12.「飽和」②



「さっきのアレは、どういう意味なのですか?」


珈琲を半分ほど残したところでボクは女に尋ねた。口元で何度も揺らしたグラスの珈琲は完全に乳と混ざり合って濃いキャメルに変色していた。


「ああ、あれね…」


労働から帰った家庭用AIに夕食の指示を送ると、唐突に女はストレッチをし始めていた。…ボクへの警戒というか、そもそも男意識が皆無なのか。わざわざボクの前でのやるものだから少々目のやり場に非常に困る。


「あの女の法。要は「いつ死んでも良いですよ」ってことでしょ」

「‥どういうことですか?」


自己心体管理法は、他の心身的立場・権限を犯さなければ自身の身を自由に扱えるというもの。自らの遺伝子より作られた(…しつこいようだが)とされるデコイの権限をオリジナルである本体に一任するという法だ。


「あれはデコイに関する法ではないのですか?」

「表面的には、ね」


開脚に弾みを付けながら女は答える。


「でも、デコイだけなら法にもそう記載すればいいはずでしょ?

だけど、あの女はそれをしなかった。

『自己の遺伝子までにおける全ての権限』なんて書いてあるけど、自分の身体を自由に使って良いだなんて‥そんなの「いつ死んでも良いですよ」って言っているのと変わらないじゃない」


「いつ死んでも…」


人間はただ一人、自らのみを殺すことができる。

それとも「自殺をするのは人間だけ」であったか。とにかく遠い時代の誰かの言葉にそんなようなものがあった気もするが、思い出せないということは自作の言葉なのだろう。


「…だから安楽死なんて気軽にできる。

だから黒帯ブラック紫帯パープルなんて異常者が生まれるんだ」


  そうだ。かれらは確かに異常者だ。

  死の価値があやふやになった新世界で生まれた怪物だ。


「だけど、そうまでして生き続けようとする熱があるんだよ。

死んでも進み続けようとする欲が、あの人たちにはあるんだよ。

‥‥可笑しいよね。ボクみたいな人もいるのに」

「‥‥」


「…って、ごめんね。ボクを引け合いに出すのは失礼だよね」と女は謝ってきたが、ボクの気が触れたのは其処ではない。



「ボクは。ボクしかいないよ。‥お姉さん」



わずかに言葉を零して、ボクは残った珈琲を飲み干した。


  …これは、紛れもない真実だ。

  ただの赤帯の少年であったのならば、ここまで「ボク」は歪んではいない。


「はいっ。準備運動終わり」


空のグラスをテーブルに置くと、ストレッチを終えた女が立ち上がった。


「どこかに出掛けるのですか?」

ようやく女の方へと視線を向ける。

激しいストレッチをしている様子はなかったが、女の頬に一筋の汗が流れていた。


「ううん、違うよ。まぁ‥適度な運動ってやつだね」

そう言い残して女は自室に入ってしまったので、ボクはソファで横になることにした。女性宅に侵入している時点で(ボクの意志ではない)今さらどうかとも思うが、流石に女性の自室に入るのは気が滅入る。


