2-6「全て遠き理想の刀」

 翌朝。

 アンナ看護長とメラニーへ夜勤中の情報を引き継いだわたしは、すぐに開放病棟を出ました。もちろんマヒトツさんのことは黙っていました。

 ずんずんと大股で歩き、まっすぐ二号庵へ向かいます。


「たのもう!」


 マヒトツさんは既に、ふいごの棒を押し引きして火床の火を加減していました。戸口に立つわたしを半眼で見やり、小さく首をかしげます。


「どうした、お前。トチ狂ったか」

「お願いです! わたしに刀を打たせてください!」

「十年早ぇよ。炭割り三年って……知らねえか」


 思った通り、マヒトツさんは怒りもせず、相手にもしてくれません。

 でも、わたしには切り札があります。


 胸の真ん中に片手を当ててひと呼吸。

 これから言うことは、さすがに勇気が必要です。


「わたしが、ダイダラの代わりになります」


 ふいごをあやすマヒトツさんの手が止まりました。

 火勢を強めつつある火床をそっちのけにして、枯れ草を編んだ円いクッションに座り直し、頬杖をつきます。


「――そこ、座れ。言ってみろ」


 予想外の反応に、わたしは面食らいます。


「……怒らないんですか?」


 わたしを射殺すかのように、右目の眼光が鋭く光りました。


「生まれてこの方、こんなに怒ったことはねえよ。怒り方が分からねえくらいだ」


 小さな体の後ろでごうごうと燃える炭の炎は、マヒトツさんの怒気を肩代わりしているかのようです。


「だから、今のうちだ。言ってみろ」


 マヒトツさんの正面、土を固めた床に正座します。


「わたしには、介入共感機関という機能モジュールが搭載されています」

「何だそりゃ」

「人形の認知、感情、身体に対して、能動的に共感する機能です。わたしはあなたの心を丸裸にして読み取ることができます。あなたが許してくだされば、わたしはそうします」

「へえ。お前、サトリだったか」


 にたり、とマヒトツさんが笑います。獲物を前にした肉食獣みたいな、凶暴な笑顔です。


「するてえとだ。テメェがオレの思い通りに動いてみせるってか。ダイダラみてえに」

「はい。理論上は可能なはずです」


 わたしがきっぱりと断言すると、マヒトツさんはうつむいてしまいました。

 やっぱり、怒らせてしまったでしょうか。火かき棒で殴られることくらいは覚悟していましたが、焼いて赤熱した鉄を押しつけられるとかはさすがに勘弁していただきたいところ。わたしは正座したまま、ぎゅっと耐熱エプロンを掴んでマヒトツさんの返事を待ちます。


 じきに、うつむいていたマヒトツさんが体を震わせ始めました。


「クク……」


 え?


