■■■ 断章:「零」/後編① ■■■

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〈——人間は想像したものを創造できる生き物なんだ。勿論、時間は掛かるかもしれないけれど。人間っていうのは、そういう風にプログラムされた生き物なんだ〉


記憶の主は二十代の男だった。

彼の第一印象と言えば、短く切り揃えられた黒髪と整った顔立ちに加え、その物腰柔らかそうな雰囲気から「幼さ」すら感じられるほどであったが、不思議なことに、会話を重ねるごとに彼への印象を私は改めることになる。彼の口調や一言一句の言葉から垣間見えるそれを、一つの高貴さとでもいうべきなのか。自然と引き込まれる彼の言葉の数々に私は初めて魅力カリスマというものを抱くことになる。


「不可能を可能にする、ということ?」

〈うーん。もっとロマンチストに言えば‥‥夢を叶える力、とかかな?〉


場所は時代に忘れ去られたような古い校舎の一室で、壁面に掛けられた額縁や格式の高そうな両袖机から校長室だと推定された。ギギギ、と年季の入った音を響かせながら男は背もたれに身体を預け、私は部屋の中央にあった応接間のソファに正座しながら男と言葉を交わしていた。


「夢は見るものです。私にとって叶えるのは願望だけ」

〈君は手厳しいね〉


降参、と両手を宙に引っ張り上げる様子は糸操り人形のようで少しだけ滑稽にみえた。


「他人にはよく優しいと言われるのですが」

〈まぁ、それは素敵なことで‥‥〉


にこりと彼が笑みを浮かべたところで、部屋の外から誰かが走り寄って来る気配がした。


「…そろそろ私は行きます」


元々、男は此処で誰かと待ち合わせをしていたらしく、私との会話はその時間つぶしに過ぎなかった。


〈ありがとう。初めて会った気がしないけど‥何というか娘に欲しい子だったよ。君は〉

「‥‥こんな幼気な少女に何を言っているのですか、貴方は」


 乾いた笑い声をあげると、

 少女は葉風に吹かれた木漏れ日のように消え去っていった。


「じゃあね。可愛らしいお嬢さん」

少女の姿が見えなくなると同時に、校長室の扉が勢いよく開け放たれる。

ここに来る人物は一人しかいないと分かっていても、男は扉の勢いに思わず身体をビクつかせていた。


「お待たせしました」

少し汗ばんだ女性が扉から現れ、自然と男の笑みがこぼれる。お互いに良い齢だというのに少女のような懸命さと大人びた清廉さを織り交ぜたような彼女は、太陽のように眩しかった。


