2-5「鍛冶人形の憂鬱」

 わたしが練習用の炭素工具鋼を叩き始めてから三日後、夕刻。

 最初は五点だった評価も、次第に十点、十八点、三十点と上がっていき、最後に打った材料には六十二点が付きました。


「わたし、もしかして才能あります?」

「寝言は寝て言え馬鹿野郎。人形ってのはすぐに三十点くらいまではできるもんだ」


 人形はヒトに比べて、身体操作の最適化が高速です。極端な例ですが、エリザベスさんが刀を振り回しただけで最適な振り方を理解したのも、人形だからできたことです。


「三十点から六十点までは早い。七十点から先が長い。気が遠くなるくらい長い」

「そんなものですか」

「そんなもんだ。どれ、片付けるか」


 日が暮れるまで叩いても槌の上げ下げが続くようになったので、わたしも片付けを手伝います。まずは煤と汗が付着した大槌の柄を、雑巾で拭くところから。

 とはいっても、槌の上げ下げが続くようになっただけで、とても疲れていることに変わりはありません。どうしても動作は緩慢になってしまいます。当然、マヒトツさんにどやされます。


「おら、手前ぇの道具くらい手前ぇでキッチリ綺麗にしろ。手ぇ滑らせて金床に傷でもつけてみろ。火箸で歯ぁ一本ずつ抜くぞ」

「すみません!」


 どうやったらそんなに恐ろしい脅し文句をポンポンと思いつくのでしょうか。

 大槌の柄を拭き終えたら、叩くたびに飛び散る不純物スラグを箒で掃き集めます。

 ふいごを押し引きしながら火床に燃え残った炭を火かき棒で混ぜ、鎮火を早めていたマヒトツさんが、唐突に話し始めました。


「……鍛造ってのはよ。つまるところ、鉄鋼を均一にして、硬い組織にする仕事だ」

「はあ」


 疲労の熱が全身を巡っていたわたしは、つい生返事をしてしまいました。


「はあ、じゃねえデコスケ。耳の穴かっぽじってよく聞け。手は止めるな」

「すみません、ちゃんと聞きます」

「具体的にはだ。鉄鋼を熱してオーステナイトっていうユルい組織にする。そいつを叩いて、隙間を潰して、不揃いな組織を均して、不純物を追い出す」


 不純物。わたしが掃いている黒い破片のことです。


「叩いて叩いて形を作ったら、冷水に突っ込んで急冷する。急冷するとマルテンサイトっていうキュッとした硬い組織になる。やきれだ」

「何と言いますか、意外と科学的なんですね」

「何言ってんだテメェ。材料工学も知らねえで鍛冶屋ぁやってられっかよ」


 職人技というものは科学的な思考とは無縁だと思っていました。


「焼入れだけじゃ硬くなりすぎるし、内部に変な力が残って歪んじまう。残留応力つってな。だから今度はじっくり焼いて、ゆっくり冷やす。こうやって歪みを消して折れにくくする。やきもどしだ。鍛造の基本だ。覚えとけ」


 思えば、現代の科学技術でも再現できないことがあるからこそ、技能人形という存在が必要とされ、ヒトの手仕事を継承しているのでした。それ以外のことは解明されていて当然です。

 そうすると、素人ながら単純な疑問が思い浮かびます。


「一つ、質問です。機械でハンマーを上げ下げして鉄を叩くことはできないんですか?」

「スプリングハンマーか……ま、できねえことはねえよ。オレも使ったことがある。爺さん連中も、手が足りねぇもんだからスプリングハンマーで刀ぁ打ってたからな」

「爺さん?」

「オレに鍛冶を教えた刀工だよ。みんな年寄りでな」


 そう言ったマヒトツさんの声からは、いつもの炎みたいに苛烈な激情が感じられませんでした。濡れた布を一枚かぶせたかのような声。


「爺さん連中はさておきだ。んーとな。こればっかりはオレの感覚でしかねえんだが……オレからすると、スプリングハンマーはんだ。だから使わねえ」

「正確すぎる、ですか」

「鋼はワガママな生き物だ。そこをこっちのワガママに付き合ってもらう。刀になってくれってな。一回打つたびに機嫌を伺わなきゃ、鋼は言うこと聞いてくれねえわけだ」

「すみません、何をおっしゃっているのか……」

「そらそうだろうよ。昨日の今日で鋼の言うことが分かりゃ苦労はねえさ。まあ聞け」


 話したいだけ、ということでしょうか。

 そういうことであれば、わたしは相槌を打って傾聴に徹します。


「叩いた手応えっつーのかな。光温度計やら見た目やらだけじゃなくてよ。そういうのでも鋼のワガママが分かる」


 熱した鋼の状態を知る手がかりが増える、ということでしょうか。


「手応え、ですか。わたしには分かりませんね」

「上げ下げで手一杯ならそんなもんだ。ダイダラが向こう槌を打ってたときはよ、そこんとこよくオレに伝えてくれた」


 マヒトツさんが刀が打てなくなったのは、ダイダラが動かなくなったから。

 今でもダイダラは、二号庵から少し離れた松の木の下に安置され、簡素な屋根の下で沈黙を保っています。


「わたしでは、ご不満ですよね」

「月とすっぽんを比べるほど野暮じゃあねえよ」


 マヒトツさんはふと我に返ったのか、チッと舌打ちをひとつ。


「……余計なこと話した。掃除、終わったらとっととけえって寝ろよ」

 気のせいか、火かき棒で火床の炭をかき混ぜる背が小さく見えました。





 その日の深夜。午前二時。

 日勤の時間をマヒトツさんに費やしているぶん、看護A班の夜勤はわたしが担当しています。わたしが休眠を取っている二十二時から午前一時の間は、さすがに他班の夜勤担当にカバーしてもらっていますが。