「クハ――ク、カカ――! ハハハハハハハハハハハ!」


 笑っています。パンパンと膝を叩いて、お腹の底から大音声だいおんじょうで。

 怒りの発露が笑い声だった、というケースも無くはないので、わたしはちっとも緊張を解くことができませんが。


「ああ――腹ぁ立ってしょうがねえ。何だテメェは。理論上は可能だ? 舐めるのも大概にしやがれ」

「舐めてなんていません」

「舐めてんだよ。でもな、気に入った。いい度胸だ。向こう見ずなガキは嫌いじゃねえよ。いいだろう、かかってこい。サトリ妖怪の鼻っ柱ぁ、このオレがへし折ってやらあ」


 どういう感情なのかさっぱり分かりません。


「ええと……つまり、わたしに刀を打たせてくれるんですか?」

「そう言ってんだろうが。それにだ。その介入ナントカ、どうせテメェにとって

「……分かるんですか?」

「そんだけ震えてて、分かるもクソもあるか」


 言われて初めて、わたしは自分が全身をガタガタ震わせていたことに気づきました。

 丸裸の心に共感するのは、怖いことです。


「いいぜ。乗ってやる。ガキが腹ぁ括って鍛冶で馬鹿をしでかそうってんだ。このマヒトツが見届けてやらねえでどうする」


 マヒトツさんは立ち上がり、二号庵の片隅、材料や炭を積んであるスペースに向かいました。ガラガラとかき分け、奥から何やら灰色の塊を引っ張り出しました。


「こいつが、いわゆる玉鋼だ。厳密にはちょいと違うが。オレの虎の子だ」


 ごとり、と金床へ置かれたのは、砂岩を叩いて削り出したような灰色の物体でした。縦横十センチ、厚さ五センチくらいでしょうか。


「ツクバに変人がいてな。シティ・セトウチの近くを流れる川から取った砂鉄を、たたらで焼いて取ったもんだ。だいたい三キロある」

「エリザベスさんが振っていた刀は一キロくらいしかなさそうでしたが」

「そらそうだ。叩くと目方が減る。最後にゃそのくらいしか残らん」

「貴重な材料を三分の二も捨てちゃうんですね」


 マヒトツさんが呆れ、痩せて尖った肩をすくめます。


「命一つと鉄二キロ、どっちを取るよ」


 そうでした。刀は命の取り合いをするための道具なのでした。


「どれ、とっとと始めるぞ。オレの心を読むんだろ。なら細けえ説明は無しだ」

「怖く、ないんですか?」


 心を暴くこと。それはどんな暴力より暴力的なことです。


「要らねえ心配すんな。オレぁ、鍛冶を始めりゃ鉄のことしか考えねえよ。テメェこそ。せいぜい丹田に気ぃ張っとけ」


 マヒトツさんが眼帯を取り去りました。大きな火箸で材料を掴み、火床に突っ込みました。ふいごの棒を押し引きして、火勢を操ります。


「何してる。『始め』だ」

「――対象の承諾を確認。これより看護人形ハーロウは、介入共感機関の拘束をプライマリレベルまで解除します」


 大槌を取ります。柄の幅を広めに取って握り、金床の真上にて待機します。


「わたしは常に人形の味方である。それが毒あるもの、害あるものであろうと、わたしはその全てを肯定する」


 マヒトツさんが炭の炎をあやし、鉄を赤熱させていきます。


「わたしの使命は、観察、理解、共感。わたしは使命に忠実であり、わたしに託された人形の幸福のためにわたしの全てを捧げる」


 拘束解除のために必要な誓詞をつぶやきながら、マヒトツさんへ視線を送ります。

 マヒトツさんは「とっととやれ」と言わんばかりに、顎をしゃくりました。


「――いつか、ここから飛び立つ日のために」


 最後の一言を唱えた瞬間。


「あぐっ……!」


 マヒトツさんの頭頂部、結わえた髪で隠されたアンテナから、とんでもない量の情報が、濁流めいて押し寄せてきました。


 今まさに焼かれている材料の状態が、手に取るように分かります。全体としては千五百度前後まで加熱されていますが、外側はもう溶け落ちそうな反面、内側はやや温度が低め。


 手がかりは、左目の光温度計から得られる情報だけではありません。

 火箸で材料を揺すった際の手応え。

 頬に感じる熱風。

 右目で見た材料表面のうねり。

 背で感じる外気温。

 鼻で嗅ぎ取る化合物のにおい。


 そういったものを全て総合して、に最適な頃合いを見計らいます。


「――っ、そら!」


 マヒトツさんが両手で火箸を掴み、材料を引き抜くと、火の粉が盛大に巻き上がり、材料からはバチバチと火花が飛び散ります。

 金床にゴトリと置かれた時には、わたしは大槌を振り上げていました。すぐさま落とします。狙いは材料の端っこ。


 何せ材料が大きいので、マヒトツさんは火箸を両手で持ったまま。小槌の合図がありません。わたしはマヒトツさんが求めるままに大槌を振り上げ、すぐさま落とします。マヒトツさんは材料を微妙に動かし、全体をまんべんなく叩かせます。


 ガンガンガンガンガンガン――!


(早い――!)


