2-7「エピローグ」
目を覚ますと、質素な小屋の内装が目に飛び込んできました。
「……えあ?」
間抜けな声を上げてしまいます。
「この寝坊助が。お天道様はもうてっぺんだぞ」
上体を起こして声に振り返ると、煤だらけのマヒトツさんが腕組みして、あぐらをかいていました。
「シャキッとしろ。女中を待たせてる」
「あの、刀は……」
「女中に持たせた。研ぎも拵えも突貫で済ませた。だから早くしろ」
立ち上がります。共感酔いが残る手で耐熱エプロンを外し、マヒトツさんにお尻を軽く蹴られて二号庵から転がるように出ます。
マヒトツさんが言ったとおり、松林は直上からの日差しで明るく照らされていました。
二号庵のすぐそば、ちょっと開けた所に、巻藁が設えてありました。
巻藁の前には、白い木製の鞘に納められた刀を手にしたエリザベスさん。柄には何やら黒く細かい粒々が浮かぶ布のようなものが巻きつけてあります。
「待たせたな」
「お待ちいたしました。始めてもよろしゅうございますか?」
「おう。白鞘で悪ぃが、鮫皮ぁ巻いてっから滑らねえはずだ。袈裟に斬ってみろ」
「承知いたしました」
エリザベスさんは刀を抜き、鞘をマヒトツさんへ預けます。
以前と同様に、刀を両手や片手で振り回し、最適化を図ります。
以前と違ったのは、振り回し終わった後に首をかしげ、マヒトツさんへ奇妙な問いを投げたことでした。
「……もし。マヒトツ様。こちら、本当に振ってよろしいので?」
「いいからやれ」
「はあ。左様でございますか。では、参ります」
エリザベスさんが刀を構え、巻藁へ対峙して間合いを計ります。
「――ふっ!」
すり足を送り、一挙動で振り上げ振り下ろし。
一閃の白い軌道が残った直後――バキン、と甲高い音。
見れば、刀の先端から半分までが、巻藁に半分ほど食い込んで宙ぶらりんになっていました。
刀を振り切ったエリザベスさんの手元に、半分が残っていました。
骨に相当する竹へ食い込んだ瞬間、最も粘りが弱い部分から破断したのでしょう。
「あらまあ。よもや真っ二つとは」
わたしは惨状を見ていられず、奥歯をガタガタいわせながらマヒトツさんに視線を送りました。
「……え?」
マヒトツさんは、白い歯をくっきりと見せて笑顔になっていました。涙を目尻に浮かべて。肩の力はすっかり抜けて。
何でしょう、あの笑顔は。
これでいい、とでも言いたげな、あの笑顔は何なんでしょう。
マヒトツさんはエリザベスさんへ近づき、白木の鞘を手渡しました。
「ありがとよ。真っ二つに折ってくれて」
「お粗末様でございます」
エリザベスさんは折れた刀を納めると、なぜか白いエプロンを外して地面へ敷きました。巻藁に食い込んだままの刃の棟を素手で掴み、慎重にこじって取り外します。そして、取り外した長さ四十センチ弱の刃を、あろうことか地面に敷いたエプロンで包みました。
「おい。んな割烹着で包んでも意味ねえぞ。スッパリいっちまう」
「ご心配なく。
何者なんでしょうね、本当に。
「で、だ。女中。オレに言いてえことがあるだろう」
いつも無表情なエリザベスさんが、ほんの少しだけ口元を綻ばせたような気がしました。
「イエス。それはもう、山ほどございます」
「今日のオレは機嫌が良い。何でも答えてやる。何でも見せてやる」
「では。いったいどのような経緯で、このような不出来をわたくしに振らせてよしとなさるに至ったのでしょうか?」
「んなもん、出来ちまったからさ。鉄は生きてるからな。同じ地肌は二つと出ねえ。一期一会だ。今のオレの腕は、そんなもんだ」
「それは違います! わたしが、マヒトツさんの思い通りに打てていたら、こんなことには――」
どす、とお腹を軽く殴られました。息が詰まって、言葉を継げなくなります。
「馬鹿野郎。逆だ。オレがお前を上手く使えなかった。オレがやりすぎた。強いて言うなら、お前は頑張りすぎた。オレも釣られちまった」
わたしの頭まで手が届かないマヒトツさんは、白木の鞘でこんこんとわたしの頭を優しく打ちました。
「だから、これがオレの今の腕前だ。これでいい。ありがとな、ハーロウ」
「……はい」
ずるい。こんな時だけ名前で呼ぶなんて。
わたしが溢れる涙を指で拭ったときでした。
ずい、とエリザベスさんが割り込んできました。
「もし。盛り上がっているところ誠に恐縮ではございますが、もう一つだけよろしいでしょうか?」
「……近ぇよ馬鹿」
マヒトツさんが白木の鞘でエリザベスさんのお腹を押して離れます。
「あなた様は、これからどうなさるおつもりで?」
マヒトツさんは白木の鞘を肩に担ぎ、あっけらかんと答えました。
