1-3「愛の証明」

 ガラティアさんが当院に入所して三日後のことでした。


 今日の午後は個別面談もワークショップも無い、自由時間です。患者さんたちは院内を散策したり、仲良くなった人形とお喋りに興じたり、読書に没頭したりします。

 かつて、この自由時間を活用して当院の敷地内に立派な庭園を造成した建設人形レイバーさんもいました。小さな橋をかけた小川、季節によって色彩を変える草木、石材から削り出したテーブルセット。今では人気のお散歩コースです。


 と、患者さんたちにとってはのんびりした昼下がりですが、わたしたち看護人形にとっては一番気が抜けない時間帯です。

 止まり木の療養所において唯一張り巡らされたデジタル通信網、看護網絡ナースネットのテキストチャットには、敷地内を巡回している看護人形からひっきりなしに状況が書き込まれます。



メラニー:マヒトツさん確認。三号庵でハサミの鍛造に集中。ダイダラに動き無し。

ハーロウ:イリーナさん確認。コモンスペースで読書中。表情、仕草、異常なし。

アンナ:B・Dさん確認。芝の庭にてサクラバさんと一緒に座っている。会話無し。

メラニー:@アンナ エリザベスさんが来ました。マヒトツさんの鍛冶を見たいと言って聞きません。

アンナ:ジュリアを急行させます。絶対に阻止しなさい。



 わたしがアクセスできるのは看護A班のチャンネルだけなので、アンナ看護長とメラニーのテキストだけが脳裏に表示されます。

 全チャンネルにアクセスできるアンナ看護長は、テキストチャットの内容から全看護班の状況を把握し、的確に『包囲網』を敷きます。

 さながら鷹の目。



ハーロウ:ノインさん確認。庭園でシェンティさんと談笑中。午前にアインスさんが申告した通り、午後の人格はフィアさんです。

アンナ:@ハーロウ ガラティアさんはどうしていますか?

ハーロウ:わたしと一緒にお散歩しています。落ち着いていますよ。

アンナ:油断しない。落ち着いているように見えるだけと考えなさい。

ハーロウ:分かりました。気を引き締めます。

アンナ:気を引き締めるだけでは意味がありません。随時、観察と報告を。



 アンナ看護長は、新人のわたしやメラニーにも甘くありません。



アンナ:@ハーロウ 返事は。

ハーロウ:了解しました、アンナ看護長。

アンナ:よろしい。



 ふう、とこっそり一息。

 こっそりのつもりでしたが、隣を歩いていたガラティアさんが耳ざとくわたしのため息を聞きつけました。


「ふふ。看護人形さんは大変ですね」


 ありゃ。もしかして看護網絡ナースネットに枝を付けられた? 人形の中にはハッキングに長けた――


「何だかあっちこっちを見ていて、気が休まらなさそう」


 はい。態度に出ていただけのようです。


「あはは……すみません。自由時間はいつ何が起きるか分からないので、つい。開放棟の患者さんなら大事になることは滅多に無いんですけど、やっぱり気になってしまうんですよね」


 こういうときは素直に打ち明けてしまったほうが吉です。


「ハーロウさん、まだ新人?」

「ご名答です。半年前からやっと一人前ということになりました」

「じゃあこれからが大変ですね」


 ガラティアさんは穏やかに微笑みます。


 面談当初に感じた不安とは裏腹に、ガラティアさんは当院での生活をおおむね受け入れているようでした。

 わたしたち看護人形ナースの指示には素直に応じてくれましたし、他の患者さんたちと衝突することもありませんでした。

 ですが、旦那様のことは常に気がかりなようで。


「そういえば、セリアンの様子はどうかしら。今日はバンシュー先生とお会いできないから心配で。ハーロウさん、何か知らない?」


 と、ことあるごとに尋ねます。


「あ、そうでした。朝のブリーフィングで言伝を預かってますよ。変わらず、シティがエワルドさんのお世話をしているそうです。容態も安定しているそうですよ」

「そう……それなら、いいのだけど……」


 シティが面倒を見ている。容態は安定している。

 嘘は、ついていません。


 心臓ポンプがきゅっと細い糸で締められる、そんな感じを覚えます。

 でも、ガラティアさんに安心してもらうために、精一杯の自然な微笑みを心がけます。


「あそこでちょっと休憩しましょうか」


 遊歩道から結構離れた位置にある、丸太を半分に割ったベンチを示します。

 並んで座ると、ガラティアさんの頭がわたしの肩より少し上に来ます。

 時折、海風が吹いて庭園の木々をさわさわ揺らします。


 ぼんやりと、のんびりと、時間を過ごします。

 庭園は人気のお散歩スポットです。患者さんや同僚の看護人形が次々と遊歩道を過ぎていく様子が見えます。わたしとガラティアさんはベンチでぼんやり。誰もわたしたちに気づく様子はありません。