「いえ、僕も今来たところですよ」

胸ポケットから出したハンカチを彼女に手渡しながら男は女性に笑いかける。


「ありがとうございます。‥ところで、誰か此処に居たのですか?」

「え」

「いえ、誰かと話しているような声が聞こえたもので…」

古い校舎だからか、あの少女との会話が少し廊下にまで響いていたらしい。


「そうですね。‥‥実は僕、幽霊と話せるんですよ」

大人のつく嘘とは思えないな、と咄嗟にまともな嘘もつけない自分に男は少し落胆する。


「ちょ…ちょっと止めてくださいよ。私、そういうの苦手なんですよ」

夕焼けに陰り始めた古い校舎という状況も相まって、彼女は男のついた幼稚な嘘を本気で信じた様子であった。


「すみません真弓まゆみさん。ちょっとした冗談、という奴です」

「もぉ…妙な雰囲気で言うから信じちゃったじゃないですか」

「ええっと…ありがとうございます?」

おどけた表情で笑って見せると、彼女は少し怒った様子で男の肩を叩く。

「もうっ、褒めてませんよ。ひとしさん」



                 6



「アスボ」

西暦2541年。私は明日歩の研究所を訪ねていた。


「やあ、雪花菜ちゃん。…あ、20歳のお誕生日おめでとう」


20歳。成人になった私の身体は未だ6~7歳ほどの大きさであった。


「ありがとう、アスボ」


対するアスボは40代半ば。元から童顔よりであったため分かりづらいが、目尻の薄いしわや髪に混じった白毛といった細かな所から確かに加齢を感じられた。


「…しまったなぁ。プレゼント何も用意してないや」


…もう、あの日に出会った青年ではなく、今では優しいおじさんだった。


「べつにいいさ。それよりも…」

「うん。昨日の電話の件だね」


優しげなアスボの顔に熱意が籠り始め、私は少し安堵する。


「雪花菜ちゃんが視る夢の世界——たしか「羊水世界」だっけ?」



父の死から十年余り。

私は「永遠」を創り上げるために知識の収集に勤しんだ。

現実世界でも羊水世界でも(後者の方が現実世界で過ぎる時間が遅いため、こちらで過ごすことの方が多かったが)私は人類が歩んだ歴史と、その営みを可能な限り頭に詰め込んだ。


そして、四年前を境に私は構想を始めた。此処に至るまでに大体の構想は出来ていたが、それを実現するには、私の才と力は幼すぎた…。



「ああ。仮称だけどね」

故に、私は天才——明日歩に全てを明かすことにした。

私の知る〈羊水世界〉のこと。父の死をきっかけに抱いた「永遠」と、その構想。今に至るまでの私———血戦嶽雪花菜の全てを、私は彼に告白したのだ。


「全ての記憶と繋がれる世界、って雪花菜ちゃんは言ってくれたけど。実際にはどんな風なんだい?」

「そうだな…」


実体験を人に話す、というのは存外難しいものだ。私の感覚と他人の感覚は違うものかもしれないのだから。可能な限り共感・・を得られる言い方をしなくてはならない。…記憶を見せられたらいいのに、と思わずにはいられない。


「眠りに落ちると黄金色の海に私がいるんだ。身体も何もない魂だけの私が。

でも、精神体でも擬似的に身体を創れるようになっていて、生前はそこで泳いだりもしていた。」

「それで、それで?」


子どものようにはしゃぎ始めたアスボに私は自然と笑みがこぼれた。


「そうして声が聞こえるんだ。女、男、子ども、老人…様々なものが混じった声で何者なのかは分からない。けれど、一つの集合意識を持ったような存在だ」

「何だい。それ? 電話で言っていた記憶の主とはまた違うものなのかい?」

「違うな。あれは‥‥羊水世界のぬしといった方が正しいのかもしれないし、此度に至るまでに蓄積された全人類の記憶——それらの集合意識なのかもしれない」

「雪花菜ちゃんとしては、それが悪いものに思えるかい?」

「…分からない、というのが私の見解だ。今のところ私に敵意を見せる様子はない」



—————————〈こんにちは〉——————


…アレは、ずっと誰かを(もしくは私のような存在を)待ち続けていたのだろう。

爛々として、洋々として、悶々としたアレは母親の迎えを待つ園児そのものであった。



「う~ん、不確定要素があるのは怖いね。

もしかしたら何かのタイミングで君を裏切るかもしれないし…」

「そうだな。警戒は‥続けた方が良いだろう」


…もしもの時、私にアレを御しきれるかは置いておくとして。


「それで! そこからどうやって記憶の主に出会うんだい?」


コロコロと表情を変える彼に私の不安は少しだけ紛れてくれた。


「いくつもあった声が唐突に鳴り止むと、次第に一つの音が聞こえ始める。

肉声、渓流のせせらぎ、チャイム、蝉…。恐らくは記憶の主に関連した音なんだろう。そうして音が徐々に大きくなると突然視界が閉じるんだ」

「閉じるの?」


目をパチパチさせながらアスボは尋ねた。


「まあ、正確には精神体の肉体が受肉して、記憶内の…仮想現実の肉体に置き換わるだけで、それがまぶたを閉じた状態になるから視界が閉じたと錯覚するんだ」

「あ~なるほど。羊水世界から人の記憶に精神体が送られる際の再起動・・・みたいなものかもしれないね。ほら、PCだってシステム上のアップデートが入ると再起動しないといけないでしょ? 情報の上乗せか、もしくは情報の書き換えかは別としてね」