「んなもん決まってる。また炭割りから始めるさ。何回でもやり直しだ」
そのときでした。
ずん、ずん、という、およそ人形のそれとは思えない重厚な足音が、松林の中から聞こえてきたのは。
めきめきと松の根が悲鳴を上げ、茂った枝を折りながら現れたのは、身長二メートル五十センチほどの、巨大な他律型の旧式ロボット。
エリザベスさんが、ぽつりとひとりごちます。
「それが、あなた様の掴んだ答えでございますか」
丸っこい頭部の真ん中にくっついた単眼カメラがきゅるりと動いて、橙色の技能人形へフォーカスを合わせました。
「よう、ずいぶん長い昼寝だったじゃねえか、相棒」
言ってから、マヒトツさんはバツが悪そうに後頭部を掻きました。
「……悪かったよ。昼寝をしてたのはオレの方だ」
ダイダラは、四本指のマニピュレータを畳んで差し出しました。
マヒトツさんは、小さな握りこぶしを、差し出されたマニピュレータへゴツンと軽く打ち当てました。
「また、よろしくな」
***
「マヒトツというのはね、称号なんだよ」
「称号、ですか?」
「そう。ツクバの連中が与える称号。由来は鍛冶の神、
ツクバ。世界をリードする技術者集団の一つ、工学に秀でる人々が集う地域のことです。
「同じくツクバの連中が製造してあの子に与えた相棒の名前は、ダイダラ。これも鍛冶に由来の深い伝承の怪物だね。あの子は神の領域に手をかけたのさ」
マヒトツさんが退所してから一週間が経ちました。
わたしは今、バンシュー先生の運動不足解消に付き合っています。
場所は例の小さな体育館。わたしに球拾いをさせ、淡々とバスケットボールのシュートの練習をしています。あの時、マヒトツさんに何かを言い聞かせていた時のように。
「およそ刀鍛冶という職能を全て継承したあの子に、我々人類が教えられることは、もはや無くなってしまった」
マヒトツさんへ介入共感機関を働かせたときに感じた、渇いた熱風のような焦燥を思い出します。
「……だから、次にどんな刀を打てば良いのか、分からなくなったんですね」
「その通り。あの子は、およそ全ての流儀で、それぞれ史上最高の刀を打ってしまった。打つべき刀が分からないから、ダイダラを動かす必要がなくなった、と」
人形は、与えられた問題を解くのは得意です。
ですが、問題を設定することはとても苦手です。
それこそが人形とヒトとを種として決定的に区別する違いです。
「それなら、そう言ってあげれば良かったのに」
「それは違う。言ったじゃないか。言葉だけでは取りこぼしてしまうって。あの子の仕事に付き合った君は、僕の言葉が全てを説明できると思うのかい?」
「それは――」
言葉では、とても表現しきれません。大槌を持ち、赤熱した鉄が放つ強烈な熱波に頬を晒しながら、叩いて鍛えて、思い通りにならないものを思い通りにしようとする、一連の仕事。
無理を通そうとする必死のあがきを、全て言葉で表現できるとは思えません。
「神の領域に手をかけた人形に共感して、どうだったかい、ハーロウ」
「それこそ、言葉では表現しきれませんけど……」
それでも、あえて言葉で表現するなら。
「――誰もいない荒野を、一人で歩き続ける。そんな感じでした。歩く先に何も無くたって構わないんだ、って。そんな、感じでした」
バンシュー先生はバスケットボールを投げる手を、止めました。
「そうか……」
いつになく感慨深げに呟きました。
「常により良いモノを作り続けなければならない。技能だけじゃなくて、そんな矛盾した精神性まで継承して、しかも乗り越えたんだねえ」
ダムダムとバスケットボールを床に跳ねさせて、小太りな体からは想像もつかないほど素早い動作で構え、シュート。
ボールは高々と放物線を描き、スパッとリングネットを揺らしました。
「あの子は、もしかしたら魂を宿したのかもしれないね」
***
主はまずはじめに、もっとも単純なタイプであり、きわめて容易に組み立てられる人間をお創りになりました。それから、次の段階として、人間たちを徐々にロボットに置きかえていかれた。そして最後にわたしをお創りになった、最後の人間のあとを継がせるために。
Isaac Asimov (1950). I, Robot. Gnome Press.
(アイザック・アシモフ. 小尾芙佐 (訳) (2004). われはロボット [決定版]. 早川書房)
***
人形たちのサナトリウム
第2章「シティ・カシマの鍛冶人形」
おわり
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