9.「復讐」①



『人間の所業とは思えない。残酷、非人間的行為であり———』


 永遠の命。終わりのない世界。


そうした命の質が変化した世界においても、殺人というものはおこなわれる。


 怒りや憎しみ。

 正義感や自己防衛。

 気まぐれと探求によるサイコパス。


総じて人が人を殺すという行為は、少なからず、この世界にも存在していた。


『———以上により、被告、○○○〇は死刑。新規のデコイ作成を五十年凍結とする。』


木槌を打ち鳴らす裁判官と思しき無帯の老人が宣告し、

教卓のような台に手枷をはめられた緑帯の少年は項垂れる。


 永遠の命。終わりのない世界。

 つまり、殺しても死なない世界。


命の質・・・が変わった以上、人を律する法もまた改められるようになる。

既存の法を基軸とし、主に重罪に対する刑に「デコイ作成に関する権利の凍結・剥奪」が加えられ、更には可笑しな刑が行われるようになった。


『———また、被害者による申告により死刑を『復讐刑』へと変更する。』


「復讐刑…」


・・・そして。ボクは「老人が少年に死刑を宣告する」という奇天烈な風景を傍聴席から眺めていた。




ラプラスの海を渡り続けて四度目。

いつもは記憶の主となる人物が近くに現れるはずなのだが、未だに姿を見せない。初めは老人か少年のどちらかだと思っていたが、残念な事に、ボクの存在に気づいた様子はない。


————どこだ。


それらしい人物を求めて周囲を見回すと、傍聴席の背後にある扉が勢いよく開け放たれる。


「———よくも、私を殺してくれたわね!」


扉から現れたのは罪人の少年と変わらない10歳前後の少女だった。


〈‥‥‥〉


つばの広い麦わら帽子。シフォン生地の白ワンピース。黒バラを模したフリルのサンダルを履き、真珠色の髪を揺らす少女の姿は真夏の装いそのもの…。

裁定を下す法の聖域において、そのあまりにも不釣り合いな少女の格好に裁判官や弁護人らは固まってしまい、緑帯の少年は雷を怖がる子犬のように台の下に身を縮めていた。


「…」


少女の第一声。

それがヒステリックな叫びであれば、ボクは何の興味も示さなかっただろう。

その憎悪をもって傍聴席を駆け抜け、柵を飛び越えて少年に向かっていく少女であったならば、ボクから声を掛けることなど決してなかったはずだ。


「こんにちは。初めての冒険はどうでしたか?」


‥‥だけども少女の顔が浮かべていたのは演技染みた悔しさだった。

少女の台詞は仮初の悔しさを皮肉な言葉にして表したもので、溢れんばかりの喜びを隠すための作りもの。まごうこと無き偽物であった。


「…あら?」


この記憶の主は間違いなく少女であった。

その証拠に目と目が合うと、少女は首に掛けられた——真新しい——純白の帯を、いつかのボクのように見せびらかしてきた。更には…


————お・そ・ろ・い、ね♪


わざとらしい口パクと満面の笑みを添えて。

…いやらしい女だ。



                ・



「目には目を、歯には歯を。」

紀元前古代メソポタミアの王、ハンムラビ王とその法典。

復讐法とも呼ばれるそれが、この日叛では復讐刑として執行されるようになった。

「殺されたのならば、殺し返してしまっても良し。」

とまで公言されてはいないが、殺された少女——今回で言うところの被害者には、それに見合う復讐刑を行う権限が与えられている。


復讐刑を被害者側が申告する場合、裁判長・弁護人・被害者による三者の会談を行い、被害者側が提示する「復讐」が罪に対して適切なものであれば刑は執行される。この際、加害者に対する過度・・の肉体的・精神的苦痛を与えることは禁じられているため、刑執行時には裁判所の監視を受けることになる。


「…これ、邪魔ね」


 手洗い場の鏡前で少女は頬を膨らませていた。

白帯に装着されたブローチ型のカメラを煩わしそうに触る少女。

その姿は気に入らない装飾品を着けられて困り果てた高貴な幼女を思わせるのか。少女の傍を通り過ぎる女性からは「カワイイ」「キレイ」といった黄色い声が上がる。


「折角の「白」が台無しだわ」


‥‥けれど、誰も少女の正体には気づかない。

彼女らの「カワイイ」とか「キレイ」といった言葉は少女の愛くるしさ——外見だけをすくったもので、つまりは少女の上澄み程度でしかない。


「男は人の皮を被った狼だ」などと昔は言っていた(今も何処かで使われているのかもしれない)が、ボクからすれば、この少女は「カワイイ」という言葉とは最も程遠い「人の皮を被った狂怖・・」そのものだ。


 おそろしくて怖いというよりも、

 くるおしくて怖ろしい。

 ‥だから、狂怖きょうふ


〝怖いもの見たさ〟という、どうしようもない人間の好奇心を掻き立て、人を狂わせてしまう。魅惑や魔性よりもよっぽど質が悪いが…だからこそ、ボクは声を掛けてしまったのかもしれない。


「ふふふ♪」


ウエディングドレスに焦がれる乙女と同じく、鏡の中に映る少女は酔いしれるように白帯を撫でて笑っていた。


「もういいかな?」


初の女子トイレ侵入という不名誉に苛立ちながらもボクは少女に声をかける。


〝記憶の主と離れる〟という場面が今までなかったため失念していたが、ボクは記憶の主から一定以上離れることが出来ないらしい。今のボクはラプラスの海を介して少女の記憶に繋がっている端末のようなものに過ぎないのだ。


「あら? どうして貴方がここにいるの」

「‥‥ボクが聞きたいよ」


毅然とした少女の背中はボクに問いかけるが、

鏡の中の少女は依然として首元の白帯に見惚れたまま。


「どうして殺されたんだ?」


…故に。

ただの興味本位で尋ねたこの言葉が少女を刺激することになるとは思いも寄らなかったのだ。


「・・・聞きたい?」


返答までの三拍。

その間に鏡の少女は人の皮を脱ぎ、その本性を露わにした。


…放った言葉は元には戻せない。

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