■■■ 断章:「零」/後編② ■■■


「‥‥そう、なんだね」


初めて人の顔を見るのが怖いと思った私は視線を落とした。

14年前、咫狸とシーラに向かって言い放った幻想。その幻想を叶えるために十四年を費やして口にした願望。前者の想いは強く、後者の重みは深い。


—————…ああ、大人になるとはこういうことなのだな。


血に刻まれた教訓が私の精神を締めつける。もう子どもではいられないと分かっているはずなのに、私の身体はどうして時を刻むのが遅いのだろう。


「‥‥失望したか?」


もう一度、私は彼に向き合うことにした。もう逃げはしない。進み続けた14年を裏切らないためにも。もうこれ以上、大切なものを失わないためにも。


「それを行うということは…覚悟・・はできているんだね?」

「ああ」


即答でも、無策でもなく。彼の問いを真摯に受け止め、それに応えた。

精一杯声を低くして、精一杯大人らしく振る舞う少女が、彼にはどう見えていたのか。瞳に映る自分を見ようとして、私はじっと彼の目を見つめた。鏡の前で身なりを整える少女みたいに。


「「‥‥」」


それから暫くのあいだ私たちの間には沈黙が鎮座していたが、それが俗にいう我慢比べだと私が気づいたのは、私の勝利が決まった後の事だった。


「‥‥分かったよ。僕がどうこう言ったって結局は雪花菜ちゃんのお家のことだしね。僕には確認しかできないよ」


白衣を脱ぎ、手で顔をあおぎながらアスボは天を仰いだ。


「そうだな」


…いつか別の誰かに覚悟を問われたときには、我慢比べでは許されないだろう。


「じゃあ、さっそく始めるとしようか」

「え」


途方に暮れる私を置いてきぼりにしながらアスボは行動を起こし始めていた。

胸ポケットから出した端末を肩と耳に挟み、何処から取り出したかも分からないタブレットを片手に歩き出したアスボ。その行動力に少し圧倒されながらも私は尋ねた。


「何をするの?」

「とりあえず雪花菜ちゃんの計画は何となく分かったから。専門の人を呼ばないとね」

「それじゃあ…」


そこから「もしもし~」と誰かに連絡を取り始めたアスボであったが、こちらに親指を立てた手を突き出す彼の顔からは、いつかの咫狸に似た雰囲気が感じられた。


甘納あまなくん。ちょっとラボに来てくれるかい。…え、なに?

いまコンパ中? 結婚適齢期で? 友人にはもう子どもが———いや「今度こそは‥」って、止めておきなさい。どうせ泣いて帰ってくるんだから…」


それからゴニョゴニョと相手との問答を重ね、アスボは思い出したように声を上げた。


「あ~それと! 彼も呼んでくれよ。確か君の大学の同期でいただろう。あの…ちょっとおかしな子。‥‥そうそう! トウリ、桃李杏仁あんりくんだよ」



‥‥それから少しして連絡を終えると、明日歩は私に問いかけた。



「雪花菜ちゃん。もう一つだけ覚えておいて欲しいことがある。

これは雪花菜ちゃんの家のこととは関係ないことだけど、これから君が行うであろう選択を————君は世界に背負わせることが出来るのかい?」


質問の意味がよく分からず、私は彼の問いに答える事はしなかった。



‥‥後に、この問いを私が理解するのは西暦2545年のこと。


AI社会を築いた稀代の技術者、明日歩。

ラプラスの祖、甘納茉奈。デコイの父、桃李杏仁。

三人の天才たちによって私の願望———「永遠」を成就するシステム。

ラプラスシステムが完成した日であった。



                  7



「——要は、機種変更と一緒なんですよ。端末機器の寿命が来たら中にあるデータを別のメモリーに写す。それで新しい端末に写したデータを入れてしまえばいい。若干の手順は異なりますが、このラプラスシステムはそれを人間で行うというだけなんです」


「そんなことが…本当にできるのかい?」


ホログラムで説明を行う小柄でおかっぱの女性——甘納茉奈の説明を受ける70代の星連ほしつら秋人の姿は、電子機器に詳しくない老人にそれを教える若人を見ているようで、傍から見てみると少しだけ可笑しく感じられるものであった。


