貴重な薬草
大雨は止んだけど、天気はご機嫌ななめのまま。
空気は湿って日差しはなくて、薬草の天日干しはまだできなさそうだ。
「食料探しにゃんだけど……」
「スフィは森にいってくるね」
「あたしは……いや、あたしも森にいくにゃ」
花が咲いた思い出ばなしのおかげか、スフィとノーチェの関係も多少は改善の兆しを見せている。少なくとも表立って火花を散らすようなことはなくなっていて、フィリアと一緒にホッと胸をなでおろす。
「アリス、お姉ちゃんいってくるから、いいこにしててね」
「うん」
「フィリア、留守は任せるにゃ」
「はい」
準備を終えたスフィが背伸びして、鼻先をこつんと額に当ててくる。
やる気に満ちた様子で森へ続く道を行くスフィたちを見送ってから、ぼくはフィリアと一緒にお昼の準備だ。
今日も今日とてメニューは串焼き。レシピに代わり映えはないけど、とりあえず不満は出てないので良しとしよう。
■
ストックしてある調理が終わって一息ついたところで、スフィたちが帰ってきた。
「アリス、アリス!」
「んー?」
何故か妙に興奮した様子でスフィが駆け寄ってきた。ご機嫌なのか、しっぽが左右にぶんぶん振られている。
「みてみて! すごいのみつけた!」
「……まじで」
自慢気に懐から取り出してきたのは、光を浴びてキラキラと輝く、青く小さな無数の花を持つ植物。3枚の特徴的な菱形の葉っぱが花を囲むように生えている。
「
夜に降った雨の後、早朝の間にしか咲かない花で、その状態でつむと暫く花が開いたままになる。咲く条件が厳しい上に生息してること自体が珍しく、蕾の状態じゃよく似た別の植物と区別がつかない。
栽培する実験は何度も行われているけど、いまのところ全部失敗している。
つまり貴重な植物。
「なぁ、それって珍しいにゃ?」
「おもに、エーテルを水属性に染める性質を持ってる」
「にゃ?」
「水を生み出す魔道具を作るための材料。そのまま錬金術ギルドにもっていけば……えーっと」
この大陸で主に流通している貨幣はグレゴリウス硬貨と呼ばれるもので、小銅貨、銅貨、大銅貨、銀貨、金貨、大金貨の合計6種類が使われている。
10進法なので10枚刻みで上の額面と等価値になる。通称はグレド。
たしかこの国だと……そこそこ大きな街の良いめの宿が銀貨1枚で、えーっと水を出す魔道具が最低で大金貨2枚から、他の材料は入手しやすいものばかりだから……。
「たぶん金貨4枚くらい……?」
「にゃ……?」
額が大きすぎて想像を飛び超えたらしい。完全に目が点になっているノーチェとフィリアをよそに、スフィはぐいっと雨宿草をぼくに押し付ける。
「アリス、ほぞんほぞん」
「うん……」
丸投げかよとは言うまい。
この花は鮮度を維持していられる時間が短い上に、普通の水につけても1日で萎れてしまう。なので採取してすぐに保存用の液につけるか、道具を使ってさっさと核に加工してしまうかになる。
おじいちゃんから基礎は叩き込まれているので加工は出来るけど、生憎と加工するための道具がない。
今は保存液を作る方法しか取れないな。
「かかりっきりになっちゃうから、あとはフィリアに任せていい?」
「え、う、うん……き、きんか4枚だもんね……」
「だ、大丈夫にゃのか?」
ふたりが動揺してどうするんだ。適当言ってるとは思わないのか、ぼくの言葉を素直に信じてしまったふたりから距離を取り、準備をはじめる。
スプーン代わりに葉っぱを使って、焚き火の跡から灰をすくい取る。次に適当な器に水を入れて灰を溶かす。
木の枝で撹拌してから中身が落ち着くまでのあいだに、小石を使って適当な床にガリガリと陣を描いた。
囲んだ円の中に記号を配置して構築する、通称『錬金陣』。
この錬金陣が錬金術の発動にどうしても必要なものになる。
魔術というものは大気中に満ちたエーテルと呼ばれる元素に、生物が体内でエーテルから生成した魔力を通じてイメージを伝えることで現実を歪める技術のことを言う。
基本は徒手で扱うもので、制御のためには詠唱と発動キーワードが必須とされている。研究はされているものの、どうにも詠唱そのものが重要らしくて破棄や省略は出来ないようだ。
錬金術はそんな魔術の研究過程で生み出された技術。詠唱の代わりになる図形や記号を組み合わせることで魔力を流すだけで術を発動させる陣術にヒントを得て、『黄金』の錬金術師グレゴリウス・ドーマが開発して広めた魔術体系。
魔術によって起こった事象は物理法則をある程度無視できるけど、世界の修正力が働いてすぐさま元に戻ってしまう。
