19.「ディストピア」


父の死が私に「永遠」を願わせ、咫狸の死が我儘わたしを突き動かして「永遠」は完成された。


「———僕は別にいいかな」

・・・でも、違った。

「永遠」が完成されたところで/願いが叶ったはずなのに/私がどう動いたところで、彼らは私と共に歩んではくれなかった。


「どうしてだ アスボ!?」

私は大声で叫んだ。

ずっと繋いでいた手を急に離されたような裏切りと困惑。そしてそれを凌駕する未来への不安が———打ち払ったと思われた30年余りの呪いが、再び私の魂に纏わりついた。


雪花菜きらずちゃんの「永遠」は、僕らを想って作った新世界は‥確かに嬉しいよ。こんなにも僕らのことを気にかけて‥‥恥ずかしいけれど、愛情をもって本気で世界を変えたんだから誰だって嬉しいさ」


 でもね、と彼は杖を支えにしながら立ち上がる。


「きっと僕は限られた時の中でないと真価を生み出せない。これは僕の持論だけど、何かを創る者がモチベーションを保っていられるのは「限り」があるからなんだよ。限られた時の中で、全力で走ったり泳いだりしないと生きられない…僕らはそんなどうしようもない生物なんだ。何より君の「永遠」に甘んじて、僕は僕の築いた全てを裏切りたくないから‥‥それをしてしまえば、父さんにも仁さんにも咫狸さんにも、顔向けができないよ」

「生き方は変えられない。…そういうことなのだな、アスボ」


そうだね、と彼は清らかな笑みを浮かべて私に微笑みかけた。

そんな彼の姿に私は咫狸の姿を重ねてしまう。


「それに僕の役目はもう終わっている。僕に出来なかったことは…きっと彼女がやってくれるから」

「‥‥誰かさんに似て娘思いなのだな」

「そうかもしれないね‥」


歩はチラリと私の後方にある写真に目をやった。

明日かなう。現在引きこもり中のアスボの実娘で、私も数回しか会ったことがない。


「それじゃあ、ごめんね雪花菜ちゃん。これから茉奈まな君たちの研究を手伝いに行かなくちゃいけなくてね。僕は失礼するよ」


リスト端末の付いた腕を軽く振りながら歩は私に背を向ける。すると付き添いに来ていた人型AIが立ち上がり、彼に手を添えて歩行を援助していた。


『博士…』

大き目のフードを深めに被っていたので容姿までは分からなかったが、わずかに零れた薄紅の糸に私の視線は引き寄せられていった。


「‥‥ずっと昔からファンでした‥‥」

想いを言葉に、けれど小さく、私は彼女に伝えた。

…先月亡くなった母の想いを乗せて。


                  4



「二度目だな」

それが真実だ、と言わんばかりに彼女は独り言を呟いた。


「・・・・私も考えていたのだ。初めて君があの少年に問うた時から、ずっと。この世界に、私の創った「永遠」に私自身が満足しているのかどうかを」


くるり、くるり、と宙を舞うように身を翻しながら彼女は答えた。

人が物事を考えるときには独特の行動が現れる。

ボクの場合は、無駄口を叩いて時間を稼ぐが、彼女の場合は、そのわずかな沈黙すきまと行動に愚直に表れていた。


「父、母、咫狸、歩、シーラ、秋人、茉奈、杏仁‥‥私の築いた「永遠」に残った者は、もう一人しかいなくなってしまった…」


2575年。稀代の天才、明日歩は亡くなった。

今現在、AI技術省は彼の娘である明日かなうが引き継いでいるが、実際は有頂天はずれという人物が運営を行っているのだという。


〈 天才は一つの方面においては最強ですが、総じて見れば欠陥品です。彼ら天才は最強の「一」を有する代わりに他のスキルを全て蔑ろにしているのですから。なので、私のような秀才・・にできることは、彼らを最強の「一」のみに専念させること。そのためならば私は・・・私は———何でしょう? 靴は舐めたくないですし、この身を捧げる気もないですが——まあ、ベストは尽くしましょう 〉


 …たしか、何かのインタビューで聞いた有頂天外の言葉だ。

彼の義父である有頂天咫狸は、秘書長兼日叛政府公認のアイドルグループ「AI/Doll‛s」のプロデューサーとしてAI社会の礎を築いた人物であるが、素行が悪い秀才というイメージ以外で彼の人物像を知る機会はなかった。影の仕事人、新世界の立役者、縁の下の力持ちという仕事面での成果でしか彼を、有頂天咫狸を図ることは出来なかった。


