エピローグ「ボクの名前は…」



「…一生の頼みがあるんだ」


西暦2570年。

座博士のご子息である明日あゆむ様が私を尋ねて早々、頭を下げられた。

突拍子もない彼の行動に戸惑いながらも事情を伺うと…何やら〈超重要機密事項〉とのことらしく、血戦嶽雪花菜様にも秘密という彼の頼みに私は久しい緊張を覚えた。


『はい。私などで…宜しければ』


有頂天咫狸の死後、少しやつれ気味の歩様であったが、とうとう杖をついて歩くのが常となるほど御年を召されたようで、不謹慎にも私は晩年の座博士と彼を重ねてしまっていた。


「その〜子どもの面倒を見て欲しいんだ。男の子なんだけど…」

『・・・子※■?』


憂いに浸っていた私は歩様の言葉にへんちきりんな声を上げていた。

ほかの皆々様にはお聞かせできないような、生涯の恥ランキング十位圏内に入るほどの失敗だっただろう。


「え~と、ごめんね急に」

『いえ、こちらこそ…お見苦しいものを』


頭を掻きながら照れくさそうに言う彼の姿に、再び私は座博士を重ねてしまう。


『それで…男の子というと、どなたかの御子息でしょうか?』


一応、政治の職に就いている身ではあるが、しばらくは、別件でそっち方面・・・・・の事情には疎くなっていた。

新世界を支える次なる偉人の子か、最悪の場合は血戦嶽家に関する御子息か。私は起こりえる可能性を想像する。


「…う〜ん。まあ、そんなところかな」

 ところが私の思考とは裏腹に、どこか困った様子で曖昧な答えを返す歩様。私は追求を重ねることにした。


『歩様。私とて子どもを育てるというのは初めての経験です。付き添っていた雪花菜様の時とは違って、私が主となり育てる立場になるのですから、詳しく教えて頂かなければ…いくら歩様の頼みとあっても聞き受けられません』


…少しきつめに言い過ぎたかもしれない。

早くも後悔していたけれど、私は可能な限り真摯な姿勢を見せることにした。

気持ちの揺らぎは唇のりきみからでも露見してしまうから。心と身体を別々の回路で御し得るようにならなくては微かな弱みにすらも付け込まれる。…それが、あの男から学んだ唯一にして最大の処世術だった。


「わかった。それじゃあ、一緒に来て欲しいところがあるんだけど…」


 ・・そうして、歩様に連れ出された場所は、日叛国重大秘密施設であるデコイ運営施設。私ですら、初めて訪れる国の重要管理施設であった。


「やほー」

「どうも…」


そこで私を待っていたのは「ラプラスの祖」甘納茉奈と「デコイの父」桃李杏仁。

そして、ゆりかごの中で眠る数奇な運命を背負ってしまった男の子だった。



           1


〈 歩先生。罪を、犯しました 〉


久しぶりに聞いた彼——桃李杏仁あんにん君の言葉に僕の心臓は止まりかけた。

元々、口数が少なく、無表情で、普段から何を考えているのか分かりづらい人物であったため、初めは「もしかしたら冗談かな‥」などと安易な思惑でいたけれど…、


〈 誰にも許されない罪を…おがじで…じまいまぢだ! 〉


大の大人に、涙声で言われてしまえば「これは一大事だ」と、ようやく僕も重くなった腰を上げることができた。


「わかった。今すぐ向かうから‥‥というか、君どこにいるの?」

場所を尋ねると、彼はデコイ運営施設にいるのだと教えてくれた。

そして、なぜだか「甘納もいます」と追加情報を小出ししたので、どこかきな臭さを感じながらも施設に向かう事とした。



「———で、君たち。一体何をしたんだい?」


着いて早々、正座しながら出迎える彼らを問いただす。依然として杏仁君は泣いたまま、隣で座る甘納君は両手の人差し指を腹部のあたりでツンツンと合わせている。

どちらが悪か、それは明白であった。


「なるほど彼女のせいだね。杏仁くん」

「ずっ…ずずっ…はい」

「そんな! 先生、心外です!」

 

 甘納茉奈と桃李杏仁。

この二人とは大学の学会で知り合い、一時は同じ研究室で長期に渡るプロジェクトに取り組んだ仲だ。僕との年齢はかなり離れているけれど、互いの気心や癖などは家族のそれと同じように把握できている。


