10.「復讐」②
『初めはね、彼にお願いしたの。
「お願いします。私を殺してください」って。
自分で言ってて可笑しく思ったけれど不思議と悪い気はしなかった。だって主人公のために死を選ぶヒロインみたいで、とても価値のある死に思えたもの。
‥でも、「君を殺すなんて出来ない」って彼は言うの。
今まで私が愛していた彼が、「私」を愛してくれていた彼がそういったの。
だから私、考えたわ。「どうしたら彼は私を殺してくれるんだろう」って。
…そうしたら答えは単純だったわ。
【殺せばいいのよ。私が、彼を。】
勿論、私だって鬼じゃないから良心はあったわよ。
「どんなふうに殺したら苦しくないだろう」
「どんなふうに殺したら私を殺してくれるだろう」
まるで初めて〝料理〟に挑戦するような、懐かしい高揚と期待感があったわ。
…ちなみに私が初めて作ったのは〝目玉焼き〟なんだけど、油を敷くのを忘れた上に割れた殻が入ってしまって、とても大変だったわ。
「料理は誰もが出来る創作」なんて誰かが言っていたけれど、私にとって料理は誰でも気軽にできる失敗と
————あ、いま気づいたんだけど成功体験ってなんだか少し卑猥よね。
「パイオニア」とか「エチケット」とか「おっぱじめる」みたいで。まあ、意味的には全然違うのだけれど。あれって要は言葉から連想された私的な想像で、妄想なのよね。私の場合〝横断歩道〟と聞くと、未だに黒線を踏んだら死んじゃうゲームをし始めてしまうし〝The Beatles〟だって思い浮かぶわ。
〝All You Need Is Love♪ 〟
〝愛こそは全て〟という訳通りに歌詞は最初からLoveで盛沢山だけれど、あれは平和を願ったレノン氏の歌で、あの時代に向けたミュージックだからこそ万民の心に刺さったらしいわ。…まあ、その話を聞いたあとで私は彼の心臓をナイフで刺しちゃったのだけれど。やっぱり素人だから少し失敗しちゃったのよね。心臓を刺したのに中々死ねなくて、彼とても苦しそうだったの。思いっきり刺したからナイフも抜けなくなっちゃって「早く殺さないと!」って私も焦ったわ。
ナイフは彼の心臓に刺さった一本だけで、
彼を殺せるようなものは他にはない。
「このまま苦しむ彼を見てはいられない」…そう思ったときに名案が閃いたのよ。苦しさを終わらせるのではなく、
・・・だから。私、喜んで彼の慰みになったわ。
エンドルフィンなんて久しく感じてなかったけれど、この時の私は凄くハイになっていたと思う。初めての殺人と処女喪失を同時に迎えるなんて思っても見なかったし、最期に死にゆく彼と一つになる、なんて
化けの皮が剥がれる、とはよく言ったものだ。
人の皮を被った、人に化けた狂怖。
その中身は頃合いの悪い瘡蓋を剥がした方がマシだと思えるほど、酷く、醜く、歪んでいた。
「———それから少し日が経って、緑帯の少年になった彼が尋ねてきたの。
最初は誰なのか分からなくて「ボク? どうしたのかな?」なんて尋ねてしまって。
そうしたら彼が私にナイフを突き刺したの。上手だったわ———あ、刺し方が、じゃなくて刺すまでの流れがね。彼が不意にしがみ付いてきて思わず受け止めたら途端に胸が冷たくなって…そのときに私初めて気づいたの。
【あぁ。ナイフってこんなにも冷たいんだ】って。
それから相手の顔を見て、彼だと分かったの。
あの子犬みたいな目が本当の子犬みたいに潤んでいて、とても愛らしかったわ。
そのまま抱きしめてしまいたかったけれど力が入らなくて…そのまま私、彼に押し倒されて———」
(薬でも使えば良かったのでは?)
