スラムの住人


「失せろ、おまえらにやるもんなんて何もにゃい!」


 朝っぱらから、ノーチェの怒鳴り声で目が覚めた。眠い目をこすりながら、頭を抱きしめているスフィの腕をほど……けない。まぁ別にトイレ行きたいわけでもないからいいんだけど。


 仕方なく寝たまま耳を入り口の方へ向けると、会話がハッキリ聞き取れるようになった。当たり前のように使えているけど、獣人の動かせる大きな耳はすごく便利だ。


「おまえのところ、最近食料集めまくってるみたいじゃねーか、だったら余裕あんだろ? 分けてくれよ、助け合いだぜ」

「ふざけんにゃ! お前らがあたしらに手を貸したことにゃんてねぇだろうが!」


 ノーチェと会話しているのは……声の感じから男の子みたいだった。声変わりしてないっぽい声質だから年齢は低そうで、断定出来ないけど。


 わざわざ食料をせびりに来たあたり、スラムの子供なのかな。声からしてへらへらしていて、間違っても友好的じゃなさそう。


「…………街にも、ああいうのいるんだね」

「だね」


 スフィも目を覚ましたのか、ぎゅっとぼくを抱きしめてくる。


 普段から馬鹿にしていて、自分から手助けする気なんてないくせに。


 自分が困ったときはさも当然のように協力を求めてくる人種。こういった手合はどこにでもいるってことなんだろう。


 貧すれば鈍する。生まれ育ちが賤しい人間は、考え方も生き方も身勝手で賤しくなる。そういう生き方しか教わらないからだ……って前世の保護者が言ってたっけ。


 身勝手に振る舞う村の人達を見て、おじいちゃんが嘆いているのを一度だけ聞いたことがある。たいちょーさんも、近付いてきたヤツがそんな育ちだったら気をつけろと何度も繰り返していた。


 比較すると、やっぱりノーチェやフィリアのしっかりした振る舞いが際立つ。あの子たちも訳ありってやつなんだろうなぁ。


 それはともかくとして。


「スフィ、あのね」

「ん?」

「起きたいから、はなして?」

「んー」


 ……ぎゅってしてとは言ってないんだけど。



「ケチケチすんじゃねーよ!」

「そうだ、ちょっとくらいよこせよ!」

「お前らみたいなのにやるもんはにゃい! 何度も言わせるにゃ!」


 スフィと手をつないで様子を見に行くと、入り口付近でノーチェと薄汚れた服を着た男の子たちがヒートアップしていた。


 手助けはしないんじゃなくて出来ない。ああいう子にぼくみたいな覇気のない小さい子が応対したところで極限まで嘗められるだけだ。


 前世の姿だったなら……結果は変わらないなたぶん。


 なんとも言えない気持ちで騒ぎを眺めていると、騒いでいた男の子のひとりと目があった。


 半分寝ぼけてここまできちゃったけど、姿を見せたのは失敗だった。


「……なんだよそいつら」

「お前らには関係にゃい」


 ノーチェが視線を遮るように、ぼくと男の子の間に立つ。


「余所者にやるエサはあっても、俺たちの分はないってのかよ!」

「クロカミのマモノモドキのくせに!」

「――てめぇ!」


 やりとりの中で激昂したらしいノーチェの毛が逆立つ。


 相手の好き勝手な言い分……というよりも、言葉そのものが原因だったように見えた。肌がぴりぴりするような怒りの音をさせて、マモノモドキと呼んだ子にノーチェが掴みかかる。


 ぼくたち相手に見せていたものとは比較にもならない強烈な怒気に、流石に少し驚いた。


 男の子たちも反撃しようとしたところで、掴んでいた子を突き飛ばしたノーチェが素早く距離をとった。相手の方が体格も良いし5人と数も多い。身体能力に優れる獣人とは言え、多人数と取っ組み合いは危ない。


