2-3「要素還元主義の功罪」

 わたしは、マヒトツさんがそんなに凄い人形さんだったなんて知りませんでした。

 半年前、当院へ初めて来所したときも「相棒のダイダラが動かなくなった」と言うだけでした。


 ダイダラ。昨晩、古い松の木にもたれて座っていた、あの丸くて大きな旧式のロボットのことです。マヒトツさんの指示に従って動き、大きな金槌を持って赤熱した鋼を打つ相棒。マヒトツさんはダイダラを頼りに作刀に励んでいたため、今は思い通りに刀を打つことができません。

 ダイダラの製造を請け負ったツクバまで運んで原因を調べたそうですが、これといった異常は発見できず。

 工学に秀でるツクバの技術者集団がダイダラに異常なしと言うなら、マヒトツさん本人の心身症であろう、という運びで、当院への入所が決まったそうです。


「いやあ、それにしても良いものを見たよ。どうだい、エリザベスさん。実際に振ってみたあなたが一番、マヒトツさんの凄さを体感できたと思うんだけど」


 エリザベスさんは刀を鞘に収め、メラニーに手渡しながら言いました。


「ノー。恐れながら申し上げます、ドクター・バンシュー。

「というと?」

「今は打てないのでございましょう? であれば、マヒトツ様の凄さとやらは、わたくしには分かりかねます」


 バン! と、裸足の裏を体育館の床へ叩きつける音が甲高く鳴り、バンシュー先生の言葉を遮りました。


「テメェ、女中。言いてえのは何か。今のオレは大したことねえってか」

「はて。左様なことは一言たりとも申し上げておりませんが?」


 あ、不穏。


「女中。言いてえことがあるなら正面切って言いやがれ!」


 マヒトツさんがエリザベスさんへ飛びかかろうとして身をかがめた瞬間、わたしは横からマヒトツさんに組み付きました。肩に乗せて担ぎ上げます。


「ストーップ! 喧嘩は御法度です!」

「邪魔すんな針金! あのスカした面の皮ぁ、スラグみてえにこそぎ落としてやる!」

「どうぞ、今のあなたごときに、おできになるのなら」

「そこ、挑発しない!」


 さすがに見かねて、アンナ看護長が動きました。


「メラニー、エリザベスさんを外へ。B班に見てもらっている患者さんを引き継いで」

「はい、アンナ看護長。さ、行きますよ。メラニーにも仕事がありますから」


 メラニーが手を取ると、エリザベスさんは素直に従って体育館から出ていきました。

 すぐにマヒトツさんは暴れるのをやめました。そっと肩から下ろすと、どすんとあぐらをかいて体育館の床へ座り、頬杖をつきました。


「くそ……あの女中。いつも鍛冶を見せろっつって聞きやしねえくせに」


 ご機嫌が斜めどころかひっくり返っています。


「……バンシュー先生、何がしたかったんですか?」

「え、最初に言ったじゃない。君たちはマヒトツさんのことを知らないって。だから見せたんだよ。百聞は一見にしかずって言うでしょ」


 バンシュー先生はニコニコとご機嫌です。


「マヒトツさんが凄い人形さんだってことは分かりました。庵で寝泊まりして、勘が鈍らないように鍛冶仕事をするのも理解します」

「うーん、それもまた違うんだよねえ」


 バンシュー先生は体育館の倉庫に入り、なぜかバスケットボールを持って出てきました。

 ダム、ダム、とドリブルすると、顎のお肉とお腹のお肉がゆさゆさ揺れます。

 何度かボールを床に打ち付けてから、鈍くさそうな体型からはおよそ想像できないほど素早く構え、片手でシュート。ボールは高く弧を描いてゴールへ向かい――リングに弾かれ、バックボードに当たって体育館の隅へと転がりました。


「いやあ、惜しい!」

「いやいや、何をやってるんですか。面談中ですよ」

「不思議なものでね。惜しいシュートは何本打っても入らないんだよ」


 バンシュー先生の脈絡のない行動は今に始まったことではありませんが、それにしたって今日の先生はどうかしています。

 バンシュー先生はのしのしと歩いて隅に転がったバスケットボールを取りに行き、またダムダムとドリブルしてゴールへ近づき、シュートを打ちます。ボールはやっぱりリングに弾かれ、今度はわたしの足下へ転がってきました。


