2-4「振るな。落とせ」

 三日後。

 二号庵の改造は急ピッチで進み、鍛冶場が完成しました。


 目立つのは、二つの大道具。

 片手で棒を押し引きして炉に送風する、大きな箱状のふいご。

 ふいごの隣には、木炭を燃やして鉄を熱する火床ほど。四角い石でコの字に囲っただけの、ごく簡素な炉です。


 わたしはいつもの看護服に黒いアームカバーを着け、さらにアンナ看護長が調達してくれた耐熱エプロンを着用しています。約八キロの重たい金槌、大槌を持たされました。

 マヒトツさんはいつもの黒い眼帯を左目に着け、洗いたてのサラシとニッカポッカを着用していました。

 左手には大きなペンチのようなもの、火箸を。右手には持ち手が短い片手用の金槌、小槌を、それぞれ持っています。


「始める前に言っとくことがある」

「はい。何でしょう」


 いつにも増して鋭い目つきと声音に、自然と背が伸びます。


「始める時には『始め』と言う。終わる時には『止め』と言う。始まったら、オレが絶対だ。口答えするな。意見するな。迷うな。集中が切れる。集中が切れたら、良くて大怪我、悪くてお陀仏だ」

「分かりました」

「始まってなけりゃ何か聞いてもいい。遠慮すんな。分かったつもりが一番悪い。いいか」

「はい」


 マヒトツさんが火箸で掴んで見せたのは、厚手の布を何枚も重ねて分厚い板状にしたものでした。


「まずはこれを打て」


 まだ『始め』と言われていないので、遠慮なく聞いてみます。


「熱した鉄じゃないんですか?」

「狙い通りに槌を落とせなきゃ炭の無駄だ。狙いを外して金床を打たれちゃかなわねえ。金床に傷ができる。手前ぇの仕事に『失敗』の銘を切るハメになる」

「なるほど」


 マヒトツさんが枯れ草を編んだ円形のクッションに座り、片足を立てました。直方体の金床に、厚い布が置かれます。


「どれ、まずは三拍子でやるぞ。オレが二回、小槌で金床を叩く。拍子を合わせてお前が槌を上げて落とす。トンテンカンだ。最初だけ、オレが三回叩く。その次から合わせて落とせ。いいか」

「分かりました」

「よし。始め!」


 トン、テン、カン、と小槌がゆっくり拍子リズムを刻みました。

 続く拍子に合わせ、わたしは重たい槌の先端を肩の上まで持ち上げ――


「動くな止めだ‼ 馬鹿野郎!」


 のっけからの鋭い叱責。『止め』と言われる前に体が硬直しました。


「テメェ、オレの頭ぁかち割る気か!」


 え、何。何ですか。


「上げて落とせっつったろ。そんなに振りかぶる奴があるか」

「そうすると、どうやって打てば?」

「だからんだよ。下ろせ。貸せ」


 言われるがまま、大槌をゆっくりと下ろし、マヒトツさんへ渡します。マヒトツさんは両手の幅を広めに取って大槌を持ちました。


「いいか。金床に対して垂直に槌の頭を上げる。んで、そのまま落とす。上げるときにゃ腰を前に、下げるときにゃ腰を後ろに、だ」


 どす、どす、と金床へ敷かれた布へ槌の頭が落ちます。マヒトツさんが言ったとおり、槌の頭は金床に対してほぼ垂直に上下していました。まるで、槌がマヒトツさんを操っているかのようでした。


「位置エネルギーは分かるな?」

「はい」

「よし。要するに、重力任せでいい。めいっぱい力を込めたって、たかが知れてる。一発に力を込めて無駄に疲れるより、重力に任せて何度も叩いた方が効率的だ」


 驚くべきことに、ただ金床へ置かれただけの布は、何度叩かれてもほとんど動きませんでした。


「それを肩まで振りかぶってみろ。オレでも狙いが外れる。テメェの高さだ。もっと外れる。そんときに手が滑ってみろ。遠心力様のお出ましだ。オレの頭は潰れたザクロみてえになる」

