遺跡の魔物
スラムの子供たちがぼくを拉致しようとした動きを見せてからしばらく。
例の子たちがぼくたちを遠巻きに眺めている様子こそあったものの、あれから直接仕掛けてくることはなかった。だから表面的には小康状態が続いていたのだけど……。
「ノーチェってさ、ここで暮らして長いの?」
「にゃ?」
正直に言えば、ぼくは必要以上にノーチェたちと関わるつもりはなかった。
適当に住処を貸して貰って、道具が整ったら適当なお礼でも置いて街を出る予定でいた。
「んー、長いと言っても半年くらいだけどにゃ」
「そっか……」
だから、明らかに教育レベルが違うふたりがこんなところに住む事情についても、知ろうと考えてすらいなかった。
何か事情があるにせよ、ぼくが優先すべきはスフィのこと。余計なことを知るつもりはなかった。
「急にどうしたにゃ?」
「ん、このあたり広くて住みやすいのに、どうしてスラムの人たちは近づかないのかなって」
「あー……んー……」
気になったのはスラムの住人の行動だ。この廃墟群はどういう事情か、壁の中に森の一部と遺跡が食い込む形で存在している。大昔の遺跡は頑丈で、確かにあちこち崩れてはいるけど住むのに不便はそこまでない。
遠目で見る限りでは、スラムは木造と石造りが半々なボロボロの建物ばかり。こっちは壁内でも魚が取れる水路があったり、食べれる野草も結構見かける。
家なしの子が住むのにはちょうど良さそうなんだけど、スラムの住人は出来るだけここに近づかないようにしているみたいだった。
あちらにも結構な住人が居る音はするのに、ノーチェにちょっかいをかけてる男の子たち以外は近付く気配すらない。正直、ちょっと不気味だ。
「それはにゃ、遺跡の魔物のせいにゃ」
「魔物?」
「この遺跡にゃ、すっごい古くて地下も広いんだけど、魔物が出るって噂があるにゃ」
穏やかでない情報だった。でも魔物が出るって噂があるならあの子たちが近づかないのもわかる。基本的に魔物っていうのは普通の、武術や魔術の心得がない人間が生身でどうにか出来る相手じゃない。
食うにも困るスラムの住人ならまともな装備なんか無いだろうし、遭遇したら殆ど死亡確定だ。
……だけど。
「……噂だけ?」
「そうにゃ、前に変な唸り声みたいなの聞こえたこともあったけど、調べてみたら風が鳴ってただけだったにゃ」
噂だけで姿を見たものはいないらしい。ノーチェが聞いた唸り声も、風の強い日に通路を通りぬけた風のせいだったそうだ。
「ま、おかげで面倒なやつらが近づかなくて済んでるんだけどにゃ」
「うん」
廃墟の中で耳を澄ませてみても、変な音は聞こえない。差し迫った危険じゃないことがわかってホッとする。
「ま、心配すんにゃ、魔物くらいあたしがやっつけてやるにゃ」
「……うん」
ノーチェは力こぶを作り、牙を見せてにかっと笑う。
最初は敵意マシマシで少し怖かったくらいなのに、いつの間にかこんなに屈託なく笑う姿を見せてくれるようになっていた。無邪気な笑顔がスフィとだぶる。
「アリスー! ごはんだよー!」
「今日はお魚だよー」
食事当番をしていたフィリアとスフィが呼びに来た。青葉薬草の処理を切り上げて立ち上がる。
「っと……」
立ちくらみでふらついたところで、ノーチェがそっと背中を支えてくれた。
「だいじょぶか?」
「うん、ありがとう……ノーチェはやさしいね」
「……ま、生まれつき弱っちいのは仕方ないにゃ、気にすんにゃ」
お礼を言うと、そんなことを言ってそっぽ向いてしまった。少し顔が赤い。
照れているみたいにしっぽが揺れてるのは見ないことにして、ごはんを食べに行く。
「アリス、骨だいじょうぶ?」
「うん、噛み砕ける」
「アリスちゃん、やっぱりちっちゃくても狼だよね……」
「あたしだってそのくらい出来るにゃ」
奥歯でポリポリと、焼いた魚を骨ごと噛み砕きつつ、にぎやかな食事風景をながめる。
……おじいちゃんの具合が悪くなってからはスフィとふたりきりの食事だった。
