ここに封ずる
長く続く大雨で浸水した地下道は普段とは勝手が違った。
「水が溜まってるにゃ!」
地上に出来た穴や亀裂から流れ込む大量の雨水が、水捌けを想定していないだろう地下の構造物に溜まる。この地下はまるで蟻の巣のように入り組んで広がっているから、途中にある小部屋や狭い道がいくつか水没してしまっている。
ノーチェたちが想定していた壁外へ続く穴に向かう道も、案の定水没していた。
「……泳げるやついるにゃ!?」
苦肉の策として飛び出したノーチェの問いかけに、フィリアは困ったように首を左右に振る。ぼくたちも沈黙しか返せない。
「別の道は?」
「……仕方にゃいっ!」
遠くから水をかき分ける音が近づいてきていた。立ち往生している時間はない。とはいえ、全く余裕がないわけでもない。
足を取られ道を塞がれるこの状況、実はぼくたちにこそ有利に働いていた。
こちらは狼と猫、普通に夜目がきく。兎はわからないけど、フィリアが地下道を何の問題もなく行き来できているから暗闇に強いことは間違いない。
対してあっちはこんな場所に逃げ込まれることは想定してないみたいだ、しっかりした灯りを準備してきてる様子もない。
最悪でも水音を抑えてどこかに潜めばやりすごすことも出来る。
「こっちにゃ、別の道があるにゃ」
ノーチェに先導されるまま、地下の道を奥へ向かう。
聞こえる限りあちら側はかなり慎重に進んでいるみたいで、なんとか距離を詰められずに済んでいた。
■
しばらく進むと広場に出た。石の中を大きくくり抜いて作られた空間で、壁や天井のデザインは道と同じ。中央には円形の台座がせり出している。
流石にこの広さともなると水は溜まっていないようで、ようやく地下水から解放された。温まっている余裕がなさそうなことだけが残念だった。
「右側があの地下道に通じてるにゃ」
広間にはいくつか出入り口があった。そのうちのひとつ、右側を指し示すノーチェに従ってまた歩き出す。
「……ん?」
移動の途中、中央の台座に近づいたところで気づいた。周辺の床に何か刻まれているみたいだ。
背負って貰っているおかげで駆け足の速度でも読み取れた、文字だった。
大陸で共通語として使われてるゼルギア語とは違う。本当に古いやつで、今では魔術語と呼ばれている言語。
主に魔術なんかの詠唱に使われている、文字も読み方も英語に近い。嘘かホントか大昔の神々が使っていて、発音や文字、記号そのものが世界の法則に干渉できる力を持つらしい。
難しい錬金術を扱うには理解と運用が必須の文字だから、ぼくでも読める。
それで、んーと、『ここに災い……風と獣をしまう』?
ちょっと違うかな。意訳するなら『災厄の風獣を封ずる』って感じかな。
……嫌な予感がする。
意識を切り替えて前を向く。通路の暗闇の奥から、水をはねて何かが近づいてくる音がした。
「前からなにか来る!」
「!?」
ぼくの言葉に反応してみんなが足を止める。暗がりから悪臭と共に飛び出してきたのはネズミだった。
ただのネズミじゃない、子供くらい……つまりぼくたちとそんなに変わらない大きさの。
「オバケネズミにゃ!」
出会い頭に突進してくるそいつを、ノーチェが悲鳴をあげて避けた。動きはそんなに早くないけど、臭いし汚いし危険なことには変わりない。
たぶん魔獣だと思うんだけど、まさかこいつが遺跡の魔物の正体?
