正しさの檻

「そこ左、つぎを右」

「おう!」


 地下道を走るフィリアに背負われながら、今までたどってきた道をナビゲートする。


 速度はあるけど余裕はない、恐怖の度合いも段違いで体力の消耗も激しい。ただ背負われてるだけなのに、ぼくも自力で立てるか怪しいくらいには消耗している。


「アリス、どう!?」

「……追ってきてる」


 脳の処理能力が限界に近い。


 全力で集中している耳では、遠くで巨体が静かに動く音を拾っていた。


 少しでも意識をそらしたら見失ってしまうほどに静かに、だけど確かに一定の距離を保って追いかけてきている。


 最初の獲物はもう狩り尽くしたのか、それともこちらを優先したのか。少なくとも見逃してくれるつもりがないのは確かだった。


「こ、これから、どうするにゃ」

「外に出たら、えっと、えっと、逃げる?」

「……たぶんむり、逃してくれない」


 どういう手段かはわからないけど、あちらもこっちの位置を把握してる。じゃないとこんなに正確に追ってこれない。


 後方からネズミの断末魔のような鳴き声が聞こえた。道すがらに狩っているのか、さっきから時折聞こえる嫌な音だ。


 少しずつだけど、近づいてきている。


「……冒険者ギルドか、騎士の駐屯所に駆け込む」


 田舎とは言えしっかりとした壁がある規模の街だ、たぶん冒険者ギルドなり騎士の駐屯地なりがあるはず。


「だけど、信じてもらえるにゃ!?」

「でも、他にないよ!?」


 こんな田舎の冒険者や騎士がアレを倒せるのかわからない。信じてもらえる可能性だって低い。だけど他に有効そうな手段がない。


 ぼくたちだけでアレをどうにかするって考えのほうが、よっぽど非現実的だ。


 とにかく、地上まで逃げれば少しは選択肢も増える。幸いにも最初に見た広場はもう目の前、地上まで後少しだ。


 走りながら続けられる会話から一旦意識を外して、もう一度後ろの音に集中する。


「え?」


 風が吹いたような音が、すぐ真上を駆け抜けていく。


 咄嗟に真上を見る。6本のうち2本を使い、天井に張り付いた鼬の禍々しい笑顔がこちらを見下ろしていた。


 空いている手にはぐったりしたネズミと、ぼくに絡んできた少年の片割れが握られている。


「おおかみ妹! どうし」

「なにもかんがえず全力ではしれぇ!」


 みんなの視線が、意識が天井に向く前にありったけの声量で叫ぶ。喉がビキリと音を立てて、おさえきれない咳が出た。


 幸い、『何故、なんで』と疑問を挟んでくる奴はいなかった。何かを察してくれたのか一気に速度をあげて、文字の刻まれた台座があった広場に駆け込む。


 フィリアに振り落とされないようにしがみつく。


 ぼくたちの走り抜けたすぐ後に、液体の詰まった重い革袋が地面に叩きつけられるような音が聞こえた。音の正体を確かめる勇気も余裕も、今はない。


「どうするにゃ!? 水場に隠れるにゃ!?」

「う゛、げほ、あいつの、こほっ、探知能力、簡単には、ごまかせ、ない」

「でも、隠れるくらい、しか……」


 広場に入り、少しだけ速度が落ちた。不安げに周囲を見ていたフィリアが不意に背後を振り返る。


 待ってという声は間に合わなかった。


「――きゃああああ!?」


 つられて後ろを見てしまったノーチェとスフィの喉から『ひっ』という短い悲鳴が漏れる。


 暗がりの向こう、通路の上から逆さまになった鼬の顔が垂れ下がる。耳まで裂けた顔は喜悦に満ちていて、そのすぐ下には人間の少年"だったもの"がぶら下がり、人形のように乱暴に動かされている。


