襲撃者


 曇りときどき雨。ぐずるような天気はまだ続いていた。


 そのせいか食料の確保も難しいようで、ノーチェたちの拠点を探るようにスラムの子たちが様子を窺ってくることが増えた。


 そんなことしてる暇があるなら自分の足で探せばいいのにと思うけれど、持っている他人から奪うほうが楽だって考える人間もいるようだった。


 理解できなくもないけれど、勝てない相手に対してやろうとすることじゃない。


 というわけで、危険が危ないってことで、ぼくはひとりで行動することが出来なくなっていた。


 4人の中だと一番弱いのはぼくだ。


 一応ぼくが特別弱い訳じゃなくて、他の3人……特にスフィとノーチェが突き抜けて強いだけだってことは主張しておきたいけれど。


 あの子たちは目算100mを7秒前後で走る。腕力も同年代相手なら男相手でもまず負けない。魔術の適性が低い代わりに、獣人の身体能力は非常に高いのだ。


 最近スフィとノーチェは雨じゃない時にかけっこで勝負してるけど、たまにエスカレートして前世で動画でみたパルクールみたいなことまでやりはじめてる。


 身長より高い壁を平然と駆け登り、遺跡の屋根の上を飛び回る。


 同年代の子供とは比較にもならない能力を持っている。


 それでも、荒事に慣れてる人間の大人には敵わない。もしも襲われたら逃げるしか無いのだ。



 今日はここ数日の間で一番雨が酷い日だった。


「おぉ、マジかよ、本当にいやがった」


 昼下がり、保存していた食事でお腹を満たし、さて何をしようかと考えている時間帯。


 ざぁざぁと外が見えないほど降りしきる雨の向こうから、そいつらはやってきた。


 ザンバラにした髪の毛を不潔に伸ばした無精髭の男を筆頭にした四人組。着ているのは使い古した革鎧、あちこちにある傷や染みが実戦を生き抜いてきたことを示している。


 腰には鞘に収められた、短めの剣。その柄頭に手のひらを置いて、男は濡れた髪をかきあげて汚い歯をむき出しに笑った。


「な、な!? ゴレンさん、本当だったでしょ!?」


 男たちの後ろからは、いつも様子を窺っているスラムの子供連中が顔を出した。媚びを売るような顔と声で、先頭の男に声をかけている。


「…………」


 フィリアはぼくの横で怯えて縮こまり、スフィとノーチェが尻尾の毛を逆立てながら前に出る。


 穏やかな話にならないことだけは、わかりきっていた。


「あぁ、よく見つけたぜお前ら」

「汚れちゃいるけど灰色じゃなくて白い毛皮っすね、しかも牝っすよ!」

「こりゃ運が回ってきたな」


 そのやり取りでおおよその流れはわかった。ここにぼくたちが居ることを、あの子供たちから聞いて攫いにきたんだろう。


 あいつらが妙にぼくに執着してたのもこれが理由か。見るからにか弱そうなぼくなら連れていけると思ったけど失敗、仕方なく情報を上の立場の人間に売ったってところかな。


 スフィがぼくを背中で隠すように、じりじりと下がって来る。武器を持ってる相手、しかも入り口は塞がれてる。


 ああ、失敗だ。あいつらに目をつけられた時点でもっと早く拠点を移すべきだった。


 拠点まで厄介事を引き込んで、ノーチェたちには迷惑をかけてしまった。


「お前ら、何もんにゃ」

「南路地の顔役の用心棒ってとこだ。なんでもよお、うちのガキどもが世話になってるそうじゃねぇか。詫びにそっちの2匹黙って差し出せ、そしたらすぐに帰ってやるよ」

「…………」


 チャキと手元で鯉口を切る音がした。


 ぼくたちの視線は自然とノーチェへと向けられる。


 縁もゆかりもない、ただの通りすがりを招き入れた結果がこれだ。武器を持った男たちが4人、普通に考えれば切り捨てるのが当然で、そう判断されても責めることは出来ない。


 あちらの目的が居候ふたりである以上、それ以上何かをしてくる可能性は高いだろう。彼らの音は暗く歪んでいる、目の前の利益にしか興味がない人間だ。


 だからこそ、ぼくたちを切り捨てるべき。


 雨音に紛れて砂利をかき集める。目の前のスフィの襤褸を背中から引っ張ると、少しだけ振り返ったスフィが小さく頷いた。


 近づいてきたら目潰しをして、スフィに背負ってもらって全力で横を抜けて、雨にまぎれて地下道へ。


 こういう時、なんとなくでも考えが伝わるのはありがたい。相手の様子を窺っていると、苦しそうな表情のノーチェがぼくたちを見ていた。


 ……せっかく少しだけ距離が縮まってきたのに。こんなことになって少しだけどショックはある。でも恨んだりはしない。


 これは仕方がないことなのだから。


 ノーチェの目を見て小さく頷いてみせる。通りすがりのために危険を犯す必要はない、こっちはこっちでなんとかしてみる。スフィだって、自分のためにノーチェたちが危険な目に遭うのを嫌がってる。


