20.「       」



本物のまぶたが開き、目が醒める。

部屋の壁に掛けられた時計を見ると、時刻は朝の8時を少し過ぎたあたりを指していた。


「‥‥あ~」

けれどもリスト端末の時計をみると「42731」と文字化け数値が現れており、画面にはヒビが入っていた。


…どうやら寝ている合間に何処かにぶつけてしまったらしい。


「うーん…」

久しぶりに身体を動かす。

やはり魂だけの状態とは違い本物の身体は重い。けれど、この重さこそがボクが現実世界に帰ってきたことの証明でもあった気がした。


「あいつも…こんな気分なのかな」

何処か遠くで目覚めたであろう彼女のことを想いながらボクは部屋のカーテンを開放する。

あの黄金世界の輝きも良かったけれども、やはり本物の太陽は暖かい。


 先ほど時計を見た時にも気づいたことだが、ラプラスの海での出来事は全て一夜のうちに終わっていた。元々、記憶粒子ラプラス集合現象であるシンクロニシティをきっかけにボクの特異点として目覚めた力であったが、ここまで現実世界との時間の差があるとは思いもしなかった。


「やっぱり彼女は…」


  神人なのだ。


そう改めて実感する。

「永遠」を作るために現実でも黄金世界でも、あいつは走り続けた。人間離れした存在が、人間以上に努め、創り上げた世界。それがこの新世界日叛であり、いつかの少女が描いた幻想を形にしたもの。想いの練度で測るのならば、地球ですらも器としては足りないほどに彼女の「永遠」は完璧で、素晴らしいものであった。


「でも…人間が悪いんだ」

その崇高なる神人の思考に追いつかない人間が悪い。

七つの大罪を含み生まれた人間が、今だ旧世界のまま成長しないボクを含めた人間が、彼女の「永遠」を穢してしまっているのだ。

新世界に住まう人類最大の罪は、きっと彼女の「永遠」に依存してしまったことだろう。誰も自分の住まう世界のことを本気で考えようとしない。彼らも、そしてボクも、きっと見えているのは少し先の未来だけで、人によってはそれすらも見ようとしない二足獣だ。


幼いころからの予感が的中だ。

たかが一クラスの30人程度のリーダーですらも彼らは「まあ、いいか」と引き受けたりはしない。「誰かがやる」「くじ引きで良いじゃん」と他人任せの癖に文句があれば言いたいことだけいって「やってやったぜ」と自慢げな顔をする。


上昇志向。ハングリー精神。平和に廃れた人類は、街中でポッポ~と鳴く鳩と変わらない

鳩は平和の象徴というけれど、平和の中で野生を忘れた鳩と怠惰な人類に大した相違はない。環境を悪化させない面では鳩の方が地球にとっては重宝されるくらいだ。

 かつての大厄災『神の撃墜』で人類の多くが死滅したけれど、これからも人は増え続ける。旧世界の問題が再び浮上し、人類はいつか他の星へと移り住む。きっと大きな陣地取り・・・・があって、多くの人類は死滅することになって、再び平和は訪れる。


これは人間のさがなのだ。もうどうしようもないほどにDNAやら魂やらに刻み込まれた人間が人間たる所以なのだ。…などと、妄想を続けたところでボクは血戦嶽雪花菜きらずとの約束を———もう一つの約束を果たすために、、、、、、、、、、、、、、部屋を出ることにした。


「おはよう」

『・・・・・・』


キッチンでいつものように朝食を用意する彼女に声をかけた。

4年ぶりに声をかけられた彼女は、いつか遠い記憶であった黒光りの害虫と遭遇したときのように僅かに跳躍し、美しい金髪の髪を揺らしていたが、それでも口を開きかけて、やはり閉じてしまった。


「命令は解除するよ」


————ああ、やっぱりボクは変わらないな。


いつかの「ボク」と変わらないボクに、ボクは安堵し落胆した。変わったようで、細かいところは変わっていない。なるほど遅延成長体とはよくぞ言ったものだ…などど、逆に感心してしまうくらいにボクは自分自身への信頼度を今一度改めることにした。


「ごめんなさい。■■■、ボクが悪かったよ」


キチンと目を見て謝って、それからボクはハグをした。

身体は小学校低学年のボクが行うそれは、まるで母親に抱きついた甘えん坊のように思えただろう。顔から噴火しそうなほどに恥ずかしかったけれど、それでもボクは彼女に謝らなければならなかった。