「…それとも寝ている本体の情報を再プリントしているのかも」と、他にもアスボは様々な推論を口から零し始めていた。


「いや、再起動であっていると思う。再プリントの場合であれば、衣服も現実世界の私が着ているものに代わるはずだから…」

「ん? ということは、衣服は入った記憶によって違うのかい?」

「ああ。学校であれば制服、街中であれば私服やスーツみたいに、繋がった記憶によって背格好が変わることは多々あるんだ」


まるで何かの舞台に合わせて姿形を変える演者のように。


「え、それって…」

「まあ…そういうことだ。意外と美人で安心したよ」


未来の自分になる、というのは不思議な気分であった。

普通の人と同じように年を重ねられる喜び。今まで築いた自分の営みが崩れてしまう不安。憧れと緊張を抱きつつも初めて未来の自分を見た私は笑っていた。



———————はあ‥‥いい女じゃないか。


遺伝子工学とAI技術の発展によって、現在では未来の自分の姿を見ることが出来る。自分の未来を一部でも知ることができると、人間というモノは自信が得られるらしい。


…けれど、私が未来の自分を知ったところで、未来そこに至るまでにどれほどの月日を費やすかは分からない。未来の自分を知ったところで、私は溜め息しか出ないのだ。


「主の記憶に適応した身体に変換されるのかな。それとも変換しないと記憶と繋がれないのか…」

「あれは…一種の雰囲気作りじゃないのかな」

「雰囲気?」

「偉い人はスーツを着るだろう? 学生なら制服。博士は白衣。サーカスにはピエロ。場所や年齢。会社や学園といったそれぞれの世界に応じた格好が求められ、これに対応する。つまり、記憶の世界における私もそうした格好を求められ、対応しているんだよ」

「なるほど…それで雰囲気づくりか」


ヒラヒラと白衣を揺らすアスボの手。

そこから辿るように顔を見上げると、彼は少し恥ずかしそうに笑った。


「ところで、受肉するってことは他人の記憶内で飲食も出来るのかい?」

「いや。飲食は…試したことがないな。今度やってみよう」


やはり彼に相談して良かった、と私は再び安堵する…。





「————さて。それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか」


紅茶と茶菓子を挟み、今まで出会った記憶の主について粗方話し終えたところで、アスボは本腰を入れて私と向かい合った。彼の纏う空気が優しいおじさんではなく、天才技術者明日歩のものとなった、と言った方が分かりやすいのかもしれない。


「私が「永遠」を創りたい、という話は聞いているか?」


私の中にある血戦嶽家の血が即座にその変化に対応する。

楽しい談笑は一度さようなら。ここからは完全に大人の話というわけだ。


「うん。あの日…ひとしさんの葬式の後で咫狸あたりさんから聞いたよ」


それから「あの人のあんな顔。本当に久しぶりに見たな…」と歩は静かに小言を漏らす。


「あれから十四年。君が努力していたのは聞いたよ。いや、これまでの話を聞くに「努力」という言葉では足りないほど君は頑張ったんだよね」

「‥‥ただ一生懸命だっただけさ」


素直に「ありがとう」と言えない自分が少しだけ憎らしかった。


「それでボクのところに来た、ということは何か計画が出来たのかい?」

「いや、これはまだ想像の域を出ていないものなんだが——」



『——人間は想像した物を創造できる生き物なんだ』



男の言葉が蘇り、私の血が沸騰する。

〝高揚〟の二文字が頭をよぎり、それを肯定する様に私は言葉を吐き出していた。



「同じ記憶を持つ人間を創りたいんだ」


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