 メスキューくんを一機連れて、開放病棟の静かな廊下を巡ります。

 休眠を終えてすぐに巡回したので、今は二度目の巡回です。

 各部屋の引き戸をそっと開けると、どの患者さんもベッドで静かに眠っていました。エリザベスさんはもう起きていましたが、一瞬だけ目を開けてわたしを視認すると、すぐに目を閉じておとなしくしていました。


「静かですねえ」


 開放病棟とはいえ、心身に不調をきたした人形さんたちばかりです。嫌な夢を見れば目を覚ましてしまい、悪いときには錯乱してしまうこともあります。

 とはいえ、そういう患者さんはだいたい、昼間に何らかの兆候サインを示しています。日勤のアンナ看護長とメラニーからは「特筆すべきことは無し」と伝え聞いていたので、おそらく何事も起きずに朝を迎えるでしょう。


 開放病棟、A班、B班、C班が担当する患者さんたちの状態を確認し終えたら、開放病棟の出入り口付近にあるナースステーションへ戻ります。

 B班のジュリア副看護長、C班のアルブレット先輩が、将棋ショーギというボードゲームを指していました。


「ん、終わり? 何か異常は?」

「特にありません。エリザベスさんはもう起きていらっしゃいましたけど」


 ちょっと考えます。

 火床の炭をかき混ぜる、マヒトツさんの小さな背中。

 あれは、何かの兆候サインかもしれません。


「すみません。二号庵、マヒトツさんの様子を見てきてもいいですか?」

「いいよ。あたしとアルブレットがいるし、日勤の連中も三時には起きるし」

「ありがとうございます」

「ボクは行かなくていいのー?」

「メスキューくんはお喋りですからね。静かに様子だけ見たいんです」

「ぶーぶー! 機械差別だ!」

「はいはい。今度天然オイルあげますから」

「やった! 言質取ったよハーロウくん」


 メスキューくんをなだめたのち、開放病棟を出ます。

 止まり木の療養所の夜は、基本的に真っ暗です。


 当院は電力を海流から安定的に得ていますが、贅沢ができるほどの余裕があるわけではありません。生活維持に必要な、地下の化学工場プラントに電力の大部分が回されています。

 松林に向かって歩道を行くわたしの存在を感知した街灯が、一つずつ順番に灯っていくだけ。

 それも、松林の近くになると途切れます。松林は外からの潮風を防ぐだけでなく、内からの可視光を遮る役割も果たしています。


 ネックライトを灯し、首から下げて松林に踏み入ります。

 さく、さく、と乾いた松葉を踏み、じきにマヒトツさんが休眠を取っているであろう二号庵にたどり着きました。窓から漏れる光は無し。聞き耳を立てましたが、特に物音も無し。さすがに扉を開けると大きな音がするため、起こしてしまうでしょう。

 わたしと作業をするようになってから、マヒトツさんは規則正しい生活をしています。


「大丈夫そうですね」


 小声でひとりごち、二号庵から離れます。

 三歩、歩いて足が止まりました。



 ――いや。もしかしたら。二号庵にいないだけなのでは?



 きびすを返します。

 ネックライトを消すと、だいぶ低くなった半月が松林をうっすら照らします。

 たしか、ダイダラが安置されているのは、海側へ向かって少し離れた所。

 音を立てないよう、積もった松葉をゆっくりと踏みながら、大回りしてダイダラの影を探します。もしダイダラの元へ行っているのだとしたら、きっとマヒトツさんは見られたくないでしょうから。


 じきに、のっそりとした大きな影を見つけました。横向きです。

 ダイダラの隣、わたしから見て手前には、半月のうっすらした明かりでもよく冴える、橙色の髪が宙に浮かんでいました。

 わたしは手近な松の木に隠れ、腰を下ろします。


 しばらく、ざざ、ざざ、とかすかに波が防波堤に届く音と、さわ、さわ、と松葉がわずかに揺れる音だけが、松林に満ちていました。

 ぼそり、とマヒトツさんが小さな声を漏らしました。


「……なあ、ダイダラよう。どうしちまったんだよ、おめえ」


 また、あの声。師匠の刀工たちについて言及したときの、濡れた布を一枚かぶせたかのような声。


「いい加減、動いてくれよ。ずっと手足がもがれたみてえでよ、しんどいんだよ。もう半年だぜ。おめえの勘も錆びついちまうだろうがよう」


 ダイダラは、他律型のロボットです。わたしたち人形のような心は無く、メスキューくんのような模倣人格さえ持っていません。ましてや、勘など。

 それなのに、マヒトツさんはまるで、ダイダラにも心があるかのように語りかけています。

 すすり泣きをこらえているのか、しきりに鼻をすする音が、わたしの鼓膜に染みます。


「なあ。ダイダラよう。オレぁうるせえのは嫌いだけどよ、いい加減、だんまりにも飽きちまったよ。一体全体、何が気にくわねえんだよう……」


 ごつ、ごつ、という鈍い音。拳を当てているのでしょうか。音の弱さから察するに、あまり強くは殴りつけていません。


「オレにはもう、おめえしかいねえんだよ……」


 いたたまれなくなります。

 飛び出して、マヒトツさんの肩を抱いてあげたくなります。

 ですが、それはわたしの気持ちであって、マヒトツさんが望むことでは決してありません。

 今、わたしが姿を見せたら、マヒトツさんの尊厳を傷つけてしまいます。

 介入共感機関で強制的に共感するのと、何ら変わりはありません。

 そのくらいは、わたしにだって分かります。


 結局わたしは、マヒトツさんがダイダラに頭と肩を預けて休眠に入ってしまうまで、松の木に身を寄せたまま動けずにいました。

 立ち去るとき、ちょっとだけ、決意を携えて。

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