もふもふの錬金術師
奇異の視線を受けながら大通りを歩く。だいたい1年前、ライセンスを取りに来た時と光景は変わらない。
トイレこそある程度整備されているけど、道の端にある側溝は馬糞まみれ。馬車が通り過ぎたあと、その場に残った落とし物を木のスコップで掃除している人がいる。
疲れた顔をした男性だ、今のぼくたちよりは少しだけ良い服を着ていた。といっても五十歩百歩で殆どボロ布だけど。
衛生環境は村でも大差はなかったから、去年来た時は特に何も感じなかった。
だけど今回は前世の記憶を持っての再エントリー。目に映る景色も、感じる空気も全然違う。
何が言いたいかって言うとだ。
「くしゃい……」
「……そう?」
獣人の鋭敏な嗅覚が、街を歩く汗の匂いや落とし物の匂いを残さず拾い上げる。最近現代日本の豪華なお風呂に慣れてしまった身体には、かなり酷な環境。
くんくんと鼻を鳴らすスフィが不思議そうに首を傾げるのは、たぶん慣れのせいで何も感じないせいだろう。
ぼくに関しては前世の記憶が裏目に出た形だ。保護されていた施設は見事なまでの閉鎖空間だったけど、そのぶん清潔は徹底されていた。稀に出歩くことが許されていた外側の町だって同等だ。
とどのつまり、ぼくひとりだけ不潔な状態への耐性を失ってしまっていた。
異世界ならもうちょっとファンタジーな何かで街の清潔さを保って欲しい、切実に。
「ほら、見えてきたよ、がんばって」
「うん……」
スフィと比べれば随分劣るはずの嗅覚なのに、あっという間にグロッキーだ。門の前でも汗と汚れの嫌な匂いはたくさんしたけど、開けた場所だからか風に散らされていたに違いない。
壁に囲まれた街、汚物のたまった側溝という環境が見事にやばい空気を醸成していた。
「アリス、ついたよ」
スフィが立ち止まる、何とか顔をあげると目の前には赤い屋根の洋館が建っていた。見覚えのある佇まいの真ん中、扉のすぐ近くに掲げられた看板には翼の生えたフラスコの絵。
出入りするのはねずみ色のコートを纏い、胸に看板と同じ意匠の銅色のバッジを付けた男の人たち。横を通り過ぎると、ほのかに薬品や金属の匂いがする。
「なか、に」
「はいはい」
扉が開くと、取り付けられたベルがカランコロンと軽快な音を鳴らした。
受付フロアは広く、正面には制服を着た受付が並び、右手側には事務室と面談室、左手側には素材の買取所がある。2階にはマスタールームと会議室と図書室がある……全部ちゃんと覚えてる。
ただ、タイミングが悪かったのか受付の中に知ってる顔が居ない。近づいてくる明らかに浮浪児のぼくたちを見て、露骨に怪訝そうな顔を浮かべた。
「あの、こんにちは」
「……はい、どうされましたでしょうか?」
ちょうど並んでいる人が捌けた受付にスフィが並んで声をかけた。こういう時物怖じしないのは強い。
「ぎるど、ますたー、シグルーンさまに、面会を」
受付は若い女性だった。顔から表情が抜け落ちて、はぁと短いため息が漏れる。
「ギルドマスターはこの国唯一の上級アルケミスト、とても忙しいお方です。紹介状もアポイントも無い方にお会いするような時間はございません。……わかりますか?」
しくじったのがわかった。大きくなる不審と不満の音、聞く耳をもたなくなったのがわかる。
錬金術師ギルドの定めている力量や功績によって認定される階級は11種類。
下から順に第0階梯『ニオファイト』、第1階梯『ジェレーター』、第2階梯『セオリカ』、第3階梯『プラクティカ』、第4階梯『フィロソファ』。
ここまでが最も在籍数の多い階級で、『ニオファイト』が研究生、『ジェレーター』から正規ライセンス取得になってバッジがもらえる。以降は階級が上がるにつれて羽の数が増えて、素材が銅から銀、銀から金へ変わっていく。
続いて第5階梯『アデプト・マイナ』、第6階梯『アデプト・メジャ』、第7階梯『アデプト・エクス』、第8階梯『メイガス』、第9階梯『メイガス・マグナ』。ここが超一流、一般的には上級アルケミストって言われている階級。
その上に第10階梯『アルス・マグナ』っていう、前人未到の偉大な研究と功績を残した術者に贈られる最上位の階級がある。敬意を込めて『グランドアルケミスト』って呼ばれてて、現役では3人しかいなかったはず。
因みにいつもみたく頭の中で日本語に変換してる意訳じゃなくてそのままだ。どこぞの魔術結社みたいで個人的にめちゃくちゃ聞き覚えがあるんだけど、呼び名を決めた人は大昔にいなくなってるので詳細はわからない。
因みに階級の一部は魔術師ギルドと共通だ。冒険者ギルドも含めた3ギルドの創設者と聖王国の初代国王はむかし、ゼルギア帝国崩壊後の荒れた大陸を仲良く旅していたらしい。
冒険者ギルドはどう見てもアルファベット順だし……もしかして……まさかね。
閑話休題。
支部のマスターを任せられるのは上級アルケミスト、つまり第5階梯である『アデプト・マイナ』以上の術者だけ。ここの総括であるシグルーンは第7階梯の『アデプト・エクス』、一言で言えば超お偉いさんだ。
教会の影響下でも領主にも顔が利くレベルで、会いたいと言って会える相手じゃない。
「ぼくもいちおう、ぎるどの正会員です……げほっ」
念の為、去年取得したぼくのライセンスを見せた。銅で出来たバッジの表側には、3枚羽のついたフラスコが彫り込まれている。
それを見た受付の女性は、抜け落ちた表情を激しく歪めた。
「あなた、どこでこれを盗んだのかは知らないですけど」