「お。パスちょうだい、パス」

「いや、ですからマヒトツさんの面談中ですってバンシュー先生」


 一番遠い隅っこへと蹴り転がしましたが、思いのほか蹴った勢いが強く、ボンボンと壁に二回当たってバンシュー先生の足下へ届いてしまいました。


「おお、キラーパス」


 またドリブルを挟んで、シュートを打ちます。さっきから全く同じ動作。当然のごとくボールはリングに弾かれます。


「うん。やっぱり入らない。これさ、人形の造形にも同じことが言えるんだよね。精神設計は、いくつ作っても目覚めるものにならない。一等と二等、人形造形技師の違いはそこにあるんだよ」


 またシュート。リングに弾かれます。


「バンシュー先生! いい加減、遊んでないでお仕事をしてください!」


 わたしが苛立ちを抑えきれなくなった、そのときでした。

 わたしの隣に座りこんでいたマヒトツさんが、背筋がばしりと伸びる鋭い声を発しました。


「いい加減にしやがれ‼」

「ほら、マヒトツさんだって――」

「テメェに言ってんだ針金娘!」

「え……」


 わたし、ですか?

 患者さんをそっちのけにバスケットボールで遊んでいるバンシュー先生ではなく?


「余所様の師匠と弟子だからって黙って見てたがもう我慢ならねえ。何だぁテメェ、デコスケの分際で、師匠の仕事にケチ付けやがる」

「え、ええー……? お仕事って、今はマヒトツさんの面談なんですよ?」

「だからデコスケってんだ。先生はだろうが。そもそも、誰かを理由に手前ぇの言い分を通そうってハラが気に入らねえ。誰だ、こいつに行儀をつけたのは」

「気分を害されたこと、お詫びします。その子を今教えているのは私、看護長のアンナです」


 もうわけが分かりません。


「すまないね、マヒトツさん。その子はまだ二歳半でね。色々と足りないんだよ」

「師弟の行儀に歳なんざ関係ねえよ」

「いや全く、耳が痛いね。そこで一つ提案なんだけど、この子をあなたのにしてくれないかな。行儀を付けるつもりでさ」

「先生、そいつは無茶だ。聞けねえよ」

「無茶は承知だよ。でも、あなたが何か掴めるかもしれない。この子、色々と足りないけど、覚えは悪くないからさ」

「こんな細っこいナリで槌を振れるってのかい」

「こう見えて力持ちだよ」

「ああ、そういやそうだったな」


 わたしのあずかり知らない次元で話が進んでいきます。


「あの。向こう槌って何ですか?」


 バンシュー先生とマヒトツさんがため息をついたのは、ほぼ同時でした。


「君は本当に何も知らないんだね」

「テメェは本当に何も分かっちゃいねえな」


 口を突いて出る言葉まで一緒とは。


「わ、分かっていませんよ。だから、もっとお話を聞きたいって言ってるんです。何でもいいんです。話したいことから、話せることからで構いません。何でも話してください」

「話せ、話せ、話せ。テメェはそればっかりだ。それででいやがる」

「それは、言い過ぎではないでしょうか」


 さすがにカチンときました。表情筋が硬直するのを自覚します。

 観察、理解、共感。わたしが立てた看護人形の誓いを否定されるのは、相手が患者さんであろうと聞き捨てなりません。


「わたしは、あなたを理解したいと思っています。あなたに寄り添いたいと思っています。そりゃあ、わたしは未熟者ですし、及ばないことはいっぱいあります。でも心がけまで否定されるのは心外です」

「吐いた唾を飲まねえってんなら、先生が言ったように向こう槌を打ってみやがれ」

「だから向こう槌って何なんですか」

「ダイダラの代わりをやれっつってんだよ」


 わたしが? ダイダラさんの代わりに? つまり金槌を持って鉄を打てと?

 名だたる名工が認めた逸品を打つマヒトツさんの相棒として?