「……はぁ」


 言いたいことが伝わってくれたのか、しばらくして視線をそらしたノーチェの方から小さなため息が聞こえた。


「――フィリア、きんきゅーにゃ! いもーと連れて走れ!」

「へ!?」

「急ぐにゃ! おおかみの姉! おまえちょっとは戦(や)れるにゃ!?」

「スフィだよ! ちょっとだけ!」


 ノーチェの言葉に驚いているうちに、スフィがぱあっと顔を明るくして頷いた。


 無茶だ、という言葉を出す前に隣のフィリアに思い切り身体を引っ張られる。


「あ、う、う! アリスちゃん、つかまって!」

「フィリ――」

「ひみつの出口があるの」


 囁かれる微かな声はきっと耳の良い獣人にしか聞き取れないもの。スフィにもちゃんと聞こえているようで、耳が一瞬だけピクりと動いた。


「おいおい、馬鹿かお前? 言っとくがこっちにゃお前を生かしておく理由なんてないんだぞ? 必要なのはそっちの白い狼人2匹だけだ。ちょっとは利口に立ち回れよ」

「はっ」


 フィリアの背中に掴まりながら聞こえてくる男の言葉を、鼻で笑うようなノーチェの声が遮った。


「馬鹿はお前にゃ」


 ザリっと音を立てて低く構えをとって、黒いしっぽが地面すれすれをうねる。


「――ダチを売るわけにゃいだろうが! とっとと失せるにゃ!」

「バカが!」


 あっという間に事態が動いた。


 見栄を切って飛びかかるノーチェを、男が剣を抜いて迎え撃とうとする。相手の動きに迷いがない、あのままだと確実に斬られる。


 男の呼吸の隙間をついて、咄嗟に握りしめていた砂利を投げつける。


 狙いは顔。集中しながら動きをはじめた瞬間に顔に砂粒をかけられて男が怯む。鍛えても生理反応までは止められない、男はまともに砂を浴びた方の眼を反射的に閉じる。


「ぐっ!?」

「があぅッ!!」


 出来上がった男の死角に、足元すれすれを駆けたスフィが飛び込んだ。ブーツ越しにスネを蹴り飛ばす。


「ぐぅっ! この、メスガキども!」

「フシャアッ!」

「があっ!?」


 転んだりはしなかったものの、痛みで動きを止めた男の顔をノーチェの爪が引っ掻いた。男は咄嗟に身体を引いたものの完全には避けられなかったようだ。


 怒りで血管を浮かべ、男は顔に出来た赤い線を押さえながら剣を振るう。


 もっとも、その頃にはスフィも離脱している。身軽なノーチェも攻撃してすぐ距離を取っていた。


 空気をさくように切っ先が風切り音をたてる。薄暗い遺跡の中、雨の隙間から入り込む微かな光を反射して、刀身が鈍く光って見えた。


「よ、よーくわかったぜガキども、捕まえたらそっちの猫と兎を八つ裂きにしてやる。お友達が殺されるのを見たらちょっとは大人しくなるよなぁ!?」

「もったいねぇよ、殺す前に俺にどっちかくれよ」

「うるせぇんだよ変態野郎! とにかく痛めつけてやらねぇと気が済まねぇ、捕まえろ!」


 相手のブーツの上からの蹴りじゃ大した威力にならない、顔を引っ掻いたくらいじゃ止められない。ろくでもない会話を聞きながら、どうにか手段がないか考える。


 この場所での戦闘じゃ無理だ、狭すぎてスフィたちの強みを活かせない。剣が当たればそれでおしまい。


「アリスちゃん、走るよ!」

「ん」


 考えている間にぼくを背負って立ち上がったフィリアが、遺跡の奥……ノーチェ達の寝室の方へ走り出す。


 少しでも時間を稼ごうと、振り返りながら残りの砂利を男に投げつけた。今度は普通に躱される。やっぱり不意打ちじゃないと意味がないか。


「てめぇらぼさっとしてねぇで追いかけろ!」

「お、おう!」

「シャアッ!」


 手に棒をもった男たちがわらわらと追いかけてくる、それに向かってノーチェが足元の砂利を靴のつま先で巻き上げるように蹴った。


 考えることは一緒か、目潰しは乱戦の基本だものね。


「おおかみ姉! 先いくにゃ!」

「……んっ」


 スフィの動きが止まる。ノーチェを手伝うか、ぼくたちを追いかけるかで悩んだみたいだ。スフィとぼくは『ひみつの出口』の場所を知らない、逃げるだけならノーチェひとりのほうが多分動きやすい。

