リフレッシュとお部屋探索

「良いものってなんにゃ?」

「これです」


 床掃除を終わらせてくれたノーチェたちに見せたのは、青く色づいたお湯が溜まった大理石の浴槽。石鹸類もきっちり台に並べている。


 獣人でも不快に感じない香りの入浴剤を選んだ。


「青い水?」

「身体をあらって、たくさんのお湯に浸かる設備、お風呂っていう」

「にゃ?」


 全員が揃って首をかしげるので説明すると、ますます不思議そうな顔をされた。


 はてと思いながら記憶をたどってみると、確かにこっちはお風呂って文化がない。少なくともラウド王国近辺では、お湯を潤沢に使って身体を洗う文化なんてなかった。


「お湯でからだ、洗えるの?」

「そう」


 飲み込みのはやいスフィの目がキラキラと輝き始める。結構きれい好きなのにずっと我慢していたもんね。


「あー」


 お風呂が何かを説明するんじゃなくて、シンプルにお湯で身体を洗おうって言えばよかったのか。


 受け取ったタオルを全自動洗濯機に突っ込んでスイッチを入れて、全員に服を脱ぐよう促す。


「水浴びとか久々な気がするにゃ」

「お湯だけどね」


 逃走から戦い、更に逃走からの旅でただでさえ襤褸みたいな服が更にボロボロだ。下手に洗うと崩れそうなので、適当な籠に突っ込む。


 キッチンやリビングの様子からして備え付けの家具以外はなくなったものだと思ってたけど、こういうのは結構残ってる。ありがたいけど、ちゃんと調べる必要がありそう。


「アリスもはやくー」

「あ、うん」


 前世どうこうの話をした後なのに、スフィはまったく気にしてないみたいだった。服を脱いでおそるおそる浴室に入ると、ノーチェがぼくに気づいて浴槽をゆびさした。


「お湯は手ですくうにゃ?」

「あ、ちょっとまって」


 ノーチェの方も大して気にしてないようで、ちょっとホッとした。子供同士だし一緒にお風呂に入ることに負い目があるわけじゃないんだけど、嫌われたり拒絶されるのはやっぱりつらい。


