交易都市フォーリンゲン
背負われ運ばれ一昼夜、夜は404号室で休んで旅は順調に続いた。
綺麗すぎてもまずいのでお風呂は禁止しているけど、お湯で顔や手足を拭けて、雨風を凌げる場所を寝所に出来るのは思った以上に大きいらしい。
食べ物だって保存食ばかりでなく、台所にあるキッチンを使えば温かいものが食べられる。
簡単な手鍋とフライパンは謎金属からぼくが作れるし、思った以上に快適な旅路だった。
移動中は人様の背中で揺られていただけだけど。
■
スフィたちが歩き続けて数日、とうとう街道が見えてきた。巨大な外壁に覆われた街に続く白い道には、無数の馬車が行き来している。
中には馬以外の生き物が引いているものもあった。様式も乗っている人も違うので、外国からの旅人かもしれない。
前の街ではゆっくり見ている余裕なんてなかったし、ここのところずっと日本風のアパートで過ごしていたから……余計に異世界って感じる。
「結構並んでるにゃ」
「歩きのほうに並ぶ?」
少し感動しているぼくの横で、ノーチェとフィリアは特に何かを感じた様子もなく街へ近づいていく。
「アリス、どうするの?」
大したリアクションがないのはスフィもだった。
「とりあえず近づいて、交渉できそうな商人さんをさがす」
ここに来るまでに石を加工してスローイングナイフとか簡単な加工用ナイフを作ってある。中身は全部布に包んでノーチェに預けてある。
今着ているのは崩れないように汚れだけ落とした襤褸と下着なので、旅の汚れもあいまってぼくたちは立派な浮浪児だ。高級そうな馬車は避けて、ほどほどのラインを探す。
「あのへんの兄ちゃんとかどうにゃ」
「……うん」
旅装束を身に着けた小さな馬車の青年、肌は白くて髪と瞳はブラウン……典型的な西方人だ。東方人は白色人種だけど髪と瞳の色素が薄いって特徴がある。
ぼくの観察眼だと着ているものは悪くない、ここら一帯をめぐる旅商人だろう。街と村を巡って商品を売っては仕入れを繰り返すのだ。
「……アリス、大丈夫?」
「……うん」
「疲れてるにゃらすこし休むにゃ?」
「そうじゃなくて」
どうやって声をかけようか悩んでると、ぼくを背負っているスフィが身体を揺らした。
「アリス、すっごい人見知りじゃん」
「…………」
ものすごい痛いところを突かれた。門前で商人にものを売ればいいっていう浅いゲーム感覚を打擲された気分だった。
そりゃそうだ、機関に保護されてた時は交渉なんて必要なかった。護衛のたいちょーさんたちが全部やってくれた。直接面談する職員さんは大半が妙に怯えた様子でだいたいの要求を唯々諾々と飲んでくれた。
インターネットやゲームでも自分からの声掛け、情報の開示は厳重に禁止されてた。他人と交流を持つことが前提のソーシャルネットワークサービスなんてもってのほか。
今生では頼れるお姉ちゃんの背中に隠れる病弱な妹。
見知らぬ人間に自分から声をかけるなんて、今日までろくにしたことがない。
「……にゃ」
ノーチェが呆れたようにぼくを見ている。そっと顔をそらす。
「しゃあねぇ、ここはリーダーに任せるにゃ」
「ざんてーだからね!」
紆余曲折を経て一行のリーダー(暫定)に収まったノーチェがため息交じりに商人に近づいていく。
順番待ちで暇そうにしている商人。しっぽをうねらせ、愛想よく声をかけようとしているノーチェ。それに気づいた商人は露骨に嫌な顔をした。
耳をそばだてる。「話があるにゃ」「あっちいけ」「ちょっとだけでも」「近づくな気色悪い、衛兵を呼ぶぞ」なんてやり取りの後、ノーチェは手でしっしっと追いやられた。
「…………毎日たのしかったから、忘れてたにゃ」
