穏やかな雨
あめあめふれふれ、はやく止め。
先日から降り出した雨は、未だにざあざあと降り続けている。ところどころ床も砕けているからか、天井の穴から流れ込む水がそのまま地下へ流れ込んで問題になってないけど。
それにつけても朝起きて雨だった時の憂鬱感よ。今生は特に髪の毛が背中を覆うくらい長い上に、しっぽの毛の量も多いのでじめじめとした空気が事更に不快だ。毛質のせいもあって湿気の多い日は凄まじいことになる。
「んー……」
外にも出れず、隣で不機嫌そうにしっぽを下げていたスフィがおもむろに立ち上がる。何事かと眺めていると、雨の中に飛び出したスフィが髪の毛を振ってばしゃばしゃと雨の中で頭を洗い始めた。
黒く汚れた水が身体を伝って地面に流れだす。
……あー、そう来たか。確かにここ暫く水浴びなんて出来なかったし、身体の汚れも随分と酷い。狼系の割に鼻が利かないぼくはとっくに麻痺っていたけど、匂いもかなりきつかっただろう。
ひとりで雨に濡れるのはごめんだけど……うん。
「よっしょ……」
立ち上がって薪を集めて、入り口近くで火を熾す。それからスフィの隣へと歩いていった。
水を浴びてぶるぶる身体を震えさせると、スフィが気を利かして頭を洗ってくれる。
「アリス、あんまり濡れちゃダメだよ?」
「うん、一応火をつけた」
虚弱な身体は油断すると即熱が出る。筋肉より先に免疫力のほうが音を上げるのだ。人と接触する機会が少なすぎて知らなかったけど、病弱な人間ってのは思ったより生きにくい。
この世界……村を見る限り文明レベルで言えば近世に毛が生えた程度。
不思議な現象を起こす魔術があるから所々で現代日本並だったり、それ以上に便利だったりもするけど富裕層用のものだし。ぼくたちが普通の農民とかだったら詰んでたなぁこれ。
「じゃあはやく洗っちゃおう」
「……シャンプーほしい」
「なにそれ?」
「せっけんの……髪の毛用?」
「ぜーたくいわないの、ほらしっぽも」
「あい」
しっぽを差し出し、わしゃわしゃと洗ってもらいながら目を閉じる。
シャンプーとかも知識があるから今なら作れるかもしれない。細かい成分は知らないけど、実物を知ってると知ってないとでだいぶ違う。せっかくおじいちゃんから錬金術を教えて貰ったんだし、落ち着いたら色々試してみてもいいかもしれない。
「はいおしまい、もどろ」
「うん」
駆け足で廃墟の中の雨の来ない位置まで戻って、ふたり揃って身体をぶるぶる振って水を払う。……お互いに水滴がかかったけど、気にしないことにする。
「あれ、ふたりとも何やってたの?」
襤褸を脱いでしぼりながら焚き火の傍へ行くと、奥から顔を出したフィリアが裸でびしょぬれのぼくたちをみて首を傾げた。
「雨で身体洗ってた」
「さっぱりしたよ、フィリアもやったら?」
「あ、そっか」
やっぱり濡れると冷えるなぁ。丸まって焚き火にあたりながら顔を上げると、フィリアが微妙な顔をしたノーチェを引っ張って外へ行こうとしていた。
「冷たいし濡れるし嫌にゃ!」
「でもこんな機会滅多にないよ?」
ここらへんは乾燥していて雨があまり降らない。こんな大雨なんてめったにあることじゃない。
近くに川はあるけど、外から流れ込んだ水が古い遺跡の水路を流れている程度で浅くて水量がないし、生活用水としても使っているから汚したくない。壁の外の泉は呑気に水浴びできるほど安全じゃない。
身体を洗えるような水場はここより街に近いスラムの人間が独占していて、ぼくたちの使える余地はない。
雨で増水した川で身体を洗うのは汚いし危ない。
思い切り水を使って汚れを落とせる機会は、ざあざあ降りの今くらいしかないのだ。
「…………」
嫌がっていたノーチェが焚き火の前で身を寄せ合っているぼくたちを見て、あからさまに顔をしかめた。
