16.「ボク」②

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「元来、人の記憶とは「記録」し「想起」を繰り返すことで記録事象を短期記憶から長期記憶へと固定するわけですが、この「想起」を怠ると記録事象は薄れ、やがて忘却されてしまいます。この記憶の忘却に対し、ラプラスの祖——甘納あまな茉奈まな博士は〈記録=エネルギー〉と仮定し‥‥」


若い男性教師の容姿をした人型AIが教壇にて「ラプラスシステムの歴史」を論ずる。中学生となったボクらは世間でいうところの「おとな」となった。公共料金は全て大人と同じものになり、徐々に大人としての立ち位置を社会が確立し始めていく。今までの、子どもとしての日常に制限が掛けられる感覚は嫌いであったが、それが大人であることの一歩であると「おとな」たちは錯覚していくのだろう。


けれど、ボクの身体は未だに小さいままで、身体的には6、7歳ほどであった。


〈あはははははは〉


ラプラスシステムによって人類の知能が飛躍的に発達したとはいえ、それが「人間をより正しき存在へと導くか?」と問えば、答えは否である。


「小さい」「子ども」。そして、きたない笑い声…。


周囲から発せられる様々な言葉が、情報が、空気が、ボクを無造作に苦しめる。

きっと、他人からすればボクが勝手に苦しんでいる・・・・・・・・・・・・だけなのかもしれないが、言葉とは誰しもが扱える容易さと危なさを秘めているもので、情報というモノは取捨選択しなければ心を自壊させてしまう。けれども、空気を吸わなければ人間という奴は生きてはいけない。…たとえ、それが汚らしいものであったとしても。


  より狡猾さを増しただけじゃないか…。


魔法に加え、伝説の剣を手にしたレベル1の勇者。

己惚れた勇者ほど滑稽なものはなく、

無限の余裕を持った愚者はおらず、

そしてこれほど恐ろしい存在はいない。


〈魔法よりも剣。剣よりも拳。拳よりも言葉を。〉


これを平和に蕩けた目で見れば、やれ「素晴らしい」だのと称賛を頂けるかもしれないが、やっぱり魔法を唱えるには言葉が必要なわけで…。


  じゃあ、言葉は悪なわけだ。


あの喉を捻り潰せば。

あの悪い言の葉を発する口をホッチキスで挟んでしまえば。

ボクには心の平穏が訪れる。


「…のかもしれない」


五年ほど前の自分の姿を教室の後ろから眺める。

ふと〝親子参観〟という言葉がラプラスから想起され、それがボクに一人の人物を思い出させるのにそう時間はかからなかっただろう。




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『ボク』には親がいない。

物心ついた頃(新生児はラプラスシステムの定着に期間がかかる)からボクの家にいたのは一人の———人型AIだけであった。


「ご飯の時間ですよ」

「今日は良いお天気ですね。どこかにお出かけしましょうか?」

「お風呂に入りましょう」

「おやすみなさい。貴方に祝福を」


彼女・・を「親」としても良いのか分からないまま。いや、分からないことを曖昧にしたままボクは中学生になった。あの日が来る前に、彼女との関わり方を決めていれば少しは違った未来になっていたのではないか。そう思いながら眠りに落ちる夜に、ボクは慰みと許しを求めた。


【お前はもう————————————】


‥‥放った言葉は元には戻らない。



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「うるさいな…」


睡眠不足、日常という苛立ちの累積、朝から続く不運。いずれか、もしくは、その全てがボクの口を滑らせることになった。それがクラスにいるヤンチャ坊主とその一派に向けた形となり、更には、最近そのヤンチャ坊主が彼女に振られたという背景もあってボクは学校の屋上へと連れ出されることになった。


