1-2「虚実こもごも」
たっぷり五分ほど待ってから、バンシュー先生が立ち上がり、診察室の引き戸に内鍵をかけました。
「はい、お疲れ様。出てきていいよ、ハーロウ」
やっと出られる。じっとしているのは苦手です。ガラティアさんのように切羽詰まっている患者さんを目の当たりにすると、居ても立っても居られなくなってしまいます。
壁の端を手で探り、回転式のロックを外します。取っ手を引くと、壁がそのままスライドして狭い出入り口が生まれます。
やたら長い手足を差し出して、するりと出入り口を抜けます。このときばかりは自分が細身に造られて良かったと思います。わたしと同期のメラニーは毎度、胸がつっかえるそうですから。
バンシュー先生が頭二つほど背が高いわたしを見上げていました。先生の二重顎が消えて見えます。
「何ですか?」
バンシュー先生は自身の白髪交じりの頭をちょいちょいと指差しました。
「キャップ、ずれてる」
「うえっ⁉」
頬がちょっと熱くなりました。ピンでしっかり留めたはずなのですが。
ナースキャップの位置を指先で確かめたところ、別段、ずれてはいませんでした。
「ずれてませんね?」
「うん。嘘だからね」
「ええ……」
なぜそんな嘘を。
「ショートブリーフィングを始めようか。観察から抽出したクライアントの特徴は?」
まばたきを一つする間に考えます。
言葉や仕草の端々にうかがえる人間らしさ。
ヒトと結婚し、シティの市民権を得ているという主張。
どれも奇妙なことばかりですが、何より引っかかるのは――
「何か知られたくないことをお持ちですよね」
――私のことをどこまでご存じなのですか?
バンシュー先生に問いかけたときのガラティアさんは、明らかに警戒していました。
思い返すに、警戒していたというよりは、怯えていたというほうが正確でしょうか。
「よく見てるじゃない。合格」
人形は、ヒトに対して嘘をつくことに強い抵抗を覚えます。一方で、問われなければ嘘をつかずに済みます。知られたくないことを問われたくない。そんな態度でした。
「うかつに聞き出さないよう気をつけます。アンナ看護長とメラニーにも伝えますね」
「よろしく」
本人が隠したがっていることを無理に聞き出しても、良いことはありません。話したくなったとき、きちんと聞いてあげることが大事です。
「他に異常は?」
「重心が不安定です。右足が悪いのか、
「それは僕では気づけないな。ちょっと実演してみせて」
「分かりました」
人形の身体操作は、ヒトからすると天才的なまでに上手なんだそうです。
「引き戸を後ろ手に閉めたとき、こう、体幹がわずかに左へ傾きました。体重を利用するまでもなく、両足の軽い踏ん張りで十分だったはずです。体幹を崩すほうがリスキーです」
ガラティアさんの骨格や肉付きから推測できる最適な動作と、実際にわたしが見た動作は、微妙に違っていました。人形は身体操作を最適化せずにはいられないはずなので、異常です。
「あとは立ち座りの動作ですね。右足に力が入らないのか、体幹が左前に傾ぎます。重心が不安定になるので、立ち上がった後の初動が、こう、半秒ほど遅れます」
緑色のソファで立ったり座ったりして。
「うん、見ても分からないや。覚えておくけど、対応は君たちに任せるよ」
実演しろと言ったのは先生ですが。
「あとはその……異常というほどのことではないんですけど」
「おや、珍しいね。ハーロウが自分から意見を言うなんて」
「お顔が、やけに人間っぽいといいますか、人形らしくないといいますか。美人さんだとは思うんですが」
「ああ、それは彼女が
「花嫁人形って何ですか?」
「そうだね、君はそこからだよね。ええとね、彼女の仕事は、見る者に結婚後の生活を想像させること。ウェディングドレスを着たり、仲睦まじい夫婦の映像を撮ったり。だからモデルにはそれなりに人間味があったほうが都合が良いの。身近に感じられないと広告の効果が薄れるでしょ」
「ははあ」
それならまあ、顔立ちや仕草が人間じみていることの説明はつきます。
「あの、先生。念のためなんですけど。ガラティアさんは市民権をお持ちだと言っていましたよね。ガラティアさんが、自分を人形だと勘違いした人間様、という可能性はありませんよね?」
「はあ……そう言うと思って、念のためヒントをあげたのに、これだよこの子は」
バンシュー先生はこれ見よがしにため息をつきます。そこまで呆れなくても。
「ヒント?」
「帽子。取らなかったでしょ」
「あっ」
室内で誰かと相対するときは帽子を脱ぐものです。ガラティアさんの淑女然とした服装や丁寧な言葉遣いから察するに、その手のマナーを知らないはずがありません。
もちろんそれはヒトのマナーであって、人形のマナーではありません。
人形は、耳の上から頭頂部にかけて電波通信用のアンテナを張っています。アンテナを保護するための装身具は、自身が人形であることを示すための
ナースキャップがずれていると指摘されてわたしが慌てたのも、それが理由です。
「でも、ネットへ接続できないことについて何も言いませんでしたよ」
最初に当院を訪れた患者さんは真っ先に、頭部のアンテナから
「ヒトとして、市民として振る舞うなら、ネットに接続するほうが不自然だよ」
それはまあ、そうですけれど。
「もう一つ根拠を教えておこう。実を言うと、僕は昔、彼女をノービの工房で見たことがあるんだよ」
「え、それを先に言ってくださいよ」