すたすたと戻ってきたノーチェが、そのまま膝を抱えて座り込んでしまった。ぼそっと聞こえた呟きは聞かなかったことにするのが武士の情けだろうか。
「ノーチェちゃん、かたきはとるから……!」
隣に座ってノーチェの頭を撫でていたフィリアがすっと立ち上がり、受け取った袋を持って再び商人のお兄さんのところへ。
やり取りを見守る。
「突然もうしわけありません、お時間をいただけませんか?」
「あん……? さっきのガキの連れか?」
「はい、さきほどは失礼しました。じつは旅の途中でろぎんが尽きてしまって……」
「乞食ならもっと金のある奴のとこに行きな、芸でもすればパンくらいは貰えるだろ」
「いいえ、手先が器用な友がいまして、道中で石を削り道具をつくったのです。良ければ買い取っていただきたいのです。見るだけでも見ていただけませんか?」
「ふぅん……まぁ見るだけなら」
少したどたどしいけど、びっくりするくらい丁寧な挨拶からはじまって、背筋を伸ばして綺麗な所作でお願いをしはじめた。商人さんもただの浮浪児ではないと見たのか、疑わしそうではあるけど品物を見ることを承諾した。
用意しておいたのは木材と石で作ったナイフ類と工具類、原材料はそこらに落ちてた石……たぶん安山岩とかそのあたり。
中に含まれてる鉄分を刃の部分で固めたから、切れ味と強度はそこそこ。金属とは違って粘りがないので力を加えると割れてしまうのが難点。
投げたり刺したりと雑に使う分には問題ない。
当初は疑い満面で見ていた商人は、確かめるにつれて感心した様子で手にとって眺めだした。
今見てるのはしなりのある木を曲げて、先端を石にして作ったピンセット。表面をザラザラにした爪とぎも入ってる。
旅商人ならこういう細かい道具がありがたいだろうって想定して作った旅向け小道具セットだ。こういうのはしっかりした金属製のものは鍛冶職人のお手製で高い。その点こっちは使い捨て前提に近いけど、ひとつ小銅貨3枚から5枚と安い。
ひとりしきり確認した彼は工具類をいくつか買ってくれたらしい。ニコニコ笑顔のフィリアが戻ってきた。
「フィリアすごい」
「すごいねー」
「えへへ」
売上は小銅貨13枚。
400枚まであと……あれ、長くない?
■
昼前に到着してからフィリアが頑張ってくれたものの、売上は鈍いものだった。
日が傾くまでに小銅貨180枚。スラムの子供からすれば大きいことは大きいけど、ふたりぶんの入場税にも足りてない。
「やっぱり倉庫の中のものを売るのがてっとりばやいんじゃにゃいか?」
「商人が目の色変えて詰め寄ってくる」
「そ、それは怖いね……」
「スフィとノーチェでまじゅうをやっつけて売る!」
「買い取ってくれる先が街の中」
馬車だとチェックが長引くため、タイミングによっては一晩街の外で待つのも珍しくないみたいだ。既に野営の準備に入った商人のグループもいる。
数の少ない徒歩とあからさまなお金持ち組の列だけ捌けるのが早い。
相談してもなかなか良い案は出ない。前の街みたいな違法侵入は後がめんどくさいから出来るだけやりたくない。
あとは……あんまりやりたくはないけど。
「ぼくとスフィだけ先に街に入って、資金を用立ててから迎えにくる」
なんかふたりを置き去りにしてるみたいで嫌な感じ。
「……アテはあるんだよにゃ?」
「うん」
だけどノーチェたちは意外とあっさりその手段を受け入れてくれた。
勿論アテはある。おじいちゃんの紹介でライセンスを取った時に、錬金術師ギルドの幹部の何人かとは面識がある。
支部のギルドマスターを完全に信用出来るわけじゃないし、借りを作りたくはないけど仕事の紹介と入場税の前借りくらいは頼めるはずだ。
