彼女の永遠
@MeiBen
彼女の永遠
「昨日、電脳世界住人からアメリカ大統領が選出されました。電脳世界住人の大統領選出は史上初となります。」
つけっぱなしのTVがどうでもいいニュースを流していた。オレはぼんやりとした頭で興味のないニュースを聞き流していた。休日の朝。オレの頭はまだ眠っている。オレはパンをトーストしただけの朝食を食べている。いつもなら寝ている時間だが、今日は恋人と会う約束がある。デートというやつだ。だがオレの気分は重い。
ニュースはまだ別の話題に進まず、史上初の電脳世界住人の大統領の話をしている。70年前、人類はヒトの意識をコンピュータ上で再現することに成功した。俗にいう電脳化である。人類が生物としての体を捨て、理論上の永遠の生を享受できるようになったわけだ。しかし、それは一部の富裕層だけが享受できる特権だった。理由は簡単で、データ処理能力が限られているからだ。人の意識の再現には、膨大な演算能力を必要とする。そのため、電脳化は停滞していた。30年前までは。30年前、ちょうどオレが生まれた年に、ブレイクスルーがあって、望めば誰でも電脳世界に行くことができるようになった。そして、いま、オレが生まれてから30年。世界の先進国で急激に電脳化が進んでいる。普及の早い国ではすでに国民の3割以上が電脳世界の住人だ。ちなみに日本はまだ1割に満たない。だが今年から電脳化を国民の権利とする政策が施行される。これにより無償で電脳化が可能になる。そうなれば、日本でも急激に電脳化が進むだろう。
電脳世界にも国の概念がある。日本人は日本のコンピュータで、アメリカ人はアメリカのコンピュータで処理が行われるからだ。しかし、電脳世界の住人にとっては国の概念は無意味らしい。現在では電脳世界側の国家統一の機運が高まっているらしい。近いうちに世界が統合されるのかもしれない。では現実世界はどうか?こちらは相変わらずだ。貧困にあえぐ国が多くあり、紛争がなくなることはない。国家統一など不可能だろう。
どうでもいいことを考えてしまった。悪い癖だ。
世界のことなんてどうでもいい。オレにはどうしようもない。オレは凡庸な人間。人として生涯を適当に終えるだけの人間。夢も野望もない。なるようにしかならない。
オレは世界に流されるだけだ。
パンを食べ終えて、コーヒーをすする。今日の作戦を考えよう。11時に彼女を迎えに行く。12時に適当な店で昼食をとる。その後はショッピングモールでぶらついてから、映画を見に行く。駅近くをぶらついてから、適当な店で夕食をとり、彼女を家に送り届けて解散だ。
完璧だ! そう、完璧だ。
オレは正しさに悩む。何が正しい選択だ?オレは流されるままに生きてきた。オレには選べない。選べるオレになりたいとも思わない。オレはすべてを世界のせいにしたい。
「おいしいね」
車椅子に座った有紀は言った。
「そうだな」
オレは適当に答える。デートプラン通り、映画を見終えたオレ達はレストランで食事をとっている。オレは有紀が選んだパスタを食べている。クリーム系のパスタだ。それ以上のことは分からない。
「映画、よかったね」
有紀がこちらを見ていう。
オレはパスタを食べながらうなずく。
ありがちな映画だった。幼馴染同士の恋物語。成人して婚約するが、彼女が事故にあう。事故で死んだ婚約者と会うため、体を捨て、電脳世界に行く男。二人は電脳世界で再会するが、彼女の記憶は復元できていなかった。男は彼女の記憶を取り戻せるのか?