視線はやっぱり……髪の毛としっぽに向かってるように感じる。水で洗って少し汚れが落ちて、灰色が薄汚れた白くらいにはなった。肌も多少綺麗になって、垢の下に埋もれていた濃いめの肌色がわかる。
因みにぼくたちの毛並みはしっかり洗えば白銀になる。目立ち過ぎるので普段はあえて汚してる部分もあったりするけど。
「……わかったにゃ」
「う、うん」
急にむすっとして、足早に外に向かうノーチェ。戸惑った様子ながらフィリアもそれを追いかけて、雨のシャワーを浴びに出ていった。
……あの反応からして、灰か白系の犬系種族になんかあるのはわかったけど……難しい所だなぁ。
「スフィ、ふたりのぶんもごはん温めとこ」
「……うん」
こっちもこっちで、敵意のこもった視線にちょっと機嫌が悪くなったスフィを宥めながら備蓄の串焼きを出した。包んだ葉っぱごと火から離れた位置に配置する。ふたりが戻るくらいには、程よく温まっていることだろう。
■
高めの干し竿を焚き火の上にかけて、四人分の襤褸をかけて乾くのをまっていた。
「どうせ脱ぐなら最初から脱いどきゃよかったにゃ」
雨を浴びて戻ってきたノーチェは落ち着いたみたいで、ぼくたちの髪色を見ても特に反応を見せることはなくなっていた。
「う、うん……そうだね」
恥ずかしそうに身体を丸めているフィリアを見ながら、ぼくは首を左右に振る。
「脱いだら洗濯できない」
「あー……」
汚れた襤褸の洗濯も兼ねていたのだから、着たまま洗っちゃうのが正解なのだ。……綺麗になったのかと問われたら答えられないけど。洗わないよりはたぶんマシだ。
「雨、やまないねー」
「うん」
ぴったりと肩を寄せると、くっついた部分だけ温かい。毛布とかがあればいいのにとないものねだりしながら、まだまだ乾く気配のない襤褸を見上げる。
ゴミみたいな布でも、着るものがあるってだけで安心出来るんだなぁ。
「そういえば、スフィちゃんたちって……その、ずっと、ここにいるの?」
少しの沈黙が続いて、耐えられなくなったのかフィリアが恐る恐ると聞いてきた。そういえば、そのあたり全然話していなかった。
「んー、えっとね、行くところがあるの」
スフィに続けるようにぼくも口を開く。
「お世話になってたおじいちゃんの遺言で、アルヴェリア聖王国を目指してる」
おじいちゃんの遺言、正確にはなくなる少し前にぼくたちを呼び出して話したことだ。
『もうすぐ私は死にます、準備をしておいて、その時にはすぐに村を出なさい。そして、大陸をずっと東に行った先にあるアルヴェリア聖王国という国を目指しなさい。あなた達のご両親はその国に居て、今もあなた達を待っているはずです』
おじいちゃんはぼくたちの出自について何か知っているみたいだった。スフィが持ち出せて、今もぼくたちの部屋に置かれている小さなポーチの中には『絶対に人に見せてはいけないもの』がいくつか入っている。
それを調べればヒントもあるんだろうけど……今の所、敢えて調べる気も起きてない。
「アルヴェリアっていうと……えーっと……どこにゃ?」
興味を惹かれたのか、ノーチェが会話に入ってくる。
「えっと、たしかね。大陸の東にある大きな国……だよ?」
ノーチェにフィリアが普通に答えていて、少し驚いた。遠く離れた国の名前はもちろん、位置関係なんてスラムの孤児が知っている情報じゃない。
村の人間を見てる限りでは、長や組合長クラスでようやく読み書きができて、自分の国の名前がわかるとかそういうレベルだ。
「ひがし……」
「いくつも国を超えて、海も渡らないといけないかも」