どうして推理ごっこなんかさせたんですか。
「彼女を造った技師と僕は同学でね。量産品はともかく、
一等人形造形技師の称号は伊達ではない、ということでしょうか。
「とはいえ、まさかシティで市民権を認められるだなんて思いもしなかったけれど。娑婆はどうにも、僕の想像を斜め上に超えてくるね」
バンシュー先生は太い首をぐるりと回して、ふう、とため息をつきました。
「簡単なクライアントなんていないけれど、特に難しいよ、今回のクライアントは。サインを見逃さないように、よくよく気をつけて。OCEプロトコルを忘れないように」
「分かりました、バンシュー先生。今日の面談はガラティアさんで最後ですよね。わたしはこのままアフターケアに向かいます」
バンシュー先生に一礼して、わたしは開きっぱなしだった隠し部屋の狭い出入り口へ足を向けました。
万が一にも「診察室にいないはずの
念には念を入れて、医療物資保管庫からさらに、看護人形の待機室へ隠し扉が繋がっています。看護人形の待機室なら、特に怪しまれることはありません。
壁を閉めようとしたとき、不意にバンシュー先生から声がかかりました。
「あ、そうだ。一つ伝え忘れてた。主担当の君にだけは伝えておく」
「何でしょうか?」
バンシュー先生の声音が、急に温度を下げました。
「これから知る情報について、治療が終わるまでは他の看護人形には共有しないこと。クライアントにも伝えないこと。看護人形ハーロウ、復唱と宣誓を」
わたしは隠し部屋から診察室へ戻り、背筋を伸ばして右手を胸に当てました。
「はい、バンシュー先生。わたし、看護人形ハーロウは、これから知る情報について他の看護人形に共有せず、クライアントにも伝えないことを誓います」
穏やかではありません。
復唱と宣誓は、よほど秘密にしなければならない情報を伝えるときにだけ要求されます。復唱と宣誓によってわたしには一種の暗示がかかり、復唱した内容に触れようとすると強い抵抗感を覚えるようになります。
ガラティアさんについて、先生は何かを知っているのでしょうか。
「彼女の
「あれ? ガラティアさんではなくて、ですか?」
「うん。エワルド氏は六十時間前に亡くなっているよ」
……え?
「半年前からエワルド氏は体調を崩していてね。きっかけは
「待って」
「ともかく、襲撃後、懸命な介護もむなしくエワルド氏の病状は快復しなかった」
「待ってください先生。どうしてガラティアさんの旦那さんが襲われるんですか」
情報が多すぎてついていけません。
たしか、人間性はヒトが独占すべきものであり、人形から人間性を奪い返すべきだという主義主張を持つ人々が、
反対に、人形には心があるのだから、ヒトに等しい権利を人形にも与えるべきだという主義主張を持つ人々が、
「君は本当に外の物事を知らないね、ハーロウ」
「好きで知らないわけじゃないんですが? 誰のせいで世間知らずになったと思っているんですか」
バンシュー先生はわたしの生みの親でもあります。わたしはここ、止まり木の療養所で製造されました。止まり木の療養所から外に出たことはありません。
「君の世間知らずはともかく、エワルド氏は三日ほど前に亡くなった。死因は自己免疫疾患を誘発する薬剤の過剰投与。他殺だね。
「どうして、そんなことに……」
「そりゃ、殺されるだけの理由があるからさ。エワルド氏一人が人形に市民権を与えて婚姻を認めろと叫んだところで、シティが簡単にルールを変えると思うかい?」
「それは……まあ、難しそうですけど」
シティとは、外の世界における統治単位です。わたしはシティを見たことがありませんが、数十万人から数百万人が暮らす世界のルールを、たった一人の都合で変えるわけにはいかないでしょう。
「エワルド氏と花嫁人形との『結婚』には人形権利派が絡んでる。人形の権利を認める特例なんて作ってしまったら、人間性復興派が黙っちゃいない。先週だったかな、半年前にナイフで襲った輩の判決が出て、互いに納得いかない判決だったものだから、対立が先鋭化していたんだよね」
「はあ……」
何と言いますか、他人様のことでよくもまあそんなに騒げるものだと思います。というか、当事者にまで害が及んでいるじゃないですか。
「……でも、その主義主張な人々が、今どう関係するんですか? 当院は外部からのいかなる干渉も受け付けない。外部へのいかなる干渉も認めない。そうでしょう?」
「うーん。ハーロウにはまだ難しいかな。ま、覚えておきなさい」
すみませんね、二歳児の箱入り娘なもので。
「ところで先生、ガラティアさんから聞いたことは許可なく誰かに話さないって言ってませんでした?」
「うん。実際に言ってないじゃないか。僕はクライアントから聞いた話ではなくて、連中から受けた報告の内容を君に話しただけだからね」
「あっ、ずるい」
「それじゃ、よろしくね。ほら、アフターケアに行った行った」
バンシュー先生が立ち上がり、私のお尻を狙って両手を突き出してきました。
お父さんにお尻を触られるなんてまっぴらごめんです。隠し部屋にするりと逃げ込んで壁をぴしゃりとスライドさせ、ロックをかけました。
いや、それにしても。
「ガラティアさんにどんな顔で接すればいいんですか……」
わたしは隠し部屋で、情報の爆弾と化した頭を抱えるのでした。
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