例えば何もないところに火を起こすことは出来るけど、
錬金術はといえば、魔術のようにこの世界の物理法則を超えた現象を起こすことは出来ない。だけど形を変化させたり、分離させたり合成したりといった加工製造に特化している。
鉄分を多く含む石ころから鉄を抽出したり、石の中の成分に干渉して別の鉱石に変えたりすることはできる。けれど何もないところに石を生み出すとかは出来ない。その代わり、術の影響がなくなっても起きた現象は変わらない。
技術や素材に精通した熟練者が使えば、素材そのものの性質を残したまま別の形に変えることだってできる。それを活用して特別な効力を持つ道具や薬品を作ったりするのが錬金術師だ。
現存する魔道具や薬剤の大半は錬金術によって生み出されたといっても過言じゃない。
……とまぁそれだけ聞くと便利に思えるけど、実際はそんなに甘い技術じゃなかったりもする。
まず錬金陣を組み立てるには、複雑怪奇な記号や図形が個々に持つ意味を理解する必要があるし、描いた陣の正確さがそのまま術の精度に直結する。ちょっとでもズレれば効果が劇的に変化するのだ。
記号そのものを間違えて、発動しなかった程度の失敗なら可愛いもの。組み合わせを間違えたり、ズレて構成そのものが変わってしまった場合、扱う素材によっては爆発を起こすことだってある。
だから多くの錬金術師は、自分のよく使う基本的な錬金陣を可能な限り正確に刻んだ何かしらの道具を肌身離さず持っている。基本的にそういった道具は錬金術師ギルドで高額の報酬を出して、専門の職人に依頼をして手に入れることになる。
基本的には損耗を抑えるため、頑丈な金属や石材に刻み込んで魔道具や付与魔術でコーティングして、正確性を維持する。そういった高度な加工技術は専門家が独占しているので簡単には手が出ない。
……ぼくはいま、おじいちゃんから引き継いだ道具を奪われている状態。錬金陣の構築は手作業でやるしかない。
組み合わせや記号はしっかり頭に入ってるから陣の構造はわかるんだけど、やっぱりどう頑張っても正確に描くのは無理そうだった。
ここにはスケールもテンプレートもないんで仕方ない。
できるだけ慎重に、苦労して錬金陣を書き終える。
ふうっと汗もかいていない額を拭ってから、乾燥させていた
器を錬金陣の上に置いて、その端の線に指を這わせた。
「
発動のためのキーワードを口にすれば、ゆっくりと錬金陣が光りはじめる。器の中に水流が生まれ、薬草が溶けていく。
灰を溶かしこんだ蒸留水は水薬系錬金術の基礎となる材料のひとつ。ここにはそんなもの作れる設備はないのでまとめて一気に製造する。
青葉薬草で作れるのは下級ポーションと呼ばれるもの。
製造手段は錬成を使って熱を使わずに水に溶かしだすこと。葉っぱの中に含まれている水のマナが重要で、それは熱を加えると即座に壊れてしまうのだ。ビタミンに似てる。
因みに普通の低温水に粉を溶かそうとしても殆ど溶けない。時間をかければ少しはいけるけど、出来上がるのは実用品からは程遠い低品質な代物だ。
今回作るのはそれよりマシ程度には品質の低いもの、保存液ならギリギリ使える。
そんなこんなで作業を進めて、しばらくして出来上がったのはドロリとした濃い緑色の液体。
ちゃんと発動はしたけど陣が歪んでるせいでダマになってたり溶け切ってなかったりと出来が酷い。……諦めて隣に次の錬金陣を書いて、今度はそっちに器を移す。
「
次は両手の平で器を包むようにしながら、手だけを上へ持ち上げていく。水の中からせり上がってきた、いろんな不純物が器の中から溢れ落ちた。
外に出した不純物を廃棄しやすいように葉っぱの上に置いて……少し透明感の増した液体に頷く。
雑な錬金陣でやるのは、目の荒いフィルターで不純物をすくい上げるようなもの。きれいに濾すには何度も繰り返さないといけない。
錬金術は魔術と比べて消耗が凄まじく少ないけど、獣人の平均値より少ないぼくの魔力だと結構な重労働に感じる。
休憩を挟みつつ濾過を10回ほど繰り返し、ようやく実用に耐える偽ポーションが出来上がった。
淡い緑色の液体の中には不純物が思いっきり中に浮いてるし、まだまだ濁ってる。こんなもの出したら優しいおじいちゃんでもぶちキレそうな出来栄えだった。その中にそっと雨宿草を沈める。
理想を言えば上質なポーションを保存液にしてガラス容器で密閉できればいいんだけど……ぼくが用意できるのはこれが精一杯。
「アリスちゃん……それなに?」
「劣化下級ポーション」