「裏になまえと会員番号が掘られてます」
「まさか削って新しく彫ったの!? これはプラクティカ……つまり中級アルケミストのバッジなのよ、なんてことを!」
受付さんがバンっとカウンターを叩いて立ち上がった。注目が集まるのを感じる。
ただの銅に見えて偽造防止処置が施されてるから調べればすぐわかるんだけど、最初の印象がよほど悪かったせいか話を聞いてくれない。
去年はおじいちゃんの紹介で『ニオファイト』の認定を受けて即座に『プラクティカ』まで3段階分の試験を受けた。筆記から実技まで連続でへとへとになりながら合格、がんばって手に入れたバッジなのだ。
ギルドマスター含めたアルケミスト数人立ち会いのもとでやったし、不正はなかった。
「どうしたんだい?」
「聞いてください、この半獣の子供が誰かのバッジを盗んだみたいで!」
警備兵を呼ばれたら困ると思いながらどうしようか悩んでいると、受付の奥から糸目の男の人が出てきた。
ああ良かった、知ってる人だ。
「……そのバッジはその子のだよ」
「え!?」
「私が預かろう……1年ぶりだね、ハウマス老師は残念だった、心からのお悔やみを申し上げる」
「フィリップさん」
第4階梯『フィロソファ』の中級アルケミスト、ここの支部では支部長に次ぐ実力者のフィリップさんだ。
「老師の遺産が隣街で売り払われたと聞いてね、急いで君たちのことも探したんだが……」
「色々あったので、ね、スフィ」
「たいへんだったんだよ!」
返してくれたバッジを受け取ってから、手でぎゅっと握り込む。当時はなんとも思ってなかったけど、まだ何もなかった頃に自分だけの力で手に入れた証だ。
少し話をしたあと、事情をどこまで知っているかわからないけどフィリップさんは困ったように眉を歪めた。
「そうだね……慰めになるかわからないけど、素材を持ち込んだ人たちは逮捕されたよ」
「ぬすんだひとたち、捕まったの!?」
スフィが瞳をキラキラさせるけど、理由はおじいちゃんの素材を盗んだからじゃない。
「これ無しで売買すると"ひっかかる"ものがいっぱいあった」
「正解だ、無知というのはいつだって悲劇を生む……今回に限っては喜劇だけどもね」
おじいちゃんは医師や薬師の真似事をしていた。中には普通に扱うと危険な薬品やその原料になる素材もたくさんある。危険性を鑑みて、大体の国は教会の神官や薬師、錬金術師しか取り扱ってはいけない薬品や素材を法で定めているのだ。
日本で言ったら麻酔や爆薬を一般人が薬局で売り払おうとするようなもの、当然のように捕まる。
「アリス、しってたの?」
「めんどくさいことにはなるだろうなって」
流石にそこまで読んでた訳じゃないけど、今思うとトラブルの種になっていたのは間違いない。
結果的にあいつらが痛い目にあったのならよしってことで。
「……そういえば、粗悪品の下級ポーションに漬けられた雨宿草(レイニーブルー)に心当たりはあるかい?」
ぼくたちのやり取りを聞いていたフィリップさんが、探るように聞いてくる。盗まれたものだし別に隠すことではないと思うけど。
「となりのまちでスフィがみつけたけど、盗まれました」
「……とすると、因果応報だね」
「何があったんですか?」
どうやらあれに関わることで何かあったみたいで、穏やかじゃない言葉が出てくる。
「あぁ、隣町の薬屋に持ち込まれてね、ちょっとした騒ぎになったんだよ。なんでもスラムの子どもたちが持ってきたもので、ちゃんと保存処置がされてるし錬金術師ギルドが買い取ったそうなんだけど……」
錬金術師ギルドは金貨1枚で買い叩いたらしい、それでもスラムの子供にとっては大金過ぎる。
「他にもちゃんと乾燥処理された青葉薬草もたくさん見付かったとかでね、それを巡ってスラムの子供たちの間で大分激しい争いがあったそうだよ。最後には毒まで使ったのか集団中毒者が出て自警団まで出ることになったとか」
また随分悲惨な事件が起こっていた。盗んだ液体漬けの葉っぱと粉が金になると知って、欲が出てしまったんだろう。
どっちにせよ人から盗んだものだ、同情はしない。
「それにしても……最初にこちらの錬金術師ギルドに来たのは正解だったね、さすが老師の最後の愛弟子だ」
「フィリップさん、この子が錬金術師って本当なんですか?」
横で話を聞いていた受付の女性が、いかにも疑ってますとこちらを睨みながら声を張る。自分ひとりじゃ説得できなかった、知り合いがひとりは居るだろうって踏んでたけど見事に外してしまった。
「あぁ、間違いない。去年老師に連れられてきたし、試験の時は私も監督したからね」
「……本当ですか?」
「本当だとも、この子――アリス嬢はラウド王国が誇る第9階梯『メイガス・マグナ』、ワーゼル・ハウマス老師の最後の直弟子にして、錬金術師ギルド正規ライセンス『ジェレーター』の最年少認定者」
少しわざとらしく、ぼくの存在を周知させるような声の大きさ。悪人ではないと思うけど、意図が読めなくて警戒を覚える。
自分の価値を考えれば無碍には扱わないと思いたいけど、やっぱり手放しで信用はできそうもない。
そんなぼくの考えを知ってか知らずか、フィリップさんは苦笑を浮かべて受付の女性からぼくへと視線をずらす。
「……東から来た獣人に偏見の無い娘たちからはね、"もふもふの錬金術師"なんて呼ばれていたよ」
……なにその間抜けな二つ名。
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