6(猫に食べられて、人間に食べられないもの)
人間は食べられるけど、猫には食べられないものがある。例えば、たまねぎとか、ぶどう、イカ、塩分の多い食品。
けど猫に食べられて、人間に食べられないものはないはずだ――たぶん。
そんなわけで、二人は猫用の缶詰を開けて、中身をたいらげていた。お皿に移されたそれは、見ためとしてはシーチキンに似ている。
「まあ、まずくはないよな」
ベテルがスプーンを手に、祝うべきか呪うべきか迷うみたいな、複雑な表情で言った。
その横ではニボシが、同じ食事の相伴にあずかっている。というより、この場合は逆なんだろうか? 二人のほうが、ニボシの食事をお裾わけしてもらっているわけだから。何にしろ、ちょっとシュールな光景ではあった。
「……ストックを多めに用意しておいたのが幸いでしたね」
わたしは誰にというわけでもなく、つぶやく。
ベテルの隣では、ソワが同じように猫缶を口にしていた。こちらは、表情はあまり変わっていない。基本的にクールな性格をしているのだろう。新品の冷蔵庫みたいに。
「あんたは食わないのか?」
不意に、ソワが言った。
「ヒトに似ているといっても、そこまでじゃありません」と、わたしは首を振る。「わたしには食事の必要はないんです」
「なら、コンセントで充電でもするのか?」
ベテルはからかうように言った。
「わたしの体内には、半永久動力炉があります」
と、わたしは答えた。
「定期的なメンテナンスは受けますが、基本的にはそれだけで活動エネルギーを百パーセントまかなっています。神経系、駆動系、精神系のユニットすべてについてです」
「そりゃよかった」
ベテルは優雅な手つきで猫缶を口にしながら言った。
「おかげであんたは、こうして猫の餌を賞味する貴重な機会を失ったわけだ」
わたしは彼ほど気の利いたユーモアのセンスは持ちあわせていなかったので、ただ肩をすくめておく。それでも、一言だけ注意はしておいた。
「わたしは〝あんた〟じゃなくて、〝フミ〟というちゃんとした名前があります。わたしのことは、名前か、司書さんと呼んでください」
「……フミ?」
ソワが怪訝そうに訊く。わたしは胸をはって答えた。
「わたしの製作者がつけてくれた愛称です。その人の出身地域では、書物や手紙、文字のつらなりをそのように呼称するそうです」
「なるほど」
意外にあっさりと、ソワは納得した。
食事(と呼んでいいのかどうかは、ためらわれるところだけど)が一応すんでしまうと、二人はカウンターのところにあるテレビの前にイスを運んで、その視聴をはじめた。通信端末はすべて、マキナの管理下にある。だから、仲間との連絡手段がないのだろう。どんな暗号化も、マキナの前では無意味だった。情報を手に入れるためには、公共放送に頼るしかない。
二人は熱心な顔で、テレビ画面を見つめていた。ベテルでさえ、その表情には一欠片の冗談も混じっていない。ついでにニボシも、カウンターの上に座って同じようにテレビを眺めていた。猫には猫なりの関心があるのかもしれない。
特に仕事があるわけでもないので、わたしも同じように放送に目をやった。
予想に反して、暴動はますます大きくなりつつあるようだった。初期のそれは、小手しらべみたいなものだったのかもしれない。蜂起者は各地に散在して、管理局にも処理しきれなくなりはじめている。もぐら叩きと同じだった。
画面の中で突然、爆発が起こった。大胆にも、警備ロボットの倉庫を狙ったものらしい。びっくりするくらい大量の黒煙があがり、赤い炎がそれを喜ぶみたいに踊っている。
爆発はそこだけじゃなく、市内のあちこちで起こっているみたいだった。狙いはどれもマキナに関わるものに限定されているようではあったけど、これだと無関係の人間にも被害は及んでいるだろう。わたしが思っていた以上に、暴動は本格的だった。
おそらく、この日のために綿密な計画が立てられていたのだろう。ほとんど、クーデターといってもよさそうなくらいだった。
わたしはあらためて、世界をマキナの支配から解放しようという二人の若者に目を向けてみる。
ソワとベテルは世界の明日を見るような真剣さで、テレビ画面をじっと見つめていた。
――ニボシだけがその横で、平和そうに大きなあくびをしている。
日没頃になると、クーデターはいったん収束を迎えたみたいだった。市内ではあちこちから、煙が上がっている。この辺はまだ静かだったけど、場所によっては蜂の巣をつついたような騒ぎになっているようだった。
二人とも今夜は、ここで様子見をすることにしたらしい。一晩か、もしかしたら明日の晩も、この場所に置いて欲しいということだった。
現実的には、そのことに問題はない。ここにはそういう判断をするためのシステムは用意されていなかったし、人が二人増えたところで特に支障はない。猫が増えたのと、たいした違いはないのだ。猫の餌を食べたのだから、二人とも半分くらいは猫だといってよかったかもしれない。
ただし、館内の規則に抵触する部分は別だった。
「この閲覧室には鍵がかけられるので、二人には外に出てもらわないといけません」
と、わたしは告げた。
「外ってのは、図書館の外か?」
ベテルがぞっとしないように訊く。まあ、それも無理はなかった。この辺はまだ安全だったけど、管理局の警備は厳重になっているだろう。野外に不審者がいれば、たちまち捕まってしまってもおかしくない。
「いえ、あくまで閲覧室より内側には、ということです。それより外なら、どこにいてもかまいません」
「つまり、ロビーで寝ろということか」
ソワの言葉に、わたしはうなずいた。
「それから一つ、注意しておくことがあります」
「何だ?」
「夜のあいだ、わたしは眠っています」
「……何だと?」
ソワはきょとんとした表情をした。そうすると、年齢相応の幼さが前面に出てくる。
「わたしは眠る、と言ったんです」
念のために、わたしは繰り返した。耳の悪いおばあさんを前にしたときみたいに。
「こいつは傑作だな。ロボットにも睡眠をとる権利くらいはあるってわけだ」
すぐさま、ベテルが耐えかねたような笑い声をあげる。この人の場合、年齢幅に変動は認められなかった。
「それも、〝ヒトに似すぎたため〟ってやつなのか?」
ソワに訊かれて、わたしはうなずく。
二人とも、ひとくさり機械の睡眠ということについて考えているみたいだったけど、特に目ぼしい結論は出ないようだった。
二人――と、それからニボシ――を閲覧室から追いだすと、わたしは扉に鍵をかけた。電気錠でも何でもなく、古式ゆかしい鉄製の鍵だ。実直な門番が敬礼するみたいな、かちゃんという音が響いた。
それからわたしはカウンターの向こうに座って、一日を終えるための業務を行った。館内に異常がないかをチェックし、一日の報告書を作成する。
わたしは少し考えてから、〝特段の変化はなし〟とだけ、そこに記しておいた。いつもと同じように。
そうして非常灯を残して、館内の電気をすべて切ってしまう。
音もなく明かりが消えると、薄闇と月影の混じった閲覧室の光景が浮かびあがってきた。まるで白鳥がほんの少しのあいだだけ、本当の姿に戻るみたいに――
わたしはこの瞬間が、一日でも一番好きだった。何かの生き物みたいに、図書館そのものが眠りにつく瞬間が。例え同じことを百年も、繰り返し見続けてきたとしても。
カウンターのイスに座ったまま、わたしは自分の活動電位を下げていった。
次第に濃くなっていく暗闇の中で、作業ロボットたちの立てるかすかな音だけが、最後までわたしの意識に反響していた。
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