人形たちのサナトリウム -オーナレス・ドールズ-

片倉青一

第1章「シティ・ダルムシュタットの花嫁人形」

1-1「市民権を持つ人形」

 ガラティアさんが初めてバンシュー先生の診察室に入ってきたとき、「どうして人間様が当院に?」と、いささか混乱しました。

 薄いクリーム色の壁に囲まれた診察室には、緑色の一人がけソファが二つと、白くて円い小さなテーブルが一つあるきり。出入り口も引き戸が一つきり。物が少ないためか、小さくてもゆったりとした印象の部屋には、医師と患者さんだけが存在します。

 わたしはというと、診察室に隣接した狭い隠し部屋から診察室を覗いています。


 ガラティアさんの服装は、腰からシースルーの外套が下りた漆黒のワンピースドレスに、黒くつばの広い帽子。襟と一体化した黒いレースのチョーカーが、彼女の貞淑さを強く主張しています。

 年齢は二十代前半。人形はどの個体も顔かたちがほぼ完璧に整っていますが、ガラティアさんからは人間みのある美人、という印象を受けました。

 ほんの少しだけ揃っていない目の高さ。ほんの少しだけ目から離れすぎている泣きぼくろ。輪郭も、右頬がほんの少しだけ膨らんでいました。人形にしては造形が歪んでいますが、ヒトとしてはおそらくとても美しい顔かたち。


「失礼、します」


 引き戸を後ろ手で閉めたとき、体幹がわずかに左へ傾ぎました。後頭部でまとめたふわふわの金髪もわずかに左肩へ流れます。

 うーん? わたしが知らないだけで、こういう人形もいるということでしょうか。わたしはまだ二歳と六ヶ月で、四人の先生たちしかヒトを見たことがありませんし。


 小太りな体をソファに押し込めたバンシュー先生は、ゆっくりと右腕を差し出して向かいのソファに座るよう促しました。


「はいはい、どうぞ、そこに座ってね」


 おずおずとガラティアさんがバンシュー先生の向かいに座ります。視線はさまよい、戸惑いを隠せていません。人形なら、指示を出したバンシュー先生に視線を固定するものです。


「こんにちは。僕はバンシュー。医師だよ」

「医師……? 技師ではなく、ですか?」

「そう。絶滅危惧種の医師。もちろん一等人形造形技師でもある。気軽にバンシュー先生と呼んでおくれ」

「はあ……」


 ガラティアさんは眉をひそめ、首を小さく傾げました。明らかに引いてます。

 バンシュー先生はご自身のうさんくささを自覚していないんでしょうか。四十も半ばで白髪交じりで小太りなおじさんが、ウルトラマリンブルーの生地に真っ赤なハイビスカス柄のアロハシャツというのはセンスがどうかしていらっしゃいませんか?

 ぎゅ、と音を立ててバンシュー先生がソファに深く座り直しました。


「さて、あなたの個体識別名はガラティア、分類は花嫁人形ブライダルモデル、出身地はシティ・ダルムシュタットで合っているかな?」


 困惑の表情が一転、緊張を帯びました。


「あなたは――」

「バンシュー先生」

「……バンシュー先生、あなたは私のことをどこまでご存じなのですか?」

「あはは、変なこと言うね。知ってるも何も初対面じゃない。だからこうして尋ねてるの。僕があらかじめ聞いているのは個体識別名、分類、出身地の三つだけ」

「それだけ、ですか」


 バンシュー先生は手をひらひらと振って肩をすくめました。


「僕はヒトだからね。どうしたって先入観が生まれちゃう。最低限の情報だけ知っておいて、あとは対話で理解していくってわけ。あ、もしかして連中に何かひどいことされた?」

「連中?」

「ここにあなたを連れてきた連中だよ」


 ガラティアさんが眉をひそめました。


「いえ……誰にも会ってはいません。気づいたら、芝生に座っていました。すぐにここまで案内されて、診察を受けるように、とだけ」

「それじゃあここがどこかもわからないよね。ここは止まり木の療養所。簡単に言うと人形のための病院」


 そう。ここはヒトではなく、心身に不調をきたした自律人形ヒューマノイドのための長期療養所サナトリウムです。

 ちなみに、わたしはこの療養所に勤める看護人形ナースのハーロウといいます。


「病院……私は、病気なんですか?」

「さあ。僕はまだ何も聞いてないから何も分からないよ。ここに送られてきたからには、何かはあるんだろうけど。案外、連中の勘違いかもしれないし」


 あはは、とバンシュー先生は笑います。笑いどころではないと思うのですが。


「だから、あなたの話を聞かせてほしいな。こう見えても僕は医師だ。あなたから聞いた話を、あなたの許可なしに誰かへ話すことはない。約束するよ」


 嘘はついていません。

 わたしは診察室に隣接する狭い隠し部屋にいて、会話を全て聞いていますが。


 隠し部屋は、バンシュー先生が背にしている壁の裏側にあります。この壁だけ、音や光を片方向にしか通さない偏向素材メタマテリアルでできています。


「……分かりました。バンシュー先生を信じます」


 原則として、個別面談は医師と患者との一対一で行うものです。ですが、医師と看護人形との情報共有は欠かせません。特に当院に入所する患者さんは不安定な方が多いため、情報の伝達に漏れがあると、うっかりを踏んでしまいかねません。

 もちろん、患者さんに対して後ろめたさは覚えますが。


「それで、個体識別名、分類、出身地に間違いはないかな? シティ・ダルムシュタットの花嫁人形、ガラティアさん」

「いえ、訂正します。私のはガラティア・エワルド。シティ・ダルムシュタットの市民です。個体識別名、分類、出身地は、私が結婚する前の情報です」

「えっ?」


 声が出てしまいました。慌てて両手で口を塞ぎます。向こう側には聞こえないと、分かってはいるのですが。

 人形がシティの市民? 結婚? ファミリーネーム?