——————きっと、あの人は裏表のない人間なのだな。


…だからボクが彼女の言葉を、義娘はずれの言葉を聞いたときに感じたことは、有頂天咫狸の豪快さと器の大きさという勝手な妄想だった。



「あとはもう、彼らの子どもたちしか私にはいない‥」


セピア色の哀愁を見せる彼女。

それは夕暮れの丘から渚に落ちていく橙の星を見送る淑女のようで、愛するものを失うことしかできない神人の末路だった。


「けれど「永遠」は私の責任であり、私の生きる意義だ。止めることは出来ない」

「生きる意義が責任…」


 それは悲しすぎるよ、とは口が裂けても言えない。

「永遠」を作った彼女。「永遠」に生きる彼女。「永遠」に生かされる彼女。

その彼女の在り方をボクが勝手に憐れむことは、もう出来ない。


「生きる意義を責任に求めるな」

だけど、それは彼女だけの責任ではない。

この半世紀余りにわたる新世界において、誰も本気で彼女に反する者はいなかった。受け入れた、妥協した、諭された・悟った——理由はさておいて、彼らは彼女の創る世界に圧倒されながらも順応し、従属した。

…皮肉なことに、人間は何にでも適応する生き物だから。


「その誰もいない永遠に何の意味があるんだ?」


誰もいない「永遠」。空っぽの『永遠』。

自らの愛する者が、誰もいなくならない世界のはずなのに、彼女の愛した者たちは永遠を選ばず、この世を去って行ってしまった。求めた形にはならず、けれど「彼ら」の在り方を変える事も出来ず、ただただ彼女は「永遠」と共にあり続ける———そんなものは、ただの停滞だ。


「‥‥君は「永遠わたし」を否定するんだね」

「そうだ」


俯く彼女の肩に手を置いてボクは答えた。

今にして思えば初めからそうだったのだ。

ボクはこの世界を妬み、嫌い、否定し続けてきた。

ボクが「ボク」であるが故に、有限であることを妬み、無限に生ける「かれら」を否定したいがために、このラプラスの海を巡る旅でボクは「かれら」を知ろうとした。

結果、人間嫌いは変わらず、コーヒーが好きなのも変わらず、自分自身を未だに愛せないのも変わらなかったけれど、それでもボクは「彼ら」を同じ人間だと理解した。

醜く、美しく、正しく、間違っていて、我儘で、怠惰で…そうした不安定を抱えた生物であると、旧世界と変わらない人類であると分かったのだ。


「永遠の生は、まだ人類には過ぎたるものだったんだ…」


ただ一つ。生きる事への飽和が、この新世界には内在する。

生きることに飽きるという、どうしようもない飽和が、怠惰が生まれ始めている。

その証拠が現在でいうところの黒帯や紫帯の者たちであり、彼らは今後の人類が陥るかもしれない一つのバットエンドなのだ。


「このまま「永遠」が続けば、人類は生への飽和によって殺される。そんな未来なんてあってたまるか。お前の願いを、今までの人生を、そんなもので終わらせるわけにはいかない」

「少年、君は…」


彼女の言葉を遮るようにボクは顔を寄せて、彼女よりも先に言葉を吐き出した。


【 ボクは、お前を———「永遠」を否定する 】


この「永遠」が延々と彼女を苦しめ続けるのならば、ボクはそれを否定しなくてはならない。彼女との出会いがボクの『日常』を壊したように、ボクとの出会いも彼女にとっての何らかの出来事イベントで、きっかけだ。

何のためにボクがここにいるのか、どうしてこんな旅を送ることになったのか。ボクが秘かに抱えていた疑問が、ずっと掛かっていた霧がようやく払われる時が来た。


彼女の「永遠」———この理想郷が血戦嶽雪花菜そのもの・・・・・・・・・・と知ったからこそ、ボクは否定する。

初めからそうであったけれど、意味は違う。

全てを理解し、すべてを見てきたからこそ、否定する。

この理想郷を、そして彼女を否定することこそが、きっとボクがここにいる理由なのだと気づいたから。



    ●——————— 19.【Dis Ü topia】———————●



 〝 僕はお前を否定する 〟

少年の言葉に私は不思議と充実した何かを感じていた。私の全て、私の願い、私の「永遠」を否定すると言われたはずなのに。数奇な運命を背負った少年の言葉に、私の胸の中では喜びに似た満足感が溢れていた。


〈共有〉

その二文字が満足感の正体を私に納得させる。

いつの日か母に求めた共有は、けれど無理だと悟っていた共有は、大切なものを失って、孤独な「永遠」を生きた果てに否定という形で私の下に帰ってきてくれた。

文字通り私の全てを見てきた少年の否定は、まさしく共有の先にあるもの。

それは母にも父にも、咫狸にも、歩にも、シーラにも、秋人にも…誰にも出来なかったこと。だから私の胸は、魂はこんなにも満たされていた。


「…どうしてなんだ?」

だけど一つだけ疑問があるとすれば、少年の行為の目的だった。

初めて出会った時のような憎しみや嫌悪といった尖りは、今の少年には見られない。

だからこそ、少年が何のために「永遠」を、私を救おうとしているのかが分からなかった。


「‥‥さあね」

少年は言葉を濁していた。

本当に少年にも分からないのかもしれないし、他に目的があるのかもしれない。

悪意は感じられなかったため私はそれ以上追求するのを止めた。そんな事よりも、これから少年と築くべき未来の世界を———「永遠」の先について考え始めることにした。


                  ・


 〝 …どうしてなんだ? 〟

それはボクにも分からなかった。

もはや彼女を苦しめるだけとなった「永遠」を否定すること。つまりは、彼女を救おうとする自分の行為が、その目的が、ボクには見当もつかなかった。ボクが此処にいる理由は分かったけれども、それを行う自分が何を燃料にして動いているのかが全くの不明。