ようやく終わってぐったりしてると、横で作業をチラチラ見ていたフィリアが恐る恐る器の中を覗き込んできた。
「ポーションって、あの、傷が治るお薬だよね」
「うん……これは使えないけどね」
質が低すぎて擦り傷くらいしか治らないし、飲んだらお腹壊す。失敗作だ。
錬金術師ギルドの販売するポーションは傷薬として有名だけど、下級に分類されるものは細胞を治癒、活性化させる効力を応用して保存液としても使われている。
こんな雑な仕事のポーションでも雨宿草が1月くらいは持つだろう。
「アリス、おつかれさま!」
「うん……つかれた」
背後からスフィにぎゅっと抱きしめられたので、遠慮なく後頭部を預ける。暖かさに癒やされる。
「おまえ、ポーション作れるにゃ……?」
「これは劣化版、偽ポーション」
「?」
愕然とした声色のノーチェに念の為伝えておくのも忘れない。こんな粗悪品、売り物になるレベルとは程遠い。仮にギルドに納品しにいっても鼻で笑われるだけ。
「治せてもせいぜいすり傷で、ほぼ使い物にならない。でも、これがぼくがここで作れる最大値」
錬金術は全力で筆を選ぶ技術だ。どれだけ良い錬金術師もまともな道具がなければ無力になる。
ぼくの武器は環境と施設と道具が全て揃ってはじめて有効に扱える。世知辛い。
「むぅ……」
魔力をほぼ持たないぼくが徒手で錬金術をやるなら、この出来損ないを数本作るだけで1日潰れる。それなら解体と食事当番をやるほうがよっぽどみんなの役に立てる。
「そういえばアリス、錬金術師ギルドはいかないの?」
ここしばらく全くやっていなかったポーション作りを見て、思い出したようにスフィが聞いてくる。
ぼくは反射的に耳を寝かせてしまった。
言いたいことはわかる、錬金術師ギルドで道具を新調できないかって意味だ。この規模の街ならギルド自体はあると思うんだけど……。
「前に、おじいちゃんに連れられて他の街のギルドいったの、おぼえてる?」
「うん」
1年ほど前のこと、まだ動けるおじいちゃんがぼくたちを連れて数日がかりで旅をしたことあった。この街から東、馬車で3日ほどかかる位置にあるフォーリンゲンの街まで。
行く先はフォーリンゲンの錬金術師ギルド、目的はぼくのライセンス取得試験。
途中でぼくが熱を出したりおじいちゃんの体調が芳しくなかったりで大変だったのだろう、思い出したのかスフィの眉間に皺が寄っていた。
まぁ遠出をした甲斐あって試験は無事に合格、歴代最年少だかなんだかでぼくは無事に正規錬金術師のライセンスを手に入れた。めでたしめでたし。
問題は、なぜ近場にあるこの街で試験を受けなかったのか。
『この街の錬金術師ギルドは少し、ね……』
何故この街じゃないのかと聞いた時のおじいちゃんの返答がこれだった。旅人も少ない、田舎と呼んでいい立地。ノーチェたちが言うには獣人差別マシマシの街。
……そりゃ察しちゃう。
「と、いうわけで。ここのギルドには極力近づきたくない」
「そっかぁ……」
「たぶん、正解にゃ」
「…………」
ぼくの説明に納得したようでしょんぼりするスフィを尻目に、ノーチェは訳知り顔で頷いている。フィリアは……心当たりでもあるのかちょっと遠い目になってしまった。
人間の流動性が低い土地だと権力が肥大化しやすい。ましてや光神教会は錬金術師ギルドに対して否定的な立場を取っていて、ここはもろにその勢力圏内。立場を確保するために色々なところとずぶずぶでもちっとも不思議じゃない。
腕のたつ錬金術師に養われていた、身寄りのない獣人の子供。のこのこ顔を出せば持ち物むしり取られて売られても不思議じゃない。
そういうわけで、ここで十分に準備をしてからフォーリンゲンまで向かうのがぼくの当初の計画だった。あっちまで行ければおじいちゃんの知り合いもいるし、錬金術師ギルドにも顔が利く。
体調も少しずつ回復はしていってるし、もう暫くしたら出発の準備をはじめたほうがいいかもしれない。
「店で売ってるのと全然違うにゃ」
「瓶に入ってないの、なんか変な感じだよね」
劣化ポーションに漬けられた雨宿草を眺めて楽しそうに話しているノーチェとフィリアを見る。
……出会って数日なのに、名残惜しく感じてしまうんだよね。
見上げるスフィもはじめて仲良くなれそうな同年代の子が出来たからか、村に居た頃よりちょっと楽しそうで。
ノーチェたちがいいなら……もう少しくらい、ここに居てもいいかなって思っている。
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