アパートメント404

 寝ぼけた頭に、何かが走る音が聞こえた。


 白い天井には今はついていない丸い照明が貼り付けられている。身体の下は弾力があって柔らかい、ちらりと視線を動かすと、リビングのソファーに寝かされているみたいだった。


 カーテンが半分開いた窓からは、ベランダ越しに星のない夜空と光の灯ったビル群が見える。沈黙と静寂の中で、車の走行音が遠く響いた。


「…………?」


 寝起きなのもあって頭の中が混乱していた。確か……えっと、そうだ、『アパートメント404』を使うために扉を急造したあと、何とか繋がった中を指差してまた気絶したんだ。


 暗い部屋の中は少し蒸し暑い。


「ノーチェちゃん、まってぇ」

「早く戻るにゃ」


 首だけを動かして声の聞こえた方を見ると、リビングの扉が開いてノーチェとフィリアが入ってきた。格好は相変わらず、怯えた様子のフィリアがノーチェの手を握っている。


「……にゃ? 起きたにゃ!?」

「あぁ、アリスちゃん!」


 ノーチェと目が合うなり、驚いたように目が見開かれる。


 フィリアの叫び声に反応するようにすぐ近くでドタッという音が響いた。


「ありひゅ!?」


 目の前に寝癖まみれのスフィの頭が飛び出した。どうやらソファのすぐ下で寝ていたみたいで、ぼくを見るなり瞳をうるませている。


「良かった、起きたの? 身体はだいじょうぶ?」

「……なん、にち」

「ご! ごにちもだよ! すっごくしんぱいしたんだよ!?」


 ……どうやら5日も寝込んでいたみたいだ。そりゃ心配もされる。むしろよく生きてたくらいだ。


 それから少し落ち着いたスフィが涙目で教えてくれた内容を要約すると、扉が開いて変なところに繋がったと思った瞬間ぼくは完全にダウン。


 3人で相談した結果、発熱中のぼくを放置できないとスフィが最初に中に入って安全確認をして、誰も居ないしトラップがないことを調べてから扉のあいていたリビングに侵入。


 妙にふかふかで座り心地が良いソファの上に寝かせて、スフィだけが看病のため中に残って交代で出入り口を見張っていたそうだ。


 見知らぬ物だらけの上に、窓から見える外の世界は明らかに異様で時々変な音が聞こえる。不気味がってノーチェたちも入るのを嫌がって、結局リビングと廊下以外には近づいてもいないとか。


 ……あんな意味不明な状況で繋がった場所なんて、警戒して当然か。


 基本的には扉の出入り口をキャンプ地にしながら、近場の水場から水を集めてぼくの看病をしていたそうだ。


「ごめい、わく」

「あぁ、別にいいにゃ、気にすんにゃ」


 あぐらをかいて話を聞いていたノーチェが苦笑いしながら言う。どっちかというと呆れているって感じだった。


 迷惑かけっぱなしだけど、おかげで体調は大分マシになってきている。やっぱり外気を避けて柔らかい寝所で寝れたのが大きかったみたいだ。


 もちろん、まだ動けるほどじゃないけど今までみたいに危険な感じはしない。


 それにしても……気になるのは外の状況だ。さっきからちょこちょこ車が走っている音が聞こえている。


 記憶にあるこの部屋は確か、東京某所にある比較的良い目のアパートの一室に繋がっているらしい。


 玄関から入って真っすぐ伸びる廊下の右手には8畳ほどの洋室。左手には洗濯場と繋がる浴室。まっすぐいくと12畳あるリビングダイニングで、カウンター付きのキッチンが併設されてる。


 リビングの入って正面側はベランダに繋がっていて、右手側には扉がふたつ。ひとつは洋室、ひとつは和室、どちらも7畳くらいだったはず。


 暗闇でわかりにくいけど、壁や家具に劣化は見えない。見える範囲の棚に食器とかは入っていないみたいだった。


 扉が開いているのは玄関に繋がる側だけで、他に何も調べていないっていうのは本当なんだろう。


「す、ふぃ……」

「アリス? どうしたの?」

「ちょ、っと」


 ……今更だけど、病原菌とか大丈夫なんだろうか、少なくとも5日も寝込んだぼくが無事だったし、現地人と接触してないし、スフィたちも平気そうだから大丈夫なんだろうけど。