■■■は、ボクの母親代わりとして在り続けてくれた理解者。

ボクの少し長い生に付き添うために遣わされた彼女。

彼女こそが———血戦嶽雪花菜の「永遠」に残った唯一の存在であったのだから。


           ・


「彼女との仲を取り戻してはくれないか?」

一つだけ頼みがある、と血戦嶽雪花菜は言った。

頼みというよりも切望に近いそれは先程の協力を求めたものよりも強い感情が感じられた。


「私の記憶を見たのだから君も気づいているのだろ。…彼女の正体に」

「・・・・」


 ああ、知っているとも。

 そして同時に大いに驚いたとも。

なぜ、どういった経緯で、彼女がボクの家に来ることになったのかは分からないけれど、彼女はボクと共に在る道を選んだ。長らく付き従っていた血戦嶽雪花菜ではなく、ボクの方に。


「彼女の別の仕事の件もあって暫くは疎遠だったんだ。まさか君の所にいるとは思いも知なかったが…」

「お前も知らなかったのか…」


真相は分からないけれど、とにかくボクが言うべき答えは一つだった。


「安心しろ。ボクだって、いつでも子どもじゃないからな」


勿論「はじめから、帰ったら謝るつもりでいたよ」なんて口に出しては言えないけれど、これはボクの記憶を再び見た時から決めていたことだった。


「そうか——それは良かった」

心から、彼女が安堵する表情にボクは少しだけ戸惑っていた。

もしも「永遠」に彼女の愛した者たちが全員残っていたとすれば、彼女はきっとこんな風に笑って過ごしていたのだろうかと、幻想郷の彼女を想像しながらボクは「それじゃあ‥」と黄金世界を後にした。



           ・


『行かれるのですね』

朝食を食べ、身支度を済ませてからリビングへ向かうと彼女が立っていた。宝石のような瞳に、凛々しい顔立ち。そして美しい黄金の髪が不思議と夕暮れの麦波を想起させた。


「ああ、これから血戦嶽雪花菜に会ってくるよ」


朝食をとりながらボクは彼女と数年ぶりの会話を交わした。あの黄金世界で起きたことを話したとき、最初は彼女も驚いていたが、雪花菜のことを話題に挙げると「お嬢様が…」と懐かしそうな表情を浮かべていた。


「…どうしてボクの所にいるんだ? 彼女の所ではなく…」


尋ねても良いものか分からず声が小さくなってしまう。

体が機械というだけで彼女も人間と変わらない。永遠を生ける人間と永遠に生き続ける機械。血肉と電子機器、違いはあっても記憶を持つ生命体であることに変わりはない。

世の中には人型AIと結婚する人間もいるのだと聞くし、きっと人間とAIの在り方に、大した違いがなくなってきたのかもしれない‥。


『申し訳ございません。それだけは、絶対にお答えできないのです。』


彼女は頭を下げて謝罪をした。

「絶対」という言葉の語調を強める彼女からは曲げられない信念すら感じられた。


「そうか。でも…これだけは教えてほしい」

ボクは彼女の手を取って尋ねた。



「ボクと、これからも一緒にいてくれるか?」


色々あったけれど、ボクの少しだけ長い生では返しきれない罪と恩かもしれないけれど、それを贖い・返す時間はボクには残されているのか…それだけがボクの気がかりであった。


『‥‥はい! 勿論です!』

パッと花が開いたように笑った彼女を、初めて愛おしく感じられた気がした。


「…それじゃあ、行ってくるよ」

ゆっくりと彼女の手を放して、ボクは玄関に向かった。


靴を履き、玄関にある小さな鏡で身だしなみを整えてから、扉に手をかけた瞬間に背後から「いってらっしゃいませ」と聞こえたので、ボクは恥ずかしさを抱く間もなく「いってきます」と快活に答えた。


           ―


ボクはこれから彼女に会う。

それなのに、まるで初めてのデートのように(一度もしたことはないが)ボクは緊張していた。

目的地は血戦嶽家のある皇居。

ATAの分体機プラナリアによる厳重な警備によって守られており、噂では旧世界にあった自衛隊の総攻撃ですら御し得る‥などと囁かれている。


「そういえば、どうやって入るんだ?」

万能な制服を着て皇居に向かうわけだが、勿論正式なアポを取っているわけではない。

「血戦嶽雪花菜の協力者だ」なんて向かおうものならば、即刻警備プラナリアに確保されて、運が悪ければ死刑となるだろう。


「まあ…考えたところでしょうがない」

改札を通り、電車の席に座ったところでボクは開き直ることにした。

最悪の場合、どこかで寝て、ラプラスの海を介して彼女に連絡すればいい。ボクから彼女に直接アクセスできるかは分からないけれど、それでもやってみる価値は十分にある。


 そんなことより…と、ボクは周囲を見回した。平日の朝だというのに電車内には誰もいなかった。普段であれば、出勤するサラリーマンや学生や人型AIなどが乗っていてもおかしくない時間のはずなのに。車内には誰の気配も感じられなかった。