「う……わ、分かりました」

「ほれ、持て。続きだ」


 マヒトツさんがそうしていたように、両手の幅を広めに取ります。


「始め!」


 再び、トン、テン、カン、と拍子が刻まれます。

 槌の頭をなるべく金床に対して垂直に上げ、落とします。


「そうだ!」


 トン、テン、どすっ。

 トン、テン、どすっ。


「真ん中狙え!」

「はい!」


 トン、テン、どすっ。


「平らに打て!」

「はい!」


 トン、テン、どすっ。

 トン、テン、どすっ。

 トン、テン――

 ひたすら注意を受けながら、ずっと布を叩き続けてその日は終わりました。

 お日様が沈む前に、わたしの腕が上がらなくなったのです。


「……ま、いいだろ。先生の言ったとおり、覚えは悪くねえよ」


 わたしはへたりこみ、大槌の柄を頼りにかろうじて上体を支えます。


「あ……ありがとう、ございました……」


 慣れない動作で八キロの物体をひたすら上げ下げし続けたわたしは疲労困憊でした。人形もヒトと同じで、激しい運動を続ければ疲れます。


「ほれ。けえってメシ食ってクソして寝ろ」


 お下品な物言いに抗議する気力さえ湧きません。


「でも、片付けくらいは……」

「余計に散らかすのがオチだ。いいから今日はけえれ。明日もフラついてたら許さねえぞ」


 刀鍛冶体験の初日は、厳しいんだか優しいんだか分からないマヒトツさんの言葉で締めくくられました。





 翌日。

 午前中は、昨日の復習でした。ひたすら厚い布を打ちました。

 そして午後。何とか狙い通りの位置へ槌を落とせるようになったわたしを待っていたのは、長さ十五センチ、太さ二センチ角の鉄の棒でした。


「何というか、材料、小さいんですね。もっと大きなものを打つんだと思ってました」

「いきなり玉鋼なんか打たせるかよもったいねえ。こいつは練習用の炭素工具鋼だ。ちゃんと真ん中で打たねえと金床を打つぞ」

「分かりました。集中します」


 いよいよ火床に火が入ります。マヒトツさんが枯れ草の円いクッションに座り、ふいごの棒を押し引きし始めました。空気がどんどん送られ、炭が橙色の炎を育てながら赤熱していきます。


 わたしの肌まで熱波がちりちりと届くようになった時のことでした。

 マヒトツさんが、左目を覆っていた眼帯を外しました。

 隠されていた眼球が、縦に割れて開きました。中から現れたのは、円筒状の義眼でした。真っ黒な表面に、炭の赤い火が映っていました。


「マヒトツさん、その目は……」

光温度計パイロメータだ」


 それだけ言って、マヒトツさんは火箸で掴んだ炭素工具鋼を火床へ突っ込みました。

 一定のリズムで押し引きされていたふいごの棒が、じっくり押したり、急に引いたりと、調子を変化させました。素人目にも、火勢が調節されていることが分かります。


「……そろそろやるぞ。構えとけ」

「はいっ」


 大槌を握る手にぐっと力を込めます。

 マヒトツさんはじっと火床を見つめたまま、そんなわたしに釘を刺しました。


「大振りすんなよ。的が小せえんだ。ちょいと上げて落とすだけでいい」

「あ、そうなんですか」


 恥ずかしい。


「ったく、ハリキリかよ」

「う……」

「悪いことじゃねえよ。やるぞ」


 火箸をさっと引き抜くと、炭火から火の粉がぱっと散りました。真っ赤な熱波を放つ炭素工具鋼が金床へ音もなく置かれるのと同時に、マヒトツさんの鋭い掛け声がかかります。


「始め!」


 トンテンカン、と練習の時よりやや早い拍子で導入が叩かれます。

 トンテン、カン!


「遅ぇぞ馬鹿!」


 トンテンカン!


「そうだ!」


 トンテンカン!

 トンテンカン!



 一つ打つたび、少しずつ材料が潰れていくのが見えます。

 一つ打つたび、マヒトツさんは材料を微妙に動かします。



 トンテンカン!

 トンテンカン!