寝ていたので結末は分からない。
「泣きそうになった」
「うそばっかり、寝てたくせに」
有紀は笑いながら言う。オレは言い訳をする。
「朝早かったからさ。いつもは昼間で寝てるんだよ」
「そう。なら仕方ないね」
有紀は黙って、パスタをほおばる。オレは先にパスタを食べ終えたので、有紀の様子を眺める。今日はいつもより服や化粧に気合が入っているようだ。いつもはしないイヤリングが彼女の耳元に光る。ネックレスはオレがプレゼントしたものだ。爪にはマニキュアが施されている。今日のデートを楽しみにしてくれていたのだろうか。そう思うとうれしい気持ちになる反面、つらい。
パスタを食べ終えたオレ達は、デザートとコーヒーを頼んだ。それからしばらくの間、沈黙が続いた。有紀は何かを逡巡している。何度か口を開こうとしてためらう。オレは彼女の発言を待つ。有紀が何を言うのかはわかっていた。
彼女がようやく口を開いた。
「考えてくれた?」
オレは返答しない。黙って店内の様子を眺めている。予想していた問い。何度もシミュレートした。そして、何度やってもオレは沈黙だ。オレは答えない。オレは答えをもっていない。オレは黙っているしかなかった。
彼女が続ける。
「私は松谷と行きたい。これからも松谷といたい」
言葉がオレの心をえぐる。揺らす。
でもオレは答えない。
「ダメかな?やっぱり」
消えてしまいたかった。今すぐに、この世から自分という存在を消してしまいたかった。
「ダメだよね」
彼女は両手で目元を覆う。
きれいだった。
美しかった。
オレは彼女の姿に見惚れていた。
彼女は小さな嗚咽を漏らす。注文したデザートとコーヒーが来た。おいしそうなプリンだ。
「食べようぜ」
オレはようやく言葉を発した。
彼女は答えず、嗚咽を漏らし続ける。
最低だ。オレは。
「私、電脳化を受けようと思う」
彼女が言った。
「え?」
オレは聞き返した。
「電脳化を受けようと思うの、来月に」
突然の告白にオレは驚く。
「なんで?」
オレはありがちな質問をした。
「向こうに行きたいの。そうすればこの足も治る」
彼女は数カ月前に会った事故のせいで、下半身不随となり、車椅子生活を余儀なくされている。事故直後は落ち込んでいた彼女だったが、もともと前向きな性格で、数週間後には元の明るさを取り戻していた。健常者が急に車生活を強要されるのは、相当なストレスのはずだ。しかし、彼女は絶望したり、イライラしたりすることはなかった。オレはそんな彼女を尊敬していた。
「たしかに向こうの世界なら、その足は元通りになる。けど。まだどうなるかわからへんのやぞ?急にコンピュータがシャットダウンするかもしれん。そうなったら終わりや。死ぬってことや。まだまだ不確かな世界やぞ?」
「そんなことないよ。もう50年以上もたつけど、最初に電脳化された人だってまだちゃんといる。今の日本では、あまり普及してないけど世界は間違いなく、より電脳化住人が増える方向に進んでいく。分かるでしょ?」
「どっかの評論家の受け売りやろ?あいつらは電脳化が進むようにしたいんや。当たり前や。国がそうしたいんやから。マスコミに出る連中が電脳化に対してネガティブなことを言うわけがない。この国はもう国民を養えへん。年金や生活保障なんかも限界や。誰でもわかる。少子化が進んだ結果や。経済はボロボロ。もう国としての体力がないんや。だから、国民を電脳化して、コストを最小化しようとしとるだけや」
「わかってるよ。そんなことぐらい。だからこそ間違いなく電脳化は進んでいくんでしょ?いずれ周りの人がみんな向こうに行くんだよ。遅いか早いかの違いがあるだけ」
「じゃあ、そんなに焦る必要ないやろ?」
「嫌なの。みんなに迷惑をかけて生きるのが。お父さんやお母さん、あなたに気を遣わせるのが嫌なの。昔の私に戻りたい」
「迷惑やなんて思ってへん。お前のお父さんもお母さんもオレも、そんなこと絶対に思ってへん」
「それでも、私はいや」
彼女は目に涙を湛えてオレを見つめる。
「お願い。一緒に行こう」
オレは彼女から目をそらして、沈黙する。彼女はオレの説得を続ける。
「向こうにはなんだってあるわ。町も家もある。こっちの生活と同じことができる。行きたい所はどこへだって行ける。味覚も触覚もあって、食事だってこっちと変わらない。それに向こうなら歳だってとらない。病気だってしない。本当のユートピアだよ」
「そんなわけないやろ!」
オレは怒鳴った。
「ユートピアなんかじゃない。本当にユートピアなら、あいつは、斎藤は」
斎藤は何で自分を消去した?