「そんな無茶な」

「できるできねえじゃねえ。やれ。やらねえんならテメェは口先だけのデコスケだ」


 最初に無茶だと言ったのはマヒトツさんでしょうに。

 何だか、良いように翻弄されている気がします。

 しますが、この半年、マヒトツさんの問題が何一つ進展を見せていないのも事実です。

 マヒトツさんと、鍛冶仕事。二つの複雑系に、わたしという要素が組み入れられたとき、まず間違いなく成果物には大きな変化が生まれるでしょう。名工であれば打とうと思っても打てないほどひどい成果物が生まれる、というオチでしょうけれど。


「分かりました。やります。でも期待はしないでくださいよ」


 ぱん、とマヒトツさんが両膝を叩いて立ち上がりました。


「決まりだ。先生、庵はどこが空いてるよ」

「二号庵を使うといいよ。あそこは広めだから、あなたとハーロウが入っても余裕があるだろうね。場所は誰かに聞いておいて」

「必要な物品がございましたら私、アンナへお申し付けください。可及的速やかに調達いたします。搬入と鍛冶場の組み立てはハーロウとメスキューに手伝わせれば済むでしょう」

「頼んだ。ダイダラも二号庵とやらの隣に運んでくれるかい。しめ縄と屋根も張り直してくんな」

「もちろんです」

「助かる。まずは二号庵とやらを見てえな。必要なもんはその場で言う。ついてきてくれねえか。善は急げだ」

「ええ。お付き合いします」


 マヒトツさんは、わたしが口を挟む隙もなく話を進め、アンナ看護長と一緒に体育館から出ていってしまいました。

 体育館には、わたしとバンシュー先生が残されたきりです。

 いったいどういうつもりなのか、と問い詰めようとわたしが口を開きかけた、その機先を制されました。


「ハーロウ」


 いつものように軽々しいバンシュー先生の声音が、このときばかりはどういうわけかお腹にずしんとのしかかるように感じられました。

 軽く上がった息で、バンシュー先生はわたしに問いかけました。


「君はさ、と思っていやしないかい?」

「そんなことは――」


 無い、と言いたかったのですが、きっぱりと否定できるだけの確たる自信もなく、わたしは言葉を詰まらせてしまいました。


「君は研修で学んだ通り、傾聴に重きを置いているね」

「はい」

「傾聴は確かに重要。でも、言葉で表現できる感情なんて、ほんの一部でしかない。ある気持ちを言葉にしてしまったとき、言葉にできなかった大部分は取りこぼされる」


 先生のお話をよく吟味します。


「……患者さんが語る言葉は、心の一要素でしかない、ってことですか?」

「六十点。僕たちが患者さんについて表現するときの言葉もまた、観察・共感・理解に必要な一要素でしかない。だから、聞くときも話すときも、言葉の扱いには気をつけたまえよ、ハーロウ」


 先ほどマヒトツさんがわたしを突き刺した言葉が耳の奥でリフレインします。



 ――話せ、話せ、話せ。テメェはそればっかりだ。



 わたしは確かに、傾聴を通して患者さんから核心的な言葉を引き出すことにこだわっていた気がします。

 でも、お話を聞くこと以外に、わたしは患者さんを理解する方法を知りません。


「……じゃあ最初から、介入共感機関を使えばいいじゃないですか」

「拗ねるんじゃないよ、ハーロウ。OCEプロトコルのEが最後にある理由は、共感Empathyが最後になされるべき段階だからだ。十分な観察と理解に基づかないと、共感したことを正しく解釈できないからね」

「それは、そうですけど」


 わたしにもっと観察力があって、理解力があったなら、介入共感機関の働きで覗き見してしまったことを少ない言葉で伝えられたかもしれない。ガラティアさんが自壊するという結末を回避できたかもしれない。そう思わない日はありません。


「ま、君はいつものようにあがいて、空回りして、患者さんを知る努力をしなさい。ただ、言葉だけに頼ることはないってこと。マヒトツさんと一緒に鍛冶仕事をやってみなさいよ」


 ハッとしました。患者さんと共に同じ作業へ打ち込む。確かに、それは観察と理解の一手段です。

 同時に、背筋が寒くなりました。


「……先生は、最初からそのつもりでいたんですか?」

「そのつもりって?」

「マヒトツさんと仲の悪いエリザベスさんを連れてきたのも、試し斬りをさせたのも、バスケットボールで遊んだのも、わたしにマヒトツさんの鍛冶仕事を手伝わせるためだったんですか?」

「そんなわけないでしょ。その場の思いつきだよ。先のことなんて、神様にだって分からないんだからさ」


 バンシュー先生は最後にもう一本だけ、バスケットボールを片手で放ちました。

 さっきまでの動作に比べてほんの少しだけ中指の引っかかりが長かったそのシュートは、スパッとリングネットを揺らしました。

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