第5話 紳士の鉄則

「……あれ?」


おかしいな、どこも痛くない。


筋肉質な男の方を勢いよく振り返ると、筋肉質な男の拳銃を持っていたはずの右手の甲からは、血がどくどく流れていて、拳銃は床に落ちていた。


「あ゛ぁああ……!」


「随分と楽しそうだね?私も混ぜておくれ。」


「尼芷さん!」


「やぁ、八重くん。君の帰りが遅かったから、心配で来てみたんだけれど、随分と面白そうなことになっていたからね。私も血が騒いで、飛び入り参加してしまったよ。ははは。」


ドアの方に立っている尼芷さんはそう言って笑ってるけど、よく見ると目は笑ってないし、何なら先ほど発砲した自分の物であろう拳銃も下ろしていない。


「あ……尼芷さん……!こいつが……いきなり撃ってきたんです!」


床に這いつくばっていた事務員が、ふらふらしながら立ち上がった後、俺を指さしながら尼芷さんに泣きつく。


うん、お前、事務員よりも役者の方が向いてるよ。



「そうなのかい……?私は付き合いの短い君よりも……お世話になっている八重くんの言葉を信じたいんだが……八重くん……これは……一体どういう事なのかな?」


「そこの事務員と尼芷さんが撃った筋肉ダルマが、他の組織にオークションの金と商品を横流ししようとしてたんです。俺は、大谷戸ちゃんがなかなか引き渡されなかったから、事務員を問い詰めるために肩を1発撃っただけです。」


「そうだったのか……それは聞き捨てならないね……無粋なことこの上ない……なんて不謹慎極まりない連中なんだ……」



眉間に皺を寄せ、ぶつぶつと呪詛を唱えるように尼芷さんは声を発する。

大谷戸ちゃんを持ち逃げされそうになったこと、俺だけではなく大谷戸ちゃんのことも撃たれそうになったことで内心怒り心頭だった俺は、尼芷さんに同調することにした。


「全くですよね。絶対、俺の大谷戸ちゃんだけじゃなくて、尼芷さんや他の客が競り落とした商品も持ち逃げしようとしてましたよ。」


「まって、俺のってどういう事??」



あ、大谷戸ちゃん抱きしめたままだったの忘れてた。



「そのまんまの意味だよ。大谷戸ちゃんは俺の使い魔だから、俺の大谷戸ちゃんなの。」


「……あんたは主人だけど……あんたのものって訳じゃないから……‪私は"あの子"のもので……他の人のものじゃないから……」


「釣れないなぁ。」


眉を少し下げて苦笑いを浮かべながら、大谷戸ちゃんの頭を撫でようと頭に右手を伸ばしたら、彼女にパシンと勢いよく手を叩き落とされた。


あれ?俺の右手、今日は叩き落とされまくってない?

まぁ、そのくらい度胸のある方が俺的にはいいんだけどね。



「さて、私は若人の春を奪おうとした奴らをバラ売りするとしようかな。」


尼芷さん、若人って俺のこと?

俺、27だけど、若人らしいこと何一つしてないよ?


「ば……バラ売り……?」


自分と筋肉ダルマに向けられた言葉の意味がよく理解出来ていないのか、それとも現実を受け入れたくないのか、事務員が尼芷さんに聞き返す。


「そのままの意味だよ。そうだな、分かりやすく言うとね、君の身体をメスで切り裂いて、そこから臓器を取り出して困っている人に売るだけだよ。あぁ、大丈夫。君達が、バックにいる奴の名前を吐いてくれたら、麻酔くらいはしてあげるから。」


英国紳士の皮を被った尼芷さんの声はとても穏やかだった。

告死天使っていうやつは、こうやって人に死期を告げて、残酷に殺すんだろうと思わせるくらいには。



「そ……それだけは……どうか……」


「それだけは、とはどのことかな?臓器をバラ売りされることかい?それとも、バックにいる奴の名前を吐くことかな?安心したまえ、君がバックにいる奴に叱られる前に、‪私が君の必要な部分だけを売るから。」


「くそっ……!!こんなことになるなら……」


やばい、どうしよう、はらわた煮えくり返りそう。この事務員ムカつく。



「お前さ……人様のものに手ェ出して横取りしようとして……それはないんじゃね?覚悟ないなら最初から何もすんじゃねぇよ……ガキでも分かる常識だろ……」


「う……うるせぇ……!俺は……俺は金が欲しかったんだよ……!」


ぷつん。


俺の中で何かが切れた音がして、その後のことはよく覚えていないけど、気がついたら、目の前で事務員がのびていて、尼芷さんが俺を羽交い締めにしていた。


「そんなに金が好きなんだ。じゃあ、尼芷さんのポケットマネーになれることが決まって良かったね。」


羽交い締めにされているのに、冷静になろうとも思えなかった俺は、意識を失って顔も洋服もボロボロになっている事務員皮肉る。


てか、昔は半グレ集団のボスやってた俺のこと羽交い締めにできる体力あるって、尼芷さんマジで何者だよ。




「八重くん、落ち着きなさい。大谷戸さんを見てみるんだ。怯えているよ。紳士たるもの、レディを怖がらせてはいけない。」


「え……?」


言われた通り、大谷戸ちゃんの方を見てみると、彼女は部屋の隅でうずくまってガタガタ震えながら、怯えた目で俺を見ていた。


やめてよ、その目で見ないでよ。




「後のことは私に任せなさい。車を手配するから、大谷戸さんと帰り際に買い物でもするんだ。それで誤解を解きなさい。いいね?」


「はい……分かりました……」




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