斎藤はおかしな奴だった。オレもたいがい変人だという自覚があるが、あいつはそんなオレから見ても変人だった。斎藤とは大学で知り合った。同じ格闘技サークルの同期だ。あいつは不真面目で、大学の成績は超低空飛行だったが、サークルの練習ではまじめだった。おそらくサークルの中で一番強かった。でも大会成績は良くなかった。興味がなかったんだろう。大学4回生になり、オレ達はサークルを引退した。斎藤はオレに告げた。
「オレ、向こうに行くわ」
オレはさほど驚かなかった。前々から言っていたからだ。
「本当にええんか?体を捨てなあかんのやぞ?もうこっちには戻られへん」
当時でも無償ではないものの、大学生でも手が届く値段で電脳化が可能だった。ただし、国が条件を出していた。国際的な規約だ。それは体を破棄すること。金持ちでも関係なく、スキャン後に体は処分される。つまり、電脳世界からこちらへ戻ることはできない。将来的にはヒト型ロボットに自分の意識をダウンロードして、こちらで行動することも可能になるそうだが、まだ実現していない。
「別に、こっちに未練はないわ」
「ホンマか?親は?」
「知らん。」
「知らんて、それでええんか?悲しむやろ?」
「死ぬわけちゃうやろ?」
「親御さんからしたら、似たようなもんやろ?意識だけの存在になるとか、簡単に受け入れられることちゃうやろ?」
「今すぐは分からんでも、いずれわかるやろ?スマホだって今では使いこなしとる。電脳化だっていずれ理解できる」
「スマホ使うんとは全然違うやろ?」
「同じや。人の願いが叶うんや。人がそう願って、そういう技術ができて、そういう世界になっていく。TVもネットもスマホも全部一緒や。電脳化もな」
「方向性が同じやとしても、進度が全然違うやろ?」
斎藤はオレを見て笑う。
「やっぱり、お前は変やな」
オレは即座に答える。
「お前ほどちゃうわ」
斎藤はオレの返答に満面の笑みで答える。
「そうやな、オレは変人や。だから向こうに行ってみるわ」
斎藤は空を見ながら言った。
向こう側とこちら側でも交信はできる。映像を通して会話ができる。リモートでのWEB会議と全く同じだ。向こうに行った斎藤とは週一ぐらいで、連絡を取り合っていた。斎藤の話はくだらないものばかりだった。ケビンコスナーの顔でナンパしただの、マリリンモンローとS〇Xしただの、そんな低俗なものばかり。ただ、楽しそうではあった。色んな所へ出かけるそうだ。一人でヒマラヤの山頂に日帰りでいける。最近では月のエリアが解放されたとか。毎日三ツ星シェフの料理が食べ放題。正直なところ、だんだん羨ましくなっていった。オレは斎藤と連絡をとるのを楽しみにしていたのだが、だんだん頻度が下がってきた。週一が月一になり、やがて数カ月に一度という頻度になってきていた。しかし、オレは何も思っていなかった。小中学校の同級生だって疎遠になってしまった。仲が良かったとはいえ、生活場所が変われば疎遠になっていくのは仕方がないと思っていた。
ある日、見知らぬアドレスからEメールが届いた。斎藤のデータが消去されたと書いてあった。このメールは本人の希望で送付されるものであるらしい。オレは意味が理解できないまま、添付されていたビデオメッセージを開いた。斎藤の顔が現れる。サークル引退の日から、何一つ変わらない顔である。ビデオメッセージがオレに話しかける。
松谷。オレ、自分のデータを消去することにしたわ。だからもう会えない。ごめん。お前のことだから、そんなに気にしないと思うけど、一応な。理由が気になるか?お前のことやから、興味ないとおもうけど、一応参考までに伝えとくわ。
飽きた。