‥などと無粋なことは言うまい。
殺人を料理と例えた時点から少女の歪みは明確に現れていた。
料理と殺人。
この二つにあるモノは過程だ。
失敗という過程を享受し、成功という結果に辿り着く。
…そうして「人」は次に進んでいくのだとボクは思う。
「…君は」
少女の冒険譚も間も無く終わりを迎える。
自らがどのように殺され、犯されたのかを少女が事細かに語り尽くす中、それを遮らないように小さな声でボクは呟いた。
「手塩にかけて彼に自分を殺させたわけだ…」
変な言葉だということは分かっている。…だけど、これはあくまで独り言だ。
口から出たこの言葉は嘘偽りのないボクの感想なのだから、どうしようもない。
「
〝殺される〟という目的を見事に果たした少女。
そんな罪深き少女が復讐刑と称して少年に何を為すのか、ボクには想像がつかなかった。
「そうね。一度試してみたかったのだけれど———きゃあ!」
裁判所を離れ、真夏日が差し込む並木道を通りかかったところ。
不意に現れたイタズラ風が少女の麦わら帽子を掻っ攫おうとするが、すんでのところでボクの伸ばした手が届く。
「あら、ありがとう」
「いえ」
首を掻きながらボクは帽子を返すと、少女は不思議なことを尋ねた。
「貴方。笑ったことはある?」
「‥‥」
‥‥ボクは何も答えられなかった。
「別に深い意味があるわけじゃないのだけど…」と意外にも少女が繕うような言葉をかけてきた気がするが、定かではない。
——…ないだろう。多分。
すぐに答えられない、という事はそういうことなのだろう。
ビジネススマイルとまでは言えないが「とりあえずの笑顔」ならば幾らでも作れる。
だけど少女が求めているような、大声を出して、涙が出るくらいに笑うほどの、
それこそ抱腹絶倒するレベルで笑ったことは一度もない。
「———笑い死ぬ、ってあるじゃない?」
…途中から少女の言葉は耳に入っていなかったので、ボクは適当に答えることにした。
「…ありますね」
「アレをやってみようと思うのよ、彼に」
「あぁ。————————え?」
驚いた、というのが素直な感想だった。
あの狂怖の少女が行う復讐が、そんなユーモラスなものだと誰が想像できたことか…。
「死刑だと確実に処されてしまうけど復讐刑だとそうはならないの。
〝復讐〟って書いてあるから被害者側の憂さ晴らしとして捉われがちだけど、
要は両者の落とし所を被害者側が提案できる刑で——」
「・・・待ってくれ」
ボクは両手を挙げて降参のポーズを取っていた。
〝狂おしくて怖ろしい〟。
その印象に間違いはない。
物語の
殺人を料理に例え、自らを殺させるために相手を犯し殺すような少女。
‥だというのに。
今、目の前にいる少女は復讐を以て彼を救おうとしている。
「笑い死に」というのが一体どのような方法で行われるのかは分からないが、過度な身体的苦痛の付与が禁じられている以上、その執行時間には制限が存在する。要は、刑に耐え抜けば彼は死を免れる上にデコイを
「まず、初めに聞くべきだった。どうして君は死にたかったんだ?」
完全に最初のアプローチを間違えていた。
〝殺人〟〝復讐刑〟〝裁判〟〝少年〟"少女〟
私的な興味や好奇心によって、知らず知らずのうちにボクは「少女」の虚像を創り上げてしまっていたのだから。
「彼とお揃いになりたかったから。…そう言ったら貴方、怒る?」
空を見上げながら少女は静かに答えた。
「ああ…そう」
それ以上の言葉が出なかった。
誰かと「同じ」を望むその在り様は確かに人間らしく、
「少女」は確かに少女であったから。
「そうか…」
だからこそ、ボクは心の底から残念であった。
猟奇的で、サイコパスで、禍々しく歪んでいようとも、それが少女の「人」としての一面であることに変わりはない。
無限のかれらと有限のボクに共通する「人」。
それを少女にみていたボクの熱意は「少女」の虚像と共に一気に消失した。
…
「彼、死なないといいですね」
「えぇ。———きゃっ、なに?」
腹いせに帽子のツバへと指を振り下ろして、ボクは少女の元から去っていった。
・
狂おしくて怖ろしい。人の皮を被った狂怖。
…あの少女に抱いたものは間違いじゃない。
ただ、ボクに見落としがあったとすれば「なぜ少女がそうなってしまったのか」を想像しなかったことだ。
少女を狂怖たらしめるものは何か?
…口に出すのも気色悪く、尚且つボクには不相応の言葉なので省略するが、
それは総じて『愛』と呼ばれるものだ。
〈心を受ける〉の愛では気に入らないため、ボクはフリーハンドで授ける心を「愛」と呼ぶが、〝愛憎〟という言葉があるくらいなのだからもとより「愛」とは大そう恐ろしいものなのだろう。…それこそ〝狂愛〟にまでいってしまえば怖いくらいに‥。
「殺し、殺される愛があるなんて・・・馬鹿げている」
殺し愛、だなんてカッコいい言葉は勿体ない。
「同じ」を求めるために殺し、殺され、さらには愛しの彼を救うために「笑い死に」なんて間抜けな刑を執行するのだから、もっと相応しい言葉を付けるべきだ。
—————‥‥
…流石にベタ過ぎるな、と軽く鼻で笑い飛ばしてボクは次の記憶へと向かうことした。
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