「……はぁー、まぁ色々出来るのはこの目で見たしにゃ、あたしの奥の手貸したるにゃ」
「ノーチェ……」
下着の中から出した銅貨をピンっと弾いて渡してくる。……まだそこに隠してたんだ。
「銀貨にして返す」
「期待してるにゃ」
「アリスちゃん、私のもつかって」
「フィリアも、ありがとう」
それに続いて、どこに隠していたのかフィリアも銅貨を1枚渡してくれた。あの状況下でふたりが守り抜いた大事なお金だ。人肌の温度の銅貨をぎゅっと握りしめてお礼を言う。
「これで丁度ふたりぶん、スフィとぼくが中に入って……」
「あたしらは街の近くで待ってるにゃ、一泊くらいにゃら問題ない」
「スフィ、匂い追える?」
「もちろん」
スフィが匂いを追えるなら大丈夫だろう、ドアの持ち運びはやめておいたほうがいいとして。
「ノーチェ、これ」
「お、ありがとにゃ」
「スフィちゃん、アリスちゃん、後でね」
「うん、またあとでね」
「すぐ迎えに行く」
一応保存食と水入りのペットボトルが入った小さなパックを見えないようにノーチェに渡す。小さく手を振って離れていくふたりを見送ってから、人の少なくなった門の出入り口へと向かう。
……スフィの背中に揺られながら。
チェックはそこまで厳しくないみたいで、待ち時間はさほどなく順番が来た。
「……入場か、身分証はあるか?」
「ふたりです、身分しょうはありません」
ぼくを背中から降ろしたところで、スフィが門番の人に応対する。門番のおじさんは獣人にそこまで強い偏見はないのか、声を聞いていて悪感情みたいなのは感じない。
「目的地と……街の中に身元を証明できる人間はいるか?」
「えっと……」
「目的地は錬金術師ギルド、フォーリンゲン支部……ぜぇ、ギルドマスター、シグルーンさまへの訪問、です」
言葉に詰まったスフィの代わりにぼくが答えると、門番は怪訝そうな顔をする。この街くらいの規模の支部となるとそれなりに力のある錬金術師がまとめ役に就く。それこそ、強い影響力を持つ光神教とやりあえるくらいじゃないと話にならない。
そんなお偉いさんへ見るからに浮浪者の獣人が用があるっていう。表情に露骨な疑問が浮かんでいた。
「げほ、養ってくれていたおじいちゃんがお世話になってて、何かあれば頼るように、と」
嘘じゃない。信用はするな、決して大きな借りを作ってはいけないとも言われたけど。
「あぁ……そうか、苦労したなぁ」
ぼくたち個人じゃなく、おじいちゃんという人間を挟むことで納得したようだった。
養い親の身に何かあって、子供だけでボロボロになりながらここまできたっていうストーリーが門番のおじさんの中で出来上がっているみたいだ。
事実なのが笑えない。
「入場税は払えるかい? ひとり大銅貨1枚だが」
「うん……えっと、はい」
スフィが布に包んでいた銅貨と小銅貨をじゃらじゃらと渡す。
「……ふたりぶん、大銅貨2枚分ピッタリだな。お嬢ちゃんたちは運が良いな……ようこそフォーリンゲンへ」
「ありがとう!」
「ありが……と、げほっ」
そう言うと、大きな体でぼくたちを目隠ししながら通してくれる。
『運が良い』の意味はすぐにわかった。隣で受け取った分をわざと少なく計上してすっとぼけたり、旅人らしき女性相手に難癖をつけて身体検査を強要しようとしてる奴がちらほらいる。
……真面目にやってるおじさんを一発で引いたのは、確かに運が良かった。
何はともあれ、ぼくたちは何とかフォーリンゲンへ入ることが出来た。
目指すは錬金術師ギルド……大通りにある羽の生えたフラスコが目印の洋館だ。
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