「‥‥え」


しかし、記憶の主に追従するのがボクの定め。

ソファに倒れ込みかけたボクの身体は見えない力によって引き起こされ、否応なくして女の部屋へと引き寄せられていった…。



「————好奇心は、いつかボクを殺しちゃうかもね?」


理不尽に苛まれるボクを女の意地悪な視線がつつく。

あの記憶の強制力とも呼ぶべき力は以前も体験したことがあったが、この部屋ぐらいの範囲であれば何処に居ようと関係ないと高を括っていた…。


「ボクのせいじゃない。不可抗力なんだ」

薄暗い部屋の片隅でボクは小さく身体を丸めて座り込む。


「まぁ、別に良いのだけど。でも、そんなに面白いものじゃないからね」

カチャリ、と南京錠を閉めたような音が聞こえ、ボクは僅かに視線を上げる。同時に何かの電子機器の起動音と共に部屋が少し明るくなり始めた。


「…っ」


‥露わになった白い腹部が見え、それからボクは視線を上下させる。

動きやすさを追求し、ただ恥部を隠すだけの衣服——胸部と下半身に分かれた灰色グレーのスポーツウェア姿の女が其処にはいた。


「今日は何にしようかな…」

視線を左右に動かしつつ、部屋全体へと視野を広げていく。


部屋はリビングよりも広く、天井も少し高い。主だった家具がないかわりに壁面には巨大モニターが掛けられており、部屋の中央には巨大な機器が設置されていた。


その大半がくり抜いた床の中に設置されているため全貌は分からないが、名前だけは知っている。VRマスクなどの対応機器を装着し、磁力浮遊によって浮かぶ巨大な球体に乗って行うゲーム「Virtual Reality Active」。


略称VRAと呼ばれる使用者の肉体性能が扱うキャラクターに反映される、いわゆるリアル指向のゲームだ。


「あ。モニターのリモコン…どこにやったかな」


仕組みとしては磁力と電力の斥力と引力を利用したもので、

直径約2mの巨大な球体——「小さな地球ミニアス」と呼ばれる——は床下にある電磁支援機構によって疑似磁気浮上しており、使用者の体重に合わせて土台となる支援機構が磁気強度を自動で設定する。


使用者は動作感知機能モーションセンサーを兼ねた小型機器を足・腰・背中などに装着することで、身体が球体(正確には球体内部の核)と引き合い、球体の上に立ち続けることができる。


…体感的には、誰かに抱きかかえられながら巨大な玉に乗っているような感覚らしく身体が少し吊られたような状態となる、とのことだ。


「今日は~…これにしようかな」


いつの間にかVRマスクを装着した女がくうを指でなぞると、モニターに女の選んだゲームが表示される。


数多の武器・アイテム、そして地形や戦法などを駆使してソロやマルチでモンスターを狩猟するという旧世界から人気の高いゲームシリーズだ。


「‥‥農場よし、飯よし」


モニターには女が見た仮想世界の風景が一人称で展開される。村の入り口から脇道にある農場へと向かい、そこから省略コマンドで一気にキッチンへと移動して食事をとる。


——————狩猟前の体力消費を抑えるための措置だろう。


女の動きに合わせて乱回転する球体を眺めながらそのような考察をしていると、今度はキッチンの上階にある自室でアイテムや装備を整え始める。


この際、視点は三人称へと移行され、手入力で装備を変更していく。

それから「祈願!」と称してなぜかペットと戯れたのち、再び省略コマンドでギルドのような場所へと向かい、受付嬢と話してクエストを受注。


最後に、ラッパのひと吹きと共にクエストが開始されたのであった。


「—————あ、蜂蜜…」


…ゲームを始める前に飲み忘れたという意味かとも思ったが、どうやら仮想世界での話のようだ。



                    ・



「尻尾は鮮度が命!」

…と意味不明なワードを出しながらも手始めに火を噴く竜を狩り、風を纏う四足龍と戦う女の姿は堅実かつ流麗そのものであった。


使用武器は小振りの剣と右腕に固定された盾がセットになった「片手剣」。

戦闘スタイルは回避と防御を基軸に相手の隙を伺いつつHPを削っていくもので必要に応じて光玉や煙玉などアイテムを使い、モンスターの動きを鈍らせては頭部に盾による殴打シールドバッシュを叩き込む。


「よし…気絶した」


頭部への打撃ダメージが一定値になると龍は気絶。

倒れ込むと同時に剣の届きにくい両翼にダメージを蓄積させていく。


先程の火を噴く竜との戦いでもあったが、モンスターの頭部・両翼・尻尾などの各部位に一定以上のダメージを蓄積すると綻び・千切れ・破損といった破壊エフェクトが現れ、破壊した部位に応じてクエストクリア報酬に素材アイテムが追加される。