こういった場面で何かしでかすのは大体、甘納茉奈(そして、これによく巻き込まれるのが桃李杏仁)だ。

「記憶」というものを追求し続けた彼女は、年齢偽証で当時旧世界随一の大学に合格するほどの逸材であり、根っからの問題児であった。

お調子者で、行動家で、活発な彼女は、一見すれば男女ともに好感を抱かせるが、付き合いを重ねるたびに彼女の素行に困惑し、自然と離れていくのだという。

 初めから何かを期待して人との接触を図る他人も悪いが、そうでなくとも失望させてしまうのが、彼女の悪い性。…だというのに一人であることを怖がって、再び新たな人間関係を築いては壊してしまう。

…まるで園児が戯れでやる砂山づくりみたいに。


 その一因となっているのが彼女の「記憶」に対する恐ろしいまでの探求心だ。

国内外を問わず学会で発表された論文の中で興味深い記事を見つけようものなら、その日のうちに論文を書いた本人に直撃する。仮に、これを察知した相手が逃亡しようものなら、彼女はお抱えの探偵を使ってまで相手を見つけ出し、最終的には自分の気が済むまで相手を拘束して自らの探究心を満たすのだという。

…なお一部の研究者の間では「この顔に注意!」などという御触れが出回っているだとか。


「私は…ただボタンを押しただけです」


すごく赤くて、興味をそそられるボタンを———と、ポツポツと付け加える彼女。


●●教授拘束事件の後「少しは自重しなさい」と割と本気で彼女に釘を刺すと、


〈 先生、この熱を止めては探求心が身体に置いてかれ———いいえ、探求心が老いて枯れますよ 〉


などとのたまい始めた。

何を微妙に上手いこと言ってるんだと、この時は怒号を飛ばしたけど、その言葉の通りに彼女は止まらなかった。

彼女の姿勢を全て見習うことは決してないけれど、その一割程度の姿勢と熱意は忘れずにありたいと、僕は秘かに想い抱いたはずだったのだが…。


「はあ…」


もう彼女はそういう人間だと、そうカテゴライズしても彼女はそれを超えてくる。

「計り知れない」というのは言い得て妙だけれども、彼女の場合は本当に予測が出来ないから笑えない。

若者風に良く言えば「面白い女」で、悪く言えば「ヤバい奴」だけども、ヤバい奴でなければ気づかない視点があるのも事実だ。

…まあ、常識ぐらいは持っていてほしいけれども。


「それで杏仁君。彼女のせいで、何があったんだい?」

「彼女のせいで」という部分の語調を強めて尋ね、それから思い出したように彼の顔を見ながら「…というよりも君、話せるかい?」と付け加える。


 …寡黙な彼がここまで大変なことになってしまうのだからよほど重大なことなのだろう。いよいよ僕も腹を括らないといけない。彼らの師として、責任を負う覚悟を決めたところで彼が口にしたことは、僕の想像を遥かに超えた大事件であった。


「…はい。僕が用を足していた間に甘納の押したボタンによってプラナリア生成が【反転】し、気づいたときには段階は【レベル2】まで進行。僅かにですが自発意識に目覚めており、完全なるデコイ・・・として確立してしまいました」


「・・・君、本当に何してくれるんだよ。甘納君?」


これが、僕ら三人が『彼女』と一人の男の子に背負わせてしまった罪。

僕らが墓まで持っていくと決めた一つの秘密であり、

僕らから彼女に贈る最後の遺産だ。


          —


 プラナリアとは、ATAを搭載した用途に応じた機械であるが、その真実は大きく異なる。そのためには、まず大元であるATAについて語らねばならないだろう。


〈人類を守る〉という意思の元、我々人類を今日こんにちまで支え続けてきたAI『アスボ=トリアニティ=アマーナ』略称ATA。

ATAという略称の方が…というよりも略称とすら認知されてもいないATAであるが、そもそもの話———僕、明日歩は


ATAという存在は、いわば大衆を納得させるために創り上げた象徴。人間の底にある従属欲を満たすための都合の良い虚像だ。


ATA『アスボ=トリアニティ=アマーナ』は、雪花菜ちゃんが僕ら三人に名付けたあだ名・・・で構成されている。アスボAが僕、トリアニティTが桃李杏仁、アマーナAが甘納茉奈…といった具合に(彼女のあだ名ぐせ咫狸あたりさん譲りだけれど…)名付けたものを適当に並べただけ。

神なるAI、人類の守護者たるATAなぞ実際には存在しないフィクションだ。


 では、そのATAの分体機であるプラナリアも偽りのものなのか?