 泥と垢だらけのみんなの間を抜けてシャワーに近づく。


「ここの取手で温度を調節して、ここをあげると……そこからお湯がでてくる」


 壁にかけてあるシャワーヘッドを手に取ってレバーを上げると、最初は冷たかった水が少しずつお湯になっていく。


「それも魔道具にゃ?」

「そんなかんじ」


 お湯を出したままシャワーヘッドを壁にかけると、わかりやすいように浴びてみせる。目を閉じて暫くまつと、髪の毛の間に染み込んだお湯が肩から背中へ流れ落ちていく。


「あったかい」

「ほんとにお湯にゃ」

「わぁ」


 ちらりと片目を開けると、みんなが興味津々といった様子でシャワーから流れてくるお湯に手を伸ばしていた。


 自分の身体を見下ろすと、茶色の水が足元に流れ落ちていくのが見える。どんだけ汚れてたんだろう。前髪をかきあげて、まずはお湯でわしゃわしゃと汚れを落とす。


「アリス、やってあげる」

「うん」


 何となく把握したのかスフィが背後に回って、髪の毛に水を含ませて汚れを洗い流していく。


 雨と違って身体が冷えないのがありがたい。たっぷり数分ほど洗ってもらって、ようやく水の色が透明になってきた。茶色い泥水が排水溝へと流れていく。


「……汚れげふ、を落としたら、このボトルの上の部分をこうやって……」


 口に入ったお湯でちょっと咽ながら、シャンプーボトルから白い乳白色の液体を手のひらに出して髪の毛に塗りつける。


 ……全然泡立たない。


「汚れがひどいと泡立たないから、泡が出るまでなんかいかやって」


 頭皮を指先で揉むようにしながら、お湯で流しては追加で石鹸を塗りつけて数回。4度目にしてようやく泡が立ってきた。


 髪の毛の量が多いのもあって使う石鹸も膨大だ。……量産できるまでは洗う頻度を考えたほうがいいかも。


「ぜぇ、ぜぇ、髪の毛洗ったら、こっちの石鹸を手のひら……げほっ、あわ、だてて」

「……髪の毛洗ってへとへとになるやつはじめてみたにゃ」


 まだ熱下がってないから仕方ないんだよ。スフィは「調子いいときでも大差ないでしょ?」って目でみるのはやめて。


 使うのは洗面台の下に積まれてた青色の箱に入った固形石鹸。数が多かったし、こっちのほうが取り回しがいい。


「水をかけて手で泡立てて、からだにぜぇ、こすり……」

「貸して、やってあげる」


 見かねたらしいスフィに石鹸を取り上げられて、しょんぼりしながら背中を洗われる。


「……流石に石鹸の使い方くらいはわかるにゃ」

「あ、アリスちゃん、教えてくれてありがとうね?」


 ちょっと気まずそうに口にしたノーチェにうちのめされたところで、フィリアが慌てた様子でフォローをしてくれた。


 そうだよね、お高いけど固形石鹸はこっちにもあるものね。そういやおじいちゃんの家にも普通にあったわ。


「からだをきれいにしたらしゃわーをとめて、ゆぶねぜぇ、につかります」

「急に投げやりになるにゃ」


 だってもう説明すること無いし……あ、あったわ。


「髪の毛あらったら、こっちのボトルのリンスを手にとって髪に塗りつけて、すこし待ってからかるく洗い流して」


 大事な事を忘れてた、この毛量だとシャンプーだけで済ませたら翌日地獄になりかねない。


 背中は洗ってもらっているので、自分でも石鹸を身体に擦り付けると面白いように垢が取れて健康的な色の肌が現れる。


 日焼けしちゃってるのか体毛が白い割に肌の色は濃いんだよね。


「はい、しっぽも洗ったよ」

「ありがと、背中あらうね」

「うん」

「ノーチェたちも、石鹸使って」

「おうにゃ」

「ありがとうアリスちゃん」


 ノーチェたちにも石鹸を渡して、スフィの背中を石鹸で擦る。落ちていく垢の泥の下から痣がでてきた。


「……スフィ」

「んー? あ、これ? もう痛くないから大丈夫だよ」


 位置的にきっと、あの鼬に殴られた時に出来た怪我。平気に振る舞っていたから気付かなかった、相当痛かったに違いない。


 あの状況で怪我をしてないはずなんてないのに、タイミングを図るだとか考えて。ぼくは……。


「アリス」


 突然振り返ったスフィがぼくを抱きしめる。お湯で温まった身体の熱が伝わる。


「遅れちゃったけど、たすけてくれてありがとね」


 スフィは察しが良すぎる。隣で身体を洗っているノーチェに視線を向けると脇腹のあたりに痛々しい痣が見えた。


「にゃんだ? あたしのせくしーさに見とれたにゃ?」

「……ううん」


 薄い胸を張って腰をくねらせるポーズを取りながら、おどけるノーチェに力が抜ける。


「ま、気にすんにゃ。たたかいに怪我はつきものにゃ。突っ込んで暴れりゃいいってもんじゃにゃいのも知ってるにゃ」

「……ありがとう」


 ふたりとも、ほんとに強いなぁ。自分ではそれなりに出来るつもりなのに、自信がなくなる。


 まだまだ足手まといだけど、せめて支えられるくらいにはなりたいな。


「アリス、しっぽあらって!」

「うん」


 気を取り直したところでお尻を向けられ、ボサボサになってしまっているしっぽにシャンプーを絡めて根本から揉むように洗いはじめた。


 リフレッシュしてしっかり休んだら、頑張るぞ。



「がぼ、ごぼぼ」

「アリス、寝ちゃダメ!」


 お湯に浸かって気を抜いた瞬間意識が飛んで、となりで湯船に浸かっていたスフィに抱き起こされた。


 危ない、体調不良と疲労がお湯に浸かる心地よさで意識ごと溶け出していくみたいだ。


「だいじょうがぼぼ」

「だめじゃん!」

「あぶなっかしいにゃ」


 少しでも気を緩めた瞬間お湯の中で目が覚める。出来れば久しぶりのお風呂でもうちょっとゆっくりしたいけど、事故が起きたら洒落にならない。


「今日はあがってやすむ」

「そうして、ほら」

「タオルは、だしておくから」


 スフィに支えられながら、まだ身体を洗っている最中のノーチェたちの横を抜けて脱衣所に出る。ストックから大人サイズのバスローブを4着とバスタオルを4枚出して近くの台に積んでおく。