「はい。理論上は♪」

「ああ…なるほど。それは怖いね」

「‥‥」


にっぱりと笑う甘納茉奈。

やや引き攣った笑みを浮かべる秋人。

そして終始無言で秋人の肩をもみ続ける長髪の男、桃李杏仁。

研究室の傍から三人の友人達を眺めたあと私はアスボを見つめた。


「‥‥どうしたんだい?」

「いや、なんでも…」


気さくに私を見返す彼、本当の天才に私は恐怖した。

想像したものが実現されるということは、もっと希望に満ちていて、もっと達成感があるものだと思い込んでいたが、ここまで来ると怖いという感情以外浮かばなかった。


「それで雪花菜さん。私に何をしてほしいのかな?」

座席から振り返りながら尋ねるアキト。

「まるで学園の教室にありそうな風景だ」と学校に行ったことのない私は想像の中の風景に彼を重ねてしまっていた。


「ああ、実はな。この実証試験をアキトにやってもらいたいんだ」

「‥うん、彼女の説明を聞いてたら何となくそうかなって気がしてたよ」

それから「どうして私なんだい?」とアキトは優しく語り掛けた。


星連秋人はいつだって私に優しくしてくれる。

たとえそれが私に亡くなった娘を重ねてたものであったとしても、それが秋人本来の性格だというのは痛いほど伝わっていた。


「秋人。娘に会いたくはないか?」


秋人の背にいた杏仁が「うわ…」と言うのが聞こえた。

隣にいたアスボは「君には人の血が流れていないのかい?」とまでいう。

だけど、私の言葉に嘘はない。この実証試験が成功すれば私の願望は叶う。

そのために私は一つの決断を友人に求めなければならなかった。


「————あ。そっか。これが実証できたなら…」

様々な思案が彼の脳裏を流れた後、彼は静かに「アイが…」と言葉を零した。


「でも一つ聞きたい」

それは力強い言葉であった。既に政治界からは引退した彼であったが、その目に宿るものは70代の老人のものとは、とても思えなかった。


「人が永遠に生き続ける、ということは世界を変えるということだ。

であれば、まず日本のシステムを根本的に書き換える必要があるわけだけど‥」


それから秋人はアスボの方へと視線を向ける。「分かってるよね?」と視線が彼を問い質しているようだった。…本気になった人間はいかに年老いても恐ろしい。


「大丈夫、とは言えないかもしれない。考えはある。でも不安もある」

…結局のところ、私に出来る事は一つしかなかった。

「だから助けてくれ、星連秋人。私の願いのために…一度死んでくれ」


 おかしな話だ。自分でもそう思う。

愛する者の平穏を、幸せを。独りよがりの「永遠」を求めるために私は友人に、愛する者に「死ね」といっているのだから。


「‥‥ああ、良いよ」

そして、秋人がこう答えることも心の何処かで分かっていたのだ。


私は「きっと将来、自分は悪い女になるのだろう」と、いつか見た未来の姿を思い出しながら毅然とした演技で秋人の手を握った。


アタリ、アスボ、アキト。三人の信頼を裏切らないために私は止まらない。


…————そう。止まってはならなかったはずなのに。私は…。



                  8



「それで、アキトーの実験は無事に成功。この…ラプラスシステムが確立後、日本社会・法律を全体的に見直し、特に労働や納税に関してはAI技術省が各個人・家庭に人型AIを貸与する。…なるほど仕事は趣味ってわけか。まさにAI社会の究極系といった感じだな。ヒトシーも大喜びってわけだ」


「ああ。そのとおりだな」

モニター越しに資料を読んだ感想を述べる咫狸を前に私は寒がるように腕組みをする。テストで悪い点を取った子がそうするように、私は緊張と申し訳なさを紛らわそうとしていた。


「…で。その実証試験から5年も経ったのに嬢ちゃんはこんなところで何してんだ?」

部下を叱咤するような咫狸の顔がモニター越しの私を見て少しバツの悪そうな顔に変わる。


 西暦2550年。25歳を迎えた私の身体は8歳半ば。

 そんな女児を叱咤する自分に嫌気が差したのだろう。


「気づいたんだ。あの実験が成功してから…」

かつて明日歩のいった言葉の意味を私は理解したのだ。



『君は世界に背負わせられるのかい?』


私の選択。「永遠」を創り上げるためのラプラスシステムによって、人類が自らの身体を器とし、永劫に生き続けられる世界だ。


‥人が死なないことによる人口過密から、人類は地球外での生活を求められるだろう。

‥もしかしたら「子を産む」という動物としての営みもなくなってしまうかもしれない。

‥AIが労働を担うということは、きっと世界は怠惰に満ちてしまうかもしれない。

世界を創り変えるのだから、これから予期せぬ様々な問題が浮上することは明確だ。


ただ私が抱えるこれは、五年という葛藤は、未来の日本や世界を案じたものでは無い。三人の天才たちで創り上げたラプラスシステムが織りなす世界とは、自らの記憶を保持・複製し、デコイに記憶を写すことで永遠に生き続けることが可能な世界。


すなわち【自らを犠牲にして生き永らえる世界】だ。

人の永遠を為す理想郷ユートピア

それを営むために、自らの身体を完全なる消費物とすることを人類に強制させることに私は葛藤していたのだ。


「これは正しい選択なのか? 私のエゴで人類の在り方を、価値観を変えてしまっても良いものか? 今まで気づかなかったものや見えなかったものが‥‥いや、見えていたけど隠してきたものが一気に見えた瞬間に————足がすくんだんだ」


「ああ~、なるほどな」


分かったような口ぶりで咫狸は相槌を返す。

それから「…要は急に理性が働いちまったって事だな」と。

ハイハイといった具合に手を振って、それからしばらく天を仰いでいた。


‥それからは何も言ってはくれない。ただ地獄のような沈黙が私に重く圧し掛かる。今日こんにちに至るまでの努力を、多くの者の協力を、献身を、信頼を。その全てを裏切るような行為をしている私が許せないこともそうだが、何よりも私の幻想を聞いて「面白い」と言ってくれた男の期待を無下にしてしまったことが何よりも悔しかった。


「また…連絡するよ」


————私はどうすればいい?

本当はそう尋ねたかったが、これ以上友人の信頼を損ねる勇気が私には無かった。


考えに考えて、悩んで悩み抜いて。それでも私には最後の一歩を踏み出せない。

自分がとんだ臆病者だということに初めて気づいた瞬間だった。


「寝よう」


どうすることも出来なくなった私は現実から逃げ出した。

あの黄金世界に答えを求めることを言い訳にして、これより更に五年の月日を無駄に過ごしてしまったのだ。


                  ・


 咫狸との連絡から5年後。西暦2555年。

 一つの知らせが黄金世界に引き籠っていた私の元へと届く。


「 きらずちゃん おちついてきいて アタリさんが————タオレタ 」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る