 ノーチェは掴みかかる相手の手を引っ張って転ばせたり、足を引っ掛けたり。とにかく動いて捕まらないようにしながら敵の戦意をくじいていく。


 見ていて不安にならない、すごく喧嘩慣れしている戦い方だ。


 石の床は経年劣化で崩れかけている。勢いよく転ばされると結構痛い、リーダー格に付き合っているだけの子は痛みであっという間に戦意喪失してしまったようだ。


 残りはリーダー格のふたり、ノーチェは既に落ち着いた様子で余裕をもって対処している。今のぼくにできることなんてほぼなかったけど、手助けはいらなそうだ。


 スフィもいつでも飛びかかれるようにしてたみたいだけど、ノーチェの動きを見て勝利を悟ったのかもう警戒を緩めていた。


 ひとまず放っておいても大丈夫みたいだから、すぐ近くであわあわしているフィリアに声をかける。気になることがあったのだ。


「フィリア、あれどういう意味?」

「え?」

「くろかみでまものがどうとか」

「……え、アリスちゃんたち、知らないの?」

「?」


 ぼくの質問に、意外なことを聞かれたとばかりにフィリアの目が開かれる。


 知っているのが当たり前みたいな反応に、ぼくとスフィは顔を見合わせた。ノーチェ個人のことじゃないとして、語感からすると黒い髪のことを指してるのかな。


 忘れているだけかと記憶をさらってみるけど、やっぱり心当たりがない。


 村に黒い髪の人はいなかったし、おじいちゃんも特に何か言ってた記憶がない。読ませてもらった本の中にもそれらしい知識はなかったと思う。


 何かしらいわくつきの種族の特徴とかだったりするんだろうか。


「そ、その……黒い髪は、魔物の証で、けがれてるから不幸を呼ぶって……」

「……あー……それかー」

「なんだぁ」


 ……重要な情報なのかと思えば、ただの迷信だったらしい。ぼくとスフィは揃って安堵の息を吐く。


「へ?」


 魔物は黒い皮膚や体毛を持つ物が多い。こっちでは珍しい黒髪、黒い毛並みは魔物の証拠だーみたいな雑な関連付けをした人間が居たんだろう。伝わる中に具体的な例が出てこないのがそれを裏付けてる。


 事実から成り立った曰くなら、黒い髪の人物が何かをしたとか、具体的な例が民話として残っているものだ。おじいちゃんが知らない時点で想定はしてたけど、獣人の間にだけ伝わる話があるわけでもないらしい。


 ぼくに関してはむしろ獣人についての方が知らないこと多いんだよね。


「怖くないの……?」


 困惑しているフィリアが、恐る恐る聞いてくる。知ってて普通に接してるものだと思ってたのが、今知って怖がるんじゃないかって心配してるようだ。


「フィリアは何ヶ月も一緒に居て、何も起こってないんでしょ? じゃあ謂れのない迷信。こわがる理由がない」

「うんうん」


 物事には必ず因果関係があるのだ。仮に不幸が起こったとしても、髪の色が直接の原因になる可能性のほうが低い。


「それにぼくはノーチェの髪、夜の空みたいで綺麗だとおもうけど」


 黒い毛の動物なんて魔物以外にいくらでもいるし、傾向があるだけですべての魔物が黒い外見をしているわけじゃない。それに元日本人としてはノーチェの黒髪にはむしろ親近感すらわく。


 村に濃いブラウンみたいなのは結構いたけど、東洋人みたいな漆黒はとても珍しい。


「というか、ぼくたちの白い髪だって、おばあちゃんみたいとか言われるし」

「うん……」

「……えぇ」


 ぼくたちの毛並みも綺麗にすれば雪みたいに真っ白でキラキラするけど、手入れの行き届かない現状だと老婆の白髪と大差がない。


 村にいた頃は悪ガキたちに「ババア」呼ばわりされてからかわれてばかりいた。


 だから比較として言ってみたら、今度はものすごく微妙そうな顔をされた。


「アリスちゃん、スフィちゃん。女の子の白い毛並みはお姫さまの色だよ……?」

「……何の比喩?」


 思っていた反応と違う。首を傾げていると、フィリアは困ったように眉を下げた。


「ひゆ……? えっと、昔あった獣人の国の王さまたちは、みんな白い毛並みだったんだって。だから獣人の白は王さまやお姫さまの色だってお母さまが」

「なるほど……」


 獣人の国ってことは、旧ビーストキングダム関係の話みたいだ。


 大陸中央北部の雪原地帯にあった獣人の国で、何十年か前に魔王の襲撃によって滅びたって聞いている。


 魔王っていうのは魔物たちの親玉みたいな怪物で、歴史上ふらりと現れてはたびたび国を滅ぼしている。


 当時の獣王含めた王族は襲撃してきた魔王と相打ちになって死亡。ビーストキングダムの生き残りは大半が同盟国だったアルヴェリアに、残りは大陸南部の森林地帯にある獣牙連邦へ逃れたとか。


 ……ん? アルヴェリアに両親が居るってまさか……いやでも当時の王族は魔王と相打ちになって全滅したって話だし。


 王族の縁戚が逃げ延びていたとか?


