見上げる世界は青と虹
目が覚めた後、スフィに介助されながら這う這うの体で扉の封鎖を解除してぼくたちは脱出を目指した。
今後のために分解と錬成で切り離した壁材の一部や壊れていた方の銃、鼬から出てきた不思議な石もポケットに詰め込んで保管室を出ると、あとは地上を目指すだけ。
鼬との戦いで1本は折れてしまっていたので、もういちど瓦礫から作った石剣はスフィとノーチェに1本ずつ渡して、ぼくはフィリアに背負われる。
この時点で既に大分いっぱいいっぱいだったので、後は置物だ。
「それじゃ、脱出にゃ」
「……あ、ま、って」
一通りの準備を終えて、地上を目指して歩き出そうとした時、瓦礫の中に文字が見えた。台座の周りの文字が刻まれていた部分みたいだ。
カンテラのおかげで今はよく見える。
「……この模様がどうかしたにゃ?」
「それ、文字」
瓦礫を見て首をかしげるノーチェ。ぼくを背負うフィリアが気を利かせて瓦礫に近づいてくれた。
……朦朧とした頭で中身を読むと、なんとなく納得した。
書かれていたのは、災厄の風獣と名付けられた"魔物"をこの不思議な遺跡に封じたおおまかな経緯。
大昔、たぶんゼルギア帝国以前……神代と呼ばれていた頃。この近辺に住む村に恐ろしい魔物が現れた。
鼬のような姿を真似た邪悪な魔物は、山から降りる静かな風のように村に入り込み村人を襲った。当時の人々は戦ったものの歯が立たず、偉大なる方の従僕……神兵って訳すのがいいかな。
この地を守護する神兵を呼ぶことも間に合わず、村は全滅の危機に陥った。その時、一部の勇敢な……えっと、巫女が自らを囮にして、神々がこの地に降り立った時からあると言われているこの迷路の奥に魔物を誘い込み、神より賜った奇跡を使って出入り口を塞いだ。
村の人々は巫女の献身と勇気に感謝して、魔物を封じた場所にストーリー仕立てで記録を残したみたいだ。
あの鼬がここに封じられていた魔物ってことで間違いないみたいで、内心ほっとした。アレ以上にやばいのが出てくるとか、絶対にごめんだった。
「アリス、これ錬金術とかの文字だよね、なんて書いてあるの?」
「え、っと、あの鼬が遺跡の、魔物のけほっ、正体……ここに、封印、されてた、って」
「その割には普通に出てきたよにゃ……」
理由は想像できなくもない。カンテラに照らされる石壁はボロボロだ、時間経過で劣化したところに大量の浸水で壁が崩れた。そのうえ騒がしいのが迷路の中を歩き回ってるときた。
騒ぎに反応して、崩れた壁を抜けて上の方まで這い出てきたんだろう。
気になることは多いけど、今は頭がまわらない。
「じゃあやばいのはもう出ないっぽいにゃ」
「よかったぁ」
「う、ん……」
「よし、じゃあいくにゃ!」
かなり緊張と警戒していたようで、武器を振り上げたふたりが歩き出す。ぼくはフィリアの背中で揺られながら、意識を失わないように耐え続けた。
■
途中で何度かネズミの襲撃を受けたものの、武器を持ったスフィとノーチェは強かった。
スフィが低い姿勢から一気に近づいて首を切りつけ、ノーチェが身軽な動作で壁を蹴りあがって上から首を狙う。
連携とはとても言えない動きで、武器は石を研いだ程度の雑な剣。だけど上下から来る斬撃はかなり強烈みたいで、さしたる苦労もなく撃退して地上へ進む。
途中で人だったものの成れの果てを見つけてはげんなりしたりしつつ、崩れた場所を慎重に抜けて……体感で数時間ほどかけて、ようやくになんとか見覚えのある道に出れた。
いつも採取に使っている、いつもの歩き慣れた地下道。そこからは早かった。
「はぁー……」
ノーチェが耳を寝かせて安堵のため息を吐いた。フィリアもあからさまに安心しているようで、スフィも緊張で固まっていたしっぽが左右に揺れはじめた。
ぼくが安心できないのは、少しでも気を抜くと気絶しそうだっただから。
体力の限界点はとっくに超えていて、気合だけで意識を保っている状態だった。道案内やカンテラを維持できるのはぼくだけ、せめて地上に戻るまでは頑張らないといけない。
「ようやく戻れたにゃ」
「うぅ、なんにちも地下にいたみたい」
「フィリア、背負うのかわるね」
「あ、うん」
ここまでずっとぼくを背負いっぱなしだったフィリアに小さくお礼を言って、今度はスフィにおんぶされる。情けないけど、無理しても余計迷惑をかけるだけなので大人しく従う。
相談したいこともあったし、丁度いい。
「……スフィ、あのね」
「ん?」
「…………」
耳元で伝えるのは、ずっと考えてきて、でもダメだと抑えてきたこと。自分たちのわがままに付き合わせていいのかって、悩んできた。
迂闊に口に出せば周りを巻き込んでしまうって思っていたから、言わないようにしていた。
だけど、今回少しばかり吹っ切れて思う。聞いてみるだけならタダだって。
「うん、うん、スフィもいいと思う」
「ほんと?」
「うん、あとで聞いてみよう?」
幸いにもスフィは賛成してくれた。いいアイデアだってふにゃっと笑って。
「にゃあ、お前ら」
地下道に入り込む風の音が聞こえてきて、もうすぐ地上というところでノーチェが振り返った。
「この後、どうするにゃ? たぶん、ほかのやつらも探しに来るにゃ」
スラムでそれなりに力のある大人数人が、獣人の子供を攫いに行って行方不明。確実に他の大人が動く案件だろう……ノーチェたちには本当に迷惑をかけてしまった。
