□□□ 断章:「零」/中編 ■■■
3
病床に伏した父を見た瞬間。
私の中の「永遠」がパキリ‥と音を立てた。
薄くなった飴菓子を舌で割るみたいに、大事なものが崩れるにしては安っぽい音色が私に永遠の脆さを刻みつける事となる。
「—————シュ———シュ———」
蒸気機関車のような吐息。透明な管とカラフルなコード。
まるでタコ足コンセントみたいになってしまった父を見て、
幼き私は父の「喪失」を予感した。
「ひとし…さん?」
予感と共に内臓が下から噴き上がり、視界が落ちていく。
身体を傷つけてはならない、という言いつけに従って私は反射的に身体を丸めた。
けれど来るはずの衝撃が訪れず、不思議に思った私は目を開くと、私は床に立ち尽くしていた。
それから暫くして、私は、自分を抱いていた母が崩れ落ちたのだと理解するのだった。
「おかあさま」
私の代わりに喪失を体現した母に私は尋ねた。
「おとうさまは‥‥しんでしまうのですか?」
やはり、このときの私は羊水世界で見た死と現実世界の「死」を、理解できてはいなかったのだろう。映画や物語で描かれる死の場面が、いかに迫真の演技や演出で描かれたものであったとしても、それがフィクションの域を出ることは決してない。
…結局のところ。妙な知識ばかりをもった私も初めての「喪失」と「死」の予感に困惑してしまったのだ。
「
このとき、母は初めて私を呼び捨てで呼んだ。
それから母は私を抱きしめるばかりで、私の問いには答えてはくれなかった。
母も私と同じようにどうすれば良いのか分からなくなってしまったからだろう、と。私は勝手にそう思い込むことにした。
「——————シュ———」
再び蒸気音を吐く父を見上げながら私は一人呟いた。
「おとうさまは‥まだいきているのですね」
この後、母は医師の説明を受けるため一度病室を離れることになり、
私は父の秘書であったシーラと病室で過ごすこととなった。
「シーラ。おとうさまはどうなってしまうの?」
「お嬢様…」
私と、それから父の姿を見たあとに彼女は重々しく口を開いた。
「お父様、血戦嶽
現状‥今のところは、機械のおかげで命を繋いでいる状態で——」
‥‥これは後で分かったことだが、このとき父は治療不可能な病に侵されていた。
当時のAI技術を導入した医療を以てしても解明できなかったその病は、神経に発生した悪性細胞の侵食によるもの。神経細胞を吸収して他の細胞へと変換してしまうそれは「自壊細胞」とも呼ばれ、徐々に体が動かせなくケースもあれば、父のように脳神経を喰われてしまう場合もあるのだという。
「つまり、おとうさまは‥‥生かされている、ということ?」
電源がないと生きられないAI機器みたいに?
「ハイ」
愚直な私の言葉にシーラは肯定を示した。
それとも
「そう…」
延命治療で生き永らえている父を見て、私の中に疑問の一矢が放たれた。
重く、深々と刺さってしまった其れが、
この私を、日本を、世界を変えてゆくことになるとは、
誰も思いはしなかっただろう。
「おとうさまは「生きている」といえるの?」
前みたいに抱き上げてもらうことも、もう出来ない。
言葉を交わすことも、手を握り返してもらうことも、一緒にご飯を食べることも…。
もう‥あの笑った父の顔を見ることは出来ない。
「おとう……さま…」
ポロポロと涙を流して、息が出来ないくらいにむせび泣いて、
年相応に鼻水を垂れ流しながら、幼き私は手を伸ばす。
…だけども、小さな私の手では何も掴めない。
父の手すら取れないほどに私の身体は小さくて、そして「私」は未熟であったのだ。
4
その日、雨が降っていた事だけは今でも鮮明に覚えている。
2527年某日。父の遺書によって遺体は火葬されることとなった。
初めて訪れた葬儀場は陰湿で、空気が重く、御香や人の匂いが滞留していた。
「お嬢様、そろそろ…」
「うん」
日本国首相であった父の葬儀。報道を始めとした各所の対応に追われた母、
「シーラはいかなくてもいいの?」
「私は‥‥ここでは非力ですから」
「?」
言葉の意味がよく分からないまま私は彼女に連れられて待合室へと向かった。
「お嬢様、体調は大丈夫そうですか?」
「‥‥うん」
私の身体は成長と治癒能力が低いだけで、虚弱という訳ではない。