ラウド王国は西の果ての小国群、アルヴェリアは大陸中央にある巨大な山脈と海峡を隔てた東側にある国。経路を短縮する手段はいくつかあるけど、それにしたって大陸を横断する大旅行であることには変わりない。
ぼくたちを拾った時点で既に病に冒され、田舎で半隠居生活をしていたおじいちゃんでは到底耐えられない旅だ。道半ばで倒れて物心付く前の幼児を放り出すより、残された時間で出来る限り自分で歩ける知識と技術を伝えようとしていたのだと涙ながらに語っていたのを覚えてる。
ぼくたちを送り届けてあげられないことを、最後を迎える直前まで謝っていた。
「そんなところまでいくのにゃ?」
「うん、そこにお父さんとお母さんがいるんだって」
「……そう、かにゃ」
ノーチェの顔が少し曇った。嫉妬、憐れみ、羨望。色んな感情が綯い交ぜになった音が聞こえる。それは隣で俯いたフィリアも同じことだった。
「本当に、待ってるかはわからないけど」
「アリス……」
スフィの咎めるような声に、ぼくは口を噤んだ。何か事情はあったのかもしれない、だけど自国から遠く離れた西の果ての田舎の森に赤ん坊だけがいて、親からは数年間音沙汰なし。
本当に待っているのか、厄介払いされただけなんじゃないのか。近づいたら口封じされるんじゃないか。手元にあるのはそう判断せざるを得ない情報ばかりだ。
親だって人間……事情はある。ほんとにそこに行くのが良いことなのかわからない。
「……おじいちゃんの、遺言だから」
「うん」
スフィだって多分わかってる。だけど希望は捨てられないから。だからおじいちゃんの遺言に従うべきだと、ぼくも思ってる。
少なくとも、旧ビーストキングダムから逃れた獣人たちが住んでいる国で、西と違って光神教の影響も及ばない。国教は『星竜教』といって、実在する神竜を崇拝対象にしている。
西側での勢力は弱いけど、知れる範囲でも種族を差別するような教えはない。
大陸全土に広がる錬金術師ギルドと冒険者ギルドの本部がある国で、この大陸でもっとも栄えていると言っても過言ではない。……というのが、おじいちゃんの受け売りだ。
両親云々は置いといても、獣人であるぼくたちが住みやすい国の可能性が高そうだった。
「そのおじいちゃんって、錬金術師さん、だよね」
「うん、おくすりとかもね、詳しくて、いろいろおしえてくれたの」
「ほーん……」
話はいつの間にか、自分たちの親へと移っていた。
「森でたべれるもののみつけ方とか、おくすりのざいりょうとか」
「錬金術は?」
フィリアは錬金術に興味があるのか、瞳をキラキラさせてスフィの話に乗っかる。
「スフィはぜんぜん……錬金術はアリスがすごいんだよ」
「え、そうなの?」
「何もできないっていってにゃかったか……?」
「今はなにもできない」
怪訝そうな顔をされても嘘はついてない。錬金術は特殊な魔術の一体系で、扱うには錬金陣やら触媒やら干渉具やらいろんな道具が必要なのだ。
才能とやる気があれば身一つで実行できる魔術とは違う。道具類は基本的にお高いものなので、それを奪われてしまったぼくは残念ながらほぼ役立たずなのだ。
「おまえ、役人みたいな言い回しするよにゃ」
「わたくしのほうからの回答は控えさせていただきます」
「にゃんだそれ……」
適当にごまかしながらしっぽを動か……うわ、濡れたしっぽに床の砂塵が……。
「ノーチェちゃんは、狩りをお母さんからならったんだよね」
「……そうにゃ。よく『音を立てるにゃ!』ってげんこつくらったにゃ」
「おじいちゃんも、おくすりとか、食べちゃいけないものおしえてくれる時はちょっと怖かった」
「わ、私も、お母さま。マナーのときはすっごく厳しくて……」
「でもかーちゃんのごはんはうまかったにゃ、狩りも凄くうまかったにゃ」
「いいなぁ、お母さまはお菓子の方が得意で美味しかったけど、お料理は……」
