悪意の兆し


『ここにゃあ色んな奴が来る。大学院を出たエリート様から、どこぞの国のスラムで泥水を啜って生きてきたドブ鼠まで色々だ。いいか、スラム育ちの人間がいい顔して近付いてきたら絶対に信用するな。お前が想定できる10倍は馬鹿な事をやらかすと考えろ……あいつらは騙し合いと奪い合いの世界で生きてんだ』


 ぼくの世話になっていた施設に新しい職員さんがまとめて来た時に、いつになく真剣なたいちょーさんに言われたことがある。


 たいちょーさんの部下には、どこどこの国のスラム育ちって人も結構居たはずなのに、誰一人として反論しなかった……それどころかむしろ頷いていた。


 みんな変わってるけど良い人たちばっかりで。卑下しているよう見えて不満だったのを覚えている。


 だから、スラム出身だからって悪い人とは限らないと指摘したら、こう言い返された。


『そういう奴らはとにかく仲間意識が強いんだよ、組織への帰属意識もな。その代わり仲間以外から奪うことは躊躇しねぇ。わざわざ日本の処刑場までやってきて、お前に近付こうとする奴らはどこぞの組織の紐付きだ。中には良い奴も居るかもしれねぇが、そんなもん外からはわからねぇんだよ。いいか? 俺たちゃお前の保護者なんだ、いざという時には命張って守る義務がある。もしかしたら混じってるかもしれない良い奴を見つけるために、仲間を死なせるリスクは取れねぇ』


 真剣に論されて、言う通りだと思った。


 うっかりぼくが誘拐されそうになれば、矢面に立って戦うのはたいちょーさんたちなのだ。その時はあまりにも現実的な返答にちょっと凹んで。言い負かされた悔しさに『じゃあエリートはいいの?』と悔し紛れに愚痴って見せた。


『お前と仲良くしたがるエリート様が居ると思うか? 何とかして距離を詰めようとするのは、俺たちみたいな後がねぇ奴らだよ。幻の一発逆転に賭けるしか道がねぇようなドブ鼠だけだ』


 当時はそれでぐうの音も出せなくなった。施設にいる白衣を着たエリートさんがぼくに近付くことはなかったからだ。


 それに新しい職員をたくさん補充することになった事件の元凶を考えると、ぼくの方だって白衣(エリート)さんに近づきたくないっていうのが正直なところで……。


『――そういう訳だから、新入りに派手な挨拶ぶちかましとこうぜ。俺たちのチビ助が嘗められねぇようにな』


 落ち込んだぼくを励ますようにたいちょーさんが頭を乱暴に撫でたかと思えば、また悪戯にさそわれた。


 結果として、ぼくは永久外出禁止にされた挙げ句たいちょーさん達を護衛から外さないでくださいって嘆願書をあちこちに向けて書き続けるはめになった。


 といっても、外出禁止は当時の"ともだち"が怒って扉を壁ごと抉り取ったせいですぐに解除されちゃったんだけど。


 代償として暴れまくる"ともだち"を必死に抑えて、来たばかりの職員さんたちがまた居なくならないように頑張るはめになった。



「なぁ、俺たちのとこへ来いよ」

「あんなマモノモドキのとこに居たって、いいことないぜ?」


 騒動があった日から数日後。塒にしている廃墟の外でトイレを済ませて戻る途中、食料をせびりにきた男の子たちに囲まれてしまっていた。


 そんな訳で、前世のたいちょーさんの思い出を振り返りながらぼうっと虚空を眺めていたのだ。


「うまいもの手に入ったんだよ、興味あるだろ?」

「大丈夫、俺たちが守ってやるから」


 下手くそな作り笑顔を浮かべるのは、ノーチェに突っかかっていた男の子たち。うまく加減して残るような怪我をさせていなかったのか、擦り傷の痕が残っている程度でピンピンしている。


 逃げようにも、鈍いぼくじゃ5人相手には逃げ切れそうにない。囲まれてしまったのは油断していたぼくのミス。


 遠くから物陰で様子を窺っているのはわかっていたのに、報復って感じでもなかったから様子を見ているだけだろうとスルーしたのだ。


 ところがトイレ中に距離を詰められて、失敗に気づいたぼくが慌てて戻る途中で捕まった。


 女の子のトイレは小さい方でもしゃがむ必要があって、咄嗟には動けないので不便だ。


「な、来いよ」

「何とか言えよ」


 ぼくが何の返答もしないことに、リーダー格のふたりがしびれを切らして馬脚を現しはじめた。獲物を品定めする視線に、相手を蔑むような嫌な音。


 それにしてもわからない。ノーチェに対する人質にしようって意図なら、ぼくはとっくに押さえ付けられている。


 一番弱そうだけど、獣人だから警戒されてる?