 

「スフィ!」

「ッ!」


 背負われながら声をかけると、スフィはこちらに向かって走ってくる。


「このガキャア!」

「当たらにゃーよ! うすのろ!」

「あぶねぇ! 俺にあたんだろうが!」


 ひとりに群がって棒を振り回す男たちのおかげで、剣の男が出遅れているのが見えた。


 良くないことに、癇癪を起こして自分の兵隊を斬り殺す無能ではないらしい。


「振り回すんじゃねぇ! 組み付いて押さえろ! 相手は半獣のガキだ!」


 そのうえ、怒っていても冷静だ。自分たちの強みがわかっているし、子供だからって油断していない。


 正直にいえば殴り合いよりも腕力任せの取っ組み合いのほうがよっぽどまずい。


 獣人には見た目にそぐわない力があるといっても、ふた桁いってない女の子と成人男性の体重差は絶望的。ふたりがかりで取り押さえられたらもう身動きはできなくなる。


 ノーチェが素早く男たちから距離を取る光景を最後に、ぼくはフィリアごと奥の寝室へと飛び込んだ。


 布がふたつ、丸まって置かれている。垢と汗が染み付いて少し饐えた匂いのする部屋の片隅に、ボロボロの木箱があった。


「これ!」


 フィリアはぼくを背中から降ろすと、自分の身体くらいはある木箱を掴んで引っ張る。


「アリス! フィリア!」

「スフィ……」


 一瞬遅れてスフィが走り込んできた。はぐれずに済んで少しほっとした。耳を動かすと広間の方から男たちの怒声と嘲弄するようなノーチェの声が聞こえている。


「ここ! 降りて!」


 フィリアの声で視線を木箱のあった片隅に向ける。


 そこには木箱で塞がれていたけど、崩れて空いた穴があった。ちょうど子供が余裕を持って通れるサイズ。


 暗くても地面が見える、下までの距離はそんなにない。


「この穴、地下道に通じてるの」

「なるほど」


 確かに、ここから確認できる壁なんかがあの地下道と同じ様式に見える。


 そこからあの外に通じる穴までたどり着けば逃げ切れる。あそこは子供しか通れない。


「スフィちゃん、先降りて、す、すぐ追いかけるから」

「わかった! アリスちょっとまってね」

「うん」


 スフィは躊躇せずに穴の縁を掴んで身体を穴の中へと滑り込ませる。手が離れて数瞬、バシャっという水音が響いた。


「うひゃぁ!?」

「スフィ、だいじょうぶ?」

「うえー、水びしゃびしゃ」


 穴から覗き込むと、嫌そうな顔で耳を寝かせるスフィと目があった。しばらく足元の水をばしゃばしゃとかき分けると、ぼくに向かって両手を広げてみせる。


「よしゃ、おいで!」

「……ん」


 正直ちょっと怖いけど、そんなこと言ってる場合じゃない。スフィと同じように穴の縁を掴みながら身体を降ろ……。


――パキッ

 

 えぇ……。


 掴んでいた部分がちょうど砕けて、背中から落ちた。咄嗟にスフィが受け止めてくれて、ふたりそろって水の中に尻もちをつく。


「ひゃあ!?」

「ふたりとも、大丈夫!?」

「う、うんー」


 こんな事してる場合じゃないのに。


「にゃにしてんだ! 早く降りるにゃ! いけいけ!」

「あ、あわわ!」


 助け起こされている間にノーチェの怒鳴り声が聞こえてきて、フィリアが飛び降りてきた。


 それから数秒も経たずに、勢いよく黒い影が穴の上からフィリアの横に落ちてきて思いっきり水をはねあげた。


「ぶぎゃー!? なんにゃこれ!?」


 水から顔をあげたノーチェが水を飛ばしながら悲鳴を上げていた。怪我らしい怪我もなく無事なようでほっとする。


 どうやら転がって着地の衝撃を殺そうとしたらしいけど、下には子供の膝くらいの水かさがあったので全身ずぶ濡れになってしまったという訳だ。


「……の、ノーチェちゃん」

「ってそんな場合じゃにゃかった、急ぐにゃ!」


 うまく着地して足しか濡らしてなかったフィリアまで、思い切り水をかぶって全身びしょびしょになっている。


 平時なら笑うところだけど、今は緊急退避中。ノーチェの号令に従う形でぼくたちは水浸しになった地下通路の中を歩き出す。


「ガキどもはここか!」

「くそ、穴広げろ!」


 背後から聞こえる男たちの声から逃れるために。

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