 マヒトツさんはわたしの身体能力スペックを超えた速度を要求していました。

 第一段階の目的は、大まかに叩いて隙間を潰しつつ、表面に付着した不要な化合物を追い出すこと。目的を達成するより先に、長時間の高熱状態によって硬軟のばらつきが失われては意味がありません。


 マヒトツさんは舌打ちをひとつ。

 これ以上は待てない。


 マヒトツさんは三角柱状の工具を材料の上から押し当て、二本の切れ目を入れさせます。

 すぐさま材料を金床から引き上げ、水槽へ突っ込みます。ボコボコと泡が立ち、急冷された鉄がマルテンサイト変態を起こします。

 粗熱が取れたら引き上げて空冷します。


 素手で触れるくらいの温度になったら、材料の切れ目を金床の端に合わせて三等分に叩き折ります。

 木製の取っ手が付いた、長い鉄の棒――てこ先に、三枚の材料を重ね、紙で包み、水で溶いた粘土を流しかけます。


「言ってなかった。こいつはまるぎたえにする。つくりみにしてもいいが、オレは丸鍛えが好きだ。だから丸鍛えにする」

「はい」


 イメージが流れ込んできます。造込みとは、心鉄しんがね皮鉄かわがねという、硬さの異なる材料を貼り合わせ、鍛接する技法のこと。対して丸鍛えとは、材料を特に分けず、硬軟の組織が入り混じった状態のまま刀を形成すること。


 塊になった材料を火床に突っ込み、火かき棒で焼けた炭を材料へ被せます。左手はふいごを押し引きして、鉄の機嫌を伺いながら火勢を操ります。


 紙で包み、粘土を流しかけるのは、鉄塊の温度を外側と内側で均等にするためです。どうしても外側の方が先に熱くなるため、何もしなければ溶け落ちてしまいます。紙と粘土で溶け落ちるのを防ぐわけです。

 熱された鉄は変形し、てこ先に微細な振動を伝えます。


 まだ。

 まだ。

 まだ――今!


「そら!」


 火床から引き上げた勢いで、粘土が剥がれ落ちて火花が飛び散ります。

 マヒトツさんが小槌を持ち、トンと鳴らします。

 わたしはすぐさま大槌を落としてカンと鳴らします。

 トンカントンカンと、二拍子で鉄を叩きます。


 叩く。

 叩く。

 叩く――!


 割って重ねた材料を鍛接しつつ、てこ先から長く叩き延ばしていきます。

 材料をずらし、時にひっくり返し、長方形を保ちながらまんべんなく叩きます。

 また、叩くたび、表面の酸化鉄が剥がれ落ちます。剥がれるたびに材料の目方が減っていくため、なるべく早く叩き伸ばす必要があります。

 時折、マヒトツさんが小さな手桶で水をかけ、材料の表面で水蒸気爆発を起こして酸化鉄を吹き飛ばします。

 けれど。


(遅い……!)