…尻尾などの大きな部位からはモンスターの素材を剥ぎ取ることが可能となるわけだが、恐らく鮮度は関係ない。


「もう起きるね」


言葉通りに気絶から目覚めた龍が起き上がった直後に前腕で周囲を薙ぎ払う。

これに対して女は防御姿勢を取ることもなく身をかがめながら払われた前腕の下へと潜り、傘のように右腕の盾で頭部を守りながら身を回転させて攻撃を掻いくぐるのであった。


「おお…」

思わず感嘆の声が漏れる。


盾による防御は攻撃を真正面に受けるのではなく、あくまで攻撃を逸らすことを重視。攻撃範囲レンジを読み合いながら基本な攻撃には回避で対応し、防御は行動不能バインド効果のある咆哮や回避の難しい追尾突進などに使用する。


  しかし、相手も過酷な自然界(仮想の)を生き抜いた覇者。

  ハンターの戦闘パターンや動きの癖を把握し、攻撃に技巧フェイクを織り交ぜる。


「…うわ」


追尾突進が来ると盾を構えたハンターの直前で急停止すると、素早く首をもたげて頭部を天へと振り上げる。


入水の如き息継ぎの動作、それ即ち龍種最大の攻撃———、


「————疾風波ブレスっ!」


ほぼノーモーションで至近距離から放たれる疾風波ブレス

このまま盾で防ぐ事も可能だが、反動でダメージを負うのは必然。

身を屈めてどうにか上半身を覆う程度の盾では、龍種最大の攻撃を真正面から相殺できるほどの防御性能はない。



 ・・が、対するこちらは数多の覇者を狩り倒してきた歴戦の狩人。

 ロード画面に表示された「RKランク:100」は伊達ではない。


「…あぶな」


龍の頭部が狩人を捉え、その口腔から疾風波が放たれる直前、

女は龍の頭部に目掛けて剣の峰を叩き込む。片手分の腕力では頭部を跳ねのけることは敵わずとも、打ち込んだ剣は龍の頭部——疾風波の射線を僅かに曲げることに成功する。


「よいしょ」

さらに打ち込んだ峰を軸に射線と反対方向に身体を反転させることで疾風波を回避するのであった。


「よ~し、よし」

…簡単にやっている風ではあるが、これを反射的に行えるのは経験のなせるわざ。ゲームに興味のないボクでも心躍らせる見事なプレイであった。



                 ・



「———ふぅ~」

「…お疲れ様です。お姉さん」

龍との戦いを終えると、女はゲームを切り上げて浴室へと向かっていった。


先刻の記憶の主に引かれる件もあったので、ボクはリビングと浴室/浴室とバスルームで各々扉一枚を隔てて女と言葉を交わしていた。


「お姉さんは、どうしてゲームを始めたんですか?」

「え、そうね~‥‥楽しそうだったから、かな」

「いつから始めたのですか?」


そこで一時返答が止まる。


…やがて、バシャ‥と浴槽の湯を弾いたような音が聞こえた後で

「うぅ~ん‥学生を辞めたあと」と女は答えた。


「学生…」

女に聞こえない声量で呟き、ボクは正直な意見をぶつける。


「お姉さん、ゲーム配信とかはしないので———」


言い終える前にバスルームの扉が開き、ボクの背後に大粒の水滴が降りかかる。


「パパと同じことを言うのね、ボク」


女の少し苛立ったような声がボクの耳を刺す。

バスルームの反響か、もしくはシャンプーの香りのせいか。

妙に色っぽく聞こえた女の声にボクは身動きが取れなくなった。


「あのね、ボク。世の中には私より凄いプレイヤーなんて沢山いるわけ。

それに配信なんて誰かに気を遣いながらゲームするなんて器用な真似は私には出来ない。無謀と挑戦をはき違えるほど私も落ちぶれちゃあいないのよ」


ボクの強張った表情を「怯え」と捉えたのか‥背後から寄りかかりながら女は語る。


「————それでも」


背中に当たる双房よりも濡れてしまった背中の不快感を抱きつつ、ボクは精一杯の反論を述べる。


「それでもボクの心は動いたから」