そう問われれば答えはNOだ。

プラナリアが分体機という役目を負ったものであることに変わりはない。


ただそれが虚像たるATAではなく、

新世界の王たる彼女、血戦嶽雪花菜・・・・・・の分体機というだけの話だ。



彼女の脳——正確には記憶をつかさどる器官——のみを複製し、それをAIと複合。思考プラグラムと複製した脳を接続することで分体機プラナリアは、血戦嶽雪花菜の手足となって日叛を、「永遠」を継続させる。

…まさに王の守護者といえる存在だ。


地球内外の環境調査、人間社会の支援・運営、新たな研究・医療の発見…など、総じてみれば便利に思えるプラナリアだけど、その唯一の欠点を挙げるとすれば、原型オリジナルである血戦嶽雪花菜が死ねば全てのプラナリアは活動を停止するということぐらいだろう。


【——私が作った永遠だ。死んだ後まで人類をこれに付き合わせる道理はないよ——】


彼女の「永遠」。

その基盤となるラプラスシステムも彼女が鍵となっている‥と思う。


今一度ラプラスシステムについて語るとすれば、本人の脳に埋め込んだ記憶の循環・・を担う人造機器の保有データをデコイに転写する。データ移行からの機種変更、ファイル置き換えと似た要領で、本人の死後にデコイが目覚めれば転身は完了する。


  記憶の管理ではなく、あくまで循環。

人造機器は記憶を保持するだけで、。多次元的で膨大な情報量を有する人間の記憶を正確にコピペする方法や技術など、僕らには思いつきもしなかった・・・だから。わざわざ一文を加えたのだ。


〝人造機器は「記憶の保持」に加え、同一遺伝子間での「記憶の転写・転送」を可能とする〟


デコイ登場に合わせた補足、永遠の生を手にした人類の期待と歓喜に乗じた虚実を紛れ込ませたのだ。


【―――この永遠は私と共に在り、私と共に消えていくべきなんだよ。アスボ 】


「それで十分だ」という彼女の言葉に従って、僕らは人造機器を創り上げた。

…多分、記憶の転写は彼女が担っていたのだと思う。

増やしたプラナリアの頭脳か、もしくは彼女自身か。方法は最後まで分からなかったけれど、昔からの雪花菜ちゃんを知っている僕からすれば「後片付けは自分でやるよ」と言ってくれる賢しい少女のままで、だからこそ分からない事が分からないままでも不思議と安心できる気がした。


           ―


 プラナリアとデコイの生成方法は基本的には同じ。

一片の細胞を杏仁君の作った成長復元液に浸すだけで自動的に出来上がる。

遅延成長体である雪花菜ちゃんの細胞は、その復元にもかなりの時間を要するけれど、脳の一部の器官のみであれば時間はある程度で済む。

 もちろんデコイと同様、そのまま復元液に浸し続ければ彼女のデコイとして確立してしまうため、復元段階に応じた制限が自動的に設定され、必要に応じて管理担当である杏仁君が手を加えることになっている。


  〝 血戦嶽雪花菜のデコイを作ってはならない 〟


それがデコイ・プラナリア生成の任に就いた桃李杏仁に課せられた絶対のルール。


血戦嶽雪花菜のデコイは彼女の意にそぐわないし、彼女の願いじゃない。

彼女の新世界は、彼女が僕らと共に在り続けるために築いたもの。あくまで僕らの命を永らえさせるための永遠であって、そこに彼女自身を勘定してはいないのだ。


確かに、時間は掛かるけれど彼女のデコイを生み出すことはできる。

でも、彼女がそれをしないのは「今」の自分の生に執着がないからだと思う…。


すべての記憶と通じ、

人の三倍の生を生きる人間。

そんなもの、僕からすれば神の御使いか何かじゃないかと思う。

実際、本当に世界まで変えてしまうのだから神様みたいな人物なんだろう。


…ただ、こんなことを彼女に言ったら絶対に怒られてしまうけれど、時々思う。

雪花菜ちゃんには、

もっと|馬鹿《バカ〉になって欲しかった。

「僕ら」というこだわりを捨てて、

自分のために人生を費やして欲しかった。

常人と同じように生きることは無理でも、一人の少女として、女性として、

何か人間らしいことをして欲しかった。

‥‥まあ、欲しがってばかりの、ないものねだりみたいな奴で、結局それを口にすることはできなくて、仮にそれを言ったところで僕は雪花菜ちゃんに何もしてあげられなかったと思う。