 トンテンカン――ココン。



 小槌が軽く、金床の横を叩きました。


「――っ!」


 わたしは反射的に、振り上げた大槌を止めました。

 マヒトツさんはわたしには目もくれず、すぐさま火床へ材料を突っ込みます。左目の光温度計と右目の視界で、火加減と材料の温度を見極めています。

 わたしは大槌を下ろし、荒くなった息を整えながら考えていました。


 わたしは、振り上げた大槌を

 小槌で金床の横を叩いたのが、何かの合図だったことは分かります。

 初めての合図に戸惑ったのではありません。わたしは即座に「槌を止めろ」の意だと判断しました。


 ほどなく材料が金床へ戻されました。思考が中断します。

 トンテンと拍子が鳴らされるのに合わせ、わたしは大槌を振り上げ、振り下ろします。

 最初の三拍子はありませんでしたが、不思議とわたしはマヒトツさんの思惑通りに大槌を振ることができました。



 トンテンカン!

 トンテンカン!

 トンテンカン――



 材料が叩く前の倍ほどに長く伸び、厚さが五ミリくらいになった頃でした。

 ココン、と再び小槌が金床の横を軽く叩きました。

 わたしが大槌を止めると、マヒトツさんは材料を火床へ突っ込みました。


「焼きを入れる」


 じっと温度を見極めていたマヒトツさんがさっと火箸を引き抜き、右手に持ち替え、赤熱した材料を水槽へと沈めました。

 湯気が立ったのは一瞬でした。水槽の中で材料を揺らすと、ボコボコと水底から熱い泡が沸きます。

 二十秒も経たないうちにマヒトツさんが材料を引き上げました。

 真っ赤だった材料は、粗熱が取れて明るい灰色に変色していました。


 マヒトツさんが材料を金床に置くと、カランと甲高い音が鳴ります。半分ほど、金床から材料をはみ出させました。

 何だろう、と思った瞬間。


「――ふっ!」


 マヒトツさんは小槌を振り上げ、材料がはみ出た所を強烈に打ちました。

 カン、カン、キン!

 三度叩いた瞬間、甲高い音と共に、材料が真っ二つに折れました。


「よし、止めだ」

「折っちゃうんですね」

「折らねえとデキが分からねえだろうが」


 マヒトツさんは眼帯を左目に付け直します。

 小さな火箸に持ち替え、折った材料の断面を右目で見つめました。すぐに眉間に深いしわを寄せました。

 背後に揃えた小道具から薬剤を取り、断面へ垂らします。

 マヒトツさんは軽く首をひねり、わたしの初仕事に評価を下しました。


「五点」

「それは何点満点中でしょうか」

「百点満点中に決まってるだろうが」


 がっくり。

 初めてとはいえ、百点満点中の五点とは。


「点数って、どうやって決めているんですか?」

「ざっくり三つだ。叩き折ったときの硬さ。断面に出る組織の均一さ。硫黄やらリンやらの抜け具合。オレが打てっつった所を打てばマシになる」

「打てと言った所といっても……どこを打てとは一言も聞いていませんが」

「やってりゃ分かるようになる」


 そんな無茶な。


「まだ疲れてねえな。槌が上がらなくなるまでやるぞ」

「わ、分かりました」


 新しい材料が火床に置かれ、再びトンテンカンが始まります。

 今日、わたしの全身の筋肉はずたずたになるまで酷使されるでしょう。

 夕食で、初期化済イニシャライズド微細機械マイクロマシンが多めに配合された食材を摂らなければ。

 ああ、せっかくなら油がたっぷり配合された、Aランクの模造牛肉が食べたいなあ――


「馬鹿野郎! 打ってる間に晩飯のことなんか考えてんじゃねえ!」

「すみません!」


 どうしてわたしが夕食のことを考えていると分かったのでしょうか。怖い。





 その日もお日様が沈む前にわたしの腕が上がらなくなり、お開きとなりました。

 へろへろになったわたしが二号庵から追い出され、病棟までの道のりをのろのろと歩いていたとき。

 甲高い音が、もう遠くなった二号庵から聞こえてきました。



 トンテンカン。

 トンテンカン。

 トンテンカン――……

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