「君に言ったわけじゃない」


そう何度も伝えているにもかかわらず彼はボクを掴む腕を離さなかった。屋上へ向かう道中に多くの生徒等とすれ違ったが、誰も彼を止める者はいない。


本当に困ったときは、誰も助けてはくれない。

人生で大事なことを学んだ瞬間だった。


「前々から気に入らなかったんだよ」


…ボクは君に気に入られるつもりもないのだけれど。


「だから君にも、君の友達にも言ったわけじゃないんだ」

「じゃあ、誰に言ったんだよ」

「まわりの…世界に?」


彼らは顔を見合わせた後、きたない笑い声をあげた。


「ごまかすの下手すぎだろ」

「必死なんだ」


実際、無実の罪に問われた気分で必死だった。


「お前はキーチだからな」

「え」


キーチ? 何だそれは。


「どういうこと?」

「何だ、お前知らないのか」


つい尋ねてしまったが、意外にも彼らは優しく教えてくれた。


「よくゲームであるだろ。キャラクターの復活回数で「残機」って」


うんうん。そういうゲームなら見たことはある。


「で、お前は残機が1だろ。だからキーチ」

「…は?」


残機1? 彼は何をいっているのだ。


「は…って知らねぇの? その赤帯の意味をさ」

「これは付ける義務があると…」


そう言われて小学校卒業時に担任の教師から貰ったものだ。理由は聞かなかったが、きっとボクの身体が他の人と違うからだと勝手に納得していた。

これは一種の障がい者マークの一つなのだと。


「お前、自分のことなのに何にも知らないんだな」


ボクだって人間だ。他人と同じように自分が分からなくなる事もある。

…今日みたいに。


「いいか、お前はな———」


やめろ、やめろ。


全身にある危険信号が一斉に赤に染まる。次に来る彼の言葉を聞いたらボクがボクでいられなくなる。その確信があったというのにボクは耳を塞ぐことが出来なかった。


…否、正確には「しなかった」のだと思う。


「お前は俺達とは違う。お前の身体は一つしかないんだよ。」


絶望。黒一色の中に在る一つの感情にボクは我を失いそうになる。

けれど、そんなことよりも・・・・・・・・だ。

過去の首絞めに高揚を覚えたあの時のように、ボクの中にある正しくない感情が自分の頬を僅かに釣り上げたことの方がボクにはショックで、自分に裏切られたことが何よりも腹立たしかった。



————————じゃあ、ボクの身体はこの世に一つしかないんだ。



「ははは…」

笑った瞬間、ボクの腹部に鈍い衝撃が走る。


「何を笑ってやがる」

「…笑いたくもなるよ」


赤い帽子のオジサンもビックリな真実だ。

もう容易にダッシュなんて出来ないのだから。


「もう一人にしてくれないか」

人生で初めての懇願は重い拳に押しつぶされた。


「現実って酷だよな」

…君の台詞じゃない。


「それは…ボクの台詞だ」

それもそうだな。と彼が言った後、ボクの意識は途絶えた。



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見知った天井と部屋の匂いから自室のベッドに横たわっているのだと気づく。

喉の渇きから身体を横に向ける。ベッド脇のテーブルには医療キットと飲料水が置かれ、迷わず飲料水の入ったボトルに手を伸ばす。


「?」


ボトルを手に取ると、小さなメモ書きが床に落ちる。

見慣れた字形から、それが彼女の書いたものだと気づく。


『 夕食は冷蔵庫に入っているものを 』


ふっ、とため息をついてボクは水を一口含む。

味がしない。水なのだから当然ではあるのだけれど何かを飲んでいるという清涼感すら今のボクには感じられなかった。


「‥‥!」


‥それから、暫くして玄関に人の気配を感じたボクはベッドから飛び出した。

案の定、玄関には彼女の姿があり、いつもとは違う(けれどもたいそう似合った)スーツを着た彼女の姿にボクの言葉は止められてしまった。


『お目覚めになられたのですね』


いつもと変わらない笑顔を浮かべ、彼女はボクの身体を触る。

何処にも怪我は無いか。身体の異常は無いか。

幼い頃から続く習慣を、当たり前のように行う彼女にボクは憤りをぶつけた。

今日に至るまでの、その全てを。


「ボクは何者なんだ」

『貴方は…』


私の家族です、と彼女はつまらない答えを口にした。


「ふざけるな。今まで黙っていたんだろ。ボクが普通の人と違うって。

ボクがみんなと同じように生きられないって。お前は、ボクの身体のことをどこまで知っている。ボクの、ボクだけの、ボク一人だけの身体のことをお前はどれだけ知っている。ボクは誰から生まれたんだ。ボクは何のために生まれたんだ。ボクは…どうして」


————みんなと ちがうの?


その言葉だけがどうしても出なくてボクは言葉を止めた。無意識に止めていた全てが溢れ出して、視界を奪うほどに溢れていた感情が頬を伝ったことに気づいたのは少し後のことだった。


『————申し訳ございません』

「もう…いいよ」


本当に、心底どうでも良い。

ただ今ボクの目の前にある事実は、ボクは一度しか死ねず、他人よりも少しだけ長生きできるだけの身体を持った半端者だということだけだった。



「命令だ。お前はもう———二度と、何もしゃべらなくていい」



【この身は、この世に一つしかない。】

それだけがボクのアイデンティティとなった。


物言わぬ人型AIはこれより現在に至るまで言葉を発することは無く、ボクは死への恐怖に精神を犯された結果、醜く歪んでしまうことになる。


そうして、ボクは「ボク」になった。



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