「こいつ、普段から地下にいるの?」
「こんなのはじめて見たにゃ!」
ネズミは途中で向きを変えると、こちらの様子を窺っている。
戦うには武器がない。この図体の獣相手に素手でやるのは無茶がすぎる。どんな病気持ってるかもわからないし。
「……この先ダメかも」
ネズミの出てきた通路の奥に耳を澄ませると、他にもいくつかの大きな物が動く音がした。突っ込んでいったら鉢合わせに挟み撃ちのおまけつきだ。
ほんとうに、次から次へと。
「ヂヂ……」
「最悪にゃ」
低い鳴き声を発するネズミとにらみ合いながら、ノーチェが構える。
「の、ノーチェちゃん」
「方向転換にゃ! むかって右に走るにゃ!」
「ヂッ」
ノーチェが一歩駆け出そうとした瞬間、反応したネズミが向かう。
「ッ! シャアッ!」
ぶつかる直前、踏み込む勢いでジャンプしたノーチェが、空中で身体をひねりながらボロボロのサンダルの踵をネズミの目玉に叩き込んだ。
惚れ惚れするような、すっごい動きのカウンターだった。
「ヂュゥ!!」
痛みのためか目を閉じて暴れるネズミの頭を足場に、勢いをつけて飛んだノーチェがほぼ動きのロスなしで目的の方向に駆け出していく。
……それでわざわざ体勢的に難しい踵で蹴ったのか。発想といい実行できる能力といい運動センスが凄まじい。
眼をやられてネズミが動けないうちに、暴れる巨体を迂回しながら別の通路へ向かう。
耳を澄ませて気配を探っても、前方の通路からは特に妙な音はしない。水音だけだ。
背後から聞こえてくるのはネズミの悲鳴だけ。あいつらはもう諦めたんだろうか。
……今はとにかく、自分のできることをしよう。
スフィの背にしがみつきながら、集中して音に耳を傾け続ける。少しの違和感も見逃さないように。
■
暗い地下道を走り続けて数十分。途中ネズミらしき気配はいくつかあったけど、そこを避ける形で移動を続けた。追ってくる男たちの気配はとっくにしなくなっている。
何とか逃げる事はできたけど、疲労とびしょ濡れ状態での体温低下で思った以上に体力を削られた。
長い時間を経て崩れた道の合間に身を潜めて、少しでも体力を回復している最中だった。
「アリス、だいじょうぶ?」
「スフィの方こそ、だいじょうぶ?」
「全然へーき!」
お荷物なぼくはずっと背負われて居ただけ。なのに濡れた服で体力を奪われたくらいでだいぶ身体にガタがきているのが情けない。
普段は体力おばけなスフィも、平気だよと胸を張りつつ肩が上下していた。何とか小休止できてはいるけど、状況は決して良くない。
「それにしても、ここどこだにゃ」
周囲を窺いながらぼやくノーチェの声色が硬い。
移動中に覚えた道順をたどりながら、頭の中に簡単な地図を思い浮かべる。結構傾斜を通ったからか、最初に降りた場所から大分深く潜ってしまっているようだった。
とはいえ水に足を取られながらの移動だから、実際の広さは体感と違うと思うけど……。
「ノーチェ、これからどうするの?」
ぼくを抱きしめて体温の低下を防いでいたスフィが、腕を組んで唸るノーチェに声をかける。
だけどノーチェは黙ったままだ。今更ながら、巻き込まれたことを怒っているのかなと不安になる。
「…………」
「ノーチェちゃん?」
何も言わないノーチェに、今度はフィリアが呼びかける。
「……迷った、にゃ」
観念したように肩を落とした。
「ふぇ?」
「迷って道がわかんにゃい、ここまできたことないにゃ」
きょとんとするフィリア、バツが悪そうなノーチェ。首を傾げながらやりとりを見守る。
「そ、それじゃ戻れないの? 出れないの?」
「しょうがにゃいだろ、逃げるので必死だったにゃ」
泣きそうなフィリアに対して、いらだちを誤魔化すようにノーチェの語気が荒くなる。この雰囲気は良くないなと思った矢先、スフィがぼくをじっと見ているのに気づいた。
「……アリス、道おぼえてる?」
「うん」
「さいしょのとこ、もどれる?」
「うん」
前世の記憶力は割と普通だったから、これはたぶんアリスが生まれ持った能力。瞬間記憶能力ってわけじゃないけど、一度意識して覚えたことは音でも光景でもいつでも思い出せる程度には記憶力がいい。
これのおかげで資料や手帳なんかが手元になくても、問題なく錬金術ができる。
覚えるのに意識を集中する必要があるから、他のことと並行してやるのは無理だけど。
スフィに背負われてるおかげで音を拾うのと道を覚えるのにだけ集中出来た。
途中で曲がった道ならほぼ全部覚えてる。
「……おまえそういうの多いにゃ! 出来るなら言うにゃ!」
「なんかごめん……」
やりとりを聞きつけたノーチェに怒られた。
誰かと協力しあって何かするって経験が殆どないから、どのタイミングで何をすればいいのか掴みかねてる。咄嗟には動けるんだけど。
「ん……道は覚えてる、覚えられるから、帰りはだいじょうぶ」
「……にゃら、ひとまずは逃げることに専念するにゃ」
不安に瞳が揺れてるから、本心からぼくが道を覚えてると信じた訳じゃないんだろう。だけど粗悪品とはいえ実際にポーションを作ってみせたから、単なる足手まといではないと思ってくれたのかもしれない。
「ひとまずここで隠れて、ほとぼりがさめるまで待つにゃ」
「うん……あのね」
話がまとまったところで、スフィがおずおずと声をかける。いつもと違って弱々しい声色に、ぼくも言いたいことを察した。
「ノーチェ、スフィたちのせいで」
「何も言うにゃ」
言いかけたスフィを、ノーチェがぴしゃりと静止する。
「あたしが自分で決めたにゃ、やりたいようにしただけ、だから気にするにゃ」
「…………うん!」
力強い言葉に頷いたスフィが、ぼくを抱きしめてホッと息をつく。体温をあげるようにスフィの背中をさすりながら、自分の発言に照れたように尻尾をうねらせ顔を洗うノーチェを見る。
『自分のやりたいように』……かぁ。
光も届かないくらい暗い地下の中なのに、ノーチェがなんだか眩しく見えた。
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