「シーラはお父様との付き合いは長いの?」
「そうですね…まだ歩様のお父様がご存‥生きていらっしゃった頃からの付き合いになります」
「?…そうなの」
少し違和感があったが、多分気のせいだろう。
人の年齢は見た目に判断されない、ということを私はよく知っている。
「お父様はどんな人だったの?」
「一言では難しいですが、とても家族想いで優しい御方でした。
少し恥ずかしいですが「太陽みたいな人」というのを体で表したような方で」
まあ、これは咫狸の受け売りなのですが—————————と。
一言付け足したところで彼女は続ける。
「…お嬢様もご存じのように、
血戦嶽家は特別な家柄でしたから昔は大変苦労されたようです。
ですが、咫狸や秋人様、そして歩様のお父様である明日
「お父様は凄いのですね」
「はい。凄い御方…でした」
父の事を思い出したせいか、シーラの美しい顔に陰りが見え始めていた。
その表情だけで彼女がどれだけ父に尽くしてくれていたのかが分かる。
「じゃあ、咫狸は?」
でも、彼女のそんな顔を見たくなかった私は思わずアタリの名前を口にしていた。
…「ごめんなさい」と心の内で謝りながら。
「いつお父様と知り合ったの?」
「咫狸は———————」
少し怪訝そうな顔になったシーラが口を開いた瞬間。
「————なんだよ、嬢ちゃん。俺に興味があるのか?」
一仕事終えたような軽い声が遠くから聞こえた。
ネクタイを緩め、脱いだ背広を腕に掛けながら陽気にコチラへ向かってくるデコ出しの男———有頂天 咫狸である。
「何をしているのですか?」
「なにって休憩だよ。それと嬢ちゃんの様子も見にな」
参列者や記者たちの対応に追われていたはずの咫狸を見たシーラが攻め入るように詰め寄っていく。
「表の奴らならアスボーの警備AIが止めてる。
それと参列者達の対応も大丈夫そうだから‥って、アキトーが気ぃ遣ってくれてな。それで今さっきヒトシーの奥さんを仮眠室まで送ったところだ」
「秋人様‥‥無理されてないでしょうか?」
「今のあいつなら大丈夫だろ」
アキト———
かつては、咫狸と共に政治界を牽引していくほどの逸材であったが、妻の他界を機に前線から退いた役職に転任して以降、咫狸達との交流は次第に少なくなったのだという。
…ところが妻の死から16年後、残された一人娘も不慮の事故によって他界してしまう。
一時は完全に政治界から姿を消すかと思われたが、ある日を境に政治界に復帰。
今では彼の祖父が務めていた総務大臣を目指し、今では総務大臣政務官として猛威を振るっているらしい。
「アタリ、シーラ」
足元から見上げる小さな私。
その意図を察してくれたのか、アタリとシーラはその場にしゃがみ込んでくれた。
黒とアメジスト。二人の瞳を見つめながら私は二人に問いかけた。
「永遠は…ないの?」
黒は不動を貫き、アメジストは苦悶の色を浮かべた。
この先、何十年か後に私は彼女らの反応に隠された真意を知る事になるが、今の私はそれを想像することすら出来なかった。
「ねえな」
不動は口を開き、私だけを見て答えた。
「じゃあ…」
それでもなお、私は言葉を重ねた。
自分よりも長く生きた年長者の言葉を、喉を詰まらせる覚悟で呑み込みながら私は、私の幻想を口にすることにした。
「わたしが「永遠」をつくりたい、っていったら‥‥みんなはどうする?」
身体も心も未熟で、知識も経験も何一つ持ち合わせてはいない。
けれども、この成長の遅い身体は
知恵も見識も価値観も、あの羊水世界で得る事ができる。
今は何もない。
だけど、確かな【可能性】が私にはある。
「面白れぇじゃねぇか」
驚愕するシーラをよそに有頂天 咫狸は満面の笑みを浮かべた。
私が言うのもあれだが、まるで冒険心に溢れた子どものように笑うアタリに、私はシンパシーとも呼べる何かを感じた。
〝未知なる道は可能性に満ち満ちている〟——と。
そんな駄洒落が浮かぶほどに高揚した少女は未来に備える事にした。
それから十年後、2537年。
私が16歳を迎えた頃に一つの天啓が舞い降りることになる…。
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