「……ひゅ」

「フィリア、げほっ、おちついて、鼻でゆっくり呼吸して」


 できの悪い人形劇に、フィリアが息を詰まらせてしまった。咄嗟に背中を擦る。この状況で動けなくなるのはまずい。


 恐怖の反応に鼬はますます嬉しそうに嗤い、赤い人形はでたらめなダンスを踊る。


 疑問ではあった。戦闘力に、探知能力、あんな無茶苦茶な動きが出来るのにどうしてぼくたちが逃げられたのか。どうして一度は見逃したのか。


 奴の喜びに満ちた顔と、この距離で足を止めて硬直しているのに全く襲いかかってくる様子がないのを見て察した。


 遊んでるんだ。『せっかくの幼い女の子』を簡単に殺さないように、恐怖で怯える様を楽しむために。


 完全にB級ホラーのモンスターだ。それもとびっきりたちの悪い。


「ど、どうする、にゃ」

「あいつ、怖がらせ、てげほっ、あそん、でる」

「最悪にゃ」


 どうやって気を引けばいい、どうすれば逃げられる。頭を全力で回転させているうちに、フィリアの呼吸も落ち着いてきた。


 恐怖にやられた時は、背中を誰かに擦ってもらえるだけで少しだけ勇気が出る。前世であの鼬と似たようなモノとやりあってきた傭兵の言葉は、役に立っている。


 だけど……。


 正直、手詰まりだ。


「……ノーチェ、フィリア」

「スフィ?」


 ずっと黙っていたスフィが、真剣な表情で鼬に向かって一歩近づく。


 嫌な予感がした。一瞬見えた横顔が、記憶の中の誰かとだぶる。


「な、なんにゃ?」

「いもうとのこと、まかせていい? よわくて手のかかる仔だけど、頭が良くて、優しい仔なの」

「スフィ? なにいって」

「ふ、ふたり、なら、きっと、守ってくれると思う、から」


 恐怖で足も声も震えているのに、暗闇の中でもわかるくらいに澄んだ表情。


 勇気を振り絞って、命を失うと、悲惨な死が待っているとわかっていて。それでも守るために一歩踏み出せる人間の瞳。


「おまえ……」

「が、がんばって、がんばるから、3にんで逃げて、それで、いもうとのこと、アリスのことお願い」

「スフィ、だめ」


 見覚えがあるはずだ、前世で何度も見てきた顔だ。


 襲撃から、暴れ狂うアンノウンから、ぼくを守るために死んでいった護衛部隊の傭兵たち。


 なけなしの勇気を振り絞って、「クソみたいな人生の終わりくらいはカッコよく」なんて……"かっこつけて"死んでいった強い人たち。


 覚悟を決めた、決めてしまった人間の顔。


「本気にゃのか」

「スフィ、ちゃん……」


 フィリアに背負われているぼくに近づいてきたスフィが、額に鼻をこつんと当ててくる。


「アリス、だいすきだよ……げんきでね」

「スフィ! だめ、スフィ! なんとか、なんとかするから」


 言葉じゃ伝わらない、変えられない。強い人間の覚悟は、そんな薄っぺらいものじゃ壊せない。


 ぼくみたいに、何の力もない弱者の言葉なんて、何の意味もない。


――正しい判断をしろ。


 大人びた表情のスフィが、ぎこちなく笑っていた。


 頭の中の冷静な部分が、あいつの様子からすぐには殺さない、時間はある。一度脱出して助けを連れて戻るのが一番可能性が高いと告げている。


――チビ助の仕事は守られることだ、誰を犠牲にしても生き延びることだ。


 前世の記憶や経験が"正しい答え"を教えてくれてる。


――何が起きても冷静に正しい判断をしろ。お前さんなら出来る。


 4人で助かる確率は0%で、スフィが殺されるまでに助けを連れて戻ってこれる確率は1%だ。だったら1%でも確率があがるのが、"正しい判断"だ。


 他のふたりを犠牲に捧げようとすれば、仲間割れが起きるだろう。


 だから、覚悟を決めたスフィに頼って、この場は――。


「――フィリア、おおかみ妹連れて逃げるにゃ」

「の、ノーチェちゃんまで!?」


 反吐がでそうな正論が頭をよぎっているうちに、ノーチェがスフィの横に並んだ。