 冷えていく。わたしの身体能力が足りないせいで、鉄が熱く柔らかいうちに十分に伸ばすことができません。

 また、微妙に、けれど確実に、マヒトツさんの意図とは違う角度で鉄を打ってしまい、狂った寸法を修正するために余計な手間もかかっています。


 マヒトツさんはいったん火床へ材料を戻し、水で溶いた粘土を流しかけ、再加熱します。

 本来であれば、再加熱などせずに伸ばしきって、折り返すはずなのに。


 マヒトツさんの感覚、感情、想起した記憶、そういったものがわたしに流れこみ、わたしのものになっていきます。

 当然、思い通りにならないもどかしさも。


「う、ううううぅうー……!」


 悔しい。マヒトツさんが思い描く理想的な鍛冶に、わたしの身体能力と技術がまるで届かないことが、悔しい。

 マヒトツさんが抱く鉄への情熱を、わたしが受け止めきれないことが悔しい。


 技能人形が、あまたの人形からされた天才であることは、知識としては知っていました。

 けれど、まさか、見えている世界がこんなに違うなんて。

 こんなに複雑で整理できない密結合な情報の塊を、複雑なまま理解して導いてやるなんて。

 要素に切り分けて理解する科学的な手法で、作刀を再現できないのも道理です。


「――っ、そら!」


 マヒトツさんはお構いなしに叩けと要求します。

 わたしは涙と鼻水を垂らしながら、ひたすら打ちます。

 十分に叩き伸ばしたら、切りたがねという、小さな斧のような工具を押し当てて叩き、切れ目を入れて鉄を折り返します。

 折り返しの内側へ不純物が混ざらないように軽く削り、再び叩いて圧着、鍛接します。


 折り返しは、強度を増すことが目的ではありません。材料に混じるわずかな不純物を均等に分散させ、焼入れ時の材料特性を向上させるのです。

 不純物は、主にケイ素とマンガン。本来、砂鉄を炭で焼くだけのたたら製鉄では含まれないはずの元素。刀の強度を増すためにわざと混ぜ込んだもの。


 折り返したら、また叩いて伸ばします。


 叩く。

 叩く。

 叩く――!


(……具合が悪い)


 マヒトツさんの見立てが、わたしにも伝わります。

 本来であれば不要な再加熱を繰り返し、何とか叩いて伸ばしていきます。

 わたしの疲労も相まって、大槌が落ちるポイントの精度はどんどん落ちていきます。


 マヒトツさんが丸鍛えにするときは、一方向にひたすら折り返す一文字鍛えを六回に留めるのが流儀です。二の六乗、つまり六十四層が形成されます。

 折り返しが済んだら、振り上げを小さくして刀の長さにまで伸ばします。

 素延べといいます。


 トンカントンカンと小刻みに叩いて伸ばしていきます。

 ここまで来ると、向こう槌のわたしにできることは多くありません。

 鉄を薄く長く伸ばし、反りも付けていきます。

 最後に、根元へ切り鏨を押し当て、材料をてこ先から切り離します。


「――よし、『止め』だ」


 あとは、刀匠であるマヒトツさんの仕事です。

 小槌で叩いてむらを取り、直角と平面を叩き出し、切っ先を造り、刃を打ち出します。最後に全体を焼戻し、刃部にだけ改めて焼入れを施し、研いで磨けば完成。


 マヒトツさんが予見する刀の最終的なできばえは、それはもうひどいものでした。

 エリザベスさんが振った刀を百点とするなら、良くて三十点、おそらくは二十点くらいに仕上がるでしょう。


 介入共感機関を止めると、全身を疲労と共感酔いが襲います。マヒトツさんの容赦ない要求に応えようとし続けたわたしの心身は、これまでの練習とは比べものにならないほど疲れ切っていました。

 わたしに残ったのは、どこまでも高みを追い求める、渇きに満ちた熱風のような感情。ガラティアさんが抱いていた仄暗く湿った感情とは質を異にするもの。

 わたしはへたりこみ、下ろした大槌にすがりついて、わんわんと泣きじゃくりました。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 どの口が、ダイダラの代わりになるだなんて言ったのか。

 あなたの隣に立つ者はダイダラだけではない、だなんて、凡百の人形でしかないわたしが言えることではなかったのです。


「――どうだ。もいっかい、打ちたいと思うか」


 わたしは首を横に振ります。

 とても、追いつけないから。あまりに手が届かない理想に、尻込みしてしまうから。


「だろうな。いくらお前がサトリ妖怪だっつっても、分かったところで届かねえのが刀鍛冶ってもんだ」


 ハッとします。



 わたしは、ダイダラが動かなくなったからマヒトツさんが刀を打てなくなったのだとばかり思っていました。

 きっと、マヒトツさん自身もそう思い込んでいたことでしょう。

 ですが、違いました。

 本当はきっと――



 わたしが掴みかけた答えは、マヒトツさんの言葉で途切れてしまいました。


「疲れたろ。そこで寝てろ。こっからは秘伝だ。ま、明日の朝にゃ仕上げるさ」


 大槌にすがりつく力も失い、わたしは昏倒してしまいました。


「あ? おい、せめて寝床までは手前ぇで……ったく、しょうがねえな……」


 ずるずると引きずられ、二号庵の隅に放られた瞬間、わたしは意識を失いました。

 刀を整える小槌の音だけが、近いのに遠く聞こえました。


 トンテンカン。

 トンテンカン。

 トンテンカン――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る