15.「ボク」①


 〝ひたひた〟とした感覚


これが『ボク』が生まれた瞬間の記憶。

何も見えず・・・・・、遠くから聞こえる微かな振動と包容と活力を感受するだけの生命。されど、もしこの時の感受を生の営みとするならば、きっとボクは常人の倍以上に生を営んでいたのだろう。


————…なんと勤勉な生命体ではないか。


暗闇の中、ボクは勝手に感心して頷く。


鮮明な記憶は正確に世界を復元し、五感は現実味を付与するもの。

目が見えなければ世界は暗く、耳が無ければ世界は静寂ではなく無音となる。

未完成な生命体としての『ボク』にとって、暗転とした安寧を享受することが始まりであり、また初めての「常なるもの」であったのだ。



                 0



やがて世界が破れる音がした。

今まで覆っていた幾重もの膜がパチンと大きな音を立てて割れる。これまで付き添っていた〝ひたひた〟は確かな湿り気へと移り、依存の喪失は〝モヤモヤ〟を生み出していく。


差し込む光はまぶたを透き通って、薄紅の光線へと変わる。

暗闇だけの世界に色が加わったことで、生命体は失った「黒」を知り、未知がモヤモヤを煽り出す。



・・・———————おきて。


外から誰かが『ボク』を呼ぶ。でも、未完成な生命体は思うままに動けない。

薄紅と、その先にあるものへのモヤモヤが膨張し続けているにもかかわらず、

今度は〝フワフワ〟と〝モゴモゴ〟が『ボク』を包み始める。


柔らかな白いフワフワは破れてしまった世界の包容を、

フワフワの下で動くモゴモゴには活力を、

失くしたと思われていたかつての世界を懐かしみ、『ボク』は深く安堵する。

そうして再び、ながい眠りについた。



———————は~い、こんにちは僕。


安眠の彼方に聞こえた明るく陽気な声。

これが初めて聞いた『ボク』の子守歌。


———————————生まれたよ。先生。

———————————・・・生まれたね。


陽気。それから安堵と緊張。

三つの声が眠りにつく『ボク』を見送っていた。


「三人…?」


ぼんやりとした記憶世界に映ったのは白い服を着た三人組。

声から判断するに女一人、男一人。そのあいだに入った一人は中性的な声でよく分からなかった…。



                 1



〝 どうして ぼくは みんなと ちがうの? 〟


五歳の頃に抱いたそれが、ボクが知る『ボク』の始まりだった。


場所は保育場のお部屋。

先生がお話をするからと部屋の中心にみんなで集まった時のこと。周りの子と同じように体育座りで自分の足を抱え込むと、ふと自分の世界がせばまった気がしたのだ。


陽に雲が掛かり、この世の照明が暗くなっていくような…それに近しい感覚を覚えたボクは不安になって辺りを見回した。


『ぼくだけ ちいさい』


身の丈に合わない群衆に取り残されたような孤独と焦燥にボクは小さく身を丸めていた。


…きっと今まで親しんでいた世界に「怯え」を覚えたのかもしれない。


「…本当に小さかったんだな」


廊下から過去の自分を眺めた後、背後にあった背の低い手洗い場の鏡と目が合う。

毎にち自分の身体を見るたびに思うことは同じで、今でもそれは変わらない。


「ボクの時計は壊れている」


一抹の不安。些細なズレの積み重ねは歪みへと変貌する。

そして、このときに起きた小さな事件がボクの歪みを更に複雑化させることになる。


( ウサギのミミちゃんが しんじゃった・・・・・・

( しんじゃう、ってなあに? )

( もう うごかないんだよ )

( うえ~ん かわいそう )


先生からのお話を聞き、各々の反応を生み出す子供たち。

当然、子どもであったボクも、また一つの反応を示すのであった。


『こわい』


                  2



〝 「しぬ」ってなんだろう 〟


あの小さな事件以降、この疑問はボクを少々・・おかしくしてしまった。


天寿を全うした兎のミミちゃんの【死】。

そのときに抱いた感情を理解したいがために、ボクはあらゆる奇行(…ボクからすれば探求であるが)に奔った。


①限界まで身体を追い込む。(食事をとらないこともあった)