 可能性はありそうだけど……今はやめとこう、考えても仕方ない。


 ぼくたちはただの狼人族で、普通の姉妹だ。


「くそぉ、覚えてろよ!」

「ちくしょう! 半獣のくせに!」

「二度とくるにゃバーカ!!」


 思考を切り替えたあたりで決着がついたようだった。ノーチェにボコボコにやられたリーダー格が逃げ出していく。


 ノーチェの被害は掴まれそうになったのか、ちょっと腕にひっかき傷を作った程度。殆ど無傷と言っていい。


 相手への過剰な暴力もない、傍目にも格上だってわかる良い倒し方だと思う。


 前世の保護者が『勝つときは徹底的にだ。半端に勝つと嘗められるからな、ただしやりすぎもダメだ』って言っていたし。相手を一方的に圧倒するノーチェの戦い方は理に適っている。


 というか、ひとりで同年代の男の子5人をまとめて叩きのめすあたりノーチェは相当にお強い。喧嘩なら下手したらスフィよりも強いかもしれない。


 スフィも1歳程度とはいえ年上の男の子3人まとめてぶっとばせる程度には強いから。


 ……獣人って全体的に戦闘能力が高いのだろうか、ぼくは全然弱いのに。


「…………ふん」


 そんな事を考えていると、のしのしと戻ってきたノーチェにジロリと睨まれた。


 喧嘩中に横でのほほんと会話していたことに思うところがあったのかもしれない、それも当然かも。


 しっぽが複雑な動きをしている……感情が読めない。


「……手当する」

「このくらい大したことないにゃ」

「あのこたち、爪とか汚そう、傷口を汚れたままにしとくのはよくない」

「…………わかったにゃ」


 誤魔化すように怪我をした方の腕を取る。薄皮が少しむけた程度で、一部にうっすら赤みが滲んでいるくらいか。


 これなら軽く洗って、昨日作ったポーションを塗ればすぐに治る。これ以上深い傷には対応できないけど、この程度なら使える。……なんだかんだで作っておいてよかったかも。


「スフィは朝ごはん作るね」

「あい」


 朝食の方はスフィに任せて、ぼくはノーチェの手当をはじめる。貯蔵庫まできてもらって、貯めてある水で手と傷口を洗って……雨宿草を漬けているポーションの上澄みを指で掬って塗りつける。


「…………ふん」

「……おしまい」


 みるみるうちに引っかき傷が綺麗に消えていく。粗悪品で対応できる傷でほんと良かった。


「……ありがとにゃ」

「うん」


 機嫌が良いわけじゃなさそうだけど、何故かノーチェからのアタリが少しだけ柔らかくなっている気がする。


 ……うーん、わからぬ。



 朝食を終えたぼくは、広間でスフィと毛づくろいをしていた。


 ブラシがないので手ぐしでお互いの髪の毛としっぽをほぐしあう。毛が抜けるから寝床ではあまりやりたくない。


「……そういえば、れんきんじゅつって道具が必要なんだよにゃ?」

「うん」


 隣で寝転んでいたノーチェが、思い立ったようにぼくを見る。


 朝方トラブルがあったばかりなので、今日は採集を取りやめて備蓄で過ごすことになった。手持ち無沙汰のまま暇をつぶしていると、気付けば全員広間に居る。


 あの子たちの行動は雨続きで食料を得られなかったせいだろうし、晴れの日が続けばまた距離を取ってくれると思いたい。


 流石にずっと採集に行けないのは困るからなぁ。


「自分で作ったりはしにゃいのか?」

「道具がない」

「にゃ?」


 質問に即答すると怪訝そうな顔をされた。錬金陣は正確に描かないといけないんだけど、フリーハンドでそれをやるのは無理な話。たとえ使い捨て品でも描くには正確な定規や分度器が必須。


 そういった計測器は原器は領主が、複製品は大手のギルドが大抵の場合管理している。自分で作るのは大変だし、買おうと思ってもまず手に入らない。


 ……つまり道具を作るための道具がないのだ。


「道具を作るための道具がなくて、道具を作るための道具を作るための道具もない」

「……? よくわかんにゃいけど、わかった?」


 ちゃんと説明したらわかってくれたようだ。返す返すもあのおっさんに錬金術の道具を奪われたのが悔やまれる。作り直すのほんとに大変なのに。


「すごい技なのに、もったいないよにゃ」


 素直に褒めてくれたことに、少しだけ驚いてスフィと顔を見合わせる。何がキッカケになったかはわからないけど、歩み寄りを見せてくれていた。


「……仕方ないことだから」


 無いものはない、今出来ない以上は役に立たない子扱いも仕方ない。そう思っていたし、実際間違ってもない。


 だけど、頑張って身につけたことを認めて貰えるのが……何だかちょっと、くすぐったい。

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