 いくら熱で朦朧としていて他に手段がないからって、自分の迂闊な行動にヒヤッとする。


「なあに?」

「てつ、だって」


 スフィに背負ってもらって、キッチンの方へ向かう。


「そっちは台所……だよね?」

「変なのがあるだけにゃ」


 ノーチェたちがあとを付いてくる気配がする。カウンターの内側に入ると、システムキッチンがあるはずだ。


 スフィに手伝ってもらって、片隅にある踏み台をずらして蛇口のある流しを覗き込んでもらう。


「こ、これでいい?」

「ん」


 震える手を伸ばして蛇口のレバーを上げると、一瞬の間を置いて水が流れ出した。


「おみずでたよ!?」

「にゃ!?」

「わ、わ、ほんとだ」


 ……やっぱり、水が通ってる。


 暫く放置してから、手ですくう。暫く観察した後、顔に近づけて匂いを嗅ぎ……舌でぺろりと舐め取る。


 カルキ臭がするけど、変な味や匂いはしない。いたって普通の都市部の水道水だ。


「ちょ、アリス!?」

「だいじょ、ぶ、飲める。そこの、レバー……とって、うえにあげると、出る、さげると、止まる」


 一度レバーを下げて、もういちど上げてみせる。水が出たり止まったりするのを見て驚く3人に簡単に使い方だけ教えて、ぼくは再びスフィにもたれかかる。


「夢、で、みた、部屋のつかいかた、わかる、すこし、やすもう」

「う、うん……」

「追手はまだきてないからいいけどにゃ、これが水を出す魔道具ってやつにゃ?」

「そんな、とこ……」


 ひとまず、これだけ過ごして何もないってことは大丈夫ってことだろう。部屋の中は一旦全部吐き出したかのようにからっぽだった。


 あるのは椅子とテーブル、キッチンの設備……最低限の家具だけだ。他の部屋もきっと同様だろう。とりあえず、安全かつ簡単に水を取り出せるだけでも状況はだいぶ違うはずだ。


「くわし、くは、体調、おちつい、たら」

「わかったから、ムリしないで!」

「急がにゃいって、ここは安全にゃのか?」

「あの、鍵で開いた、扉から、入る分、には」

「……めちゃくちゃ不安だにゃ!?」


 あっちの世界から入るにはどっちにせよ鍵を使わないといけないから、心配はいらないはず。


 水場が近いとは言えろくな入れ物もなく取りに行くのは大変だったみたいで、水道の存在は歓迎された。もっと早く教えろと突っ込まれたけど、ずっと熱でうなされていたので勘弁してほしい。


 いつ壊れてもおかしくないので扉の監視は必要だけど、ひとまず安全地帯は出来上がった。ぼくの体調さえ回復すれば、移動しながらでも使える。


 あとは休むだけだ。



「――キノコは取らないにゃ?」

「アリスが寝てるし、キノコは自信ない」


 夕陽に照らされるリビング。うっすらホコリが積もっているフローリングの上で会話するスフィたち。薄ぼんやりとした意識の中で聞き耳を立てていると、爆音を立ててバイクが外を走り抜けていった。


 びっくりして起き上がると、床に座っていたスフィたち3人がひしっと抱き合うように固まっていた。よほどびっくりしたのかしっぽが逆だっている。


「で、でたにゃ、また出たにゃ!」

「あ、アリス、だいじょうぶだよ、おねえちゃんがいるからね!」


 プチパニックを起こすノーチェから離れてスフィが突っ込んでくる。


「ごふ」


 ちょっと勢いがつきすぎて肘がぶつかった肋骨がゴリっと音を立てたけど、折れてないのでよしとする。


 抱きしめるスフィの、震える背中をぽんぽんと叩いて窓から外を見る。ビル群の向こう側に飛行機が飛んでいるのが見える。


 ……やっぱり、普通の町並みに見える。第0セクターの収容室に保護されてはいても、一応ライブカメラとかで外の光景や町並みを見ることは出来た。だからここが東京の町並みだっていうのは何となくわかるけど。