 近そうだけど、しっくりこない。


「おい、無視すんなよ!」

「あっ……!?」

「うわっ」


 考え事の最中に腕を引っ張られて思わず転ぶ。受け身に失敗して思い切り上半身から倒れ込んでしまった。顔は腕で庇ったけど地面は石造りでめっちゃ擦りむいた、痛い。


 というかこいつ、引っ張っておいて急に放しやがったな。


「な、なんだよ! 言うこと聞かないお前が悪いんだろ!?」

「もういいよ、こいつ弱そうだし連れていこうぜ」


 やっぱり誘拐狙いか、そういうことなら容赦はいらないと覚悟を決める。


 確かにぼくは弱い、前にスフィと滅多にない姉妹喧嘩をした時は5秒もかからずねじ伏せられた。運動という領域で勝てた試しはない。ノーチェ相手でも結果は同じだろう、やられ方が違うだけ。


 フィリアは大人しそうな見た目と性格に反して、ぼくを背負って普通に走り回れるくらいパワーが有る。ぼくたち4人の中で一番力持ちだ、スタミナはそんなにないけど。


 だから一番弱いぼくに狙いを定めたのは間違いじゃない。


 間違いじゃないけど――熊、獅子、虎に並んで獣人四強と呼ばれている狼人族(ウォルフェン)を嘗めすぎだとも思う。


「ぐるるるる……」

「うっ……」


 牙を剥いて唸り声をあげる。肉食系獣人の前歯は人間と違って尖っているし、顎の力も遥かに強い。同年代の子供相手なら、たとえぼくでも本気で噛み付けば目も当てられない大惨事になる。


「お、おい! 抑えろ!」


 命令されて手を伸ばす、従っているだけの子を横目で見る。可哀想だけど弱いぼくは手加減できない、大怪我までさせる気はないけど多少血を見るのは我慢してもらおう。


 そう思って噛みつこうとした瞬間、耳が聞き慣れた足音を拾った。トイレから戻らないぼくを心配して見に来てくれたらしい。


 外に出るなり男の子に囲まれて倒れているぼくを視界に入れたようで、スフィは凄まじい速度でこちらに駆けてきた。


「アリスから離れろッ!!」

「ぐえっ!?」


 そして走る勢いのまま、リーダー格の片割れに飛び蹴りを食らわせた。細い足が腹に突き刺さっているのが見えた、くの字に折れた男の子が目算1メートルほど浮いてからしばらく地面を転がっていった。