前世の記憶にある、ひとりで食べる冷めたごはんよりはずっとマシだったけど、不安を抱えながら食べるごはんは正直美味しいものじゃなかった。
賑やかな4人で食べるごはん。並んでいるのは質素なんて言葉じゃ足りないくらい粗末な食べ物ばかり、なのに不思議とごちそうに感じる。
いつかぼくたちが旅に出る時にふたりは……そう考えて、止めた。ふたりにはふたりの事情がある、生活がある。
この街でだって立派にやっていけるだろう。ぼくたちがやろうとしているのは何も保障出来ない、大陸を横断する危ない長旅だ。道半ばで死ぬ可能性のほうが遥かに高い。
居場所のある人を、ぼくたちの勝手な都合に巻き込もうとするのは間違っている。
■
雨が降っていた。ざあざあ降りの酷い雨だった。天井から流れ込む水が広場のくぼみに貯まって水たまりをつくっている。水量が多すぎて、廃墟の地下に流れるのが追いつかない。
「ほんと、雨ばっかりにゃ」
「うん」
ぼくたちが住んでいるのはひとつの巨大な大陸だ。大陸図で言えば西南に位置するラウド王国は、地理的にいえば空気が乾燥していて温暖。天候の変化も少なくて、問題になるのは治水より干ばつの方。
だからこんなに天気が荒れるのは珍しい。
雨の日は憂鬱で仕方ないぼくにとっては、最悪に近い天候だ。
「ひゃー!」
流石にここまで雨が続くと空気も冷えてくるため、ぼくたち4人は広場で身を寄せ合って過ごしていた。天井の穴から聞こえてくる雨音が激しさを増して、スフィが気の抜けるような悲鳴をあげた。
「すっごい雨」
「こりゃスラムの方は中までびしょびしょだにゃ」
「うわぁ」
乾燥していて温暖なここらへんの建物は、ここまでの大雨対策を必要としない。おじいちゃんと暮らしていた比較的マシな家ですら雨漏り上等な感じだった。
「ま、ここは雨水ぜんぶ下に流れてくから平気だけどにゃ」
「ノーチェちゃんが作ったわけじゃないでしょ」
「見つけたのはあたしにゃ!」
不安がらせないためか、まるで自分の手柄を自慢するように胸を張ってドヤ顔をするノーチェに、フィリアがツッコミを入れた。ノーチェの返しに小さな笑いが起きる。
「そういえば、この水どこに流れ込んでるんだろう。あの地下通路かな」
「さぁ、知らないにゃ」
床に空いた穴へと勢いよく流れ込む水を眺める。遺跡そのものが排水を前提とした構造になっていないから、どっか別の場所に流れ込んでるんだろう。
地下通路かなと思ったけど、頭の中に浮かぶ構造や地下の深さとこの遺跡の位置関係が一致しない。外側の水路にいくわけでもなし、ここより地下に別の空間でもあるんだろうか。
…………?
嫌な予感が頭をよぎって、背中をぞくりと悪寒が走った。
「……アリス、どうしたの?」
ぼくの様子に気付いたのか、スフィが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……ノーチェ、この遺跡の下を通るような地下通路とか、別の遺跡とかある?」
「にゃ? いや、思いつかないにゃ」
「え、えっとね、崩れて通れなくなってる道があるよ?」
どうせ一時的に身を寄せるだけだからって、このあたりの遺跡の構造を考えることすらしていなかった。
フィリアに詳しく話を聞くと、どうやら地下通路の一部が崩れて通れなくなっているだけで、もっと深くまで地下が広がっているようだった。
……何のための遺跡なんだろう。そんな構造にする意味がわからない。
「スフィも知ってる、あちこち入り組んでてね、迷路みたいなんだよ」
「……なるほど」
入り組んだ地下迷路か。そんなものを作るとすれば目的はいくつか思いつくけど……。
ひとつは侵入者を阻むため。地下に何かがあって、そこに辿り着けないように道を複雑に作る。迷宮を作るなら真っ先に思いつく。
もうひとつは……何かを封印するため。神話なんかでもあるように、手に負えない化け物を地下深くに誘い込んで出られないように閉じ込めるため。
遺跡の魔物……まさか、ね。
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