「うちも、おじいちゃんすごい錬金術師さんだけど、料理は下手だったなぁ」
しっぽにまとわりつく砂と格闘している間に周りは保護者の話で盛り上がっていた。
ぼくにとっておじいちゃんは祖父でもあり師父でもあった。祖父としてのおじいちゃんは殆どスフィが語ってしまってる。師父としての話は錬金術の技術にも関わっていて、基本的に門外不出だから迂闊に話せない。
でも、こんな風に楽しそうにしているみんなの話を聞くのは嫌いじゃない。
それにしても、保護者かぁ。
不意に前世の保護者、たいちょーさんの顔が頭に浮かんだ。記憶が蘇ったせいで意識が前世からつながってるせいかもしれない。
飄々とした洒落者で、悪戯好きで、おじさんと呼ばれるのが嫌いなちょいワルお兄さん。名前は知らない。部屋に引きこもってゲームばかりだったぼくを、遊びに行くぞと無理矢理連れ出してくれる人。
たいちょーさんと、その部下の人達には色々教えて貰った。
部下の人たちからはポーカーのイカサマ、詐欺のやり方、脱獄のやり方とか……。たいちょーさんには教育に悪いと思い切り怒られてたけど、流石にぼくも真に受けたりはしない。ただのおもしろ話だ。
何せ平和な日本で暮らす引きこもりオタクゲーマーだ。そんなこと教えられても実践する機会なんて一生来ないと思ってたし、実際に来ないまま人生が終わった。最後の一日はあちこち虫食いみたいに忘れているけど、前世の中で教えられた技術や知識が役に立った記憶はない。
たいちょーさんの悪戯には惰性で付き合ってたけど、楽しかったものもあった。
ぼくの居た施設の別の部屋に保管されてる、『誰も見ていないと動き回る石像』を持ち出して廊下に設置するドッキリとか。
大体の人が硬直してあとずさりしたり、悲鳴をあげて腰を抜かしたりしてた。ただ石像が佇んでるだけでそれだからなんか面白くなって笑ってたっけ。
それからすぐに大人たちが集まってきて、泣く寸前まで怒られて。その石像が昔は結構"やんちゃ"してたのだと後で知った。普通にお願いとか聞いてくれるし、『だるまさんが転んだ』が好きな子供みたいな印象だったんだけど。
他にも持ち出し禁止のものを持ち出して遊んだりしては、たいちょーさんと一緒に怒られてた。
大人としてどうかと思う部分もあるけど、その行脚のおかげで"友達"になれた子も多くて。少なくとも寂しい思いはせずに済んだ。まぁ、最後まで人間の友達は出来なかったけど。
……あぁ、そっか、ぼく。同世代の子とこんな風に過ごすの、はじめてなんだ。
「あたしじゃにゃいって言ってるのに、信じてくれにゃくてさー」
「えー」
「結局ネズミの仕業だってわかって、ごめんにゃーって、軽すぎにゃ!」
「あははは」
いつか、この子たちとも友達になれたら。今だけじゃなくて前世のぼくの思い出話も出来るかな。
憤りも不満も、嬉しかったことも楽しかったことも全部まとめて。お互いに、大好きな人のことを知ってほしいって思いを言葉にして。
「アリスはー、なんかないの?」
「んー」
スフィから水を向けられて、少し首をひねる。だけど技術関連しか出てこない。
「おじいちゃんのおもいでは、大体共通」
「そっかー……じゃあアリスのこと話す!」
「え、だめ」
何を言い出すのかと思えば、目の前で人の過去暴露するのは止めて欲しい。
「なんで?」
「なんでも」
「えー」
何とかスフィを止めて、ぼくは聞き役に徹して思い出話しは続いた。
服が乾いて、大事な人を思い出してちょっぴりしんみりしてしまった頃。
気付けば外の雨は止んでいて……ノーチェたちとも、少し仲良くなれた気がした。
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