「うん……アリスが落ち着いたら相談しようっておもってた」
「すぐに、街を出る、つもり」
正直、あんまり猶予はない。上に戻って少し休んだら隠してある荷物だけ回収して出ることを提案するつもりだった。
「そうか、仕方ないだろうにゃ。あたしらもあそこにゃもう住めないにゃ……悪かったにゃ、フィリア」
「う、ううん……その、怖かったけど、だれも見捨てなくて済んで、よかった」
わざとなのか、ちっとも残念そうにない口調でノーチェが言う。
それに返されるフィリアの言葉が、ずっと怯えていた彼女にしては意外なくらい力強い意思を感じた。
ノーチェは半分くらいは自分の決断だとしても、追いかけっこに巻き込まれて一番迷惑がかかったのはフィリアだ。それなのに文句も言わず最後まで付き合ってくれた。
……あぁ、そうか。ちょっとおどおどしているように見えたけど、この子も根っこは強いんだ。巻き込まれた事態の中でどうするかを自分で決められるくらいには。
「それで、お前らはまたふたり旅にゃ? すぐに動けなくなるよわよわの妹背負って?」
ノーチェがちらちらとこっちを見ながら小馬鹿にしたように言う。スフィがちょっとムッとするのを背中から抱きしめて落ち着けた。
にぶいぼくでも、今ノーチェが何を言いたいのかくらいはわかる。
「さっき、スフィと、相談した」
「――うん」
ぼくが促すと、スフィが頷く。言葉はぼくに譲ってくれるみたいだ。
「ねぇノーチェ、フィリア……スフィたちと一緒にいかない? アルヴェリアまで」
ぼくたちが来たことで迷惑をかけて、命の危機に巻き込んでしまった。だけどそれを許してくれるなら、一緒に旅がしたい。
怖くて危険だらけの小さな冒険だったけど……無事に終わってみれば、結構楽しかったんだ。
誘いの言葉にノーチェは意外そうに少し目を見開いて、少し頬を赤く染めてふんっと鼻を鳴らした。
「……仕方ないやつらにゃ、まだ聞かなきゃいけないこともあるし、隠れ家も使えなくなったし! そのアルヴェリアってところまで付き合ってやるにゃ!」
正直に言えば驚いていた。断られる可能性だって十分あったと思うし、巻き込んでおいてふざけるなと言われても仕方ないって冷静な部分で考えていた。
それなのにノーチェは、ぼくが思ったよりもずっと快く承諾してくれた。
照れ隠しのような言葉を連ねるノーチェを微笑ましく見ていたフィリアが、真剣な顔でぼくたちを見る。
「せっかく仲良くなれたんだもん、私も行くよ……またひとりぼっちは嫌だし」
一番どうするのかわからなかったフィリアも、ハッキリと同行の意を示してくれた。きっと最後のが本音だろうけど、そんな無粋なことは突っ込まない。
ひとりで居るのが寂しいのは、ぼくだってわかっているし。
「お前らだけじゃ心配だからにゃ、あたしが力になってやるにゃ! 感謝するにゃ!」
「……実はね、少し前からノーチェちゃんと相談してたの。ふたりが旅に出る時、私たちはどうしようかって。この街にずっといても、いいことないからって」
「おま、言うにゃよ! ま、まぁそういうことだから、今回の件は気にしなくていいにゃ。むしろ丁度よかったにゃ」
重要なことを凄くあっさり決めたと思っていたら、当たり前だけど彼女たちもちゃんとした考えがあったらしい。
この街にいてもろくな未来なんてない。そのうち捕まって売られるか、盗むしかなくなって追い回されて野垂れ死ぬか、蔑まれながら下っ端冒険者としてこき使われるか。幼いながらに漠然とした暗い未来に沈んでいた矢先にぼくたちが来て、これからどうするか考えるようになったのだという。
厄介事に巻き込んでしまったのは事実だけど、元々考えていた旅に出ることの良いきっかけになった……そう言ってもらえて、正直少し安心した。
「――うん! よろしくね、ノーチェ、フィリア」
「迷惑、かけるけど、よろしく」
「おう!」
「うん」
はじめて出来た対等な……心強い仲間、再び出会った不思議な道具。
絶望で閉ざされていた旅路に希望が出来た。それがぼくたちだけじゃなく、彼女たちにとっても明るいものであると願いたい。そうするために、ぼくも全力を尽くす。
待ってるだけじゃ欲しいものは絶対に手に入らない、だから必死で足掻くんだ。
前世の日々、ぼくはそれを許されなかった。自由を諦め、部屋の中で娯楽にふける日々を享受した。別にそれが嫌だった訳じゃない、苦痛だったわけでもない。
でも外を自由に歩き回れる生活には憧れていた。
ここなら我慢しなくていい、身体は弱っちいけど、それ以外で縛るものはない。
家族と、ともだちとのはじめての旅だ。異世界での冒険だ、何をしようか、何を見ようか……熱で朦朧としているのに、胸の中ではワクワクが踊っている。
「取り敢えず、あたしがリーダーってことでいいにゃ?」
「だめ、スフィがリーダー!」
「あたしにゃ!」
「スフィがやる!」
考え事をしている間にはじまっていたリーダー争い。スフィの背中で苦笑していると、ついに外の光が見えた。
「雨止んでる!」
「あ、ほんとだ」
駆け出したフィリアをスフィが追いかける、雨はすっかり止んで分厚い雲も消え去った。
見上げるたびに灰色だった世界には、虹のかかった青空が広がっていた。
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