②蟻殺し。

③自分の首を絞める。

④骨を燃やし、埋める。


当然ではあるが、これらの奇行にも幼いながらに立てられた目的が存在する。


①は、身体を限界まで酷使させ衰弱した状態となることで「天寿の全う」———つまりは、死に至る前段階の【老化】を擬似的に体験しようとした。

‥が、体力が切れると電池を抜かれた機械のように身体が睡眠状態に陥ってしまったため、あまり良い成果は得られなかった。


②は、「しぬとは なにか?」という【死の定義】の探求。

幼き探求心によって、蟻の生命を蔑ろにした残虐な行いである。

ただ一つだけ前置きしておくと、蟻殺しの発端は意図せず蟻の行列を踏み抜いてしまった事がきっかけとなっただけで、蟻への恨み辛みなどは一切持ち合わせてはいないということだけ覚えておいて欲しい。


 まず、初めに蟻の手足を一本ずつ千切っていく。


末端である手足は時間をおくと動かなくなり、

残った体は泣き出した赤子みたいにコロコロと転がり続けていたが、

動く・・ということは死んではいないため・・・・・・・・・・・・・・・ボクの探求は続く。


 つぎに、プクリと膨らんだお腹だけを引っこ抜いていく。


不揃いの三食団子のような蟻の体からお腹だけを抜き取るのは難しく、誤ってお腹を潰してしまったり、頭部を引っこ抜いてしまったりもしたが、ブドウを食べるときの要領で少し捻ると上手に抜き取ることができた。


この時点で動かなくなる蟻も出てきたが、奇跡的に生きていた蟻もいた。

体が大きく、手足が千切りやすかった蟻だ。その頭部をボクは迷うことなく引き千切りに掛かる。頭をつまむと、蟻はボクの指に噛みついてきたが、そのとき感じた痛みですらボクにとっては探求の一部であった。


〝 さっきより いたくない もう うごかない  しんだんだ 〟


かくして、ボクは蟻を蔑ろにし続けていたわけだが、最終的には突然訪れた吐き気によって断念することになる…。



③は【直接的な死の体験】となる。

蟻殺しが「間接的な」死とすれば、これは自身の身体で体験する「直接的な」死。

…そして、殺した蟻たちへの贖罪だろう。


〝 どこにしよう 〟


ここで一番の問題となったのは場所であった。

蟻殺しの際、数人であるが他の子どもたちに見られて少々面倒なことになってしまった為、なるべく人目を忍んだ場所が必要となった。


〝 ここにしよう 〟


絶対に一人でいられる場所————それはトイレだった。それでも時おり、先生——人型AIが確認に来ることもあったため、偽装工作として用を足すわけでもないのにボクはズボンを降ろして便座に座り、事を起こすことにした。

  

 映画やアニメで見たように自分の首に両手を当てる。


喉の構造も、締め方の勝手も、何一つ分からない手探りの状態でボクは自分の首を苦しめていくことにした。


『…けほっ、けほ!』


喉の中心を掌で強く押すと、ボクは咳き込んだ。

限界まで息を止めた時のような息苦しさとは違い、痛みによる苦しみがボクの探求を阻む。けれど、何度も試行するうちにコツをつかみ始め、遂には少ない痛みで自分の首を絞められるようになっていった。

ところが一時——小学校初等部の頃、首を絞めることに高揚を感じ始めたため、ボクはこの探求を止めることにした。


④は、以前にも話したことがあったかもしれないが、

あれは死後の自分の姿を想像することが目的であった。死んだ後の自分————死んだ後の自分の身体を、気にするというのは確かに変なことかもしれない。けれど、「第二の人生」だの「生まれ変わったら…」などと、死んだ後の、次の自分を想像する自由があるのだから「死んだ後にボクの身体がどうなってしまうのか?」を気にすることは別に悪い事ではないはずだ。



【…だって、ボクの身体はこの世に唯ひとつしかないのだから】 



小学校卒業と同時に卒業証書と共に与えられた「赤帯」の意味。

そして《遅延成長体》という自分が特別な存在であることを知る事になったのは、中学校に上がった頃。



‥‥あれは、ボクが初めて人に殴られた日であった。


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