それに今となっては、それをする資格すらもなくなってしまいそうなわけで…。


「・・・君、本当に何してくれるんだよ。甘納君?」


藪から棒にだが、男女の肉体的性別は受精卵から決まっており、それは二種類の染色体の組み合わせによって決まる。

女性の卵子はX染色体のみを有し、男性の精子はXもしくはYの染色体を有する。

女性因子がX、男性因子がYであり、

受精卵の組み合わせがXXの場合は女性。XYが男性となる。

‥こうして遺伝子で見れば男性でもX・Yと女性因子を有していることに着目した桃李杏仁は、性因子の根源を探り、紐解き、在りえたかもしれない遺伝子の可能性を手繰り寄せ、最終的には性別の「反転」という形で男女という性の境界をこじ開けることに成功したのである。


  【反転】/【レベル2】


甘納茉奈の押した赤いボタンは、カプセル内にある細胞の性別を反転させるもの。

空間認識力が勝る男性脳を生み出すもので、用途は宇宙や深海・地下深層といった人類未踏域の探査を担当するプラナリアに搭載される。

この際、普段の女性脳の復元とは異なることため復元時に自動的に掛けられていた制限が一時的に解除され、作業は全て自動から手動へと移行する。

…無論、その場合には必ず桃李杏仁がいなければならないのだが、勝手に自動オート手動マニュアルに変えられてしまうなどと思うはずもなく…。


「え~‥‥本当に申し訳ないと思っております」


今回ばかりは、と言葉を付け足したところで起きてしまった事は変わらない。

甘納茉奈の出来心のせいで、僕らは禁忌を犯し、僕は彼女との約束をたがえた。血戦嶽雪花菜を裏切ってしまった事実が、罪悪感となって僕の弱った身体に覆い被さっていく。


「どうしましょう…先生」

今回の被害者、桃李杏仁が静かに助けを乞う。

問いへの答えは直ぐに浮かんだが、それを出力する適切な言葉が僕には思いつかなかった。


「処分」か、

「堕ろす」か、

「消す」か、

「廃棄」か、

それとも「殺す」か。

「人は、いつ生まれるのか」という、いわゆる「生まれる」の定義から突き詰めなければならないほどに、この問題はシビアなものだった。


「答えは初めから決まってるよ。杏仁君…僕は雪花菜ちゃんとの約束を守るよ」


一番聞きたくない「約束」だな、と僕自身が痛感し落胆した。

沈んだ気が顔に表れたせいか「嫌なことを聞いて申し訳ございませんでした、先生」と桃李杏仁は鼻水をすすりながら謝っていた。


———人間、慣れたところで油断が生まれる。天才も凡才も関係なく、人は間違えるものだ。


久しい教訓を得たところで僕は二人に退去を命じようとすると…



「あの~‥‥なんでそういう流れなんです?」



僅かに間延びしたような声で宣う不遜不徳の不心得者。

彼女が女性でなければ暴力を忌み嫌う僕でも手が出てしまいそうな甘納茉奈の言葉と言い方に、僕の身体はキーンという耳鳴りと共に硬直していた。


「・・・と言うと?」

雪花菜ちゃんへの罪悪が僕を気落ちさせていたことが幸いしたのだろう。僕の口は静かに問いを唱えていた。…我ながら自慢できるほどに怒りを抑えて。


「デコイがダメなら————そのまま育てちゃえばいいんですよ」


立ち上がり、それから復元液に満たされたカプセルに手を当て、かすかな命を灯し始めた細胞に向けて「全く先生たちは怖いでちゅね~」と赤子でもあやすように猫なで声を上げた。


「そんなの‥」

‥‥良いのだろうか。

考えもしなかった妙案に不安がよぎる。動揺で思考が鈍る。

僕に被さった罪悪が少しだけ脱がされかけたようで、すぐに僕は罪悪を着直した。これを脱ぐにはまだ判断が早すぎる。


「性別が違うとはいえ、このも雪花菜ちゃんと同じ〈遅延成長体〉だ。こんなこと言いたくはないけど…正直にう。この子が生まれるまで僕が…ぼくが生きられる保証は、ないよ」


初めて「自分の身体のことぐらい自分が一番分かっている」なんて台詞を咫狸さんに聞いたときは少し半信半疑だったけれど、今だと分かる。

感覚で言えば「あ、これ風邪だ」みたいな具合で、身体の異常を感知するみたいに自分に残された寿命が何となく分かってくる。体内時計…とはまた少し違うのかもしれない。きっと自分の死を意識する感覚というのは人それぞれだから僕だけのものかもしれないけれど、とにかく咫狸さん風に言うならば「何年この身体動かしてると思ってんだ」という奴だ。