つまんねーんだ。全部。何もかも。飽きた。飯も飽きた。旅行も飽きた。S〇Xも飽きた。全部飽きた。何もかもつまんなくなった。この世界は望めばなんだってできる。誰の顔にだってなれる。どんな所でも行ける。誰とだってヤレる。最高だと思ってた。でもダメだ。ユートピアなんかじゃねーわ。ここはくそだ。自分が生きてるのか死んでるのか分からない。肉体は死んでるんだ。でも意識は生きてるだろ?でも、そうじゃない。そんなのは生きてることにならない。ここはほとんど天国だ。でも天国は生きたまま行くところじゃないだろ?じゃあ死んでるのか?死んでなんかないんだ。意識があるからな。オレはヒトだ。いや、ヒトだった。人間だ。いや、人間だった。じゃあ、今のオレは何だ?意識だけの存在?自分を観測する存在?なんだそれ?わけわからないだろ?自分がなくなったんだ。自分を書き換えすぎた。自分を見つけられなくなった。われ思う故にわれあり?無理だ。そんなのは無理だ。オレには無理だ。オレは斎藤勉だ。オレの意識を持った、オレの肉体。それが斎藤勉だった。大事なピースがなくなっちまった。体がなくなった。今のオレは何だってできる。ジャンプすれば、何mでも飛べる。コンクリートでも叩き割れる。でも、そんなことはオレにできるはずがない。斎藤勉にできるはずがない。それが、その不能こそがオレのアイデンティティだったんだよな。オレをオレたらしめていたのは、無限の不能の中にある、数少ない可能だった。人を殴れば痛いし、人に蹴られると痛い。こっちでも再現できる。でも違う。あれは設定なんかじゃなかっただろ?どんなに練習しても強い奴はたくさんいて、オレなんかじゃ足元にも及ばなかった。ここでは違う。どんな動きでもできるし、どんな敵でも倒せる。もちろん弱いままでいることもできるけどな。でも違う。練習の中にあった葛藤がここにはない。オレにできること、できないことを選んで、進めていく。後戻りはできない。期待しながらも無駄になるかもしれない不安の中、日々を過ごす。そんなことはもうできない。ここには全てがあって何もない。まさに天国だ。オレは天国に耐えられないみたいだ。だから、オレは自分を消去することにした。もし、お前が来るっていうなら止めない。でもこんなやつもいるって話だけ覚えとけ。あばよ。
デザートを食べ終えたオレ達はレストランを出た。彼女を車にのせ発車する。車内は無言だった。オレは悩んでいるフリをしていたが、本当は悩んでなどいなかった。オレが向こうに行く決断をすることはない。それは決定事項だ。5年前のオレが決めたことだ。今のオレが覆していいことではない。オレは国道から県道に入った。風景が変わり、田んぼだらけになった。オレは農道脇で車を停める。そして、彼女の車椅子を出し、彼女を座らせた。
「どこ行くの?」
彼女は少し不安げに問いかける。
「ちょっと散歩しよ」
オレは答えて、車椅子を押して農道を進む。虫とカエルの大合唱に包まれる。風が気持ちよかった。オレも有紀は黙っていた。農家の明かりがぽつぽつと見えるが、街灯はなかった。でも怖くはなかった。月明かりがきれいだったからだ。風を感じ、大合唱を聞き、月を眺める。とても心地よい時間だった。
「これも、向こうにあるのかな?」
オレは聞いた。
「分からない。ないかもしれない。だって、誰も望まないでしょう?」
彼女が答える?
「何でさ?オレはこれが好きだよ」
「みんなもっと他に好きなものがあるから。優先順位だよ。みんなが欲しいものから実装されるんでしょ?」
「じゃあ、やっぱりオレはこっちの世界がいいな」
オレは何気なくいった。彼女は答えない。オレは続ける。
「蚊はいるし、ハエもいるし、蒸し暑い時もある。嫌なことも多いけど、こっちの方が人間らしく生きられる気がする」
彼女は答えない。
沈黙が続く。
一陣の強い風が吹いて、彼女のスカートを揺らす。
「分かってた」
有紀は言った。
「そういうだろうと思ってた。でも同じぐらい、一緒に来てくれるかもって思ってた」
有紀がオレの方を見上げて笑う。
「松谷は優しいからさ」
オレは彼女の目を見つめる。彼女の感情を読み取ろうとする。それを察したのか、有紀は目をそらした。
「いいよ。私は一人で行くもん。向こうで彼氏をいっぱい作るもん」
有紀は笑いながら言う。オレは文句を言う。
「いっぱいってなんだよ?浮気じゃねーかよ」
「いいの。いっぱい、いっぱいつくるもん」
有紀が車椅子を漕いで少し前に出る。そしてオレの方を向いて言った。
「女の子は永遠に恋ができるから」
彼女が笑う。笑う彼女の頬を涙が伝う。月明かりをバックにする彼女の姿は神々しかった。オレはその美しさに見惚れていた。
終わり
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