 あの日、恐らくぼくが死んだ日。何があったのかは未だに思い出せない。わかるのは地球が無事に存続していたらしいことだけ。


 マスターキーは手元にあるから大丈夫だとは思うけど、パンドラ機関に目をつけられたら大変だ。


「そと、気になるね」

「でも、出れないにゃ」

「?」


 少しばかり憧れていた日本の町並みがあって、惹かれるものがないわけない。危険だとわかっていてもこの感覚は捨てきれない。


 そう思って口にした感情を、ノーチェの少し震えた声が遮った。


「にゃ、そこの透明な窓開けて、出ようとしたことあるにゃ」

「う、うん、でも見えない壁みたいなのがあってね、変な格好の人達も、私たちに気づいてなかったみたいなの」

「そっか……」


 どうやらぼくが動けない間に、少し気になってベランダから外に出ようと試みたことがあるらしい。だけど見えない壁に阻まれてベランダから出ることも出来ず、それで不気味さをより感じて部屋内部の探索をやめたのだとか。


 ……そういえば、マスターキーを使って入ると玄関以外からは外に出れないし、現地側からは内部を認識できないって話だったっけ。


 隠蔽工作がいらないのはいいけど、外に出れないのは少しばかり残念に感じる。


 そんなことを考えているうちに、また爆音を鳴らしてバイクが走り抜けていった。……ああいうのなんていうんだっけ、珍走団? 迷惑だって話だけは聞いてたけど、実際にやられると本当に迷惑極まりない。


「ひゃああ、また出た!」

「そ、外から中に入ってこれないよにゃ?」


 バイクを知らないスフィたちにしてみれば外から聞こえる不気味な爆音、フィリアは頭を抱えてテーブルの下に頭を突っ込むし、ノーチェはしっぽを膨らませたまま固まるし。


「か、怪物がきても、またおねえちゃんがまもってあげるからね!」

「スフィ、だい、じょうぶ、だからッ」


 頼れるお姉ちゃんはぼくを抱きしめる力がますます強くなった。肋骨がミシミシ言いはじめたところでようやくスフィが落ち着いてくれて、ほっと息を吐き出す。


「あれは、ね、乗り物の音。こっちの乗り物で、たまにあんな音を鳴らして走るのが、いるの」


 でも、いい機会かもしれない。部屋の使い方もちゃんと教えないといけないし、後回しにしてきたけどちゃんと話しておくべきだ。


「おまえ、どこでそんなの知ったにゃ?」

「……夢の中で見た、ぼくがぼくになる前の、夢の中」


 ちらっとスフィを見て、真剣なノーチェを見て答える。


 結局、誤魔化しでもなく本当の真実でもない返答にした。前世と言っても伝わるとは限らないし、ぼくだって現状を正確に把握できてるわけでもない。もしかしたら現状が何かのアンノウンの影響なのかもしれないし。


 夢の世界で見て知ったって返答が一番無難だと思った。


「少し前から、地球の日本って場所で、生まれ育った男の子の夢を見てた。本当にその子になったみたいな視点で。ぜぇ、そこで見た。この部屋も、あの銃げほっ、色んな不思議な道具、知識」


 嘘じゃない。あの現象を説明するなら、自然とこうなってしまう。前世の記憶が蘇ったなんて思い込んでるだけで、実は夢を追体験してその気になってるだけなのかもしれないし。


「…………」


 触りだけ聞いてどう判断すべきかと考え込むノーチェの横で、スフィがぽんっと手を叩いた。


「……あ、しってるその夢、スフィもみた!」

「…………え?」


 完全に予想外のところから飛んできた球。ぼくはろくなリアクションも取れず、ただ固まることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る