「ぼくは大丈夫だから、ゆっくりしてて」

「だめ、あのソファまでついてくから」


 水の滴る髪の毛やしっぽをバスタオルで拭いて、最低限の水分を取る。乾かしている余裕はなさそうだった。


 バスタオルを巻いてバスローブを着とけばマシだろう。支えられるままリビングにたどり着くと、隣の部屋をちらりと見る。


 確かベッドルーム代わりに使われてたはずだけど……余裕が無い時に余計なことはしないほうがいいか。いま新しいものを発見しても対処出来ない。


 大人しくソファの上に寝転がると、スフィがリビングの電気を消した。もう使いこなしてる。


「いい子で寝ててね」

「うん……」


 廊下側から入る光の逆光に照らされたスフィに頷き返すと、目を閉じる。聞こえてくるはしゃぎ声が遠くなって、すぐに眠りに落ちた。


 ドライヤーの使い方、今度教えないと……。



 お風呂に入って清潔にしてぐっすり寝る。たったそれだけでも体調というのは改善されるらしい。


 カーテンの隙間から入る太陽光に目を覚ます。汚れが落ちて陽の光を浴びた髪の毛がキラキラに輝いている。


 濡れたまま寝たせいでぼっさぼさだけど。


 熱はまだある、恐ろしくだるい。でも昨日よりはちょっとマシになっていた。


「んぅ~……ありす、おしっこ?」

「うん」


 ソファの下で丸まって寝ていたスフィが、ぼくの動いた気配に反応して起き上がった。あからさまにふらつきながら立ち上がって、トイレまで付き添ってくれる。


「じゃあ、おねえちゃん、ここにいるから……すぅー」

「ありがと」


 お風呂に入って休んだことで純粋な疲れが噴き出したんだろう。今日までの緊張やお世話をかけていたことを考えると不思議じゃない。廊下の壁に寄りかかって寝息を立てるスフィを起こさないようにトイレを済ませる。


「スフィ、終わったよ、起きて」

「んー……」


 役目を果たしたらもう寝てしまった。どうしよう、ぼくの力じゃリビングまで連れていけない。


 リビングまで戻ると、見張りをする余力もなかったみたいでノーチェとフィリアがテーブルの下で寝ている。扉は開けっ放しってことだけど、野生の獣とかが入り込んでたら……一本道だし流石に気づくか。


 寝ている子たちを起こさないように、壁に体重を預けながら右手にある個室へ向かう。身体はだるいけど眠気はあまりない。


 今のうちに部屋の様子を確認しておきたかった。今日まで滞在して何もなかったなら、おかしなものは入ってないはず。


 記憶だと手前側が和室、奥側が洋室だった。


 和室の引き戸を開けると、乾いた草の濃い匂いがした。押入れ付きの畳敷きの部屋。片隅にはちゃぶ台がぽつんと置かれている。


 押入れの中は……ラッキーなことに布団セットが敷き詰められていた。変な匂いもしない。


 毛布だけを3枚引っ張り出して、リビングで寝ているノーチェたちと、廊下で寝てしまったスフィにそれぞれかけて回る。


「ぜぇ、ぜっ」


 重労働を終えて一息ついてから、ついでなので廊下側にある部屋を見る。


 ガチャリと音を立てて開いた中は、倉庫代わりとして使われているみたいだった。


 スチールラックだけでなく、床にまでダンボールが並べて積み上げられている。パンドラ機関のフロント企業、株式会社『ノア』のロゴがプリントされたものばかり。


 エージェント用の補給品かな、中身を全部確認するのは大変そうだ。


 匂いも音も異常はなさそうなので、ここはみんなが起きてからにしよう。


 最後に一番奥の部屋に……遠い、廊下からリビングの奥までが遠い。


 へとへとになりながら辿り着いた扉を開ける。並べられた机の上にはデスクトップのパソコンが2台、ノートパソコンが1台。


 奥には大きめのベッドがひとつ。壁にはコートが掛けられていて、片隅には肩掛けの黒いバッグが置かれていた。


 すんと鼻を鳴らして確かめると、人間の……男の人の体臭が微かに残っている。本当に残り香って感じだったけど、ぼくでも嗅ぎ取れるってことはそんなに古いものじゃない。


 PCは……デスクトップの1台は起動しっぱなしでスクリーンセーバーが動いている。まるで作業中に放り出された感じ。傍らに香ばしい匂いがするマグカップが置かれていて、中身は飲み残しのコーヒーが入っていた。


 ……もう冷え切ってる。なんだか、作業中に放り出されたって感じだ。


 パソコンは……案の定パスワードがかかってる。でも解除できれば何があったか少しはわかるかもしれない。


 でも今はひとまず、みんなを起こして倉庫の中身を確認するところからかな。

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