 ……ほ、骨の折れる音はしなかった、から。


「ぐるぅぅう゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!」

「ロンっ!? な、何だよお前」


 前傾姿勢になったスフィの、かつてないほど低い唸り声に反射的に身が竦んだ。メチャクチャ怒ってらっしゃる……。


 身体を起こして、今にも残った男の子たちの喉笛を噛みちぎりそうなスフィをなだめる。


「スフィ、ぼくは大丈夫だからおちついて。ちょっと転ばされたくらい、傷は打ち身と擦り傷だけ」

「…………ぜッたい許さないから!!」


 おかしい。大した怪我じゃないって伝えたのに怒りが倍増した。


「てめぇら! あたしの縄張りで何してるにゃ!」

「う、ぐ、ちくしょう! 逃げるぞ!」


 そこでノーチェも現れてくれたことで、男の子側もようやく逃げる気になってくれたようだ。本格的な争いになる前に何とか収まってくれてよかったと胸をなでおろす。


 追いかけそうなスフィの手を掴んでとどめている間に、ノーチェが逃げる奴らの足元に拾った石を投げつける。高速で飛んだ石が地面を打ち鳴らして、情けない悲鳴があがる。


 スラムの連中の逃げ足が早くなった。


 一応動けない仲間を連れていくくらいの根性はあるみたいだけど、思い切り引きずってる……。


「こいつらはあたしの客だ、次に手を出したらただじゃおかにゃいぞ!」

「覚えてろ! おまえらも! そんなマモノモドキと一緒に居たら後悔するんだからな! 俺たちと一緒に来たほうが良かったって後で後悔しても知らな」

「うるせぇにゃ!」

「ひぃっ!?」


 台詞の途中で投げられた石が今度は頬をかすめて、残ったリーダー格の片割れが慌ててスラムの方へと逃げていった。


 敵がいなくなってから、ようやく振り返ったスフィがぺたぺたとぼくの身体を触り始める。擦りむいた腕に触られて、思わず腕を引いた。


 スフィの顔があからさまに顰められる。


「っ……」

「アリス、手当てしなきゃ……あるける?」

「うん」


 うわぁ、言いたいことがすっごくあります! って感じだ。


「アリス、悪い……巻き込んだにゃ」

「ううん、ぼくのミス」


 トイレに使ってる場所が目と鼻の先だったからって完全に気が抜けてた。あんなことがあってすぐなんだから、単独行動は避けるべきだった。


「というか、そもそもノーチェは悪くない」


 過去に何があったのかは知らないけど、ぼくを狙ったことに関しては擁護出来ない。目的はハッキリしてないけど、ノーチェに対する仕返しのつもりだったら逆恨みもいいところだ。


 責任を感じているのか口を引き結ぶノーチェを何とか慰めながら、もっと厄介な相手に目を向け直す。


「……アリス、なんで止めたの?」


 手をぎゅっと握って、スフィが低い声でつぶやいた。


 普段は穏やかで天真爛漫という言葉が似合うけど、スフィはこれで結構苛烈だ。特に妹(ぼく)絡みになると激しさが増す。


 村にいたころも、いじわるしてくる子や大人の男に全力で反撃しそうになることもあったくらいだ。


 今回みたいに軽いとは言え怪我をさせられたら、やりすぎてしまう可能性も高い。


「スフィがぼくのために怒ってくれるの、嬉しいけど。大怪我させたら、余計にこじれる」


 相手はあれでも近隣住民だ、一方でこっちはイリーガルな手段で街に入っている身。目的がわからない状態で必要以上に軋轢を強めたくない。


 何より……。


「ノーチェ、相手の後ろに何かいたりする? マフィアみたいなのとか」

「……そのマフィアが何かはわからにゃいけど、スラムの元締めがいるにゃ」


 ああいう場所で生きていくためには団結が必要で、人数が集まればギャングみたいな組織が出来上がる。


「そういうのは、面子を大事にする。ちょっとした子供の喧嘩くらいならまだしも、派手な流血沙汰になれば面子のため大人が出てくるかも」


 そういう奴らは面子を潰されるのを何よりも嫌うらしい。弱腰と見られたら他のギャングに狙われるし、内部抗争の原因にもなるから……だとか。


 ここまで所詮は子供の喧嘩だ。しかも年下の女の子ひとりに男が5人がかりで一方的にちょっかいかけて、しかも軽くひねられて追い払われた。この程度で大人が出張って女の子を痛めつける方が周りから嘲笑される。


 あっちに相応の利がなければこちらに何かしてくる事はない。ノーチェたちがここまで無事に過ごせていて、過剰な警戒をしてないあたりそこまでの無茶をする集団じゃないんだろう。


 だけど、しっかりめの治療が必要なレベルの大怪我をさせたら話は別だ。まず構成員を傷つけられた報復に動く。


 いくら強いと言ってもノーチェもスフィも二桁になってない子供。喧嘩に慣れた大人相手じゃ分が悪すぎる。


 ノーチェが相手に必要以上の怪我をさせずにあしらっているのは、たぶんそのせいだ。一応ぼくだって噛む時に加減はするつもりだった。


「……合ってるにゃ」

「むぅぅぅ……」


 ぼくの考えを伝えると、ノーチェは呆れたように同意してくれた。


「このくらいの怪我なら、すぐ治せるから。機嫌直して、ね?」


 幸いにも雨宿草を漬けているポーションは量にまだ余裕がある。干した薬草はまだあるから、また粗悪品を作ってもいい。


「……そういうことじゃないもん」


 何とかなだめようとしてるのに、あんまり効果がない。半泣きになったスフィに抱きしめられて、擦れた部分が押しつぶされた。ちょっと痛い。


「とにかく、しばらく単独行動は避けるにゃ。森へ行くのもふたり組で、どっちかが残るにゃ」

「うん」


 ノーチェの言葉に頷きながら、曇りがちの空を見上げる。


 この街から出る準備、そろそろ始めたほうがいいのかもなぁ。

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