ただ、使命感とは違う謎の原動力に動かされる感覚は慣れないゆえに歯がゆくも感じられた。


〈 ———ときに、貴方…恋をしたことはある? 〉


いつかの女生徒の言葉がボクのラプラスを刺激する。

これに納得しかけるボクもいれば、そうではないと全力で拒否するボクもいるわけで、結局のところ心の内は全く分からない。


—————ボクって、こんなに分かりにくい人間だったんだな。


ボク自身がこれなのだ。他の一般人に理解できようはずもない。

だからボクは自分の抱いた歯がゆさに、とりあえず仮称をつけることにした。

…そうかもしれないと、とにかく自分を保つために。


【 ボクはきっと、彼女を好いている 】


もう二度と、言い聞かせるつもりはないけれど、とりあえずの「何となく」でボクはボクを騙す事にした。

  Likeでも、ましてやLoveでもない。Favoriteのく。

何とも便宜な言葉だと、いつかの言葉を思い出しながらボクは彼女の言葉に返答する。


「‥‥さあね」

不意に出てきたモヤモヤに口の感覚を奪われて、代わりに出てきた言葉は酷く微妙なものとなってしまう。‥‥何をいまさら緊張などしているのだ、ボクは。


「———ん。お互い、そろそろ時間のようだな」

ボクがあの・・気配を感じた瞬間、お互いの身体が崩れ、薄れ始めていった。彼女という殻が手から、足から崩れていく様子は時の定めを受けた雪像のように儚く、けれども、やはり美しかった。


「ありがとう少年」

凝視しているのがバレたのかと思い、無いはずの肝を冷やしたボクであったが、どうやらそうではないらしい。


「君と出会えてよかったよ」

肝は冷えずとも、こっぱずかしい言葉にボクは思わず身震いしていた。

「出会えてよかった」だなんて歌詞や絵物語でしか聞かないような詞は、彼女からのお礼はボクの身に余るものだった。


「ボクも‥‥まあ、よかったよ」

消えかかった手で頭を掻きながらボクも答えた。もちろん嘘ではないが、素直に「ボクもだ」なんて言えるはずもない。


「少年」

 あ‥っ。

反射的に顔が彼女へと向かう。やはり彼女の神人的カリスマが為せる業なのか。ボクは無意識に彼女の次なる言葉を傾注する姿勢をとる。


【 私と一緒に、これからの世界を創っていかないか? 】


彼女が、血戦嶽雪花菜がボクに手を差し出していた。

言葉と、彼女の手に驚いてボクは硬直していた。

…いや、もしかしたら見惚れていたのかもしれない。

周囲にある黄金が後光の如く彼女を照らし——そこに消えゆく彼女の姿も相まって——それは見まごう事なき神から差し伸べられた御手であった。


〈 みんなで いっしょに やりましょう〉


 唐突だが、僕に友達はいない。

 もちろん親友も恋人もいなくて、肉親すらもいない。天涯孤独だ。

それでも誰かと一緒にいることを、在ることを、周りに強制されている。初めは心地良かったり、楽しかったりもしたかもしれないけれど、誰もかれもが誰かと在り続けることを望んでいるわけじゃない。


人間が鬱陶しくて、苛立って、身近に手頃な機関銃でも転がっていれば、街中であろうと発砲/乱射したくもなる。交差点のアスファルトを、カラフルな信号機を、道路上の白線を、赤グロく染めてしまいたいと…何回想像したことか分からない。


だから「みんなで いっしょ」という言葉にキモチワルイを感じるのに、そう時間はかからなかったと思う。違和感から不快、不快の継続から嫌悪、嫌悪から拒絶‥と知らぬうちに誰かとの間に必ず境界を敷くようになった。触れるな、見るな、関わるなと、見えないバリアを常に放出し続けて、それが当たり前になって、いつしかバリアの外し方を忘れた人間嫌いになっていた。


「ああ、わかったよ。血戦嶽雪花菜」


 きっと彼女が特別だから、…そう思って即座に違うと断ずる。

記憶を共有し、同じ生を歩み、お互いが自らのIFとまで言えるほどにボクらは似ている。ラプラスの特異点というファンタジーが折り重なって、互いに残機1という吊り橋効果も相まって、認め、否定し、手を取り合えるほどの「共有」があった。


———運命なんて言葉は信じられないけれど、せめて偶然ぐらいは信じてやろう。


それくらいならば良いかなと言えるくらいにボクも丸く…いいや、棘が削れたのかもしれない。


「・・・でも、その手は現実で結ぶとするよ」


だから、明日、会いましょう———と。

ボクは生まれて初めて誰かと約束をした。


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