1-5「看護人形誓詞」
お日様が沈んでしばらく経った頃。
西の空が濃い紫色になって、一番星だけがきっぱりと光っていました。
ざん、ざん、と穏やかに寄せる波の音だけが響いていました。
止まり木の療養所の西の果てに、白い影が佇んでいました。
純白のワンピースドレスに、フリルをあしらった純白の帽子。髪の色は、純白の服装とコントラストをなす深いブルネット。
足音が聞こえるようにゆっくり歩み寄ると、白い影が振り返りました。
動くとき、体幹が左へわずかにずれました。
「ここは、離島だったのね」
「いえ。正確には半径二キロメートルの小さな
なるほど、とか細い声で言って、白い影は頷きました。
許しを得た気がしたので、側に並んで立ちます。
わたしはやっぱり背高のっぽで、ガラティアさんの白い帽子のつばが、彼女の表情を隠してしまいます。
「探しましたよ、ガラティアさん」
「よく見つけられたわね」
「帰ってきたバンシュー先生から聞きました。あなたは服の色や形、髪の色や長さ、それに肌の色まで、自在に変えられるんですね」
「私は
自然界には、特定の光の波長だけを反射する、薄い多層膜や、微細な溝や格子を持つ生物がいます。カワセミの鮮やかな青緑色、オオゴマダラのサナギが放つ金色などが有名ですね。
ナノマテリアル技術は自然界にヒントを得て、自在調光粒子という便利な素材を発明しました。同様の技術が、窓ガラスにも一般的に利用されています。
色に加えて、形状まで自由に伸縮できる素材が
ガラティアさんは入所したときから今までずっと、黒づくめの服装と金髪の姿でした。それが今では、ブルネットヘアが映える純白の花嫁衣装。加えて服の形状まで変化しているとあれば、メスキューくんたちの単純なイメージ探索アルゴリズムでは見つけられないわけです。
「おかげでずいぶん歩きました」
当院の円周は約十二キロメートル。わたしは敷地をぐるりと囲む松林の外側、防波堤に的を絞り、まずは時計回りに捜索しました。見つからなかったので、次は反時計回りに。おそらく、ガラティアさんも防波堤を歩いていたのです。
「ごめんなさい。ちょっとの間、一人きりの時間が欲しかったの」
「謝ることはありません。人形だって、孤独と戯れたい時はありますよ」
あは、とガラティアさんは笑いました。
「やっぱりあなた、面白い人形だわ。普通の人形は、そんなこと言わないもの」
「えっ」
言わないんですか。わたし、一体きりで黙々と夜の開放病棟を巡回するの、わりと好きなんですけど。
などと口に出したら大笑いされそうだったので、黙っていました。
そんな心の息継ぎを突くかのように、ガラティアさんが切り出しました。
「ねえ、ハーロウさん。あなたはどこまで知っているの?」
本当にこの人形さんは。だしぬけに剛速球を投げ込んできます。
「何も分かっていません。わたしはただ、ガラティアさんが旦那さんに毒を、サイトカインカクテルを投与する場面を見ただけです」
「どうやって? 私はもう、三年も
わたしの秘密を打ち明けるかどうか、ちょっとだけ悩みました。
わたしに搭載されている機能は、心ある者であれば誰もが忌み嫌うものです。
ですが、わたしだけが一方的に聞き知っているという状態は、フェアではありません。
「……わたしの模倣脳には、
「介入、共感機関?」
「人形の認知、感情、身体に対して、能動的に共感する機能です。普段は拘束されています。けれど、ガラティアさんのアンテナから漏れてきた記憶を受信してしまって……その、ガラティアさんが見聞きしたことを、介入共感機関が解析しました。わたしは、あのときガラティアさんが思い出していた記憶の一部を覗き見したんです」
「ごめんなさい。嫌なものを見せたわね」
「謝らなくていいんです。そりゃ、わたしだって好き好んでこんな機関を働かせたくはありません。だけど、一番つらいのはガラティアさんじゃないですか」
ふふ、とガラティアさんは悲しげに笑いました。
「あなたは、本当に優しいのね。私は、セリアンを殺してしまったのに」
「そんなことは、わたしの知ったことではありません」
「……え?」
「わたしは看護人形で、あなたは患者さんです。それ以外のことは、わたしの知ったことではありません。あなたが苦しんでいるなら、わたしはその苦しみに寄り添います」
帽子から垂れ込めた影の中で、白目がくっきりと現れるほどに目が見開かれました。
「あなたほど献身的な人形が、旦那さんを殺したくて殺したとは思えません。あなたは、旦那さんが亡くなったことを、自分のせいだと思っている。違いますか」
「それは……」
「どうか、安心してください。信じてください。わたしは看護人形です。わたしはいつだってあなたの味方です。あなたが毒あるもの、害あるものだとしても、わたしはあなたを決して見放しません」
ガラティアさんは黙りこくってしまいました。
ざん、ざん、と南太平洋の穏やかな波が、防波堤に打ち寄せる音だけが満ちました。
待ちます。
わたしの言葉がガラティアさんに浸透するまで、わたしはいくらでも待ちます。
「……どうしてあなたは、そんなに私を肯定してくれるの?」
「わたしが、止まり木の療養所の看護人形だからです。わたしが患者さんを肯定しないで、誰が肯定するっていうんですか」
わたしは平たい胸に右手を当て、片膝を着きました。
半年前、当院の正式な看護人形として務めることになった時、誓った言葉を繰り返します。
「わたしの使命は、観察、理解、共感。わたしは使命に忠実であり、わたしに託された人形の幸福のためにわたしの全てを捧げる。いつかここから飛び立つ日のために」
わたしは
「だから、あなたが話したいことを話してください。わたしはそのための看護人形です。わたしは決して、あなたの異常を否定しません」
「否定、してほしかったんだけどな」
常にわずかな緊張を帯びていたガラティアさんの声音が、ふっと緩みました。
「……私の所有権がグプタ・ブライダル・プロダクションからセリアンに移ったのは、三年前。私を出迎えたGBP社の玄関ホールで、彼はいきなり私にプロポーズしたの」
「それはまた……随分と情熱的な方だったんですね」
「そうね。公衆の面前で『十五年前から君を愛している。どうか僕を愛してほしい。君が愛してくれるなら、僕は世界一の幸福者だ』だなんて宣言するくらいだから、本当に情熱的よね。十五年前って、彼がまだ
十五年前?
「ガラティアさん、おいくつですか」
「二十五歳よ」
わたしの十倍も年上でいらっしゃいました。
「自分で言うのも何だけど。ダルムシュタットでは長年、人気の花嫁人形だったのよ。わたしは『ダルムシュタットの恋人』。ガラティアは、理想の花嫁の代名詞だった」
「とても注目されそうです」
「それはもう。業界の看板を、
「
「そう。あの人たちは、私とセリアンの恋を応援した。私に市民権を与えて、公的な配偶者として認めるべきだとシティに迫った。私にこれ以上、偽りの花嫁を続けさせるべきではないって。恋心を認められたセリアンも気を良くして、私に市民権を与えたがった」
もう、サインは見逃しません。彼女は、彼女以外の人々についてしか語っていません。
本当に大事なことは、ガラティアさん自身がどう感じていたか、です。
「周りの人々が、あなたと旦那さんの恋を利用しようとしていたことは分かりました。じゃあ、ガラティアさんは、どうだったんですか」
ガラティアさんは視線を落とし、長く長く、息を吐きました。
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