感情が揺れなければ、いつしか人は脳死する。

脳死した人間など「ただの葦」でしかないが、それでも〝何かしらの葦〟になろうと大なり小なり藻掻くのが人の性だ。


「同じ」を繰り返せば無関心が蓄積され、生きることに飽きが生じる。

そのまま感情のふり幅が小さくなって、やがては何もしなくなる(出来なく)なれば、人は知らぬ間に熱を失った・・・・・と錯覚してしまう。



—————そうか。「熱」の消失とは、和やかと飽きの延長で起こる魂の飽和なんだ。



ボクは深く納得した。

そして、ようやくボクはあの女学生の言葉の正体を理解したのであった。


「え、ボク‥‥身体が」


時間が来たようだ。

徐々にボクの身体が薄れ始める。



————————‥ボクがいなくなった世界は一体どうなるのだろう。


ふと、ボクが消えた後の世界の事を思い返す。



  美しき楽園で子どもたちと戯れる少年は。

  学校の屋上でボクを見送った女学生は。

  誰もいない電車でボクと別れた男は。

  真夏日の下でボクに悪戯された少女は…。



ラプラスの海はシンクロニシティによって集合したラプラスの集合体。

かつての今だったものであり、過去の彼らだ。


ボクの介入はあくまで彼らの記憶に起こった〝if〟。

「今」の彼らには何の影響も与えることは無いだろう。


  少年は自らを犠牲にして子どもたちを救い、

  女学生は終わる事のない青春に浸り、

  あの死にたがりの男は今日も紫雲の空に酔い、

  狂怖の少女は彼氏である少年を笑い殺すのだろう。


あの謎の声の言ったようにボクと彼らが出会った記憶は恐らくデジャヴとして現れる程度だ。ボクを「赤帯の少年」だと勘違いし続ける背後の女も、きっとボクのことを覚えてはいられないだろう。


「もうお別れのようです」

「そう。‥‥悲しいわね」


ボクを抱く腕が少し強まった気がした。


「ねえ、お姉さん」

「なあに?」

「少しは違う明日を迎えても、きっと罰は当たりませんよ」

「違う明日ねぇ…」

「はい…お姉さん的に言うと違う「今」です」


今度はボクの髪をクシャクシャと撫でると、女はため息をついた。


「何かを変えるのって面倒で、億劫だけど…それでも、こんな怠惰な私でも変えられるものってあるのかしらね?」

「そうですねぇ…」


心意気だとか曖昧な部分を変えようとしたところで初心はいずれ忘れられるか、廃れてしまう。だから、まずは手ごろな所から変えていくしかない。

変えられるところから少しずつ、今とは違う「今」を生きることを日常に組み込んでいくしかない。



「花…とかどうでしょうか?」

リビングにあった二輪の花を思い出してボクはそう答えた。


雛菊とツリフネソウ。

死と安楽を意味する各々の花言葉は、まるで死からの逃避を指しているかに思われた。


「花か。まあ、それぐらい——なら——」


次第にノイズが混じって言葉が上手く聞き取れなくなると、

ボクの身体が記憶の粒子になってほどけていく。


「さよう——なら—」


別れの挨拶をして、ボクは空へと消えていった。



——————違う「今」か。いつかボクも…。



この終わりのない記憶の旅に決着をつけなければならない。

始まりは唐突であったけれども、それでも何とか朧気おぼろげながらに旅の目的が見えてきた。


ボクの中で芽生えつつある旅の終着点。

それを迎えるためには、あと少しだけ旅を続けなければならない…。


————あ、そういえば忘れていた。


口が残っているかは分からないが、精一杯息を吸いこんでボクは告げた。


「コーヒ——/——ご馳走—//—でした—/—/——お姉さん」




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