 一時間ほど、わたしとガラティアさんの間には沈黙が垂れ込めていました。

 気にしません。無理に話題を見つけなくてもいいのです。

 焼き上がったパイ生地へスプーンを入れるかのように、沈黙を静かに割ったのは、ガラティアさんでした。


「ハーロウさんは、私のことを何も聞き出そうとしないんですね」


 これは応答を間違えると詰みます。


「話したいことがあるなら、わたしはいつだってお聞きします。話したくないことがあるなら、わたしだって聞きたくありません」


 言ってからベンチの隣に視線を送ると、ガラティアさんは黒い瞳を見開いていました。


 じきに、ふっと表情が緩みました。

 当たりを引いたみたいです。内心はドキドキでしたとも、ええ。


「面白い人形さんね、あなた。それじゃあ、聞いてくれますか。とりとめもない話になると思うけれど」

「もちろんです」


 ガラティアさんは左手の薬指、青い宝石が輝く白金の指輪を撫でました。


「ねえ、ハーロウさん。私はどうして、ここにいるのかしら」


 いきなり剛速球が飛んできました。とりとめもない話とは一体。

 ためらいません。よくあることです。


「私は一体、何の病気なのかしら」

「すみません。お答えできません。わたしは看護人形です。医師ではありませんので、診断することができません」


 我ながらぶっきらぼうな物言いだとは思いますが、ガラティアさんが気分を害した様子はありませんでした。


「そうね。なら、あなたから見て、私はどう? どこかおかしなところがあって?」


 ちょっと考えます。


「……いいえ。正直に言うと、私から見てもガラティアさんが心身に不調をきたしているようには見えません。ちょっと変わったところはありますし、落ち込んでいるようには見えますけど」


 当院には、明らかな問題を抱えている患者さんが多く入所しています。

 しょっちゅう小火ボヤをやらかす鍛冶人形。引き金を引けなくなった代理兵士。同じ持ち主に三ヶ月と仕えたためしのない皮肉屋の家政人形。

 そういった患者さんたちに比べれば、ガラティアさんは普通すぎるくらい普通です。異常が日常の当院にあって、ひときわ目立ってしまうくらいには普通です。


「そうね。気分が落ち込んでいることは間違いないわ。だって、もう三日もセリアンに会っていないもの。私はもう、三日も休んだのよ。三日も、愛する人に会っていないの。手を取って、言葉を交わして……そういったことができていないの」


 ガラティアさんはこわばっていた肩を緩め、庭園の木々より遠いどこかを見つめます。


「ガラティアさん……」

「あなたたちの言うことを信じていないわけではないの。シティがセリアンの世話をしている。容態は安定している。そのことは信じます。だって、あなたたちが私に嘘をつく理由がないもの」


 うつむいたガラティアさんの目尻に、涙の粒が盛り上がります。

 まばたきをすると涙が切り離され、黒いスカートにぽつりと落ちて暗い染みを作りました。


「だとしても、セリアンには私が必要なの。私がセリアンを愛してあげないと……あの人は、耐えられないから……」


 いたたまれなくなり、わたしはガラティアさんの肩にそっと腕を回しました。こういうときばかりは、私の背が高くて良かったと思います。たいていの人形さんの肩を抱いてあげられますから。


「……ガラティアさんは、十分にエワルドさん――旦那さんを愛していると思います。だって、こうやって旦那さんのことを想って、涙を流しているじゃないですか」


 黒づくめの花嫁人形は、弱々しく首を横に振りました。


「違うの。この涙は、あの人に見せなければいけないの。私は常に、セリアンに愛を証明してあげないといけないの」

「愛を、証明する?」

「そう。それがあの人の望んだことだから」


 人形は、ヒトの要求オーダーに応える存在です。ヒトによって設定された問題を、思考や行動によって解決することが人形のお仕事です。


 ですが、愛を証明するとは?


「証明は、どうやって?」

「セリアンはね、半年前からずっと体調を崩しているの。セリアンは自己免疫疾患を患っていて、ずっと傷が癒えないままなの」


 人工子宮の運用が一般的になって久しい昨今、半年もの間、自己免疫疾患を?


「だから私があの人の生活を、命を支えてあげないと。そうしてあげたらセリアンは私の愛を信じてくれるから」

「そうなんですね……」


 いくつも疑念が浮かびますが、どれほど突飛な言動であっても、患者さんにとってはそれが真実です。患者さんにとっての真実を理解し、寄り添うことが、止まり木の療養所における看護人形の使命です。


 ですが。

 この、心身ともに疲れきって、持ち主オーナーまで失ってしまった花嫁人形に、何と言葉をかければよいものか。


 わたしはあまり巡りのよくないおつむを目一杯回転させて、ガラティアさんを元気づけられそうな言葉を選びました。


「旦那さんの体調が、早く良くなるといいですね」


 わたしがそう言った瞬間。

 わたしのやたらと長い腕の中で、ガラティアさんが冷たい鋼のように硬直しました。

 うかつにも、わたしはミスを犯したことに気づいていませんでした。

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