  西暦2568年。

  73歳になった僕の身体は着実に死へと向かっていた。


「あはは! 先生、面白いこと言いますね!」

…もう僕は何も言うまいよ。

黙って‥というより呆れ半分。もう半分は老体にストレスを与えないという保身。

見事な半分こ。まさに身を裂かれるような思いで僕は彼女の言葉に耳を傾けた。


「私だって、この子を置いて死んじまおうなんて腹積もりはありません。」

…僕の言葉を君は老人特有の冗談か何かだと思ったのだろうか。


「で・す・の・で! 先生、せっかくの機会ですし私たちも転身しましょう!」

「‥‥転身?」


絶句する桃李杏仁をよそに「一度だけですから! ね?ねっ?ねぇっ?」と子どものようにはしゃぐ甘納茉奈。

‥‥やっぱり一回お灸を据えよう。

拳を痛めてしまうから掌を広げ、僕は大きく息を吸った。



・・————これより五年後のこと。

彼女の提案に従って僕らは最初で最後の転身を行った。

不肖な弟子一名の責任を背負うために僕らは『彼女』を巻き込んで、この男の子を育てることにした。


雪花菜ちゃんにも言えない最大の秘密にして、僕らの罪。

新世界の形式上、単独で覚醒させたデコイはDNA上同一であり個人の子孫に当たる。よって、血戦嶽雪花菜の息子の生誕こそが僕らの最後の仕事だった。


‥‥あ、今にして思えばこれが僕の最後の遺産———ATAだったのかもしれないね。


                0


「‥‥ボクは死んだんだね」

誰かと何かを話した気がするが、不思議なことに相手の記憶は一片たりとも残ってはいなかった。思い出せないという「初めて」の経験がボクの頬をつり上げる。

 ここは地獄か、はたまた天国か。

くるりと、周りを見渡せば見知らぬものなど何一つない。軽く回った程度であるが自分がどこにいるのかは大体把握でき、ボクは顔の覚えていない相手との会話の一部を思い出していた。


かみでも切ろうか」

笑みが止まらず、ボクはフローリングの上を滑るように洋々と見知らぬ場所を駆けた。扉を潜り、鏡の前で僅かに考え悩んだ末に、ボクは身近にあったバリカンに手を伸ばす。

 そこからのボクはとにかく凄まじかった。

まるでインスピレーション溢れる芸術家のように手を止めることなく髪を刈り、切り、整える。髪を自分で切るなど人生で初めての経験であった。培った知識が頭の中のイメージとおかしいくらいにマリアージュして、ボクの想像を形にしていく。


「…これだ」

切り終えた直後、近くの浴室へと直行。鬱陶しい造りの上着など何処かに脱ぎ捨てて、ボクは上下の衣服を着たままシャワーを浴びる。新品の制服は見た目に似合わずかなり撥水性があって気持ちが悪かったけれども、頭を洗い終えたボクはすぐさま髪を乾かして、新しい自分を拝んだ。

 


 目を覆うぐらいまであった前髪は適度に切り揃えて旋毛の向きに合わせて右に流した。髪は全体的に短くいたが、中でも一番最初に刈り上げた左こめかみが映えるように刈り上げた周囲の髪の長さを調整した。

片側だけ刈り上げた完全なアシンメトリーだが、この不完全さこそがボクのインスピレーションの根源ともいえる。



「さあ…行こうか」

紫帯の男が最初に抱いた高揚を想像しながらボクは大きくなった身体・・・・・・・・に見合わず少年のような素振りで出口へと踊りだす。

洗面台に乳紅茶の髪を散らかしたままにして…。


「・・・あ」

出口付近にある姿鏡に自分の姿が映り、ボクは足を止めた。

それから襟元に誰かが結んだ赤い紐をムカデを取り払うように無造作に引っ張って、それを丁寧に首に、直接、縛り付けた。



「ボクは———お前を否定するよ。血戦嶽雪花菜」



青年は意気揚々と鼻歌を唄いながら扉に手をかける。

初めての死。

初めて見た未来の自分。

そして初めての第二の生。

差別し続けた「かれら」。見直した「彼ら」。

そして、自らを殺した「ラプラスの悪魔」に立ち向かうべく、本物の勇者はたった一つの命を懸けた闘いの日々に身を投じる事となる。

恐怖はない。

憐れみも、悲しみもなく、

ただ死の間際に抱いた怨炎と一つの約束が少年に想いを抱かせる。


「そういえば、今度はちゃんと伝えないと———」


一番大事なことを思い出して、再び少年は嗤いだす。

もしも、もう一度、彼女と相まみえることが叶うならば‥今度こそ———


「ボクの名前は【 倫道 つぼね 】だ‥‥って、伝えないとね♪」



To Be Continued 『God’s Game』

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