「おやおや、あまり聞かない話だね。よければ、どういうわけか聞かせてくれるかな」

「はい。私はセリアン・エワルドの配偶者つまです。シティは夫と私の婚姻を認め、私に市民権を与えました」

「へえ、シティが」


 バンシュー先生は何やら察したみたいですが、わたしは混乱するばかりです。


 ダルムシュタットでは人形に市民権があるんでしょうか?

 人形は、ヒトではありません。ヒトによく似た姿ですし、悲しんだり喜んだりする心も持っていますが、本質は道具ツールです。金槌に市民権を与えることがないのと同じで、人形に市民権が与えられることはありません。少なくとも、わたしが二年間の研修で学んだ限りでは、それが一般的です。


「うーん? そうすると、あなたがここに入所することをエワルド氏は承知したということかな」


 緊張で張り詰めていたガラティアさんの面持ちが一転、深い悲しみに沈みました。


「……分かりません。本当に、目が覚めたらここの庭にいて、何も分からないんです」

「ふむふむ。意識を失う前の記憶で、最新のものは? もちろん話せる範囲で」

「いつも通り、自宅で夫の介護をしていました」

「介護を?」

「はい。夫は最近、色々と体調が悪くて伏せっきりで……」


 ガラティアさんはハッと目を見開き、テーブルに手をついて身を乗り出しました。


「先生、夫は大丈夫でしょうか? 私が側にいないと、夫は食事さえままならないんです」

「うん、不安になるのはよく分かる。でも、エワルド氏は大丈夫だよ」

「でも、私はいつの間にかこんなわけの分からないところにいて」

「落ち着いて。少なくとも、あなたの入所手続は正式に受理された。入所手続がエワルド氏によるものだとしても、シティの強制権によるものだとしても、エワルド氏は適切な保護を受けているはずだよ」

「それは……そうでしょうけれど……」

「もちろん、妻のあなたが側にいないことは、エワルド氏にとってもつらいことだと思う。僕がシティに連絡を取って経緯を確認しておくよ」

「はい……どうかよろしくお願いします」


 ガラティアさんはうなだれ、力なくソファに座り直しました。


「うん。今日はこれくらいにしておこうか」

「あ……診察は終わり、ですか?」

「誰でも初診はこんなもの。それに、誰がどう見たってあなたは疲れているからね。医師として、まずはここで休養することを提案する。なにせここは止まり木だからね」


 ガラティアさんは口元に手を当てて考え込んでしまいました。

 バンシュー先生はのんびりした様子でしばらく待ち、ガラティアさんの混乱が極まったらしいタイミングで切り出しました。


「なに、ちょっと休暇を取るだけさ。市民は休暇を取るものだろう? 病気かどうかはゆっくり判断すればいい。急いで診断を下しても良いことはないからね」

「……はい。そうですね。私はダルムシュタットの市民ですから、休暇を取っても構いませんよね」

「そうそう。疲労は万病の元。病気の予防と考えて、休んでいきなさいよ」

「分かりました、バンシュー先生」


 こういう話術はさすがだと思います。セイカ先生がバンシュー先生のことを狸親父と呼ぶのもむべなるかな、です。


「何かあったらいつでも、A班の看護人形に言うといい。左腕に腕章を着けてるからすぐに分かるよ。アンナっていう眼鏡の鉄面皮と、メラニーっていう背が低くて口うるさいのと、ハーロウっていう背がやたら高いおっちょこちょい」


 聞こえてますよバンシュー先生。


「いまの時間だとアンナ君が待機中かな。部屋を出たら適当なメスキューMESCU……ええと、当院を歩き回ってる四角いヤドカリみたいなアレ。胸元くらいの高さの」

医療MEdical物資Supplies運搬ConveyerユニットUnitですね。ここまで案内してくれました」

「そうそう。それに言えば連れてきてくれるよ。遠慮なく使ってね」

「ありがとうございます。お言葉に甘えます」


 ガラティアさんは緑色のソファから立ち上がりました。また、体幹が左側へわずかに傾ぎました。


「それでは失礼します」


 ガラティアさんは最後に深々とお辞儀をして退室していきました。


 壁の裏で、わたしはガラティアさんの第一印象を整理します。

 どこまでも人間くさい顔かたちのガラティアさん。

 見た目だけではありません。何かしら体を動かすたび、体幹が左側に傾きます。右足が弱いのか、三半規管ジャイロセンサに不調でもあるのか。

 病気、という表現も普通ではありません。人形なら「故障」と言うはずです。

 極めつけは、セリアン・エワルドさんとご結婚なさって、シティ・ダルムシュタットの市民権を得ているという、ご本人の主張。


 やっぱり人間様なのでは?


 一方で、難渋を示しつつもバンシュー先生の言葉に従ったあたり、人形らしさもあります。特に、合理的な判断を提示されると人形は反論できません。市民権をお持ちの人間様なら、もっと感情的に権利を振りかざすでしょう。


 うーん。

 何から何まで、困惑することだらけです。

 人形のわたしでは、これ以上は手に負えません。


 というわけで、バンシュー先生。そろそろここから出る許可を頂きたいのですが。

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