 だけど頭の中で、誰かの声が正しさを主張し続ける。


 まちがってる、ひとりでもふたりでも稼げる時間は大して変わらない。むしろ獲物が増えたから、余計にひとりずつの価値が落ちてしまう。


 だから残るならひとりが正解で、それで、それがただしくて。


「……ノーチェ、なんで」

「おおかみ姉、ひとりだけカッコつけさせにゃいぞ」

「スフィだってば! ……もう」


 そんな思考を切り裂くように、ふたりのやりとりが頭にすっと入り込む。


 驚いた様子のスフィは憮然として言い返して、それから。


 それから……困ったように笑った。


 危険な状況で折角逃がそうとしたのに、助かった命を台無しにして加勢に残った隊員がいた。


 カッコつけて殿になった隊員は、一緒に残ると決めた仲間を怒って嘆いて馬鹿にして。最後にみんな笑うのだ。


 困ったように「仕方ないな」と、あんなふうに笑うんだ。


 ぼくは、ぼくは出来なかった。守られる立場だから、そんなことをすれば何もかも全てが御破算になるから。


 何も出来ない、させてもらえない。冷静に、間違えないように、心を乱さないように、自分を律して。心を殺して、ただ守られて穏やかに過ごすことが義務だった。


「フィリア、あとは頼むにゃ」

「いもうとのこと、おねがいね!」

「……う、うぅ、ぐすっ、なんで、ふたりとも」

「いいにゃ、ダチを囮に逃げ出すなんて、母ちゃんに怒られるにゃ」

「ノーチェかっこつけすぎぃ」

「はんっ!」


 それが嫌だったわけじゃない、のんびりとした暮らしは確かに楽だったから。


 でも、羨ましかったんだ。


 一緒に死ぬなら仕方ない、極限の状況下でそう思えるような仲間がいることが。激しく感情を動かして、地獄の業火に負けないくらい燃え盛るように生きてる彼らが。


 何が転生だ、何が前世の記憶だ。結局状況は何も変わってない、ぼくは前世と何も変わってない。


 こうやって、心を殺して守られるだけの箱入りのまま。 


 気づけば鼬が広場に入ってきていた、獲物を品定めするようにスフィとノーチェとにらみ合う。


 勇気を震わせしっぽを立てるふたりの背中が遠い。


 隣りにいたかった、役に立たなくても足手まといでも、最後まで隣りにいたかった。


「フィリア! いくにゃ!」

「はやく、いって!」


 前世からそうだ。仲良くなれた、そう思った端からみんな居なくなっていく。


 どうしてぼくだけが、みんなを置いて先に進まなきゃいけないんだ。


 鼬が喜悦に満ちた眼でふたりを見ている。勇気のある子どもを、どんな風にいたぶってやろうかって。


 はじめて出来たぼくの家族だ、はじめて出来るかもしれない人間の友達だ。


 スフィを、ノーチェをそんな眼で見るな。


 抑え込んでいた感情が溢れだす、冷静に振る舞おうと思っても頭に血がのぼる。


「やめろ……ごほっ、やめ――」


 声が出ない喉で必死に叫ぶ。それに呼応するように、地面が震えた。


「な、なに!? きゃあああ!?」

「今度はなんにゃ!」

「ひゃあ!?」


 唐突に、なんの前触れもなく地面を引き裂いて闇が噴き出した。台座だけじゃない、広場の足元全てがバキバキと音を立てて砕けていく。


 あっという間の出来事だった。一瞬にして、驚愕するぼくたちと鼬を飲み込むように地面が崩落しはじめる。


 落ちているのか、強烈な浮遊感が襲う。上も下もわからない暗闇の中で、スフィ達の悲鳴だけがハッキリと聞こえた。


「アリス!」

「す……」


 喉を痛めた。ぼくを呼ぶ声に返事が出来ない。


 ろくな対策もできず、混乱のまま底の見えない奈落へと落ちていく。


 真下に向かう瓦礫が水をはねあげる音が聞こえた、下に深い水たまりがあるらしいことだけが唯一の救いだった。

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