吐き気

 その日は学校をさぼった。特に理由はなかった。そりゃそうか。何か理由があったらそれはさぼりにならないもんな。

 月曜の昼間だった。朝起きても立ち上がる気力が持てなくて、次に時計を見たら正午になってた。もう講義の始まる時間はとっくに過ぎてた。俺はゆっくりと上体を起して、ベットの上に座り直した。スマホに手を伸ばそうとして、止めた。見たくなかった。

カッ、カッ、カッ、カッ…………。

 時計の音ってこんなに大きかったっけ。

 電気ストーブをつけるためにベットから立ち上がった。思ったより軽かった。軽い体だった。ゆらゆらと窓際まで歩いていき、外を見る。曇りだ。昼間とは思えないほど暗く淀んだ空だった。だけど、額の奥に走る鈍い痛みを感じないで済む、ある意味心地の良い天気でもあった。

「…………」

 俺はなぜか散歩に行こうと思い立った。普段ならばこのまま自室で一日を溶かすところだが、その日は外へ出たい気分だった。自分でも不思議な気分だった。俺は早速部屋着をぬいでズボンとシャツを着た。そして、その上にジャケットとロングコートを羽織った。明らかにオーバーサイズの、傍から見ても明らかにおかしいと思われる装いだ。コートのポケットには財布と文庫本を一冊入れて家を出た。ケータイは置いてきた。見たくなかった。

 住宅街を抜け大通りに出て、あてもなく真っ直ぐに歩いた。用もなく外出するのはいつぶりだろうか。

 しばらく歩くとラーメン屋が見えてきた。俺は速度を変えずにそのまま店の入り口に向きを変えた。何度も来たことのある店だったが一人で入るのは初めてだった。

「いらっしゃいませ~!」

 左に座席、右手にはカウンターが並んでいる。俺はカウンター席の一番奥に座った。席に向かう途中、周りの客や店員は明らかに怪訝な顔つきでこちらを見てきた。

 席に座りコートをぬぐ。メニューをチラッとだけ見てすぐに手を挙げて店員を呼んだ。「はーい!」と言いながら女性の店員が傍にしゃがみ込んでくる。俺が注文を言うと俯きながらメモを取った。俺はその顔を見下ろす形になった。妙に長いまつ毛をしていた。

 早々に食い終え、再び外に出る。川沿いを歩いて俺は公園へ向かおうと思った。市営のグラウンドがある大きな公園だ。途中、自販機でコーラを買い公園に着いた。いつも、通り過ぎるだけで入ったことがないからわからないが、物凄く空いていたと思う。当然だ。平日の真っ昼間なんだから。

 公園に入ってからまたしばらく歩いた。木製の低い階段を上り、高台のベンチに座った。良い眺めだった。

「…………」

 コーラの缶を開け、文庫本をポケットから出した。本を読みながら、時折顔を上げて缶に口をつける。誰もいない寒空の下、それを繰り返す。こうしていると、本当にこの世には自分一人しかいないような気がしてくる。たまに前を過ぎる足音が俺を現実へ引き戻した。

 一体いくらそうしていただろうか。残りのページ数も気付いたら半分ほどになっていた。俺はゆっくりと立ち上がった。重かった。

 来た道を戻る最中、俺は公衆トイレに入った。そして個室に駆け込み、便器に向かって思いっきり嗚咽を吐いた。気持ちが悪くて、物凄く悪くて、しばらく便器に顔を伏せていた。しかし、胃がねじ切れるほどに腹に力を込めても出てくるのは唾液と喘ぎ声だけ。コーラの缶を握りしめ、内臓と喉を紐で縛り付けられたようなその痛みに耐えた。ただ耐えた。

 心配するようなことじゃなかった。ずっと前からそうだから。

 そして今も耐えてるから。

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