「現実…だよな?」

いつかの紫帯の男との記憶が蘇り、ボクは首を振った。

朝にあった出来事が夢であるはずがない。

彼女の笑顔は本物で、ボクが握った彼女の手の暖かさは本物であった。あれが夢であるならば…ここは何だというのか。


「まあ…偶然だろうな」

良い具合に差す陽光が気持ちよくて、ボクは自然と眠ってしまっていた。

長年の後悔と向き合うことができた安堵と、これから変わっていく自分の人生に新しい光が芽生えたような高揚感に少しだけ精神が休まった気がしたから————。


  【 61・61・01——— 】


駅名のアナウンスが聞こえ、ボクが目覚めた。

正面左手の扉が開き、改札口を抜けて、ボクは皇居へと向かう。結局、爆睡してしまったせいで血戦嶽雪花菜との連絡は取れなかったけれど、どこからともなく現れた不自然な自信がボクの歩を進めさせた。


【 01・41・32・55・”41 ——】


…どこかで声が聞こえた気がしたが、人の往来の盛んな都市部の中心を歩いているのだから気のせいだろうと、ボクは新しいリスト端末で地図を確認しながら皇居を目指す。


【——25・94・“21■■3・1・5■■ “41 ———】


「ん?」

‥‥やがて、皇居らしき建物の一角を視界が捉えた。居城というよりも白い巨塔のようにそびえる皇居。その最上階たる彼女の部屋は全面透明なガラスで覆われている。


神人たる彼女を祀る部屋として、政府関連者が設計したらしく、全面を覆うガラスは戦車砲ですら傷つけられないほどの強度を誇る。さらに塔の最上部には自動防衛兵器搭載のプラナリアが配置されているのだというから弾頭がガラス面に到達することは決してないのだという。


 皇居近辺には多数の警備プラナリアが巡回しており、道すがら身分証の提示を求められた。警備プラナリアは、各々が捕縛電磁網・麻酔銃・盾等を装備しており、対象を排除することよりも無力化させることに特化している。


「もうすぐだ」


正面の信号が青になったところで、ボクは足を踏み出した。

律儀にも周囲を見回して「本当に人気が少ないな…」などと思いながら、車の往来を確認したうえでボクは足を踏み出した。



たしかに踏み出した——————はずだったのに。


「————————は—————————」


なぜか・・・ボクは横断歩道の真ん中で大の字に横たわっていた。ここを何処かの草原だと勘違いしたように、夢遊病にでも罹ったみたいにボクの身体は固いアスファルトに全身を預けていた。


「(何して———)!?」


身体が動かない・・・・・・・

数度だけ経験したことのある金縛りのように、意識はあっても身体は動かせない。


【 42731 】


身動きが取れない。けれど、耳も目も‥‥五感は正常に働いている。

だからこそボクの身体が、地面に横たわったボクの身体が、大きな地響きを捉えるのに時間はそう掛からなかっただろう。


「(くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるな――――――



約束が、もう一つの大事な約束が。

あったはずなのに、手を握ると約束したはずなのに。

一緒にやろうと誓ったはずなのに。

・・・・ボクの身体は最後まで動くことはなかった。


【 死 に な さ い 】


ずっと、何処かから聞こえていた音の正体にボクはようやく気付いた。


白線の境界にいた警備プラナリアが、ボクに銃口を向けたプラナリアが発するそれは機械的な電子音の混ざった声ではなく、ボクの魂に直接響くような異音であった。


「お前が…ラプラスの悪魔か」


それから巨大な何かがボクを跳ね飛ばす。

パンッ、ブチブチ、バキバキと、身体の中にある風船と繊維と骨組みが異様な音を立てる。「うーん」と身体を伸ばして鳴る音が快音とすれば、これは聞くに堪えない異音だ。

自動車事故の教習で跳ね飛ばされる人形のように(血と臓物が出ないだけアチラの方が美しいが)、宙を飛んだボクの身体は少しの間だけ黒い地面と並走する。

壊れ、潰れた内臓が一時の浮遊感を味わって、次に落下を感じたころ、


ぐちゅ————と紙袋から零れ落ちたトマトみたいな音が、最後の感覚だった。


 ああ、死ぬってこんな感じだったんだね♪


ボクは心の底から「かれら」の心情を感じることができ、そして語彙なき怨炎えんえんがボクの魂を焦がしていくのに時間は掛からなかった。



20.「ラプラスの悪魔」

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