる、そこまできついことになるなんて思わなかったんだろう。
フィリップさんも落ち着けるためとはいえスフィに対して意地悪が過ぎる。声色や話の持っていき方をみれば、どういうことかくらいは想像がつく。
「スフィ、だいじょうぶ、そこまでぜぇ、極端な話じゃない」
「……?」
「げほっ……あくまで出世がスゴク困難になっただけ……でしょ? 正規職員の時点で、仕事として上の方なら、ぜぇ、ずっと不自由がないくらいの暮らしはできるはず」
「あ」
スフィが気づいたように顔をあげて、ぷくーっと頬をふくらませる。
「はははは、大正解だ! 彼女が真面目に働く限りはね!」
「おじさんひどい!」
「いやぁ、すまなかったね」
またスフィにいじわるするなら毛根を一気に衰弱させる薬でも作って頭にふりかけてやろう。そんなことを考えながら、笑うフィリップさんの背中から視線をはずす。
外した視線が向かう先は、スフィの膨らむほっぺただ。……何とか誤魔化せた。
こっちだって差別盛りだくさんの環境の中で必死なんだ、彼女の事情を汲むつもりなんてないけどさ。どれだけ努力したって出世できなくなるって……たぶんかなり辛いんだろうなぁ。
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